ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

諸行無常 2023.3.28

時はずっと流れていて、一時とも同じものはないのですね。
それなのに、この時がずっと続くとなぜ私たちは思ってしまうのでしょう。
そういう思考はDNAにあるのでしょうか。

小難しいことをまた書いてますが、
まあそう思うようなことがありました。

夫が骨折をして救急搬送されました。
と、一言で書くとそういうことです。

が、彼の場合それだけでは済みません(By整形外科主治医)。

退院からまる2週間、大丈夫なのかなとビクビクしながらも、静かなひと時でした。
あれ?意外と大丈夫なのね。
こんな生活に慣れていくのかな、なんて思っていました。

日曜日の夜、いつものように大河ドラマを見ながら晩御飯を食べて、
食器を片付けようとした時に、
ことは起こりました。
本人曰く、テーブルと椅子の間に足が挟まって転けてしまったよう。
私は痛がる夫の様子を見ながら、割れた皿を回収し、拭き掃除。
しばらくしないと状況が掴めない。
頭は打っていないようなのは確認し、これで動けそうにないなら救急車に来てもらうしかないというのは、すぐに頭にありました。
おそらく折れているだろう、折れていなくてもかなりの打撲がありそうだし、
かなりの痛みは出るだろうとは予想。
本人の了解をとって、救急車を呼びました。
ーーーー
意外と私が慌てている。

私自身は大きな骨折は2度経験しているし、
その痛みがわかる。状況もわかる。
夫の骨折にも付き合ったことがある。同じように救急隊を呼んだこともある。
いわば経験済みのことばかりなので、体が覚えているはず。
なのに、なんでこんなにバクバクするんだろう。
いつもの救急搬送と苦しみ方が違うからなのか。
自分自身に違和感を感じつつ、準備をする。

最低限は、医療証とお薬手帳があれば問題はない。
お財布と携帯のバッテリーを掴んで、バッグに入れた。

お家に帰れるようなら、靴と上着
上着は救急隊の方に言われバッグに詰めたが、
靴を忘れた、杖も忘れた。
待ち時間用のイヤホンも本も忘れた。
その辺まで頭が回らなかった。

これまでの救急搬送時は、家で苦しんでいる時間が長かったのかもしれない。
私にあれこれ考える時間もあったのかもしれない。

息子はお風呂に入っていたので、
救急に連絡する前に伝えたら急いで上がってきた。

ーーー

ここまで書いてみたけど、
状況書いているとまた長くなりそうなので端折ります。(とかいたけど、自分の備忘録にもなるので書けるだけ書きます。なので以下長文)

いつもの救急病院に運んでもらい、処置。
痛がる夫。
外科的なものだから、痛み止めを使ってすぐ処置が済むと思っていたけど、なかなか呼ばれない。
21時すぎに救急車の中で時計を見た気がする。
待合室で待っている間、微かに叫び声がする。多分夫なのだろう。
あの調子ではレントゲンをとるなんていうのも難しいのかもしれない。
待合室のテレビ番組はもう何を見ているのかわからない。先ほどとは違う人たちが出ているので違うものが始まっているのだろうが、全く頭に入らない。
なぜか叫び声が大きく聞こえる気がして、思わず耳を塞ぎたくなる。
イヤホンを忘れたことをこんなにも後悔するなんて。

あ、また感情ばかりを書いてしまう💦

結局呼ばれたのは23時ごろ。
先生によると、強い痛み止めを使ってもなかなか効かないらしい。
点滴で入れるほうが効くのだけど、痛みが強すぎて末梢血管が小さくなりすぎててルートが取れないとのことだった。なんてかわいそうなの。
レントゲンやCTは撮れていた。ほっ。
様子を見ますか?とのことで、ベッドの脇に。
痛みの波がある。まるで陣痛。いやそれよりも刻む感じ。
頭や手をさすりながら、球に手を止めて入院のための書類を書く私。

途中で看護師さんが覗きにこられ「痛いよねぇ」と声をかけてくれます。
「波があるみたいで」というと
「それでも落ち着かれましたよ。波もありませんでしたから」とサラリ。
そうかぁ。いいほうなんだな。
さすが専門職。こういうのにはなれてらっしゃるのね。
私はなんども現場に当たってるけど慣れません。

