ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

敵は黄砂なり 2021.5.27

雨が上がって気持ちいい空。
これならと思い、朝からノーマスクで軽やかに散歩に出たら、
黄砂にやられてしまったらしい。
目が開かない、頭痛い。
こんなになったの初めてかも。
その日はオンラインでの仕事の日で、朝MTGではぐじゅぐじゅ💦
またも抗アレルギーの目薬と、頭痛薬でどうにか1時間半くらいした後におさまった。
というのが25日のこと。

砂の影響をモロかぶる地域に住んで長いけど
(というかそういう地域にしか住んでいないけど)、
今回ほど症状に出たのは初めて。
25日は14年ぶりの多さだというニュースもあっていたので、ピンポイントに当たってしまったのかも?

仕方ないので、不織布マスクとサングラスをかけて外に出ることにした。

私の中では朝散歩は、自分の感覚を取り戻すための大事な時間・運動の習慣化という設定なのだけど、
環境はどうすることもできないから、できるだけの自衛をするしかない。
サングラスはどのくらい効くのか疑問だけど、裸眼よりも目を守ってくれると信じたい。

==
さて、習慣をつけようと頑張っている私ですが、
締め切りには勝てないものです。
スケジューリングがまずいというのは重々承知。

そして早く寝なければ、早くは起きれない。
いろいろ考えごとが多ければ、眠りにつくまでに時間がかかる。

優先順位をつけてどうにかやっているけど、
いかんせん、睡眠時間が長くないと体がもたない性質。
どうも日常の質が睡眠不足のせいで落ちていることを感じたので、
前段に書いた黄砂にやられた翌日は、朝散歩を中止して1時間長めに寝てみた。
そしたらすっきり😊
午後前から外に出て予定もこなすことができた。

毎日ということも必要だけど、続けていける環境を自分で作るのも大事なことだと、
自分にいいきかせている。

今日の朝散歩は雨上がりで、木々の枝や葉っぱからざざざーっと水が落ちてきてパーカーぐっちょりだったけど💦
(トトロがバス停で傘持って跳ねた時の状態を想像くださいw)
ま、それもおもしろいことです。


朝20分の朝散歩。楽しみながら続けていけるといいかな。
まだまだ一週間しかやれていないけど。

土日のどっちかは休息日にしようかな。

嫌われる勇気 2021.5.24

朝から雨。アレルギーの私は雨だと目がかゆくてたまらない。
抗アレルギーの目薬挿して、アレルギーのお薬口にほおりこんで、
雨の中をお散歩にGO!
ちょっと冷たい雨の日なので、パーカー着た上にレインコート、雨の日用のパンツ、
野鳥の会長靴でフル装備。

今日はデカいイヌビワの木を発見。
サクランボみたいにわさわさ実がなってるイヌビワを始めて見た。いつも見るのは比較的低木なので。
マンション敷地内の公園のところにあり、そろそろ実が落ちる頃。
うちのマンションは、先日伐ってほしい木があれば連絡するようにとお達しが出ていたけど、ここまで大きくそびえてるってことは、近隣住民からは苦情がなかったということね。あまり人が通らない場所だからというのもあるのでしょうか。
個人的には悪くない。

===
一ケ月ほど前のことになる。
大学に入りたての息子からメッセが入った。
「この本読んだことある?」

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表紙に見覚えはあるが、読んだかというと頭に残っていないので読んでいない気がする。
心理学に関心のある息子は、今度これを読んでみようと思っているという。
以前にベストセラーになった本だ。アドラー心理学の「嫌われる勇気」。

私は当時はこのタイトルがあまり自分に響かず、読まなかった気がする。
でも、妙に生々しく表紙イメージが自分の中にある。
なんでだろうと思っていたら、私の背中の方にある本棚にちゃっかりあった。

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そうだ思い出した。
1年前の自粛騒動の時に流行ったBOOKBATON.
その人がどんな本を読んでいるかって結構気になるもので、
大学の後輩とメッセでやり取りしていた時に聞いたのがこの本だった。
正しくは、もう一冊精神世界の本があって、「その本を読んだときはあまり意味がわからなかったことがこの「嫌われる勇気」を読んだら理解できた」と彼は言っていた。
なので2冊セットを買ってみておいたのだ。
まずもう一冊目を読みかけていたが、まだ途中までしか読めていない💦ということで、二冊目のこちらも読めていなかった。

