ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

近況

前の投稿から120日も経っていました。

まあ、状況も環境も変わり、やることも多くて、「自分の気持ちを言葉で整理する時間が皆無になった」というこの期間。

それでおかしくなりそうにもなったけど、とにかくいろんなことを処理すること、そのための時間を作ることに必死でした。

夫が亡くなってから忌明け、相続あたりがやっとおちついたのが5月6月。
4月から新しい仕事や体制になって、
それまでに家のことや諸手続きをしながら、勉強や準備に目の回るような。
そうそう、その間にBTSの日本公演の抽選申込と落選、
というループで感情も忙しかったのでした。
結局お席は準備されず、
配信や映画館でのライブビューイングでどうにか憂さを晴らす日々。
その間に、息子が沼に入ってくれて、
アミ活が一緒にできるようになるという嬉しい副産物は生まれました。
これが一番の収穫かもしれない。

本格的に仕事をしていくためにAIにも課金。
しかし、なかなか育ってくれず、私の仕事を楽にする以上に、
新入社員を教育する上司みたいな状況が生まれ、
「私は今なんのためにAIを使っているの?」という、
AIに私の時間を溶かされる事案が生まれてしまい、
怒りとともにもう頼りにするものはなにもないんだーと落ち込むこともしばし。

人間関係よりも楽な部分は大きくて、
AIの可能性には期待していただけに、
その思い違いには自分自身ショックが大きかったです。
それでもまあ頭を使わずに済む処理はしてくれるので、そこは助かる。
そういう風に使い方を切り分けられるといいんだけど。

人間関係もちょっと、ってものもあって、
忙しいからほぼおざなりにはなってるんだけど、
それ以上に、「自分を大切にする」ことにもっとおざなりになっていることに気づき、
自己回復に力を入れようと思う今日のこの頃です。

3回ほど、寝込みました。
疲れです。
つい詰め込んじゃうから。それでなくても余裕がないのにね。

ーーーー

最近、魂とか命とか人生とか残り時間とか、
そういうことをよく考えるようになりました。

パートナーの死というのは、肉親の死とはまた違います。
こんなに違うとは思いもしませんでした。
関係性で変わるとも思いますし、
それぞれの価値観でも違いもあるとは思いますから、
あくまでも「私比」ではあります。

夫は生活や人生を共にする人だったのが、
居なくなって、物理的にはもうその前から私が担っていたから
あまり変わらないのかと思っていましたが、
存在が、この世から居なくなることが
こんなに私に衝撃を与えるとは思っていませんでした。

言葉になかなかなりませんが、身体が反応しているので
何らか右脳的なものが感じているのでしょう。

仕事も同時進行で進まないといけないこともあって、
時間が有限な中、どうしても食事や睡眠、生活の時間を縮小し、仕事に振らざるを得ないこともあります。
そうすると、敏感な右脳や感覚系が死んでいきます。
死ぬわけではないけど、
「感じない」ことを選ぶのか左脳が指示するのかわかりませんが、
そういう状態になると、自分の身体が悲鳴を上げていることすらわからなくなってくる。
そしていきなり身体からの強制終了が来ます。

これを何度も繰り返してしまう。

その理由のひとつは、「私はまだ何もなしえていない」みたいな切迫感。
人生の残り時間は私にももうそんなにないはずで、それが明日までなのかもう何年もあるのかもわからないけど、それでももう30年はないと思う。
あったとしても、今のようには動けない。
そうなったらその時に考えるしかないんだけど、
たくわえがあるわけでもなし、今の日本じゃ保障で生きていけるかどうかもわからない。
最低子どもたちに迷惑をかけないようにしたいと思うけど、
それもできるかどうかわからないんだよね。
お金は多くのものを解消してくれるけど、
富める者のところにしかお金はない。

とはいえ、キャリアを積めずにきた私が、今からそれを転換していけるか。
そうするしかないんだけど、そこは一人じゃほんとに難しくて。
組織に属せなかった私だから仕方ないんだけど。

今よりも貧富の差が激しかった時代には、
多くの人はもう死ぬのを待つしかなかったのだろうとも思う。
そこにあらがうのか、あきらめたほうがもっと気持ちよく生きられるのか。
生活するにはお金が必要で、それに執着するとうまく生きられないというジレンマ。

