今回最後のF先生との会話③(まだ続いてるんかいって感じですよね。私にとっては写経みたいなものなので笑、書きます)
あさ、ちょっとどんよりしちゃったこともあって、気持ちが上がらなかったので、ボイスメモで先生の話を聞いていました。これは書いた方がよいと思って、ブログには出していなかった部分を)。
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「今のプロセスとしてはとてもいいですね」と先生はおっしゃる。
状況がいいという話ではなくて、
辛い状況から、悟りではないが覚悟をする体験にまでいきつくことが強くなれる。すごい体験ができるということ。
「プロセスがいいというのは、イラついたり過食したりしていないから。
せっかくいい体験なのにそういうことをするとぐちゃぐちゃになってわからなくなる。そういうのはあなたにはないから、とてもいい。眠れて食べれて体重が変わらない」
私は体重はもう少し減ってもいいとは思ってるんですけどね。
いやおなかを絞りたい( ´艸`)なんて。。まあ無理はしませんが、食べられるときにはしっかり食べます。最近食べる量は落ち着いてきました。
「これはコントロールできているということ。
とりあえずね、自分という車の運転を十分できてる。この車はスポーツカーのような車ででこぼこした悪い道を運転しているようなものです。運転が大変難しいのによくやってますねということです。
これは頑張ることとは違う。上手に賢くやっているということです。
これが生きるということ。」
以前は私の自律神経の調子を暴れ馬と表現されていた先生。今回はスポーツカーなので、若干マニュアルの必要な気難しい車と比喩されていそう。
今回は自律神経だけじゃないもんなぁ。でも暴れ馬のように相手があってというより、スポーツカーの方が自分次第だと思えるので気が逆に楽な気はする。
「でこぼこ道、気を使って運転しすぎてもういい加減疲れてるんですけど💦」
と愚痴を言う私。
「もういい加減耐えられないと思うでしょ?
それは面白いことに、実は耐えられない人はすぐ終わるんだけど、耐えられる人は続く。」
「これはなんか意地悪みたいだけど、そうじゃない。そうじゃない。
耐える力が与えられている。その体験なんです。
え~、ひどいことがこんなに続いて?なんでこれ私生きてるんだろうと。
それはあなたの中のチカラ。実は外から与えられてくる。この体験が不思議だなと思う。何かを与えられている。そういうことは後でわかります。」
なんだか教会で神父さんに話を聞いているような感覚です。
「だから今、なんでこんなことと思うだろうけど、
なんでじゃなくて必要な場であるんですよ。
それまで素直に待つ。ということですね。
あなたしか体験できない。それは決して悪いことではない。
悪いことというより、人生のうちに生きる本質に役立つこと。
トラブルがない人生なんていうのは、いいような気がするけどトラブルの程度は人によって違いますよね。
トラブルが少ない人が幸せで、多い人が不幸せということは全くない。
人生の体験はその人それぞれに固有の素晴らしい体験を与えられているその体験をしっかり味わい尽くす」
「しかし不安とか痛いとかいうのは絶対に消さないといけない。
そんなものを持って生きる必要はない。不安や暗さにしがみついちゃダメ。」
そうなんだよなぁ。不安に同調しないようにとは思っているけど、解消法をつい考えてしまう。
「あなたはそこを薬コントロールでできているじゃないですか。かつてからの自律神経失調症の段階で使い方に慣れているじゃないですか。上手にそれを使って自分の体を不安から守る。」
(あさがおの双葉🌱
こぼれ種から発芽したみたい。これも力。)