ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

自分をいつくしむ習慣 2021.5.8

あっという間にゴールデンウイークが終了した。
私は何をしていたのだろう。
講義・研修・某P年度決算・マニュアル勉強会・RTS勉強会2日間・映画。
中1日だけフリーな日があった。

映画からの帰りに、バスの中でボーっと考えていた。
3年前の今頃は2週間の入院を経て、復活の気力を蓄えていた。
あの頃からすると、今は動けている。前向き、というか開き直りつつある。
3年間で見ると、今は一番好調だ。
ありがたいことだ。

これで調子に乗って飛ばしすぎると体調がダウンしがちなので、
気をつけたほうがいい。
ある程度期限のある行事は終わったし、
後は、自分でやりたいことやるべきことを設定してやる習慣ができるといい。
ここをおざなりにして、外からのものばかりこなそうとしてしまうから
自分軸で動いているようで、他人軸にすり替わるんだなと思っている。
これも習慣みたいなもので、ベストな習慣を意識付けて作ることは
大切だよなと思っている。

そういえば、この数年で習慣づいたことがある。
化粧だ。
元々化粧はあまりしなかった。
母も忙しいしお金もないしで、ハンドクリームを顔に塗るような人だった。
私はさすがにそれはしないが、敏感肌なので基礎化粧品もあまり合うものがなくて、
化粧品ジプシー時代を過ごした。
子どもができると、自分には構う暇がなくなるので余計になにもしなくなった。

そろそろしなきゃなと思ったのか、洗顔や化粧水をちゃんとつけはじめたのが4.5年前か。
そして2年半前に娘が化粧品メーカーに就職したことは、大きな引き金になった。
相談できる人が身近にいるというのはありがたいことだ。
近くはないので、やってもらうことはできないから、
自力で工夫してやるようになったからかな。
娘が近くにいたらどうなっていたかは謎。

基礎化粧は朝晩の洗顔後にするようになった。
娘からの御指南で、洗顔後すぐ導入液→乳液→化粧水→蓋の役目をする美容液の4点セットは必須だ。
こんなの子どもが小さい頃は絶対無理だった。
でも、これを当時からしてたら、
私の肌は変わっていただろうなとぼんやり考えたりもする。。。

メイクは外に出る時限定だが、
今までは何度かトライしても習慣化しなかった
まつ毛ビューラーとマスカラが習慣となった。
これが一番の私の変化だ。

目近辺への刺激に弱い私は、ぎゅーっと目を閉じてしまうからか、
パンダ目になりがちでマスカラ選びに難航していた。
「パンダ目になりません」というのをつけても多くがパンダになるので、
テスターをつけては帰り、パンダ目になっていないものを探して買う。
習慣になった今は、目の開け方も変わったのか、
たまにテスターで違うものをつけてもパンダ目になることはほぼなくなった。
不思議だ。あれだけ悪戦苦闘していたのに。

眼瞼下垂の手術をしてからは、目に触るのが怖かったり、
しばらくはしびれ感もあったりしてマスカラもしていなかった。
第1波の後だったからか、外に出ることも少なかったということもある。
あまり覚えていないけど、たまにしか出ないから、
出る時はちゃんと化粧をしようと再開した気がする。

子どもの頃や若い頃は、必要性を感じない肌であったということもあるのだけど、
親たちの影響は大いにあると思っている。
飾り立てることやお金を使うことを美徳としない家に育ったので、
高校時代にニキビが気になって鏡を見て顔をいじっていたら、
父親に嫌な顔をされたことがあった。「しゃれ好いている」とか言われたな。
色気づくなということだったのだろう。

加工しない美しさには、私も憧れはいまだにある。
だけど、自分の顔や体をいつくしむような時間をとることは、
加工しないこととはまた違う必要性があるようにも思えてきている。
美しくなるために、というのとはちょっと違って、
自分の肌を自分の手で感覚を確かめるみたいな感じ。
肌感覚は、感情や意識とつながりやすいので、
自分を確認しやすいということもあるのかな。