とはいえ、「生」を感じることはやりたくて、
今だから楽しめること、今精いっぱいやり切るということはね、大切にしたい。

それで、こどもたちとの旅行を計画している。
娘は結婚はしているがこどもはいない。
息子も数年後には家を出る予定。おそらくその数年後には家族を作るのだろう、いやその前の可能性も。
そうなったら、やっぱり動きにくくなる。
家族が拡大していくとか、家族の世代が変わっていくことは否めないし、
でも、4人で家族でいたことは事実。それが一人かけても二人かけても事実は消えない。が、身体として心身健康であるうちに、楽しみたい思いはある。
最初に「なしえたことはない」と書いたが、私にとって家族を作り守ってきたことは唯一なし得たことかもしれない。母を看取ったことや叔父の身元保証をしてることもそうで、ああ、夫を看取ったこともそういう意味では「なしえたこと」だ。
人として、やるべきことをやってきたという自負はある。
でもそのために、自分の思いを犠牲にしてきた自覚もある。
なら、その重しがない今の状態で、「やりたい」を口にしてもいいんじゃ。
そういう思いでいる。

子らも賛同してくれていて、
「最初で最後かもしれない私が企画する家族旅行」を計画中。
いろんな外的環境の影響の不安もあるけど、
もうそこは強行突破する勢いで、今はいます。

そういうことでも考えないと、未来への楽しみがないのよ。
旅行と夫の一周忌までは、どうにかそういう気力で頑張るとして、
来年の楽しみは、バンタンの日本公演に当選することかな。

あの人のブログが消えていた

連投。
基本的にこっそり書いているので、
このブログを介してのお付き合いはほぼないのですが、
いくつか気になる方のブログは購読リストにあります。
このところははてぶろもほぼ開けていなかったのですが、
数回開いた時には読んで★つけたりしていました。

今日、久しぶりにはてブロあけて、
久しぶりに更新して、
さて、みなさんはどうしていらっしゃるかなと購読リストを開くと、
毎日元気な日々の暮らしを書き綴っていらっしゃった方のブログが、限定公開になっている。
限定公開ということは、全消しはされていないということなのだよね。
気になったので、ちょっと検索してみたら、同じことを思っていらっしゃる方のブログに行き当たった。5月5日くらいまではいつもの感じでアップされていたようなので、この2日間のことなんだな。。。

いきなり更新がなくなった方はよく見てきたけど、
限定公開ってどうなんだろうと思ったら、過去に購読リストにあげてた方のがそうなってました。
他のサイトに移行したとかかなーなんても思っていますが、
人にはいろいろあるものなので、、、またどこかでお会いできたらいいなと思っています。
ーーー
夫のブログもgooから移転してきたものがはてブロにあるのですが、当然ですが更新なくそのままで。
そこに入ることもできるけど、「亡くなりました」なんて書くのもなぁ。
FBではそれをやったけど、それは「急ぎ連絡」のつもりだったので。

こうしてネット上にはたくさんの書き手がいなくなった記事が埋もれていくのだろうな、と思いつつ、昔の記事をちょろちょろ見るのは面白かったりもしています。


5ヶ月ぶり~夫の最後の記録

前回のブログを観たら「158日前」という表示が出ていました。
もう5ヶ月以上が経ってしまいました。
前回は11/29。
そして夫が亡くなったのは12/1でした。

※以下夫が亡くなる前後の話を書くので、その辺のが苦手な方はスルーしてね。でもグロくはありません。
ーーー
11/30は日曜で息子だけを病院に。息子は日曜しか面会にいけなかったので、一人で行ってもらいました。私の中で覚悟があったわけではないけど、息子一人で対峙してもらいたかったのはあるかな。

息子からのその時の情報はこちら。
「今日の血圧は58-32
酸素が少し低いみたい。
昨日と同様意識はあるし目は開いてるけど、焦点はあってない。
大きめの声で話しかけるとこっちを見てくれる感じだった。
痰が絡まってて途中きつそうな顔をしてたから帰る時に痰を掃除してもらうよう頼んだので、少し楽になるといいなぁ」

しれっと書いていますが、この血圧で生きてるのはすごかったと思います。
でも当時はもうこれに慣れていたんですよね。上、70くらいまで上がればいいなあなんて言ってたんですから。

娘がlineに書いています。「今日は家族が夢に出てきたよ☺️うえちゃんが頑張って歩いててすごいじゃん!って言ってた😆そのあとバスにぎゅうぎゅうに詰められてどこかにいくという夢。笑」

ああ、もう行っちゃうのかも。そう思いました。
家族の今日明日の居場所をそれぞれ確認するのは、このところの私たちの日常になっています。

翌日12/1は月曜日。もう透析はできないかもしれないと思っていましたが、朝から透析をしたようです。そして昼過ぎ(おそらく12:50分頃)に病院看護師さんから電話があり、「病院に来れますか?」とのこと。
その後一旦保留になり、一旦先生からの連絡を待つことに。数分後「来てください」コール。先生ではなく。
状況は教えられていません。

タクシーで向かう途中に息子に「場合によっては呼ぶかも。とline.「いつでも出れるようにはしとく」との返事。
この時点では透析中のトラブルの可能性かもと思った。延命するかどうかを聞かれるのかと。