眠くなる薬も随分入れてもらっていて、
少しずつ落ちつく矢印→の上にいることにホッとします。
「今のうちにベッドに移動しましょう」と看護師さんがベッドを持ってこられました。
落ち着けば、ECU病棟に入れるらしいんですが、もうちょっとかかりそう。
それでも今が状況よさそうだからって。そうなんだ。

私はまた待合室に移動になり、書類を書き、説明を受けたり荷物を受け取ったりして、
0時20分ごろに病棟に移動。
本人は少しうとうとしている。そのくらいがいい。
病棟の手前で手を握り、
「また済まんのう」「うん、とにかく治してね」と会話をして別れた。
それから30分ほど待ち、病棟の看護師さんからの説明を受けやっと帰宅に。
1時をすぎていた。

翌朝、本人から電話。
電話ができるほど回復しているのに驚き。
うまく薬が効いているのだろう。
動かず骨に神経が触らなければ、基本骨折は痛くはない(経験者談)はず。

入院の荷物届と主治医の先生からの説明の時間確認の電話だった。
16時半から17時と時間が決まり、入院道具の準備をして病院へ。

整形外科の主治医の先生がいうには、
手術すれば元に戻るかというとそうではないと。
夫の場合、手術にもリスクがある。合併症と言葉はよくきくと思うが、
夫が持病として持っている難病や心臓の機能が、今回の手術の刺激によって
症状を引き起こす可能性がないとは言い切れないそうだ。
かといって、手術をしなければ寝たきりになり、ベッドの上で寝返りさえ打てない。
そうなればその死亡リスクは、前者の4倍になるらしい。
今回、いろんな検査を経て、手術ができそうというので、
難しい手術になると言われたがお願いして同意書を書いてきた。

骨折の状態はというと、大腿骨の転子から下の方に向かって折れているらしく、
骨も薄くなっている。
運動していないんでしょうと言われたけど、
運動できる体ではない。
高齢者によくある骨折したら弱るという話とよく似ている。

病気を持つと、もちろん部署にもよるが、
健康を保つための運動ができる状況ではなくなることの方が多いのだ。
アスリートが怪我をして復活のためのトレーニングをしているけど、あれはそういう職業だったり体を鍛えている人だからできること。

リスクの話は本当にそう。
半分脅しのようで、半分事実だなと思いながら聞いた。
素直に聞いてしまうと、全く持って先生の言うとおりです!と言いそうになる。
実際そう思った。
先生だってうまく行かせたいと思っているはずで、
私としては彼に対する情報を思いつくままに羅列して情報提供し、
とにかく痛みが強く出ることが多くて、本人が辛いので、可能な限り緩和して進めてほしいということを伝えた。
その話をしたのが月曜。昨日の話。

火曜日は透析、水曜に手術というスケジュールで進んでいる。

そして今日、火曜日。
普通なら10時から14時までが透析。(これまでがそうだった)

16時ごろに主治医から電話。
透析中に本人が背中の痛みを訴え、意識がなくなり、血圧が下がったとのこと。

透析中だったので、血液を戻したら、意識も血圧も戻ったそう。

痛みは腰にうつり(そもそも折れてるから痛いはず)
今に至るよう。

いろいろ調べてみたけど全ての原因が不明と。
全てはきっと難病のせいだろう、病気によると寿命に近い、とは言われる。
そうなんだけど。

とりあえず明日はそのまま手術GOの予定。
先生からは、13時から始めて何もなければ終わったら連絡します。
何かあったら連絡しますとのこと。怖すぎるけど、願うしかない。

もうね、痛いの辛いのからどうにか解放してあげたい。

とりあえず明日のヨガはキャンセルした。
怖いけど、祈るしかない。願うしかない。待つしかない。
彼の痛みや私の怖さもきっと諸行無常。ずっとあるわけではない。
そう思うしかない。

先生は、元の生活に戻れるわけではないというけど、
でも、一歩一歩やるしかない。進むしかない。
「手術成功して、車椅子に乗って動けるようになる」
これが今の目標ですよねって、先生と電話で合意した。

医師ヨハン完走。 2023.3.23

WBC、日本優勝しましたね!
おめでとうございます。

日頃、野球をみない私ですが、今回はなんとなくみていました。
特にこの2試合は朝からやっていたから、朝ドラあさイチの後に。
(しょーもない理由でごめんなさい)💦

サッカーもそうなのですが、私は勝敗よりも中身が面白いかどうかで
私は観る観ない、観たい観たくないを判断する傾向にあるようです。
WBCの日本の試合は、みせてくれるところが多かったので、面白かった~。

