ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

自分だけで自分を観るのは難しい 21.5.19

一週間に1回くらいの頻度の投稿になると、その間はまああれこれあるから何を書くか選択するのに時間がかかってしまって、結局かけないみたいなこともあります(笑)

何が合ったっけ?って考えると、大したことないなとも思うのですが、
でもそのひとつひとつにどう感じたかとか、それから何を思ったかとか、
そういうことが実は結構大切だったりもします。

本当はそれらをちゃんと言葉にして向き合うためにこの場を作ったはずなのですが、
書くことに追われると本末転倒にもなり。
難しいものです。

ここ数週間は、精神的にも肉体的にもあまりいいとは言えない状況。
これは、コップに水が半分入っている状況を「水が半分入っている」と思うか「半分しか入っていない」と思うかという、視座視点の問題だと思うのです。
状況がよくないと後者の見方になりがち。

今日は、ヨガの日だったのでその前に整骨院の予約を入れて、調整してもらった。
ここのところの私の体調は、右肩のひどい痛みと腰の痛み、おなかの硬さがメインにあります。
右肩の原因は複雑にあるようだけど、主原因はマウス。壊れて、古いのを出してきて使ってかっているがこれがでかくて、右腕に大きく負担になっている。
買い換えればいいんだけど、今金欠なので悩むところ。
おなかからきている説もあり。
おなかは季節性だと思っていたけど、それに加えて不安から来る自律神経の不安定も原因にあるような気が。
睡眠にもちょっと不具合が生じてきていて。

ということで、整骨院に行ったのですが、
微妙に調整してもらって、上向きになりました。
全ての痛みがなくなるわけではないのだけど、
「あれ?ここの痛みなくなってる」と思ったり。
痛みを感じなくなればいいなと思って生きてきているけど、
痛みがあるのは理由があると思うんですよね。
体の声なのだから、聞いてあげないと。
あ、聞いてあげないとと断定的に書いたけど、
これには人によって差があると思います。
痛みを超越することを美としている方や
何等かチャレンジしている方もいらっしゃると思うので、
人それぞれこの世で学ぶべきものやミッションを持って生まれてきている、
それに即して生きればいいとは思います。

で、私の場合、体の声を聞かないふりをしてきたのは私で、
ほんとは聞いてほしいのに行動としては無視してきたそのねじれが、
若い時にはどうにかごまかせていたものが今はごまかせなくなってきて、
ねじれたままでいくのか、体の声を素直にきくかを迫られている。
素直にきけばいいのに、小さい頃にすねたきいろちゃんが、まだフォローされていないのでうまくあやさせてくれなくて、体とインナーチャイルドとどっちもの面倒をみなくちゃいけない私自身も疲れ果てている、という状態。

で、外部の手です。頼るのは。
自分では手が届かないところに手を差し伸べてくれるのが他者。
整骨院の方であったり、意見をくれる他者であったり。
渦中に嵌っている自分では見えないところは、鏡をみないとみえないわけだから。

整骨院の後はヨガ。
ヨガって不思議で、先生のナビで自分で主体的に体を動かしているのだけど、段々フローに入ってきて、気持ちよくなってきてボーっと言われるままに体を動かしている自分に気づきます。
一種の瞑想状態。これがいいのでしょう。
あれ、もう1時間という感じで終わる。
考えずに体を動かす時間って、大事。
週1じゃちょっと少ない感じはあるけど、しないよりいいかなって。
後はどう増やすかですかね。

スケジュール化が苦手です。

ついでに、ですます調で書くと、どうも自分の思いをうまく言葉に乗せにくいので、
今日の投稿は失敗したなと思うわけです、はい。

で、痛みは我慢しないのがいいと思うので、
「痛み止めを飲むことを躊躇しない」を頭の中にいれて今日は寝ます。
自分を大事にするって難しい。

おやすみなさい。