15分後には「来て」と伝えているので、私自身はタクシーで10分位でついて、重々しい雰囲気を察したけど、どういう状況なのかがわからないというところからの、(ここは個人的に30分位のイメージ)

8Fのいつもの部屋にはおらず、ナースステーションの横の処置室に通されました。
「そういうことか」。やっと受け容れなきゃ的な思いになる。でもまだ繋がれてるだけかも。

面会。
モニターがついていたかどうかは覚えていない。彼の胸にはICDが埋め込まれているのでそれだけは動いているはず。

明らかに、眠っていない顔の夫がいた。
今思い返して何を彼に伝えたのかわからないが、多分「よく頑張ったね」だったと思う。
まだ少しだけあったかみのある身体。そもそも彼は血圧低いし冷え性なので手足は冷たいのです。でもそれでもまだ生きていた証がある。

主治医の先生がこられ、やっと状況説明。透析はできる状況だったのでやっていて、もうすぐ終わりという時に看護師さんが「息をしていない!」と気づいたとのこと。
誰も気づかないうちに逝ってしまったようです。

先生は非常に心痛なお顔をされていました。
「息子さんがこられたら、一緒に死亡確認をしましょう」
息子は20分位で到着。
一緒におきまりの瞳孔チェックをして、死亡確認。午後1時49分。
死亡時刻って、書類上だし、全然関係ないんやなと思います。
直接死因は敗血症となっています。死亡関係書類には、病名は書かれないようです。

そして、主治医とその前の入院時から診ていただいていた先生とのお話。
まだ透析が出来ないと判断する状況ではなかったようです。(透析は一般的に初めて10年という通説があり、夫は8年目)
状態的に腎臓はそうだけど、って話ですね。
その他の心身状況がとてもよくなかった。血圧が低いのは致命的。痛み止めもなにも入れられない。
先生方からすると、透析はできる状態だったからというのは大きくあるようで、もっとやれることがあったのではと思われているみたい。
とても残念がっていただいたのは、かなり救いになった。
彼らは、夫がどんな状態になっても一人の人として扱ってくださった。
救急病院に転院をして10日ほどだったが、それまでのリハビリ病院での扱いがあまりに…と思っていたので私も息子も、「最後はこちらで本当によかったね」と言い合っていて、そのことを先生方にもお伝えする。先生が夫に呼びかけていろんな話をしてくださることや、看護師さんたちがケアしてくださるところもずっとみてきて、一時は股リハビリ病院に転院なんていう話も出たので「いやこちらで診ていただきたいです!」とソーシャルワーカーさんにお願いしたりもした。
もちろん救急病院なので、命がもう救えないと判断されれば出されることは仕方ないとは思う。
だけど、こうして体や精神が少し不安定になっても、人としての尊厳はあるのだよね。そこを尊重してくださる病院さんが最後に看取ってくださったことは、本人にも私たちにもとても救いになる。

管を外したり、身体の清拭、お着替えをする担当の方の到着を待つ間に、弟も駆けつけてくれた。
義弟は、県外の義母を連れてくるためにそのまま向かってくれている。
娘は、今日の便がとれた、と飛行機で向かってくれるそうだ。

グリーフケア?の担当の方が、お通夜葬式の会場の紹介をしてくれる。
うちは困窮家庭なので、多分そういう配慮が公的にされているのだろうと思う。そこそこお金もかかるから。
焼き場の近くの斎場がとても安かったが、うちからもまちなかからも遠いので、家族葬であっても家族たちの移動の大変さがある。
2年前に母が亡くなった時にお願いした斎場におねがいすることにした。
その時もかなりの低価格でやっていただいたし、知っている場所知っている担当の方がいるのはありがたかった。

時間的にもバタバタなので、お通夜は翌日、葬儀は翌々日になった。その間夫の遺体は葬儀場の専用冷蔵庫で保管されるという。
新しく導入されたらしい。母の時には夜中だったので、そのままドライアイスで保管し、その日に通夜だったのだが、日々進化しているものだなと感心する。(だからドライアイス代の追加はなくて済んだ)

病院から葬儀社の車の見送りの際、主治医と看護師さんが付き添ってくださった。
主治医の先生は、最近この病院に来られたようで、前回の入院の際にはいらっしゃらなかったのだが、ファブリ―病の患者は2人目だと言われる。それも福岡で。もしかしたらその経験があるから主治医になられたのか?(と今思った)
この病気は、知られていない難病だから、同じ病気の方の今後につなげていただければと思う。

息子が言っていたが、この先生は、翌日の通夜にも来てくださったそう。私は来客対応でてんてこ舞いだったので気づかなかった。先生、本当にありがとうございました。短い時間だったけど、私たちの思いも汲んでくださってありがたかったです。いつかお手紙を書こうと思っているけど、なかなかまだ着手できていません。今の病院にいらっしゃるうちにとは思っていますが。