「いい機会だから読んでみるか」と頁を繰り始めた。
青年と哲人の会話で話は進む。読みやすい。

感想としては、この本を当時読んでいたら反発していたかもしれないと思う。
書きよう(哲人の言い方)もあるのだろうが、「なんでそう言い切るの?決めつけるの?そうじゃないこともあるんじゃないの?」と当時の私なら思っていたかもしれない。
でもここに書いてあることは、お医者さんが書いた生きづらさについての本や、1,000人ほどの内的世界をひも解いてメンタルモデルを類型し、「これはテクノロジだ」と言う方の本やらを読んで納得してきた今の私には、「なるほど」と思える。

一番のポイントは「目的論」。
フロイトまでの心理学は原因が結果を作る、「原因論」。
でもそれでは解決できない問題もいっぱいある。
そこでアドラー心理学では、「今の目的が今の状況を作っている」と考える。
ここで言う「今の目的」というのは顕在的な目的とは限らない。どっちかというと心の奥底にあるあまり見えていない思いから発生している目的のことだ。
この本では友人の例として、青年の引きこもっている友人のことがかかれている。

青年の友人は、もう何年も自室に引きこもっている。彼は外に出たいと願っているし、できるなら仕事を持ちたいとも思っている。今の自分を変えたいと思っている。
が、彼は部屋の外に出るのが恐ろしい。一歩でも外に出ると動悸が始まり手足が震える。変わりたくても変われない。
青年曰く、詳しくはわからないが、過去に原因があってその結果出られなくなったのだろうという。

私たちの身近にもそういう例はよく聞くことがあるが、その理由を「なにかあったのだろうな」と思うのは至極当たり前だろう。

アドラー心理学では、そこをスパッと切る。
哲人は言う「ご友人は「不安だから出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えるのです」と。

アドラー心理学では、トラウマを明確に否定する。

「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。我々は自分の経験によるショック(トラウマ)に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」

過去の経験により、全員が同じトラウマを持つとは限らない。
過去の経験にどんな意味付けをするかによって自らの生を決定しているということだ。

 
ただこれは自分の無意識化で行われていることが多く、
気づくのは相当意識しないと難しい点でもある。

書の中に出てくる哲人は、
「仮にご友人が「自分は両親に虐待を受けたから社会に適合できないのだ」と考えているのだとすれば、それは彼の中にそう考えたい「目的」があるのです。」という。

「直近のものとしては「外に出ない」という目的があるでしょう。外に出ないために不安や恐怖を作り出している」
「外に出ることなく、引きこもっていれば、親が心配する。親の注目を一身に集めることが出来る。まるではれ物に触るように、丁重に扱ってくれる。他方、家から一歩でも外に出てしまうと、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまいます。見知らぬ人々に囲まれ、凡庸な私、あるいは他社より見劣りした私になってしまう。そして誰も私を大切に扱ってくれなくなる・・・」

 感情の問題は、人間が最も扱いにくいものだという認識が誰にも多くあると思うので、ここを理解するのは難しい。
この後、哲人は「感情(怒り)は出し入れ可能な道具」という言葉を使って、我々は感情に支配されない」さらには「過去にも支配されない」と説いていく。


息子の反応はというと、当時の私以上に
「理にかなってるところはもちろんあるんだけど決めつけ過ぎかなって思う」
「僕は別にあの人の考えが嫌いな訳じゃないんよ。
でもあの人はあまりにも極端すぎる。考え方なんて沢山あっていいのになんでアドラーの目的論しか信じようとしないんだろうって、
少し宗教じみたものを感じちゃって嫌だった」
という感想。
「まあ、いろんなものを読んでみたら」と言っておいた。

理解できないことを理解しろというのは難しいことだ。
そのタイミングがきたら理解するのだろう。


心理学の先生にどう思うか聞いてみたらとも言ってみた←私が聞いてみたいだけなのだけど。


今日のキーワードは木苺 2021.5.23 

早く寝るとはいうものの、AbemaトーナメントCグループチーム豊島sチーム木村をみてたら、ついつい23時を過ぎてしまった昨夜。
将棋を最後まで見ようと思ってはいけない。
何時にご飯を食べるか何時に風呂に入るかは計算しなければならない(笑)