こんなことを書こうと思って書き始めたわけじゃなかったけど、
自分の中の大切にしたいことにちょっと触れることになったのは、
今自分の中の統合がうまくいってる感がして(主観)、ちょっと嬉しい。

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GW中の2日間かけたPlay。(レゴシリアスプレイのメソッドの中の、リアルタイムストラテジーという手法で作った、コアと戦略)

考えるよりも先に直感と手で作りはじめ、つくりながら「これは何を作ってるんだろう?」と自分の中の自分との対話から出てきたもので意味づけをする。
ファシリテーターからの問に、真剣に考えながら答えを導いている時の自分はまさにこどもだ。
いかに自分の素直さを開き直って出せるか。
素直な子どものような自分は、これまでの知識や学びや経験を総動員してひっくりかえしながら、私の中から答えをひっぱってきてくれる。

健康が一番 2021.5.2

今日も徒然モードです。

一人暮らしラストと書いたらまた延長になり。
一人で集中していろいろやりたかったので、よくはありました。
が、私が家に居ることに慣れていた夫は鍵を置いていったので、
退院日は終日出る日のため、前日に病院に鍵を届けにいくはめに。
運動と思うしかない。

コロナ禍なので本人には会えず。
ナースステーションで看護師さんを通じて鍵を渡し
代わりに洗濯物を持たされて帰るエレベーターの中。
「〇〇先生、16時からワクチンですよ。」
「あ、忘れてた。やば!」という会話に出くわす。
救急対応のこの病院でもまだお医者さんでもワクチン打ててないのか~、大変だな
2回目だったかもしれないけど。
先生が打ててないってことはその他の医療従事者の方もまだまだなのだろうし、
いろいろ絶望的だなぁと思いながら帰宅。

すっかり一人暮らしにも慣れてしまった。
自分のペースで何でもできるのは楽だ。
が、今まで以上にしゃべることがなくなるのはあまりよくない。

退院当日は29日。私は関われないので、お願い事はLINEで連絡しておき、
自分のことに集中。
私は世話焼き役が多いけど、それは自分のことを置いてまですることではない。
どうしてもな時には行くけど、それでも自分の予定は自分としてこなしたい。
誰かの世話を焼くことで自分ができないことを正当化したくない。

講義で1コマしゃべり、それからフリースクールに移動して
研修で2時間しゃべったら喉がかすれ気味💦

研修では椅子をすすめられたけど、
全体を見渡したり動きながらしゃべる方がリズム的にいいので、
そうしていると「さすが、大学の講義で慣れてらっしゃるんでしょうね。
足腰強いですね」と言われる。その方はわたしよりも随分年下だ。
私に体が強いという言葉は似合わないと思っていたけど、
仕事柄もあり、一日中動き回っていることの方が平常運転な感じはする。

そういえば、息子が家に居る頃に
「おかあちゃんは同じくらいの年代の人の中でも若いよね。
良く動いてるし、結構歩くし」と言っていたなぁ。
実際には同年代とくらべようもないのでなんだけど。
そのおかげで今は体が保てているのなら、ありがたいこと。

最近、るろうに剣心のメイキングをみながら、
「若い頃にこのくらいできるように体を鍛えておけばよかったな」
とか思ったりしているのですが、週1のヨガと日常的に歩くくらいが関の山。
日常的なことで筋肉がつくようなことってなんだろう?