…ここまで書きましたが、本当はこのことを書くかどうかは悩んでいました。
ずっとリアルを書いてきた私です。でもそれは私が思い出すためのものでした。
今回、思い出さなくてもいいかも、と思う程ではあったので、
ブログもかけなかったし、他の方のものを読む余裕もなかったのです。

5ヶ月以上経って、GWが過ぎて、また少し体調が不安定ではあるのですが、
何かしらここにも書いてみようと思いました。

この5ヶ月にはまたいろいろあって、そのことを箇条書きにでも書き連ねるつもりが、
その前段階を思い出さずにはおれず、やっぱり書いてしまいましたね。

ーー
このGWに、中学の同級生と会いました。
この正月に還暦同窓会なるものがあり、40数年ぶりにあった友人が、帰省するというのでちょっと会おうかと。でもちょっとじゃなかった笑

同窓会の時には大勢だったからいろんな話はできないわけで、
「じゃあ今回はこれまでのことを話そう」みたいになったのですが、
小学校時代から中学高校大学就職結婚離婚出産再婚子育て…これだけでも情報満載で、かつ私は病気やケガ、父会社の倒産、父の死なんかも経験していて、もう私の中の眠っていた感情が湧き出まくってしまったのです。
しかも、それを引き出してくれるのは同い年の子。
当時の状況や環境を共有してくれる人との会話は、非常に安心感があって、するするとしゃべってしまいました。そもそも彼は人の話を聴くのが好きというだけあって、引き出し方がうまい。

思い出すと辛いこともあるけれど、ちゃんと言葉を口にすることも大事みたいです。
私はこうやって文字にするタイプだけど、それとはまた違う感情のエネルギーの発露みたいなものを、会話の中で感じます。
気を遣わなくていい人って、私には実は少ないので、ありがたい時間でした。
同級生にもいろいろいるんだけど、数名とはいい再会をさせてもらえています。

そして彼のお父様と私の母が眠る霊園が同じということも少しご縁なのかなと思ったことも。
その昔、彼は覚えていないんだけど偶然にバッタリ道であって2時間ほど語り込んだことが私の記憶にあるんです。何を話したのかは覚えていないのだけど、「すごく深い話をした!これは大事なことだ!」と思った記憶がある。夕暮れ時で暗くなってから帰宅したので、父にすごく怒られたけど、「だって私は悪いことしてないもん!」と思いながらお風呂に入ってた記憶もある( ´∀` )
でもその後連絡することはなくて、
だからどこかで「彼はどうしているのかな」と思っていて。
ああ、もちろん、全く恋愛的な感情はなくてね、当時も今も。

だから、今になって連絡できたり話が出来たりするのは、面白いなと思う。
時期が来たのかなとも思う。
それで、、その流れで今日はやっとここまで書いたのでした。
長かったな。



夫処置後8日目ー一般病棟へ

夫が救急病院に転院したのが21日(金)。
その日を0日として処置後で8日。
一週間以上が経過しました。

今日は一般病棟に移ったとの知らせがあって初面会。
この一週間を回顧していたのですが、褥瘡の処置以降、徐々に意識レベルが下がっています。
一週間前は、発語ができて会話もどうにかしていたのが、嘘のようです。
あの頃より、バイタルデータは全然今の方がよいのに、
意識レベルは下がっている。いや意識はもしかしたらもっとはっきりしているのかもしれませんが、しゃべる体力や脳機能が落ちているのかも?
その辺のデータがみえず、なんともいえないところです。

以下娘と息子へ報告したlineより。
ーーーー

11/29 血圧は82-44。これまでの中で一番高い。
血糖値対策の点滴のおかげ?抗生剤も入れていた。
今日も酸素マスク。
一昨日より酸素の数値は安定してる気がするけどすぐ92とかに落ちたりする。
呼吸が相変わらず荒い。

看護師さんが点滴の様子を見に来られたので、
「一昨日よりは口からがーがーいうのが少なくなったみたいなんですけど」というと、痰がすぐ絡むので、鼻から痰引きをしたところだったのだそう。
なるほど。痰が口から吐けなくなってるので助かる。
ただ本人は鼻からの処置は嫌だろうなぁ。鼻血が出ていたし。鼻は苦手っぽい。
でも吸わないともっと苦しいはず。

意識はあるのだろうけど、今日はずっとうとうとという感じで、ほぼ会話はなし。一瞬、目を開いてすぐ帰ろうとするw

4人の家族写真見せると、その時だけカッと目を見開いて観る。
焦点が合わなくて???と混乱してるので「家族みんなで撮った写真だよ」というと顔が穏やかになって、そのまま寝たので?静かに出てきた。