私はちゃんとした観る将ではないので、ご飯を食べて片付けしてから見始めるのだけど、見始めたらやっぱり結果が気になってしまうのです。

Abemaトーナメントはチーム戦なのでそれぞれのカラーが面白くて、
またルールも独特なのであまり知らなくても結構楽しめるんですよ。
昨日は紫のチーム法被を着た「スリースタービクトリーズ」vs天使の羽をつけた「エンジェル」。木村さんの羽姿を観たい一心で観たんですが(笑)、
佐々木勇気七段の天然的な可愛さにノックダウンされましたw


ま、ほどほどにします。夜更かしは深浦戦だけにしよう。(一応宣言しておきます)

そんな夜を過ごしたからか、今朝はすっきりとは起きれず布団から離れがたい。
でも、今朝は一週間前の一斉掃除が流れていたら開催されるはずなので、
頑張って起きて用意していったら、、、誰もいない。
そうか、あの雨の前にみなさん頑張ってされたんだなーと、一週間後に悟り。

ないならないで散歩するだけ、と前の日に気になっていた道を降り、
「そうだあっちの方にいってみよう」という直感のみを信じて、
行ったことない道を行った結果、
一山登ってしまい、ぐるりと回って戻り。
途中、いつもの公園に行き、今年初のアーシングも。

足がウイーンウイーンって音が出そうな感じ。
左から右にスキャンしてるような感じの波を足の裏に感じてる。

昨夜寝る前にチャクラの本を読んでいたのが、ちょうどルートチャクラの章。
アーシングも推奨されていた。
私の顕在意識は、朝の時点ではこの公園に行くなんて全く想定していないのに、意識はちゃんと私を連れていくんだな。感心する。


今日の散歩道中にみつけた赤い実。
葉っぱの陰に赤いのが見えたから、葉っぱを除けてみてみたら、3つも出てきた。
木苺かな。

FBに写真を載せたら、おともだちから
「この実を見るたびに邦訳された絵本の木苺のジャムなんてのを連想します」
ってコメントがついたので
「小さい頃には木苺のジャムなんて食べたことなくて、
海外の物語に出てくる憧れの食べ物のひとつでした~」なんて返していた。

そういえば、私は木苺とへびいちごの区別がつかなかったなーなんてことを思いだす。
改めてネットでへびいちごを検索して、ああ今日見たのはやっぱり木苺と安心した。
ちなみにへびいちごは、蛇が好んで食べるからへびいちごという名がついたようで、別に毒があるわけではないらしい。

木苺、ジャムと聞いて、何か私の中のアンテナが動く。
なんだったけ?と思っていると、30年くらい前の記憶が湧いてきた。

当時私は、北海道のアリスファームに憧れていた。
藤門弘さんと宇土巻子さんというお二人が主宰されるカントリーライフがいくつかの本で紹介されていたのに夢中になり、読んで空想しまくっていた。
当時はネットなんかないから、本が足掛かりだった。
アリスファームを久しぶりに検索してみたら、懐かしいお二方のお写真や何度も何度も読んだ本の挿絵が出てきて、一気になつかしさがMAXに。

アリス・ファームはこちら。

www.arisfarm.com


北海道に行く好機はひょんなことから。
母と一緒に2泊3日の旅ができることになったのだった。(ひょんなことは今回は置いておきます)

母は飛行機に乗ることも初めてで、今思うとよく話に乗ってくれたもんだと思うけど。
母54歳、私28歳の時に初の母娘旅で、当時仁木町にあったと思われるアリス・ファームを訪問。ゲストルームに泊めてもらったのでした。
平日で、近くの農場も牧場もイベントもなにもしていない時で、
住み込みの方がキッチンで何やら作っているのを見せてもらったりするほかは何もすることがない。