特に最後の、大谷がフルカウントから空振り三振に持っていったあのシーンは最高でしたね。メンタル強いよなぁ。
でもあそこで「行ける!」って思わないと楽しくないですよね~。
行けると思わないとしても、ワクワクしながらあの瞬間に対峙できるのがいいんだろうなと思いました。
私も毎日ひやひやしながら日々と対峙していますが、
恐ろしさではなく面白がれるといいよなぁと思っています。
今日の試合は、すがすがしくてよかった。
ダルビッシュにもう少しいい思いをさせてあげたかったなぁとは思うけれども。
彼がいることでチームの士気が大いに上がっているんだろうから、
そこに大きな価値があるのでしょう。


と、ここまでは、昨日書きかけの文章でした。
文章がちょっとしか書けない時というのは、他にやることが目いっぱいの時や
夢中になっていることがある時なんですが、
今回は後者。
(私の場合、後者が多い笑 やること目いっぱいの時にはあえて書いて整理をすることが多いからかも)

韓国ドラマ「医師ヨハン」を観るのに集中した数日でした。
ファブリ―病が扱われているというのを知り、観はじめたのですが、
扱われているテーマが安楽死尊厳死と結構重いもの。
出てくる人たちが抱えるそれぞれのしがらみや痛みや苦痛もなかなかにリアルで、
複雑です。人が複数いれば確かにそれはそう。
医療の問題だけでも難題ばかりです。
痛みってなんだろう、苦しみってなに?生きるって?死ぬって?
ってなことを毎回考えさせられながらの数日でした。
HSPの私には、現場の臨場感が結構ハードでした
(医療ドラマにしては普通もしくは控えめだったようには思いますが、その辺が響くかどうかは個人差あり)。

原作は日本の作家、久坂部 羊氏の「神の手 」で、
原作はもっとハードなよう。
この韓ドラでは医療チームの成長やヒューマンドラマ、コメディ、ラブストーリーが絡めてあったしで、息継ぎしながら完走できた感じでしょうか。
エンターテイメント性のあるドラマの作りが素敵でした。

私はこのドラマを今日完走しましたが、
まだ内容的には咀嚼できていない感があるので、
また後日ブログを書きながら着地したいなと思っています。

この重いテーマの作品を完走できた理由のもうひとつは、
主人公チャ・ヨハンを演じるチソンさんがもうカッコよすぎたからです笑
イケメンというだけではない、あの醸し出される存在感はなんでしょうか。

主人公やキャストに共感できるかどうかというのは、その作品を完走するには大事な要素のひとつだと思います。


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チソンさんをべた褒めの皆さん。


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OSTも貼っておきましょう。(自分の記録用)挿入歌は本当に大事です。


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今日は早朝から、足はつるは、あたまがぐるぐるするはで久しぶりにしんどい日でした。
余りにおかしいと思って調べてみると、低気圧が「爆弾低気圧」と呼ばれる位のやつだったみたい。
春はこの手の気候変動が多いのがお約束ではありますが、
その位ではお医者さんにはかかれないので、日常の体調管理くらい、
自分で自分をスキャンできるくらいの知識や技はもっておきたいものですね。
原因や対策がわかれば安心しますから。

未来の約束はできないからこそ、今を急ぎすぎずに大事にすることで、
生きることが実感できるのかもしれません。
生きる実感に痛みは伴いたくない。
生きていることを大事にしていきたいものです。

ご縁と再会 2023.3.19

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お彼岸の入りだから。あるもので作ったおはぎ。

 

去年の11月くらいの事になるのですが、
書いていなかった気がするので、
今日書いておこうと思います。

私には幼馴染がいます。
物心がついてから、多分一番初めに認識した幼馴染。いつも遊んでいたMちゃん。
学年としては一つ上なので、私にとってはお姉ちゃん的な人でした。
3つ離れた弟たちは同じ学年なので、
家族ぐるみでお付き合いしていました。
母たちも2,3つ違いで、母がちょっと下という感じも同じ。

私が小2の頃、父の転勤で私はその生まれ育った土地を離れました。
が、うちは隣に祖父母の実家があったので、盆正月には帰省。
その度に尋ねて遊ぶというお付き合いが続きました。
その後、Mちゃんたち一家もお母さんの里の方に引っ越しをされました。
行き先は県外で、その後は文通で近況を伝え合うお付き合いに。