途中体位変換に看護師さんが来られたけど、
その時には大声で「痛い〜!」と叫んでた。
元気があるのだと思いたい。


看護計画表にサインをした。いまのところ退院は未定としてある。
もう少しこちらでケアを受けたい。
徐々にダウンするとしても。

夫処置後6日目-帰ろう

夫処置後6日目の11/27(木)。

朝から歯医者の定期検診とチェック。右奥のポケットが深い。右利きだからうまく磨けないのもあるらしいけど。タフト使うか。

今日は夫の前に居た病院に荷物取りと書類関係。
またこの病院に戻る可能性は大きいのだけど、一旦取りに来なければとのことで。思う以上に荷物は多い。車を出してくださったTさん、ありがとうございました。
うちに荷物を下ろしてもらって、途中で降ろしてもらおうと思っていたのだけど、大雨になってしまい、病院まで送ってもらった。非常にありがたかったです。
しかし、最近はゲリラ豪雨みたいな雨が多い。秋だよ?冬だよ?

夫の面会。
上に上がる途中で主治医の先生とバッタリ。後で行きますね~と声をかけられた。
もうすっかりなじみになってしまった感。
救急病院の先生って、お忙しいし、病室に来られることも少ない感じがするのだけど、それって今まで以上にCCUやHCUに居る期間が多いからかもしれないなと思ったり。

ーーー
今日の夫、血圧68-33。
血圧の数字自体は結構高くなってて、良いのだけど、
本人の状態はなんだか安定せず。

先生がやってきて、説明してくれる。今日も朝から低血糖だったそうで、
点滴を早めてたくさん入れているそう。でもその分水分が体内に入っている。
透析患者は水分摂取の調整は命に関わるくらい大事な部分。
彼の腕や足はパンパンになってきている。
明日の透析時にはその分水を引こうかということを腎臓内科の先生と相談すると言われていた。うまく調整できて、少しでも楽になれればいいけれど。

酸素の数値が低め92くらいなので酸素マスクをつけている。昨日までは鼻のチューブだったのだけど、鼻血が両方から出ているみたい。看護師さんに聞くと、痰を取る時に血が出たとのことだけど、そうなの?もしかして本人がちぎったりしたのかななんても思ったり。
マスクはあった方が良いのだけど、外したいようで、でもマスクに手がかかるだけ。
身体についてるチューブも取ろうとして、
「帰ろう!」と何度も言う。他にも何か言ってるけど聞き取れない。
帰る!ではなく帰ろう!なので、私だというのはわかってるんだろうね。
他にもなにかに吠えていたり。すごく興奮しているので、よしよしして「大丈夫だよ」「怖くないよ」と何度も声をかける。
これが何度もあって、なかなか帰ることができなかった。

きっともう嫌なんだとは思う。
でも、今はこの状態でしか維持が出来ないんだよ。帰れないんだよ。でも帰れないという言葉は酷すぎるから言えない。
「もう少しここで頑張ろうよ」と言ってしまった。
頑張れという言葉も辛いだろうから言いたくないのに。
身体も心もいい感じで保てて行ければ嬉しいけど、
いいタイミングって難しい。どっちかだけがいいというものもない。
いい着地が出来ればいいのだけど。
最近、神仏に祈る時にはそれしか言えない。

今日はとても疲れてしまった。

明日は面会は休もうと思ってる。仕事しなきゃだ。


夫処置後5日-低血糖だった

夫褥瘡処置5日目は11/26(水)。

午前中、病院からの電話。焦る。
ソーシャルワーカーさんからだった。ちなみにこの方は以前の入院時にもお世話になった方のようで、前に居たリハビリ病院への転院をねびしてくださった方でもある。
リハビリ病院に送った時と今回くる直前の病棟が違うことに違和感を感じて聞いてくださった。
夫は救急のS病院からの転院でリハビリ病院に移ったが、その時の病棟は「地域包括ケア病棟」。ここは以前も使ったことがあり、基本的に自宅に帰れるようにリハビリや治療、看護、生活支援等を包括的にケアする病棟で、期限がマックス60日。
夫はココで頑張って何度も自宅に帰ってきたが、前回は重度の熱中症で運ばれ、その時はまだ7月中旬。退院予定となる9月中旬では、おそらく自宅に帰ることができない。(夫の病気ファブリ―病は、暑さに弱いのが特徴。汗が出ないので中に熱がこもり、すぐ熱中症様の症状が出てしまう。今年の夏は患者じゃなくても過ごしづらい夏だった。本人は5月の段階で自宅ですでに熱中症でダウンしている。そのことももう7月の状態で想像できたので、病院の先生と相談し、ゆくゆくは療養病棟でという話をしていた。病院はいつ空きが出るかわからない。たまたま今回早く空きが出たようで、早い段階で療養病棟に移ることができた。これで熱中症に怯えなくて済むと喜んでいたのだけど、その実リハビリはほとんど行われなくなった。本人の血圧が低すぎることもあったのだと思うのだが、療養病棟のリハビリとは名ばかりなのが実情だ。
国の医療方針なので仕方がないのだが、彼の身体の状況とはそのシステムのサービスがうまくかみ合わなかったのは否めない。
そんな話をした。(今回は状況も説明で入れたので、会話以上に書いている)