それで母と一緒に、近くにあるというハーブ園までえらい距離歩いて散策している時だった。
母が「あら、木苺」といって手を伸ばしたのがこのいちごだったと思う。
多分、いくつか赤い実があって、へびいちごも混在していたので、
私はここで初めてこの2つの違いを知った、気がする。
その後、「熊注意」の看板を見て、ビビりながら帰る私たちw
北海道は本当に広くて、しかもその農場も広くて、
目に入る場所に誰も人がいないことがざら。
アリス・ファームに戻り、キッチンに居た方に「ハーブ園行って来ましたよ~、木苺が~」なんて話をして、あ、ジャムありますよーって木苺のジャムをいただいたような気がする。

母はずっと内職をしていて忙しいから、
私はめったに母とはこうして草花を愛でたりしていない、と思い込んでいたけれど、
思い返せば、父を迎えに毎日バイパスの沿道を一緒に歩き、
その道すがらにある草花を取ったり遊んだりしていたことを思い出した。
家族でよく車で出かけてもいたし、お弁当を持って川に遊びに行ったりもしていた。
私は、母に小さい頃に構ってもらえてないという思いがあったが、母は母なりに構ってくれていたのだなと、やっと今になってわかる。
あの北海道に行った時の母の年を越してしまった位に、
やっとあの頃の母の心が理解できるような気がする。
あの時かなりはしゃいでいたのは、私だけではなかったんだ。

いろんなことが、ぶあっと思い出される。
蓋をしていたつもりはないけれど、記憶の下に積まれて見えなくなってしまっていたものたちが、今引き出されることでまた新たな意味を持って私に教えてくれる。
あの頃はわからなかったことも、今ならわかるってあるんだ。

物事や事柄は変わらずとも、見る視点が変われば見えるものが変わる。

今日は木苺の日でした。

わ~、もうすぐ11時!寝なきゃ。

おやすみなさい~。明日もちゃんと起きます。

 

己巳の日からのはじまり 2021.5.22

昨日21日は己巳の日。「己(つちのと)み(巳)の日」とよみます。

今は遠方の大学の寮に居る息子が、家を出る間際にプレゼントしてくれたピンクの長財布。

miww55.hatenablog.com

このお披露目の日を己巳の日にしようと設定して、これまで楽しみに待っていたのです。

せっかく善き日に購入し(購入してもらい)、せっかくだから善き日から使い始めたい。
それまでは中にいっぱいお札を入れて引き出しの中に安置。
そしてこの日がやってきました。

念のために己巳の日に関する情報をチェック。
すると、
「新しい本を買う。好みに合うかどうかは関係ない。(そこから何かが広がるかもしれない)それをその日中に読み切る。」というような下りを見つけたのです。
今となってはどこのサイト情報だったかわからないのですが。

昨日は通院日だったので、その用意をしつつで、「状況があえば」と思いながらそのことを頭に入れておきました。診察後に気持ちが向けば本屋にもいけるかもしれない、くらいの感じで。
その時は思っていたんです。まあ薄い文庫本くらいなら読めるかなって。
ただ、全く本屋に行く計画はその時点ではありません。

バスに乗り、天神で乗り換え。いつもならまた別のバスに乗るのですが、その時は「天気も回復してきたし、歩くか」という気分になったので、病院まで歩くことにしました。
前日は大雨だったのが、嘘のように青空がみえています。
気持ちいいなーと思いながら歩きました。これでマスク外せたら最高なんだけど。

歩きながら時間をみると、「30分前にきてね」という時間にギリギリ間に合いそうな感じ。
厳密にはその30分後の時間が指定時間です。

歩を進める中で気づきます。「あれ、もしかしてこの途中に本屋ある」。
時間をみると、10分程はある。
迷わず本屋に入ります。
どんな本でもとは書いてあったけど、どうせなら読みたいと思える本がいい。
そう思いながらみていると、あるコーナーに目が行きました。
何冊か手に取ってみた中で、サイズ感も書いてあることもしっくりきそうな感じの本がこちら。

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www.amazon.co.jp


この数週間、もやもやや「万策尽きた」感で行き詰まりを感じていた私は、
何をどうすればいいのかわからなくなっていました。
例えば、朝起きたくないと思うこと。これを「体の声と思って寝るのがいい」のか、それは「恐れが引き起こしているものだから、律して起きてすべきことをした方がいい」のか。どちらが正しいのかどちらを選んだ方がいいのかわからなくなっていました。どっちもいい気がするのです。
本心はどっち?と聞かれるならば、その時はあったかくて気持ちのいい布団の中を選ぶでしょう。でもそれって本当に本心なのかと言われると、楽な方を選んでいるだけのような気もします。