数年うちの長期休みに、父が思い立ったのでしょうか、
みなで車でMちゃん母の里を訪問。
初めて見る県外の田舎の風景でした。
そこは大きな旧家で、家の周りには小さな堀のような川が流れ、
その川も緑もとても美しい光景だったことを覚えています。
お天気がよかったこともあったのでしょう。

お庭はとても剪定が行き届き、広々としています。
大きな池には大きな鯉たちが泳いでいました。
(そこで写真を撮った記憶があるのですが、なぜかうちにはありません。
Mちゃんちのカメラで撮ったのかな。)

質素でもありながらとても品のある田舎の街並み。
そこではじめて紙芝居やさんを体験しました。
リヤカーでやってくる紙芝居やさん。
水あめを買い、その水あめを舐めながら紙芝居を見るのです。
(あれはよくよく考えてみると紙芝居屋さんではなく、水あめ屋さんだったんだろうなぁ。)

買い食いは嫌いなうちの母だったので、
この時は特別だったのかな。
2本の木箸には水あめがついています。
両方の手で木箸を2つに引き離しながら、うまくくるくると水あめを練り、
柔らかくして舐め、またくるくる回して食べやすいように練っちゃ食べる。
その体験が新鮮でした。だから今でもとても覚えているのだろうと思います。
食べながら何かを見るというのも初めての体験。
そしてその紙芝居やさんが来ると、周りからこどもたちがわらわら出てくるのが
とても興味深くて、その光景はいまだに覚えているのですが、
なんの紙芝居だったのか内容は全く覚えていないのでした笑

なんでこういう話を書いているかというと、
そのMちゃんから久しぶりに封書が届いたからです。
彼女とは、ずっと年賀状でのお付き合いです。
彼女は京都の方と結婚し、家族も増え、以来ずっと京都に住んでいます。
毎年「会いたいね」と言いながら、何十年も年賀状でお互いの近況をやり取り。

私は独身の頃、熊本に行く機会があり、
その頃熊本市内に一人で住んでいたMちゃんのおばちゃんを訪ねたことがあります。
なぜか一泊させてもらった気もします(ずうずうしい笑)。
おばちゃんと話がはずんで、ご飯作ってもらって泊まったりしたんだと思います。
私にとっては、小さい頃から優しくてなんでもぽんぽんいってくれるおばちゃんだから、全く気兼ねがなかったんでしょうね~😊
今振り返ると、あの頃は私が一番自由にふるまえていた時代だったのかもしれません。
20代かな。きっと大学時代。

それが出来たのは、当時からおばちゃんとも年賀状のやりとりをしていたからでした。
住所がわかっていたから行けたんですよね。多分。

毎年年賀状の内容も、マメによく書いてくれていました。
一昨年に、おばちゃんが80歳を越し、
「今年で年賀状をやめることにしました」という賀状がきたのですが、
「母のことや私たちの近況をお伝えもしたいので、こちらからはお送りさせてくださいね」と、私からは送らせてもらっていました。

そろそろ今年の年賀状もと考えるのが11月ごろ。
そんな時にMちゃんからの封書が届いたのです。

嫌な予感がしました。
その通りに、その手紙には、
おばちゃんがその年の1月半ばに倒れ、
そのまま意識が戻らず3月に亡くなったということが記されていました。
Mちゃんも、まだおばちゃんの死をうまく受け入れられていないことが察せられる、そんな文章でした。
一緒に喪中はがきが入っています。

おばちゃんの荷物を整理する中で、年賀状入れに私からの年賀状がずっと残されていたそうでした。子どもが小さな頃からの年賀状をずっととってくれていたそうです。
Mちゃんは、「母はみ。ちゃんからの年賀状がとても嬉しかったんだと思います。大事そうにとってありました」と書いてくれていました。
「それをみて、弟と一緒に泣きました」とも。

おばちゃんやMちゃん姉弟がそんな風に思ってくれていたなら、
それはとても嬉しいことです。
私はご縁をとても大事に思う方なので、
日常的には会えなくても、年賀状で一年に一度でも近況を報告しあう仲というのはあってもいいものだと思っています。
お互いにそう思いあわないことも多いので、徐々に年賀状の数は減っていますが。
こういうのはやっぱりご縁だなと思います。