ソーシャルワーカーさんは、結構淡々と「うちでの治療が落ち着けば、元の病院にまた戻るということになると思うので」と言われる。
でも。前にも書いたかもしれないが、夫の状況は、以前そのリハビリ病院に居た時とは状況がかなり変わっている。血圧は確かに低いが、褥瘡が出来る前は意識レベルはそこまで低くなかった。褥瘡が出来たのはそしてそれが酷くなったのはなぜか。それが一概には言えないが、褥瘡前後のケア、例えば数時間おきに体の位置を変えるとか、傷の状況確認とか、心身状態の確認等のケアができていないことが大きくあるのではないか。
療養病棟に変わってからの、とにかく人手の足りてなさやナースコールを押してからの対応のひどさについては、こちらがもうあきらめざるを得ないようなレベルだ。
言ってみれば「尊厳を軽く観られている」感じがありありする。
また褥瘡が出来る可能性は十分にあり、正直なところ、転院は積極的に進めたくないと強くお伝えした。
もちろん救急病院が、ずっと居られる場所ではないことはわかっているが、
彼の血圧や意識レベルが今かなり落ちていることをみれば、「前の病院に帰って前の通り」なんてことはできないはずだと、素人目では思うのだ。

ソーシャルワーカーさんは、私の話を聞いてくれて、一応皆に申し送りをしてくれるとは言ってくれた。担当が階で別れているそうなので、もし夫が一般病棟に移ればまた別のワーカーさんになるそうだ。それでも記録として共有してもらえればそれでよい。

今日は透析日なので、15時過ぎにという感じで家を出た。
前回、透析の後は血圧がかなり低くて、意識レベルも低く、意思疎通はできなかった。
それを想定しつつ行く。
過度に期待しない。つい、少し良くなっているんじゃと考えてしまい、実際になかなかハードな状況を見てしまうと、ダメージが大きいので。
ーーーー
今日はまた部屋が微妙に変わっていた。なぜかはわからない。

今日の夫は血圧68-50。これまでにない高さ!透析後なのに。
酸素マスクはしてたけど、呼吸も安定してる。すごいことだ。

主治医K先生はおやすみで、一緒にチームでみてくれていて、前回も対応してくださってたらしいY先生から状況説明。

これまでの数日は低血糖が大きく影響してそうとのことで、
点滴で栄養補給したら、血圧をはじめ状況改善されているよう。
これまで食べれてないのが問題だったかも。
そうか、そういうことが。確かに食べれなくなって数日。身体も顔もげっそりしていたけど、数字的にもそうだったんだね。気づいてもらえてよかった。

口から栄養を摂れるのが一番良い。が、誤嚥の危険性もあり、現実的には鼻から胃に繋がるチューブを入れて、直接栄養を入れるのを勧める。が、違和感はあるため過去引っこ抜くような人もいる。
点滴ではカロリーやらは摂れるがタンパク室のようなものが摂れず、傷を治したり全身状況を整えるには少し不足があるとのこと。

その説明時に,激しく反応して首を振る夫w
実は私が行く前に先生が本人に説明したら、鼻チューブには抵抗して嫌だという意思表示をしていたらしく、「ご本人が嫌と、先程話して言ってあったんですが、一応話しました」と苦笑されてた。
彼が嫌なことはしたくない。
先生からは、「今後やっぱりしてくださいっていうのもありですから」的なことは言われた。

褥瘡のCTは撮ったが、彼の場合、両足に人工関節や金属が入っている関係で、綺麗に見えない。概ねよくはなっているが、確実とはいえないので、今後も経過観察が必要そう。そういうこともあり、転院という話も出ていたが、もう少し経過観察をしようということになったよう。その方が安心です。少し安堵。

話は血糖値の話に戻るが、最上級のケアをしています的なことを先生は言われていた。血糖値の上がり下がりを何時間かに一回計測するということだろうか。
まあ頻繁に良く観てくださるというのはありがたい。

