月1、F先生の検診。
今回は久しぶりに先生との会話を残します。
前の日にドーンと落ちたので、
問診も結構ガタガタ。
でもそれが今の自分なのだと思う。
一ケ月前は夫の状態が良くない状態の中だったので、
それ以降の今の状況と、私が陥っている不安について説明をする。
「仕事や生活の不安は誰しもある。
あなたはそこに自律神経の不安定さがある。
でも今はそこに構っていられないという、仕事生活の問題が出てきている。
これはおもしろいことに、リアルな不安だから、誰でも起こる不安。
自律神経の不安は、あなたしか起こらない。
天気や環境の変化にあなたはとても敏感だ。
なんで私だけって思いがあるわけだけど、
今回のような夫さんの状況が悪い、でも悪いなりに決着がついて、
自分の置かれたポジションが明確になってくる。曖昧じゃなくなってきている。
しかも仕事や生活のようなすべての人が持っているリアルな不安。
そこに目を向けると、自律神経の方は突破できる。」
言われることは、わからないではありません。
「あなたは自律神経の状態が悪かったから、今まで十分に仕事ができなかった。
というのが逆転する。仕事の問題が、あなたの中で優先順位が高くなる。
そうすると自律神経は整います。敏感は敏感なりに整う。安定します。
不思議なものです。」
なるほど。
「今は、夫さんの問題にしても、解決はつかないにしろバトンを渡した、
自分でできることはやったという状態。
仕事も生活も自分でやれることをよしやるぞ、それだけですね。
そうするとそのリアリズムは、自分の体を一斉に集中できるの。
火事場のバカ力ってあるでしょう。戦争もそう。戦争すると中はまとまる。(中略)
内側の内紛よりももっと大きい戦いを持ってくると、みんなそこに集中する。
あなたもそうなる。自律神経の失調は内側の戦いであって、確かに真実。
他の人にはないけどあなたには真実。そのために仕事ができなかったことも真実。
でも外国の戦争と同じように、仕事や生活に目を向けざるを得ない、
向いたらひょっとしたらこの内側がすっとまとまる。
自律神経が良くなるわけではない。でもあなたの重要な課題ではなくなるということ。」
「ただ夫さんは移行期だ。人間というのは必ず最大の危機に向かっての覚悟ができたら、違ったステージで体が動き出す。」
「でも、今回みたいな落ち込みの時には、自分を大切にしておかなきゃいけません。
その後に”じゃあ仕事がんばらんといかんよね”ってことになったら、
体の不調はおそらくついていきます」
「仕事も生活もあなたが決定できることじゃない。相対的な関係だから。
これも夫さんの問題と同じで、自分のできることをやりつくすということだけで、
どうしよう、という不安は持ってはいけない」
はい。
「覚悟というのは、自分がやりつくしてできなかったら道は開けるってこと。
実際必ず道は開けるんですよ。」
私、とにかく全部やらなきゃって思ってやってるところはありますねぇ。。。
「それやめましょう。自分ができることをやる。
だって夫さんの事でも、あなたは夫さんの体を変えることはできないでしょう?