今日は昼近くまで寝た。
昨日は朝からオンラインだったからか体のリズムがおかしくなっていた。
たまにはこういう風に体を休めることも必要。
そのつどそのつどで、うまく休み休み。
今日は野菜スープ2時間煮込みを作ったので、
おなかはこれでカバーできるはず。
自分の体は自分で守らねば。


さて、明日明後日は、終日の勉強会。
さすがの私も2日連続はどうかなと思いつつ、
今回は参加者なので座りモードで学んできます。

まずは朝起きれるかが一番問題。
おやすみなさい。

一人暮らしラスト 2021.04.26

あっという間に、一人暮らしが終了の時期を迎えてしまった。

今日退院の予定が一日ずれて明日になったそうで、
「お!もう一日、ベッドに大の字になって寝れる!」と思ってしまったのは内緒です(笑)

今日は息子と久々に電話で話をしたのだけど、
「おかーちゃん、ひとりでさびしかろ?」とdisり気味に言われたので、
むきになって言い返しつつ、
「あ~、でもご飯作る量がむずかしいわ」と戸惑いを披露した。

その実、2人分のレシピで作ってもなぜか多くなってしまう。
私の食べる量が少ないのか、食材が多めなのか疑問だけど。
(うちでは宅配で近くの畑からお野菜持ってきてもらってるので、
いわゆる玉ねぎ1個がでかい可能性はある)
それはともかく、料理が余る。
2人3人で余った分なら、翌日のご飯にプラスのおかずとして出せば、
品数が多くみえるし、よろしいのだけど、
1人では、がっつりメイン分くらい残ってしまうので、
同じおかずを続けて食べないといけなくなってしまう。
それが辛かった。
加えて自分の分だけを作るのって、気力が出ないことが多いから、
結果的に、食事がどうも嬉しくなくなる。

これも慣れではあるのだろう。
美味しいモノや旬のものを美味しく食べたいので、
今日はタケノコご飯を作った。
おいしい💛
今日はタケノコのほかにもエンドウ豆も届いたので、
今週は豆ごはんアゲイン。
こういうのは一人でも作っちゃうな。

一人でも二人でも、
とにかく気楽に生きていけるのが一番よい。
私のような世話焼きさんは、こういうたまには一人暮らし的な期間があると、
自分を見つめる機会になってよいのかもしれないとも思った。
ひたすらパワポを作ってましたけどね笑

明日は私は仕事なのだけど、夫が何時に帰宅するのかを訪ねても返事がない。
鍵を置いていったので、非常に困っている。
「タクシーで帰るからいいよ」だけじゃ困ります~。

大の字の楽しみの時間が少なくなるので、今日はこの辺で。


神社でカラス 2021.4.21

今日、氏神様に行った。
本殿のお参りの後、
天満宮さんでお参りしていた時、つーっとカラスが来たのはわかった。
音で屋根に着地したのもわかった。
でも、屋根の一番上の三角のところからグッと覗かれたのにはびっくり。
近い!黒い!目がくりくり!
ついあとずさりしてしまった💦

お参りも最後の方だったので、そそくさと終えて、もう一社の方に。

もしかしたらスーパー帰りだったから荷物に目をつけてきたのかなと思ったりもして、
もう一社のお参りの時にはバッグを隠してお参り(笑)

帰り際、神社にカラスって、、、と考えると熊野の八咫烏さんが思い浮かんだけど、
それでなくても結構いますよね。神社にカラスって。

ググったらこんなサイトがあったので、歓迎されたのだと思っておきます😊

quail-voice.com



思惑が違うのか 2021.4.20

今日は、久しぶりに一人で家にいる。
今日から夫が入院。
明後日手術。

もう何度入院して手術してきたのだろう、彼は。
私も多い方だと思うけど、手術は眼瞼下垂も入れて5回程度なので
彼に比べると多分半分以下。

今回は、CTで発覚し、病院同士がササっと連携してくれて、
あっという間に入院手術の段取りが進んだ。
本人は「7月に受診予定があるからその時かな」なんてことを言ってたのに、
裏で3病院の専門家チームが話を進めてくれた模様。
患者に戻さず連携してくれるのは、話もはやいしありがたい。

が、手術日は私の仕事日でもある。
いつもそうなんだよな。ほんとに試されているのかと思うくらいにかぶる。
それでも行かないわけにはいかない。
「付き添わなきゃいけないんだよね」
「・・・できたら」