そんな私にこの本はのっけからこう私に伝えてきます。


困難に対する見方を変えて、乗り越えることができたカギは、
「適切な習慣」を身につけたことにあります。毎日一つひとつ行う習慣が、
自分で背負うしかない目の前の困難に立ち向かい、傷を癒し、再び人生を前へ進めることを、少しずつ可能にしてくれたのです。

数日前の投稿に「習慣づけたい」話を書いた気がします。
ああ、この本は今私に読めと言ってるのだなぁと思い購入しました。

そんなこんなしていたら、予定時間7分オーバーで病院に到着。
それでもまだ23分前だからヨシ。
受付には「45分押しです、ごめんなさい」的な札が💦
全然急ぐ必要なかったみたい。

問診表をかいて検尿、血圧測定、血液検査、体重測定をして、
さてじっくり本読むかと思ってたら、なぜか即呼ばれました。
「え?もうですか?45分以上じっくり待とうと思ってたのに」

なんでも2枠前の方がキャンセルだったそうで、
「いつも待ってくれてるみ。さんを早く診ようと思って」と先生。
たまにはこんなご褒美があるものです💗

F先生との会話はまた機会があれば書きますが、簡単に書いておくと、
問診にはズタボロな私の状況がでているので
「あらあら」と言いながら先生とすりあわせをし、
「私の状況が問題ではなくて、今の世の中のグレーな状況に同調しているだけ」という話になりました。
実際私の目の前には壁がそびえたっていて、本人としては万策尽きてる感があるのですが、それもこの同調が大きく関与しているのは、自分でもよくわかってます。

F先生の受診時には珍しく、1時間弱ですべてが終了。
お薬をもらって、
さてまだ日が明るい。どうする、これから。

久しぶりにお寺さんに行くことも頭をよぎります。
が、数珠を持ってきていないこと、今のまま祈るのは、WHYが不明瞭だと思うこともあり、せっかくこのご縁のあった本を読もう、そう思いました。

おなかはすいていない。
でもおいしいコーヒーを飲みながら読みたい。
体がコーヒーを欲しているわけではないけど、温かい湯気と風味に包まれた中で読みたいという思いがありました。
それで、チェーン店でそこまで人が集っていないお店の片隅で、バスの時間までコーヒーを飲みながら読書。
最初は店内を流れるジャズの音が大きすぎるなとか、近くに座っている若者のおしゃべりが耳に入ってくるなとか思ってたんですが、読んでいるうちにスーッとその辺はどこかに行ってしまいました。
お隣の方が同じく読書中だったからかもしれません。
家よりも圧倒的に集中しやすい。
カフェでの読書は効率的にヨシです。
半分ほど読み終えて、バスの時間。

本書のこともまたおいおい書いていこうと思いますが、
ひとつだけ。
習慣はたくさん一気に始めると続かないみたい。なので1個をとにかく始めることが大事らしい。
それなら、私の場合は「朝起きること」に決まっている。(そしてそのセットとして「夜早く寝ること」がついてくる)

帰宅して少し読んで、家事の後に読もうかと思っていたのだけど、
金曜ロードショーは「アラジン」だったので、こちらを観ることに。
直前まで録画したものを後で見ようと思っていたのだけど、
録画に行ったら気が変わりました。
CMの合間にあれこれ家事を済ませて、見終わった後23時半すぎから、また集中して読み進めます。
が、この時間、家だとノイズが多いことにも気づきます。
不調な夫のきつそうな声とか、なぜかやたらと大きいテレビの音とか。
それらを避けながら、何度か場所を変えながら、1時くらいにどうにか読了。
その日のうちに読んでしまうというのはできませんでしたが、一通りは読みました。
後半はこれまでよく目にしていた「やめること」「人間関係」について。

まずは、前半にあった「習慣」を尊重しようと思っています。
本書によると、新しい習慣が生活に根づくのは60日かかるそう。
できることでやろうと思ったことは意識的にやってみようと思います。
これってBOOCSの理論ともあっているんですよね。

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第3原則「健康に良くてしかも自分がとても好きなことを一つでもよいから始める」
「自分がとてもすき」かどうかは微妙なラインですが、朝起きることと散歩をすることはやってみようと思います。