私からのおばちゃんへの一方的な年賀状は、1回だけで終わってしまいました。
その年賀状を読んで、しまっておいてくれ、その後すぐに倒れてしまったんだなぁ。
Mちゃんからの手紙で知ったおばちゃんの訃報で、
私もいろんな昔のことを思い出していました。

Mちゃんもまだまだ自分の中で整理がつかない中、
この時期だからと、私が年賀状を書き送る前に、
頑張って喪中はがきを作り、私に手紙を書いてくれたのでしょう。
そういう区切りは、見送った人にとっては必要な節目になると思います。

一週間ほど、私も自分の気持ちを整理するのに時間をかけて、
いや、実際はMちゃんの手紙を読みながら、
私も自分の気持ちを整理するために手紙の返信を書きました。

手紙には私のことはFBでちょこちょこみているということも書かれていてびっくり。
私の(というか夫の姓)は珍しいので探しやすかったのかもしれません。
おそらく彼女が私の返信を受け取ったくらいに、
彼女からFBのお友達申請が入り、
彼女とFBとメッセンジャーでつながることができたのでした。
当時の私たちからすれば、こんな風につながり直すことができるなんて
驚きでしかありません。

年賀状も送りあってはいたけど、わざわざメッセンジャーで報告しあうこともなかったし、今がつながる機会だったのかもしれません。
その後はあの時はああだった、こうだったと話をしあっています。
その時一緒に居た人たちしかわからない、
一緒にいたからこそわかるなんてこともありますからね。
私も忘れていたこともあって、
もう40年以上前のことを今答え合わせできるみたいなことが面白おかしく感じています。
こんな話を、母とのオンライン面会でも話しています。
母は母で、私たちこどもとは違うことを思い出しているでしょう。


先日3月15日が、おばちゃんの命日、一周忌でした。
Mちゃんからもらった手紙にあった日付をカレンダーに書いていたので、
この日、私は私でうちの仏壇経由でおばちゃんを偲び、供養のお経をあげました。
Mちゃんと連絡を取ると、彼女のお宅でのお飾りの写真を送ってくれました。
ものすごくいい笑顔のお写真に涙が💦
こういう話をすることが、きっと亡くなった方の供養になるんだと私は信じています。

もう一つ信じているのは、
亡くなった方のことを思う時、天国のその方のところに花が降るという話🌹。
私はこの話がとても好き。
亡くなった方がお花で埋もれてひゃーって喜ぶくらいに思い出しちゃうぞと思っちゃいます💗

たくさん生きていると、関わった方のメモリアルDayも増えていきます。
これって産まれることも死ぬことも「生きる」ことなのだと学ばせられていると思うんですよね。

ということで、おばちゃんの死を通じてMちゃんとの再会のことでした。
何気ない話です。
でも私の心を揺さぶる出来事でした。
私は私らしく、こうしたいと思うことをしていきながら生きていく。


三寒四温 2023.3.17

夫が退院して5日目。
日常は、すんなり戻ってきた感がある。

彼は毎日のようにでかける。
行きは行ける範囲で徒歩や公共交通機関を使い、帰りはタクシーで帰ってくる。
どこに行っているのかいまいちわからないこともあるけど、
大人なのであまり詮索してもよくないのだろうと、深くは突っ込んでいないが、
先日は街にでかけたようだ。
2ヶ月の入院でやれていないことがたくさんたまっているのだろう。
お出かけしたい気持ちもあるように思う。

心臓のことを考えると、正直どうなのと思う気持ちもある。
数日前の夜は、背中の痛みを訴え、きつくて以前のように机に突っ伏したり、
立ち上がれなくなったりもした。
透析に行った後はやはり少し辛いのかな位に思っていたが、
原因は確定できていない。
気になるがどうしようもない夜を過ごした。
このまま朝になって冷たくなってたらどうしようだとか、
いろいろネガティブなことを考え始めると左脳が暴走する。
(同日、ジョングクがWラを何度もやってくれたので、そっちの方に気持ちを持って行くことが出来たのが幸いだった。グクはグクでまた少し心配な行動言動もあったのだけど💦)

昨日の透析では、ファブラザイム点滴が2ヶ月ぶりに再開。
本人的にもすっきりした感があるというのでほっとする。
(とはいえ、透析後の夜は何かしら症状が出る)