さすがに入院には付き添いは要らないだろうと思っていた。
コロナもあるから行っても入り口までしかいけないだろうし、
説明があるとも聞いていない。
火曜日は固定で在宅の仕事をいれてある。

「え?行かないの」的な言葉が彼の口からポロリ。
(あまりちゃんと覚えてないのですが💦)

聞いてびっくり。
3年前、入院した時は私は一人で行ったし、
その前の本人の入院も一人で行けるって言って、
後から息子が荷物を持っていったような。
今回は何日間の入院になるかわからないけど、
そんなにたくさん荷物を持って行くわけでもないし、
と私は思っていたんだけど、荷物を持ってついてきてほしかったのだろうか?
付き添ってくれると勝手に思ってたのか?
もしそうなら、言えばいいのにね。

当日朝になっても、用意する気配のない彼に
「洗面器要らないの?」とか「ティッシュボックス持って行かないの?」とか
いろいろ投げかけてみたけど「要るのかなぁ?」とか「荷物になる。買えばいい」とか、なんだかやる気のない感じ。
「タクシー呼んだの?」と聞くと「呼んで」と😅
なんだろうなー。

いろいろ言わなきゃいいんだろうけど、気になるからつい言ってしまう。
でも「バッグがない💦」とバタバタしてるので、だから言ってるじゃないとか思ってしまう。子どもか。
私にしてはそんなに重くもない荷物だけど、彼にしては重い荷なのだろうから、
タクシーまでは持って降りて、見送った。

で、いまだ連絡はない。
手術時間わかったら早く教えてねと言ってあるのだけど、
まだ決まっていないのか。状況だけでも教えてもらえると安心するんだけどな。

今日は自分のペースで何でもできるので、
なんだか時間をもてあまし(笑)
見れてなかった録画を見たり。
こうして徐々に、2人だったり1人だったりという時間を、普通に過ごすようになるんだなぁ。
まだ2人暮らしに慣れ切っていないからか、いきなり1人だなーって感じの夜。

お薬を飲むのにお湯を冷ます間にちょろっと書こうと思ったくらいの、
あまり内容のない文章でした。

今日のうちに寝れるかな。おやすみなさい。


感覚・感触・直感 2021.4.19

今日の夢には、久しぶりに祖母が出てきた。

場面は住んでいた家ではなかった。
別件で試行錯誤してうまくいかず、どうしたものかと思っていたところで、
気持ちもいまいちな状態の時に、
祖母が魚を蒸していた。台所は祖父母の家だった。
私にも魚に塩をして蒸し器の中にいれるよう、祖母は促す。

言われるままに蒸し器をあけると、蒸しあがった魚のふわーっといい香りがする。
それまではあまり食欲がなくて心も動かなかったのに、
美味しそうだ!と思った。心が動いた。そして体もやっと目覚めた感があった。

そう言えば、と口の中に手を突っ込むと、
生肉のようなものがつるつると出てくる
千と千尋みたいな絵で想像してください(笑))。
「ああ、ちゃんと消化ができないままに、無理して食べてたのかもな」
と夢の中で思う。

現実が夢の中でメタファー化されたもののような気がする。
でもなんで魚だったんだろう。おばあちゃん~。


あの湯気と香りだけがものすごく強烈だった。

肉ではなく魚を、生ではなく加工しておいしく。
わかるようでわからない。でもニュアンスはわかる。
気づきとして、頭の片隅に置いておこう。

==
又も、ゾロ目を見ることが増えてきた。
このところは1111が多い。
2222は昨日も今日も見た。
こんなのはこれまで生きてきて初めてだ。今年は何かが違う。

見るのは4桁が多くなってきた。
メッセージをみるに、3桁よりももっと勇気を出せということのよう。
ここまで見せられると、みえないものたちに押されているような気もするけれど、
あんまり実感がないのも事実。