ということで、朝頑張って起きて音楽を聴きながら歩きはじめました。
今日の朝の音楽は「カーリー・レイ・ジェプセン」の「Call Me Maybe」。
年甲斐もないけど、この曲のリズミカルなところが好き。スイッチ入れるにはいい。「GOOD TIME」と交互に聞きながら20分程近所を歩いてきたのでした。

ということで、だらだらさにも飽きてきたので、そろそろ「習慣」なるものを見直してみようと思った始まりの日なのでした。
己巳の日の意味合いにつながってくることを祈って。


自分だけで自分を観るのは難しい 21.5.19

一週間に1回くらいの頻度の投稿になると、その間はまああれこれあるから何を書くか選択するのに時間がかかってしまって、結局かけないみたいなこともあります(笑)

何が合ったっけ?って考えると、大したことないなとも思うのですが、
でもそのひとつひとつにどう感じたかとか、それから何を思ったかとか、
そういうことが実は結構大切だったりもします。

本当はそれらをちゃんと言葉にして向き合うためにこの場を作ったはずなのですが、
書くことに追われると本末転倒にもなり。
難しいものです。

ここ数週間は、精神的にも肉体的にもあまりいいとは言えない状況。
これは、コップに水が半分入っている状況を「水が半分入っている」と思うか「半分しか入っていない」と思うかという、視座視点の問題だと思うのです。
状況がよくないと後者の見方になりがち。

今日は、ヨガの日だったのでその前に整骨院の予約を入れて、調整してもらった。
ここのところの私の体調は、右肩のひどい痛みと腰の痛み、おなかの硬さがメインにあります。
右肩の原因は複雑にあるようだけど、主原因はマウス。壊れて、古いのを出してきて使ってかっているがこれがでかくて、右腕に大きく負担になっている。
買い換えればいいんだけど、今金欠なので悩むところ。
おなかからきている説もあり。
おなかは季節性だと思っていたけど、それに加えて不安から来る自律神経の不安定も原因にあるような気が。
睡眠にもちょっと不具合が生じてきていて。

ということで、整骨院に行ったのですが、
微妙に調整してもらって、上向きになりました。
全ての痛みがなくなるわけではないのだけど、
「あれ?ここの痛みなくなってる」と思ったり。
痛みを感じなくなればいいなと思って生きてきているけど、
痛みがあるのは理由があると思うんですよね。
体の声なのだから、聞いてあげないと。
あ、聞いてあげないとと断定的に書いたけど、
これには人によって差があると思います。
痛みを超越することを美としている方や
何等かチャレンジしている方もいらっしゃると思うので、
人それぞれこの世で学ぶべきものやミッションを持って生まれてきている、
それに即して生きればいいとは思います。

で、私の場合、体の声を聞かないふりをしてきたのは私で、
ほんとは聞いてほしいのに行動としては無視してきたそのねじれが、
若い時にはどうにかごまかせていたものが今はごまかせなくなってきて、
ねじれたままでいくのか、体の声を素直にきくかを迫られている。
素直にきけばいいのに、小さい頃にすねたきいろちゃんが、まだフォローされていないのでうまくあやさせてくれなくて、体とインナーチャイルドとどっちもの面倒をみなくちゃいけない私自身も疲れ果てている、という状態。

で、外部の手です。頼るのは。
自分では手が届かないところに手を差し伸べてくれるのが他者。
整骨院の方であったり、意見をくれる他者であったり。
渦中に嵌っている自分では見えないところは、鏡をみないとみえないわけだから。

整骨院の後はヨガ。
ヨガって不思議で、先生のナビで自分で主体的に体を動かしているのだけど、段々フローに入ってきて、気持ちよくなってきてボーっと言われるままに体を動かしている自分に気づきます。
一種の瞑想状態。これがいいのでしょう。
あれ、もう1時間という感じで終わる。
考えずに体を動かす時間って、大事。
週1じゃちょっと少ない感じはあるけど、しないよりいいかなって。
後はどう増やすかですかね。