ハラハラしながらも、そこをずっとみているわけにもいかないので、
私は私でやり残していた調べものに集中する。
過去の記録記憶をたどりつつまとめる作業は、
思う以上に時間がかかったが、なんとなく埋めることができて一つ終わった感。
過去のプロジェクトの記録の多くが、壊れたHDDに入っているっぽく、
記録をどこにどう残していくのかは今後の課題だ。

今日の夫は、心臓の主治医の病院に検診に行って先ほど戻ってきた。
とりあえず問題なしだそう。
ちなみに胸に埋め込んだICDの情報は、この病院に届くことになっていて、何か問題が出れば連絡があるそう。
そのことがはっきりしただけでも、今日は収穫があった😊

さて私の状況はというと、
夫退院前から病院に行ったりの用事で朝早起きする必要があり、
そのまま早起きが定着しつつある。
午前中にガツンと眠気が来ることがあるのだけど、
それをどうにか乗り切れば普通に生活できる。

この早起き生活をやってみて思うことは、
「一日の時間が長い」。
朝が起きれなかった時は、昼前にどうにか起きて
ごはんを食べていたら昼近くになっていた。
そこから頭や体を動かすとすぐに夕方がくる。
それが、朝が早いと、3,4時間ほどプラスされた感じがするのだ。
いろいろやっても、「まだこの時間!」って感じで、すがすがしい笑
この調子が続くといいなぁ。

春は体調もちょっともやもやしがち。
気温があがって汗ばんだと思いきや、
妙におなかや足が冷えてどうしようもなくなることも。
寒い分は、電子レンジでナチュラルカイロを温めたもので、
気になる部分にお手当でどうにか乗り切れている。
私だけではなくてみんな何かしら感じていることなのだろう。
この時期は、桜もほころび始めたらしいし、お天気もいい日が続き、
いきなり春全開という錯覚を持ちやすいのだけど、
まだまだ気温差が激しくて、寒い時は寒いのだ。その自覚がつい外れがち。
私は意外に希望に楽観的なのかもしれない。
実際、寒さ対処はめんどくさいから、気楽に何も準備せずに自由に過ごせるならそれが一番なのよね。そんな楽に自分が流れるのは、ちっとも不思議ではない。

そういえば、先日F先生の診察時に、自律神経の検査があったのだけど、
自覚症状とは全く逆で、とっても数値がよかったのだった。
感じるけど、動じてない。安定しているということみたいなんだけど、
なんだか不思議な気がする。

結局、考えるな、感じろ、そして感じてすぐ判断するな、ということなのかなと思う。
「感じること考えることに、即判断を加えないこと」というのは、この頃の学びだ。

人の話を聞かない男 2023.3.14

今日は、夫退院後、初の送迎付き透析病院への出勤笑

先日のオリエンテーション
院長先生、師長さん、事務の方のお話。
彼らはまったくフリーハンドでお話されるので、
私はスマホのメモに必要事項をメモ。
MECE(漏れなくダブりなく)を基本意識する私は、
自分のことではないのにメモっておりました。
「彼らも毎回同じ話をするのだろうに、一枚書いておくと便利だろうにな」と思いながら書いていましたが、彼らは漏れてもダブっても問題ないのかもしれないから不要なのかもね。困るのはこちらやし。

で、困る本人は、彼らの話をうんうん頷きながら聞くばかり( ´∀` )」
性格の違いなんでしょうけど、私は自分の記憶に自信がないので基本メモ魔です。
「ダブりはあっても漏れさえなければどうにかなる」精神です。

さて昨夜、寝る前にそのメモを見返してみました。
用意するもの、絶対忘れてるだろうというのが3つあって笑
ベッドにもう入っていたのですが、のそのそ出て本人にお伝え。
やっぱり完璧に忘れていました。
(彼の場合、紙に書いてあってもちゃんと見ないとは思われる)

こういうことを、するから疲れるのかもしれません。
でも性分なので仕方ない。

ただ私が当人になった場合、私がメモが取れなくなった時には、誰か私の代わりにメモを取って教えてくれるのでしょうか。
ちょっと不安。
今考えることじゃないんですけど。

