ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

Love Myself 2021.12.19

いろんなことがあると、頭が混乱します。
頭もだけど心も。
いいことだといっぱいあってもさほど気にもならないのですが、
ダメージがある系のものは、整理をしたり捨てたりしないと余白が生まれません。

世の中には情報が多すぎるから、
特に私のような過敏性の人は、
ダメージ系のエネルギーに強く反応してしまうところがあります。
反応してもいいのですが、そこにとらわれすぎると時間と体力を奪われます。

それでなくても、自分のことがまだ未整理の状態であれば余計に混乱するので、
まず、「自分と他者の線引きをする」。これが一番大事。

もちろん、「誰かのために」は、自分の力をそれ以上に引き出してくれるパワーがあります。
でもそれは、自分という芯があるからこそできること。
自分不在で、他者のためにとやっていたら、
いつかは自分から「なんで人のためばかりやってるの?」ってお尋ねがやってきます。

~~
このところの自分は、どうしても体の不調に目がいってしまって、頭の中が飽和状態であることが続いていました。
身体が不調なことは、もう小さい頃から続いています。
中学になって部活を始めてからは、随分改善しました。
やはり体力がつくと、ある程度は動けるようになるのですね。
若いということもありました。
とはいえ、その頃も相変わらずいろんな病気をしました。
そしてそれらは原因がわからないことが多くありました。

体調が悪くなることは私が意図していたことではないのに、
自分も不調で辛いのに、周りからも随分と否定の言葉をかけられます。
そのうちどこかで私はそれを使い始めました。
どうせなら、いやなことを回避することに使ってしまおうと。
その時は全く自覚はないんですよ。
でも今振り返ってみると、おそらく自分の無意識の部分で、
それをやってしまっていたように思います。全部が全部ではないと思いますが。

長年のそういう体質は、なかなかすぐには変えられません。
でも、私も大人になって子を持って、子たちが巣立っていくなかで、
やっと自分に目がむけられると、いう時になってきました。(遅い💦)

で、そういう状態になったことを、おそらく体や心がビビってるんですよね。
いよいよ本腰入れなきゃというのは、何年も前からやってきてて、
4年前には大きな症状も出て、このまま死ぬかもと思った、
そんな状況も経たのに、だからといって1が100にはならんのです。
今どの辺にいるのかもわからないし、自律神経の波のように50から80位に上がっていくときもあるし、ひゅーんと30位に落ちてる時もある。
今は50くらいかな~。

ここ数週間くらいは30位でした。
身体がそういう感じだったし、そこに引っ張られて心が落ちていくのがわかりました。
身体を復活させようにも、そこがうまくいかない。
必死に今やらねばならないことだけをやって、どうにか保つ日々でした。
ここに書く文章も、歯切れが悪くて、書くのに時間もかかりました。
なら書かなければいいとも思いましたが、
アウトプットしないと余計に自分の闇に落ちていきそうな気がしたので、
書くことだけは続けていました。そのためのこの場所なので。
読んでくださっている方には、読後感はあまりよろしくなかったと思います。。。

先日、定期健診でF先生とお話しました。
前回の検診の後1週間も持たずに体調を崩してしまったので、
前回よりも体調の自己評価は著しく悪い状態です。

F先生とは、「いかに今をよくするか」を話します。
原因追及はしません。ある程度の原因はわかっているから。
そしてそこを解決しても、身体が良くなるわけではないこともわかっているから。

とはいえ対処療法でもありません。これは自分の身を護る、愛する方法なんですよね。私はそう解釈しています。

痛みは我慢しない。痛み止めを使う。
この数週間はおなかにきつつあったので、取り置きしていたおなかのお薬を使っていました。それを追加。
以前出してもらったのは、2年半前。
(ということは、この薬は2年半前のもの💦まあ賞味期限は過ぎてるけど消費期限は越してなかったということで。いや越してるんですけど、効いてるのでよしですw←良い子は真似しちゃダメです。体調と場合によりで工夫しましょう)

これも考えようで、「2年半使ってなかったのにまた使う羽目になってしまった」と思うのか「合う薬があってよかった。このタイミングでまた出してもらえたら年末年始は安心できる」と思うのか。
今回の私は後者の思考を持つことができました。
そして、その症状がこの病気であることを発見してくれたT先生のお顔をちらっとみかけることができたのが嬉しかったなぁ。
(声はかけきれず、遠くから観音様に手を合わせるような感じでした( ´艸`))