スケジュール化が苦手です。

ついでに、ですます調で書くと、どうも自分の思いをうまく言葉に乗せにくいので、
今日の投稿は失敗したなと思うわけです、はい。

で、痛みは我慢しないのがいいと思うので、
「痛み止めを飲むことを躊躇しない」を頭の中にいれて今日は寝ます。
自分を大事にするって難しい。

おやすみなさい。








私を苦しめているのは私 2021.5.14

今日はしっかり昼近くまで寝て、

午後からがっつり掃除しました。

掃除というより、片付け。

息子の布団や冬物クリーニングの戻り、Amazonから届いた荷物等々が和室にドーンとあったのを、集中して片付け。いらない服も2袋ほど出した。

ベランダの植え替えも半分くらい終了。

すっきり❤️

だからか、少し言葉が出せるようになってきた。

 

「仕事ができる」と「仕事ができない」。
比べたらそりゃ「仕事ができる」方がいいに決まってる。

でも、そのことと人の価値はイコールではない。
それはわかっている。

「仕事ができる」と「仕事ができない」
これはどちらとも主観だ。
そして相手が思う主観に、自分の主観が合うとも限らない。

貢献したい。
力になりたい。
でも、それは相手に一度でも「仕事ができない」と思わせてしまったら、
相手から見る自分は「仕事ができない」人。
そこをリカバリーするのは難しい。
ドラマでは失敗続きのヒロインが根性でいろんなことをできるようになって認められる。
それが環境的にできるならベストだけど、
失敗が許されない、失敗をものすごく怒られる場に居ると、
身がすくんで失敗じゃないのに失敗した気持ちになってしまう。
自分がミスしたかと思ってびくびくしてしまう。

いつの間に私はこんな性格になってしまったのだろう?

===
FBでフォローしてる方の記事にインスパイアされた。

https://www.facebook.com/genevieve.murray/posts/10224811673788758

そして先ほど、FBにこんな記事を書いた。

”他者へ怒りを向け続けることで自分の人生を生きなくて済んでいた、本来そのエネルギーは自分の人生を前に進めるためのパワーだった、私は本当は他者にじゃなくて、自分の人生を本気で生きてない自分に怒っている!”
そうだよなぁ、、ってかみしめるように思ってる。
だから最近、きいろちゃんにも会えていない。
で、「私は鏡です」だから「理不尽なことにも耐えなきゃ、できない私が悪いんだから」という思考になって、「あれ?」と思う。
そうじゃないよね?
理不尽なことには怒ってもいい。一旦出してみてもいい。
そして、今一番思っているのは、そんな環境に居ることを変えずに自分を苦しめてるのは「わたし」だということ。
そんな場からは離れる・逃げることをなぜしないのか。
自分に誠実なことは、自分の思いにふたをしないということじゃないか。
私が一番大切にしなければならないのは、他者の意見ではなく、自分がどうしたいかどうありたいかだ。
ということを、樹音さんの投稿を読んで、やっと言葉として今吐き出せた。
”怒りと喜びは表裏一体で、その凄まじいエネルギー自体に本来ネガティブもポジティブもないけど、自分だけが意味付けできるし自分だけが表現方法を選べる。”
まさにそう。だてにLSPのファシリテーターしてない(笑)
さて、どうするかな。

こんな日もある 2021.5.12

GW、母の日がおわり、そして緊急事態宣言がまた発令されて、早めの梅雨入り模様。
(今日数名の方が「もう梅雨入りしたよ」と自信満々に言われていたけど、そのソースを見つけきれない。九州北部まだですよね?)

楽しいはずの色んなものが、即座にグレーに色染められていく。
そんな1年だった。それをどうにか打開しようと楽しみを見つけながら試行錯誤も、
息切れ気味というのが正直なところかな。
それでも、生きていかねばならない。

どうすれば、とぐるぐる考え出すと、あまりよい感じに展開しない感がある。
ここは一旦リセットして、自分の感覚を取り戻す策の方がよいのだけど、
ここにきてあまり外に出にくい状況。
体の中の直感的なものが発動しない。

ここはもしかしたらとても勝負な期間なのか?
そうか今日は新月か。

とにかく、いろいろとっちらかった家の中を片付けるのが先かも。
明日はプレゼントされた1日全く予定のない一日。
うん、掃除します。
朝寝坊しそうだけど。

おやすみなさい。いい夜を。