今日はしっかり昼近くまで寝て、
午後からがっつり掃除しました。
掃除というより、片付け。
息子の布団や冬物クリーニングの戻り、Amazonから届いた荷物等々が和室にドーンとあったのを、集中して片付け。いらない服も2袋ほど出した。
ベランダの植え替えも半分くらい終了。
すっきり❤️
だからか、少し言葉が出せるようになってきた。
「仕事ができる」と「仕事ができない」。
比べたらそりゃ「仕事ができる」方がいいに決まってる。
でも、そのことと人の価値はイコールではない。
それはわかっている。
「仕事ができる」と「仕事ができない」
これはどちらとも主観だ。
そして相手が思う主観に、自分の主観が合うとも限らない。
貢献したい。
力になりたい。
でも、それは相手に一度でも「仕事ができない」と思わせてしまったら、
相手から見る自分は「仕事ができない」人。
そこをリカバリーするのは難しい。
ドラマでは失敗続きのヒロインが根性でいろんなことをできるようになって認められる。
それが環境的にできるならベストだけど、
失敗が許されない、失敗をものすごく怒られる場に居ると、
身がすくんで失敗じゃないのに失敗した気持ちになってしまう。
自分がミスしたかと思ってびくびくしてしまう。
いつの間に私はこんな性格になってしまったのだろう?
===
FBでフォローしてる方の記事にインスパイアされた。
https://www.facebook.com/genevieve.murray/posts/10224811673788758
そして先ほど、FBにこんな記事を書いた。
”他者へ怒りを向け続けることで自分の人生を生きなくて済んでいた、本来そのエネルギーは自分の人生を前に進めるためのパワーだった、私は本当は他者にじゃなくて、自分の人生を本気で生きてない自分に怒っている!”
そうだよなぁ、、ってかみしめるように思ってる。
だから最近、きいろちゃんにも会えていない。
で、「私は鏡です」だから「理不尽なことにも耐えなきゃ、できない私が悪いんだから」という思考になって、「あれ?」と思う。
そうじゃないよね?
理不尽なことには怒ってもいい。一旦出してみてもいい。
そして、今一番思っているのは、そんな環境に居ることを変えずに自分を苦しめてるのは「わたし」だということ。
そんな場からは離れる・逃げることをなぜしないのか。
自分に誠実なことは、自分の思いにふたをしないということじゃないか。
私が一番大切にしなければならないのは、他者の意見ではなく、自分がどうしたいかどうありたいかだ。
ということを、樹音さんの投稿を読んで、やっと言葉として今吐き出せた。
”怒りと喜びは表裏一体で、その凄まじいエネルギー自体に本来ネガティブもポジティブもないけど、自分だけが意味付けできるし自分だけが表現方法を選べる。”
まさにそう。だてにLSPのファシリテーターしてない(笑)
さて、どうするかな。