とまあ、そういうことで、今朝は無事に送り出しました。
私は上からその様子を見学。

階段の送り迎えが必要なのか?と思っていましたが、
実は昨日、急に本人外出いたしました。
郵便を出し、前の透析病院までロッカーのカギを返しに行くといいます。

入院していた病院の循環器科の主治医からは「階段昇降は命に関わる」と言われていた人です。透析以外は外出禁止とまでも言われていて、退院翌日のできごとです💦

送り出した後に、すぐ息子が起きてきたので外出したことを告げると、「何で止めなかったの?!」と大騒ぎ。
「あなたは父の性格を知っているでしょう。
そんなに言うなら止めてきたらいい。今行ったばかりだから」
というと、すっ飛んで出ていきました。
(が、結構もう先にいっていたらしく、きぐるみパジャマ姿の息子は諦めて帰宅笑)

その後、「2時間経って音沙汰がないけん、電話したがいいかな?」
という息子氏。
「してみていいんじゃない?」と私。

一応出る時に、「苦しくなったりしたら、周りに助けを求めてね。うちに電話しても間に合わないかもしれないから」とは言っておきました。
心臓って、そんなリスクがあるのです。
周りの人に助けてもらえなければどうしようもないし、まず本人が知らない誰かにでも頼ろうと思わないと、彼に今後起こるかもしれないと想定されるケースには対処できないと思います。非人情に見えるかもしれないけど。

電話つながったみたい。

1時間後くらいに本人帰宅。
話を聞くに、外に出たら意外と寒かったそう。
(だから言ったじゃん!厚手のジャケット、おススメしたのに!クリーニングのタグまで外したのに、薄手に変えてしまった人)
バス停近くまで行き、薬局で手袋を買おうと思うも、もう手袋は売っておらず、
ポストに投函後、寒くてタクシーに乗ったとか。
用事を済ませてあったまるためにうどん屋に寄り、お土産うどんとともにタクシーで帰って来たそう。

バスと電車を乗り継ぐ作戦は、早くもタクシー移動という簡単な方法に変わってしまいました。
気温差の話もちゃんとしておいたのになぁ。
相当寒かったのが身に染みたらしく、今日の透析は厚手の方で行ったけど、
今日はあったかいんですよ~笑

ほんとに、人の言うことを聞かない人です。
これで笑い話になるからまだいいのですが、
何か起こった時には目の当てようがない。
でもそれも仕方ないんですよね。
仕方ないと受け入れるしかない。止められないし、
本人が本人らしく自分の生を使いたいのだから仕方がない。
そう思うようにしています。

笑い話で終わらせてほしいものです。

なんか愚痴になってしまった感ありですが、
とりあえず日常報告でした。

おなかすいたので今からクッキー作ろう。

春の兆し 2023.3.12

なんだかんだ忙しない数日でした。

さて、本日夫が退院しました。
転院を含めて約2ヶ月の入院生活。

お正月過ぎてすぐだったので、もう季節が変わっちゃいました。
2ヶ月ってそんなスパンなのね。
当時は「2ヶ月後に桜が咲くなんて想像できない!」なんて思っていたけど、
もう桜は咲きそうです。(早咲きのはもう散っちゃった)
時はとどまりませんね。

心配していた階段の登りは、休み休みどうにか。
退院時によくある、「退院後の方が不調」は、
これまでのように酷くはないものの、若干はあり。
まあ、仕方がないのかなと思います。
どうしようもないので。

見えてしまう、聞こえてしまうので、
「気にしない」とは言えないのですが、
まあ、できるだけ気にしないように。と自分に言い聞かせる。

さてさて、今日は息子氏の車校デビュー。
2月から手続き始めて3月頭にオリエン。
で、やっと今日から講座と実技が始まるそう。
やっぱりこの時期だからなのかな。
混むから早めにと言ってたんだけど、
考えることはみな同じなんでしょう。

今、どのくらいで取得できるのかわからないなと思いながら、
(講習時間は変わらないはず)
息子の口から出てくる「第一段階、第ニ段階」ということばを、
何十年前に聞いたかな、、って感じで思い出してます笑


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写真は、ご近所に咲いているミモザの木。
一時期ばっさりと伐られてしまったのですが、何年かかけて徐々に大きくなってきました。
木の復活の仕方は凄いですね。
それだけの年月はかかってはいるけど、着実に大きくなって、
今年はまたふさふさに花をつけてます。

この春先に、見上げる高さに黄色い花を観るのがとても好きです。
桜や梅とは違う、気持ちの上がり方があるのですよね。
やっぱり私は、黄色という色が好きだからなのかもしれません。

人によって何に反応するかは違うのでしょうね。
それも一つとは限りませんし。

あなたはこの春、どんなものに反応していますか?
心が躍るようなものとの出会いはありましたか?