先生が帰られた後、さて状況は良いとはいえ、彼自身が発語することは今はない。(酸素マスクをしているということもある)私の声に反応することもあればしないこともある。それでもこちらは話しかけるしかない。
「今日は少し数値がよくてよかったね。透析後なのに血圧も高いよ」というと、こちらをみて頷いているのかわからない感じの表情をする。
「昨日は眠れたの?」と言うと、今度は確実に頷いた。「そう、よかったね。眠れたんだね」と言うと、少しにっこりする。ああ、ちゃんと意思疎通ができた。よかった。
嫌なことは嫌と言えるというのは、ものすごく大切なことのように思える。
彼の意思表示がなければ、私も悩んでいた。彼の性格上したくないだろうなと思ったが、あれだけ強い意思表示をするとは思わなかった。
まだ本人がそれができるうちは、頑張って伴走するしかない。

ーーー
今日、先週WEB面接を受けたところから連絡があり、なんと面接に受かってしまった。
来期からにはなるが、事前にトレーニングが始まるようだ。
得意分野ではないが、私も苦手意識が強い方なので、デモでやったらできたということに気をよくしてやれそうな気がしている。微妙だけど。
まだお返事もしていないし、稼働は月5日程度なので、大した稼ぎにはならないまでも、ゼロではないというのが私をどうにか保ってくれる。

今日のエンジェルナンバーは1つだけだったけど「9999」という結構強烈なナンバー。
ライトワーカーの数字らしい。どうにか道を照らしながら生きていきたいものだ。


今日のTMI.定期的にあるマンションの排水溝点検。台所、お風呂、洗面所、洗濯機からの排水をチェック。いつも掃除がなかなかできていないところもあるし、そもそも上っ面しか掃除はできないので、管の方をやってくださるのはとてもありがたい。すっきりした感じ。それにあわせて少し掃除もするしね。やっぱり他者の力は大きい。自力だけでは保つことはできないのだとつくづく。

さて、今日は少し早めに寝ます。さすがに連続して疲れている。
明日は元居たリハビリ病院に荷物取りと書類関係で。

仕事をする時間がない💦
さすがに毎日面会に行き過ぎだろうか。
でも行く用事が結構あるのだ。書類関係が主だけど。
それからやはり毎日状況が変わるので、キャッチアップするには行くのがよい。
とはいうちの経済的なこともやらなければならない。
夫の通帳での支払い額をみてしまい、また絶望感を感じている。
世間的に観れば大した数字でもないかもだけど、今の私には大きな数字だ。
といいながら、どうにかなるとも思っている。
全く根拠はないんだけど。どうにかするのは私なんだけど、
一人の人間として動けることには限りがあって。
いろいろやったら、少し待って状況を観てみるということも大事。
焦ってはいけない。でも焦る。
相反しっぱなしの感情の揺れが辛い。

夫処置後4日目

夫の褥瘡処置後4日目は25日。
朝から仕事。仕事場に着くと病院から電話。
え~ってなりながら電話を取ると、
看護師さんから「お部屋が変わりました」という連絡でした。
ほっ。
CCUからHCUへ。少し安定しているけど、一般病棟に移るにはもう少しという人が入る病棟だとの説明を受けました。

授業の前に、担当の先生から「後で10分程ちょっといいですか?」と声をかけられてビビります。
いい話じゃないからですね、この手のって。

私の勤務先での関わり方はある種特殊らしく、今年は担当出来ましたが、来年はどうか?まず意思を聞かれます。現場を持っておきたいという気持ちは大きくあるので、その旨をお伝えしましたが、こちらの希望が届くかどうかはわからないよう。徐々に守られなくなってくる感じがあります。
おそらく今日の会議で承認されるかどうかで決まるんでしょうが、組織に属していない(一部だけ属している)立場の私には何をすることもできません。
連絡を待つのみです。

いきなりの大雨に降られつつ、地下鉄の駅まで雨宿りをしながら進み、駅前のコンビニで傘を買いました。一部ではひょうが降ったり雷が鳴ったりしたようです。秋冬にもこんな天気があるのね。

いつもは外食はあまりしないのですが、少し元気が出るようにとまちなかならココといううどん屋さんへ。私の好きな釜揚げうどん。卵とわかめのトッピングで。おうちでも作ろうと思えばできますが、こちらの麺はつるつる独特なんです。

お隣のテーブルは関西からの旅行客のようでしたが、この麺を気に入られたよう。豊前裏打ち会の麺です。「いつもは讃岐ばかりだから」と言われていました。そうか。

そんな他者の会話をちらっと聞けるのも、まあいい息抜きです。

夫の毎日の面会や日々の状況の変化に、身も心も緊張して固まりがち。だから、上手く揺らぎながら自分を保つ、レジリエンスを意識してはいます。

夫の病室前、お部屋が変わったので待合室で待ち、その間に事務の方とのやりとりをして、お部屋に案内されます。
以前一般病棟にいた時と造りは同じで、看護師さんやお医者さんが結構頻繁に行き来していて、安心です。