ああ、また頭を使ってこねくり回して考えている。
感覚、感性で受け取ってから、加工しなきゃだ。

==
今日はおいなりさんが作りたくなってしまい、衝動的に作った。

新聞にはお稲荷さんのレシピは載ってるし、
生協からお揚げは届くし、作りなさいと言うことだよねと解釈した。
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私は体調が芳しくないと、酢飯が食べたくなる。
生物的な欲求という感じではあるけど、
おそらくは、小さい頃からの「何かあると酢飯」という、
行事的なものからの刷り込みであるような気はする。

まあなんでもいいんだけど、食べたい時に食べたいものを。

息子を送り出した時には面高寿司。
明後日の夫の入院に向けてはおいなりさん。
ということにしておこう。

子どもたちもそれぞれ電話をしてくれた。
いい子たち。

そういえば、こないだお稲荷さん(神社)にご挨拶したばかり。
今日のおいなりさんとはつながっているのかな。


もろもろいいご縁が繋がりますように。



直感に従ってみる 2021.4.17

昨日は予定もあったのだけど、それに向かうまでの行程は
全てふとした直感に従って動いた。

バスの時間を見ずにバス停に行くと、いい感じでバスが来る。
直行は確か1時間後くらいしかないので乗って、
途中で乗り換えをしたら、これまたいい感じでバスが来る。
最寄りバス停まで行けるバス。

バスの中で、私がたまに見返して自分の生き方を確認している「玉手箱」の文章を久しぶりに読み返した。
ねばならないを優先して自分らしい無邪気なところを押し殺してしまうと、
自分の中の子が拗ねちゃう。自己犠牲せずに大事にしてあげること。
これが私のテーマ。

私のような、誰かのためについ動いてしまいがちな人は、
それも自分の喜びではあるのだけど、私自身の欲を置いてけぼりにするところがある。その時は無意識なので気づきにくい。
だからこうして、ふと来るメッセージみたいな直感のままに動いてみると、
思った以上にうまくことが進んだり新しい発見があったりする。

バスの中で玉手箱読んで、そうだよなと思い返す。
このタイミングで読むというのも、直感に従った故だ。

今日は腹部エコー。検査の30分前に着いたが、予定時間前に検査イン。
思った以上に早く終わったので、息子の書類を取りに息子娘の母校に向かう。

うちの近くではもう終わってしまった八重桜とあやめ?に出会えて、
私の中の子どもちゃんが大喜び。

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ここまできたらと、友人の娘ちゃんが働いているお店に寄ってみる。
と、サーブしてくれたのが彼女。
声をかけて少し会話。
聞けば勤務時間ギリギリだったらしい。これもタイミングが良かった😊

友人は遠方にいるので、彼女が働いている姿が見たいだろうと思い、
本人に許可を得て写真を撮って送る。
喜んでもらえたよう。よかった。

窓からこんもりした木が見える。神社のようだ。
気になるけど、向こうまで行くと帰りのバスに間に合わないから今日は無理だな〜と思いながら、店を出る。バスの時間まで15分ほど。

大通りを渡るのに、信号がちょうど青になりいつもと違う横断歩道を渡った。
方向的にこっちだなと入った道に、またこんもりした木々が見える。
そして赤い鳥居が並んでいる⛩
お稲荷さんだ。こんなところに。

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延べ5年以上通った土地なのにこの道は通ったことがなかった。
鳥居の前でご挨拶をして中に入る。本殿と摂社さんにお参りした。
現世利益として何を願うかというと自分が素直に望む欲、
浮かんでくる欲を願うしかない。
お参りした後、バス停に急ぐとこれまたぴしゃっと直行のバスが来た🚌

物語のような今日の流れ。心は穏やかながらにわくわくする。
夜はフィギュア男子を見て美しい技の連発に語彙力を失い、織田くんの涙にほろり。

最後には衝撃のまたか!があったけど、
この流れであるならば今悪いことではない気がしている。

善悪での解釈ではなく、自分の望む意味づけに。