ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

身体の切り替え期 2023.4.4

2日間寝込みました。

昨日は起きたらもう寒けがして、そして眠気も取れずぐったり。
そのうち寒気がしてきたので「花冷え」ってやつかなぁと思っていたのですが、
息子に「熱を測りなさい」と言われ、「熱はない」と言いながら一応検温。
6度7分くらいしかないけど、平熱がそこまで高くない私にしては、ちょびっと何かが反応している感じはあります。

私はこういう状態の時が結構あります。
どこが痛いということはないけど、体が疲れを訴えているみたい。
今回はとにかく寒気が強くて、葛根湯を2袋白湯に溶かして飲んで、着る毛布を着込んでじーっとしていました。とにかく体がだるく、何もしたくないんです。
前日は、運動のために外に出ようかと思っていたくらいなのに、
もう全くそういう気がしません💦

夫にも荷物を届けないといけないのに、そんな気分になれずに無理もできない感じもして、息子にその任はお願いしました。
そのうち、お腹が空いて空いて仕方なくなってきて、ココアを入れて、ベランダの暖かいところに行き、買い置きしてたゴボウのお煎餅をぼりぼり食べていました。
自分で能動的にやったのはそのくらい。
ご飯も息子にお願いして作ってもらいました。助かるー。
水をガブガブ飲みました。冷えない程度に。

さて今日2日目。目が覚めると朝から同じように不調。
もう観念して体の赴くまま。
歯医者の予定もキャンセル。診察券を出して電話をかける、そのくらいのことが妙にきつい。キャンセルするのは申し訳ない気持ちもあるけど、今の私にあの歯医者の治療に耐えれるだけの力はありません💦
電話をしたら、いつもと声色が違うのか、本人確認をされました。私です笑

風邪の時のあのだるさと同じ感覚。
今日は昼過ぎに、フーッと寒気が抜けて、汗がじんわり。
おおっ!と喜んでタオルで汗を拭き、着替えました。
風邪があけたような感じがしたけど、また状態は戻り。
でも少し深呼吸ができるようになってきたので、
きっと今日はご飯は作れることでしょう。
昨日はお風呂も入れなかったので、今日こそは入れることでしょう。
希望だけは持って。


なんでこんなことをたらたら書いているかというと、
もやもやした思いを言葉にしないと、どうも消化・昇華しないんですね、私。
出してしまうためにここに書いてみています。
かけるようになっただけ、少し体調は戻っています。
タイピングはキツくないから。(ベッドの上でノートPCで書いてます)

季節性のものはあるのだろうけど、
私の中には鬱憤みたいなものがやっぱり溜まっているのだろうと思います。
体の中にも心の中にも。
花見だけではすっきりしない何かがあって、体にも無理させているような気が。

先日、弟が私に「そんな気にもならないかもだけど、気晴らししたら」と言っていたんですが、
確かにそうなんですよね。
映画や展覧会も行きたいものはあるんです。でも、そんな気にならない。

たまにすこーしだけ気分がガッと上がる瞬間があるんですが、
日々SNS見たり、推しの動画を見たりして、その一瞬は時空を越える時があるんですが、自分とは繋がっていないので持続性がありません。
私の自己肯定感や幸福感を上げるスイッチはどこに埋もれてしまっているのでしょう。

教授の訃報もつらい出来事の一つです。
自分とは繋がっていないようで、でも彼の音楽は私の青春時代に色こく影響を与えてくれたので。やっぱり繋がっている。
YMOを狂ったように聴いている時代がありました。

つくづく、人は体だけで生きているわけではないと思い知らされます。
逆に精神だけでも生きられないわけで、バランスをとりながら生きていくことが、
人間として生を受けた以上、唯一学ぶべきことなのかもしれませんね。
とりあえず不調な時には、そこを考えても仕方がないので、
できるだけ白旗をあげて体の赴くままに宥めることをしていこうと思います。

気晴らしも健康を保つためのこと。
気が向かないなら行かなくてもいいとは思うのですが、もう少し私は心を開いたほうがいいのかも。

ふとここまで書いて、
この不調は、身体の切り替えのためなのかもしれないと思い始めました。
原因はいろいろあるのだろうし、一番は私の敏感なHSP的身体の反応が考えられるのですが、なんにしても四季のあるこの日本で生きているので、季節ごとの身体の切り替えは必要な儀式なのかもしれません。
身体も心もふんわり生きたいものです。