この前に居た療養病棟は、期限がない代わりに手が足りないというか、ほぼ手をかけてくれませんでした。ナースコールを押しても怪訝そうに「もう少し後でもいいですか?」で1時間以上待つような。それって尊厳が守られるのかという点で疑問です。なんでも即来いと言っているわけではないのです。状況を説明してお願いしても無理で、そりゃもう嫌になっちゃうし、あきらめちゃうよねって思ってしまいます。
その点、救急病院は、そりゃあ救急なわけですからしゃかしゃかされています笑
でも、今のうちの夫の状況には、そちらの方が安心。
何ができないにしても、見守ってくださっている安心感があります。

14時過ぎの段階として、60-33くらい(下はいまいち記憶があやふや)。これまでの中では安定しています。
本人の状況はというと、口開けてあーあー言ってます。意識があって言う時とそうでもない?って時があってよくわかりません。
口を開けているのは口呼吸の為かな。だからかくちびるがかなりかさかさになっています。
意思疎通はほぼできずで、目を開いているのでたまに目があうのですが、ちゃんと認識されているかどうかは?です。

先生がいらっしゃればと思い、連絡してもらって来ていただきました。
褥瘡の処置はして化膿したところは流したが、後ろの方の褥瘡の膿がちゃんと流れているかどうかをもう一度ちゃんとCT取って確認するとのこと。それをここ数日合間を見て行うそう。
現状は血圧も低いが安定しているので、昨日は透析を回した。透析後は低くはなったけど48くらいでセーブできてるので、このままいけるとよい。
本人の希望、家族の希望を考えながら、自分たちも最適な提案をできたらと思っているとのこと。家族で話したこととして、「何かが出てくればその都度考えるが、出来るだけ本人にも家族にも無理のないよう着地できるのが望み。本人に辛い思いはさせたくない。」ということは伝えました。本人が頑張りたいと思ってると思うので伴走したいって言葉は、今回ちょっと言えませんでした。

先生は、今後の状況により、前の病院に戻ってもらうことも検討してもいいのかなと言われています。基本的にS病院(救急)で診るのは褥瘡なので、褥瘡の状態が落ち着けば、元のH病院もしくは他の病院にという流れにはなるらしい。

「ただ経口で薬が飲めないと思われますし、前に向こうに居た時より状況は悪い、向こうは人が本当に少ないので、褥瘡防止の体位変換もされるかどうかわからない。また褥瘡が出来る可能性もあることを懸念している」という話もしました。
こちらの先生にもどうすることもできないことでもあるけど、一応言っておきました。「こうしてほしい」という希望だけではなくて、「これは嫌だ」ということも一応伝えることって大事な気がしている。我慢は確かに必要な時もあるが、今はまだ希望や思いを伝えてもいいんじゃないか、もう夫は自分では意思を伝えられないのだから、その代わりに伝えることくらいはしたい。
先生は「そういう状態になればという話であることと、先方が受け入れるかどうかもあります」と言われていました。方向としてはそちらに流れるのは仕方ないんだけど。

ベッドサイドで先生と話をしていたので、たまに夫が「はっ!」と声を出すので見ると「うんうん」とうなずいていたり笑
「先生の話を聞いてたんやね。わかった?」と聞くと頷きをやめるので、聞こえてはいそう。「まあ、何か話してるのはわかるのね?」と言うとまたうなずくので、わかってはいるっぽい。内容が理解できるのはたまになんだと思うけど。

ぶどうは、先生に聞いたけど、「多分今は飲み込もうとしてむせたりする可能性があるから、今日はむりかなー」と言われて断念。

帰り際はそんな感じで、だいぶ理解できているのかな?みたいなところが出てきた。
「じゃあまたくるね」と言うと、彼独特のいつものスマイルで、にかっと笑っていたので、あれは反射じゃなさそうに思う。

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今日のTMIとしては、看護師さんに「娘さんですか?」と言われたので「はっ?!」と声が出てしまったことです笑
「妻です」というと「あ、すみません。お若いので」と、言わせたようになってしまったので「いえ、すみません」とこちらも謝る羽目に笑

こんな風にくすっと笑えるようなことがあると、心が少しだけ救われます。

もうひとつTMI.
この日はやたらと4ケタのエンジェルナンバーを目にしました。トータルで1時間半ほど歩いた中で確実に見た記憶があるのは「3333」「5555」「6666」「8888」「9999」。あまりにもたくさん見すぎてよくわかっていないのは2と7.1と4は見ていない。
車のプレートなので在りがちな数字ではあるのだけど、でもこんなに続けてみるなんてなかなかない。
天使が「守ってるからね!」って合図を送ってくれてるんだと思うことにしました。


さて今日は5日目ですが、透析が終わるくらいに行こうと思っています。書類出しも必要もある。
ようやく、これまでの記録が書けました。

お仕事関係noteもたまっているので、そろそろ日常にモードを戻したい。そもそも日常なんてあるのか。