思いがけず 2023.3.9

ピンポーンと玄関のチャイムが鳴り、
誰だろうと思って出てみると、
小柄な女性。
「今度引っ越してくることになりました」というご挨拶をされる。
なんでも4ヶ月くらいかけてリフォームをしてからの入居だとか。
そんな話を聞いていて、
「(ん?この方どこかで、、)あれ?もしかしてSさん?!」

先方も「えっ!!」って感じ笑

「知らない人」前提で会話してると、マスクもあって、私はすっぴん&部屋着というのもあって、いやぁ、わからないものですね。わかる前に随分話したぞ笑

彼女は現在隣の校区に居住&お仕事されていて、
お子さんの学校の関係もあって、ゆっくり移行してくるご様子。
夫さんもご本人もものづくりの方で、生き方もしっかり手作りされてるんだなぁ、
そんな方々がうちのマンションに来てくれるのは嬉しいなと思ったのでした。

我が家は引っ越し問題が浮上しているのだけど、
これを機にご近所づきあいできるといいなぁ。


さて、引っ越し問題の当事者、夫の現況です。

◆新しい透析病院が決定。
 なかなか決まらなかった、送迎付きの透析病院は、
 結局即手を挙げてくださったKクリニックに決定しました。
 うちから少し距離があり、これまでの倍以上は移動に時間がかかりますが、
 そこしか受け入れてくれるところが、結局はありませんでした。

 オリエンテーションには私も同席しましたが、おしゃべり好きな院長先生で、
 これまでの透析病院のI院長とは旧知の仲なのだそう。
 「Iクリニックができるんなら、うちもできます」と言ってくれてます。
 わからないことはI君に聞くから、と言われ、
 なんだかんだ、知識だとか条件だとかいうよりも、「知り合いである」、
 「知り合いがいる」というのは、行動を促すのに強いものなのだなと感じました。
 安心感の担保でしょうか。
 
 とりあえず、14日から通うことになるようです。
 酵素補充は、もう少し後になるみたい。(現在2か月していない)

◆退院が決定しました。

 上記、受け入れてくれる透析病院が確保できたので、
 その透析病院の希望により現在の月水金サイクルを火木土サイクルに変更した上で、
 12日(日)に退院が決定した模様。

 本人喜び勇みすぎて、主治医に話を通す前にカレンダーを見誤り
 「11日に退院です!」と家族Lineに誤爆
 私から「11日は私の通院日なので行けないけど、
 ほんとにこの日に決まったの?この日は今の病院で透析なんじゃ?」
 とチェックを入れられる。
 「主治医にはまだ聞いてないけど、SWには言った」「カレンダー見間違えた」
 という言い訳に、
 「ちゃんと決まってから言って。その前にまず相談して。私にも予定がある」
 と言い放ったら、「つい嬉しくて……」という返事がきた。
 こどもか! こどもなのだ。確実に。

義弟に連絡を取ったら、義母も言うことを聞かず、
結局好き放題に外出しているらしい💦
家にいろんな人が来るのが嫌で、気晴らししているらしい。

気持ちはわからんでもないが、
彼らは見守る側の事なんて何も考えてないんだろうなぁと思う。

本人の人生だから、本人の好きにするのはそうなのだろうが、
なにかがあれば、周りが責めを負う。
それはお互いに不幸だから、みんなが幸せに、と思って
周りはあれこれやるのだが、本人のやる気がなければ
絵に描いた餅。どうしようもない。
だからもう、せめて自責だけはしないように、あきらめという覚悟がいるのだろう。

義弟は、何かあっても仕方ないと諦めたといっていたが、
私にもそういう諦めが必要になるのだろう。
物理的に助けることはできないのだから。

まあ、あまりマイナスなことは考えたくないが、
手放しで喜べないのが今の私。
それはそれで仕方がないとも思う。
今をできるだけ心静かに、少しでも楽しいことをみつけて過ごしたい。


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カネノナルキに小さな芽がすくすくと🌱

こういうの観るのが嬉しい。

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沈丁花の香りには、本当に癒されます。

出る時帰る時、香りを嗅ぎにいくので、息子から嫌な顔をされるけど気にしない。