障碍者の、、流れにまかせて、そうするとあなたはほっとされる。」
「そういう自分を、ああ大変だったねって思わなきゃいけない。緊張して大変だったね、よくやったね、って褒めなきゃ。批判することじゃない。」
「選択肢が5つくらいあってどうしようと思う時ほどつらい。
あと一つしかないと思うと落ち着く。これやらなきゃ死んでしまうという時でも道がひとつなら人間は落ち着ける」
「5つを期待していた時になかった、自分の中のチカラは一つになった時に出てくる」
うーん、そうなのか。そうだといいなぁ。
「結集力。自分の中の全細胞が外に向かう。
それを火事場だけじゃなく平常時にその力を使う。
しかしその力は結集して全員を緊張させたら全員死んでしまう。
結集したら『ご苦労さん!』って全開放をする。
全細胞はひとつひとつがあなたから独立していると思った方がいいです。
よくぞ頑張ってくれたねっていたわってあげること。」
これができないんだよなぁ。不安に押しつぶされずにできるといいけど。
それが覚悟をきめるということなんだろうな。
その後、血液検査のデータ説明をしてもらったんですが、
バイタル的にはほぼ問題がありませんでした。
つまりは「からだは元気」ということです。
「環境的に非常に辛い状態におられながら、
そして体調もきつい思いをされながら、からだの方は全然大丈夫、
っていうのはこれすごいですね」と先生。
「失礼な言い方だけど、自律神経が敏感な人は、からだが立派なんですよねぇ」
失礼ではないけど、自分の感覚と状態は一致していないということですね。
「鈍感な人はここに出てきます」
わからんでもないです。
「お疲れさま。きつい時に一人で居る時に、
自分をしっかり大切にしないといけないですよ。
介護をされてる人はほんとに疲れる。相手は病気。かつての相手ではない。
ダウンしている人と一緒にいると、自分のエネルギーが減るんです。
当たり前の話でエネルギーは電圧が高い方から低い方に電気が流れるように。
気も同じ。だから病気という。
それが流れていくからそばにいるだけで疲れる。
ましてや体を動かすのを手伝ったり肉体的にももっと疲れる。
そういう意味でも頑張っている自分を大切にしないといけないから、
まず逃げだすことは非常に重要。
あなたは今は夫さんが入院されてるから、今を大事にしなくては。」
はい。
「仕事と生活の問題はなるようになる。きっとなるんでしょう。
あなたの体はよく頑張っている。
ほんとなら「もう疲れた!」って体のどこかが悪くなるかもしれないのに、正常だ。
体に感謝しなきゃいけない。無意識に持っている。」
「だからね、からだをさする、実はこれだけで認知症が改善する。
ひふをなでるだけ。自分を本気で手足をさする。そしてお疲れさまっていう。
お風呂でやってごらんなさい。敏感に体は反応します。」
・・・少ししかやれていないのは、多分泣き出してしまいそうになる自分がいるから。
我慢し続けている自分がいて、その我慢がなくなった時に、
多分自分の感情がはじけてしまう。その収集ができない気がして怖いのだ。
でも、お風呂の中とかだとできるのかもしれない。いくら泣いてもいいのかもしれない。
「涙は最高の治療薬ですよ」
うう、そうですか。
「あなたは意志力と合理的精神で生きてきたから、みっともないと思うんでしょう?」
みっともないとは思わないんだけど、ああ、でも思ってるかもしれない。
「後のコントロールなんてできますよ。ぐじゃぐじゃに一度なることが、整える一歩。じっと何かを留めてると、それが足をひっぱる。
恐れずに泣くことです。」
「きっとなんとか道は開ける。いつでもだれにもそういうことは与えられています。」あなたにはあなたの道が絶対ひらきます。それをあなたも信じているし、
あなたのなにものかも信じていい。
あなたの敏感な自律神経やデリケートな精神とかをもっと凝縮してあなたがいらっしゃるわけなので。
そのあなたと出会う、一人の時には語らうことが必要。
言葉で語るのではなく感じあう。それがさらに進むと瞑想という形になるでしょう。
瞑想はお坊さんだけがやるわけではなく、自分ひとりで自分の高いレベルの存在にリスペクトするもの。
肉体や精神はすばらしいけど、もっとすごいなにものかがあなたです。
ほかの人もそう。泣くとそういう経験ができます。」
泣けた自分に大期待。
「からだも合理的精神もあなたは強い。
だから、他人と比べて強いというよりも状況に対して正直に向かうこと。
そしたら自分を愛おしくなって、そのままの自分ですっと一体感を持てるようになります。」
まだ試せてないけど、ゆっくりお風呂の時にやってみよう。
でもドキドキするなぁ。
(いつも修行モードになる💦)