閑話休題

自分を俯瞰することができる状態に持って行く。これが大事だとF先生も言われます。
痛かったりつらい時にはそれはできない。だからその状態から一時的に逃げることが大事。
物理的に嫌なことから身を遠ざけるということでもあり、
また身体の中の不調なら、それを回避するために薬を使い、不調をまずは落ち着かせないと次に行けないのです。
まずは身体へのアプローチ。そして心へです。

自分を大事にすること=LOVE MYSELFが一番大事だと私は思ってるのですが、
これって育ち方や環境、経験によって育まれ方がそれぞれ違います。
私の特徴であるセンシティブさは、元々からあった性質なのか、生を受けてからの後付けなのか、はっきりとはわかりませんが、(専門家の本には5人に1人は生まれつきHSPと書かれています。私はおなかの中にいた頃からおそらく、という自覚はあります)
そこもある種自分の意味づけなのかもしれないと思うんです。
単純に言えば、私はLOVE MYSELFを自分で育むことができずに大人になってしまった類です。

子が育つには、自由と愛と自然が必要だと言われます。
他者から与えられることも必要だし、自分で育む(求める)ことも必要です。
子どもの場合は、他者から与えられることで安心して自分も与えたり求めたりすることができるようになるのではないかと思うんです。

ただこどもですから、子どもの解釈の中で「与えられてない!」とか「安心できない」と思い込んでしまうと、そこから拗らせてしまうことが多いようにも感じます。
想像の中での幼い自分は、子どもだから非力で何もできないことを憂い、自分を責めているようなところがあったように思います。
母や父に甘えたいのにいいこでいなければと、大人に忖度をしていたような子どもでした。
結果、自己肯定感が非常に低い子どもが出来上がります。
その癖、プライドだけはなぜか高い笑
そういうのは子どもの育ち方として当たり前だと思っていましたが、大人になるとそうではない、いろいろな育ち方をしている人たちがいておどろきました。

私が幼い頃に得た教訓は、「迷惑をかけないように生きる」でした。
当時の私にとっては、それは処世術でした。「迷惑をかけないようにすれば平穏だ」。
どんな生き方をしてもいいと思うのですが、この人に迷惑をかけない生き方というのは意外と難しいことです。
迷惑をかけないようにと思いつつ、私が親の愛を手に入れるには、おそらく病気という手を使わないといけなかったのです。それしかその時の私には手立てがなかったんですね。で、結局迷惑をかけてしまう。
自分が嫌になる。

「だっこして!」と泣き叫べば親は来てくれる。でもすぐに仕事に戻っていく。
仕事しないと食べていけないから。
親が苦労していることを子どもは敏感に察知します。だから無理が言えない。
でも子の本心は抱っこしてほしいし、もっとゆっくり一緒に居て欲しい。愛されているという実感が欲しい。
なのにそれが得られないと思う気持ちは、そりゃ病気になるよな、と
大人の私は思います。
そういう癖がついているところを「方向性を変える」というのは、
表面的にはできます。思考的にもそっちの方がいいというのはわかります。
どの道を行くにしても、どっちでもいいけど、自分はどちらを選ぶんだということでいくなら、理性的には「結果自分が気持ちのいい方を選ぶのがいい」というのはわかります。

ただし、どこかでまだ残っている愛されたい的な思いを自分の中で消化・昇華させないと、本心は「だって愛されたいんだもん」なので、その愛される方法を潜在意識が導いた病気をする/体調を悪くするという行動は的確なんですよね。

子どもの頃は愛されたい対象は親でした。
今はきっと自分自身なんですよね。

自己愛が足りない。自分で自分を満たすというのはなんと難しいことでしょう。
好きなことを十分するだけでは満たされません(個人差アリだと思います)。

自分が何を望んできたか、望んでいるのか、
自分を知るには、まずはやはり自分の体の感覚からなんですよね。
頭でばかり考えて解決しようとしたところで、心はついていきません。

あったかい、おいしい、いい香り、、、自分の「快」を認識していくこと。
そのためには「不快」を感じることも必要かもしれません。「これじゃない」と選んでいくことも自分のこたえにたどり着く大きなヒントですから。

自分で満たしていくしか、自分自身を愛することの術は今のところみつかっていません。
そして自分を知ること、観ること。
判断せずに、「ああ、今の自分はそうなんだな」「そう思っているんだな」とただ見つめること。
これは結構難しいんです。

先日F先生にお伝えしたんです。
「症状を抑えるのに必死で、それに時間もパワーも費やされてしまって、疲れ果てるんです」と。
すると、上記のようなことを言われ、ああ、そうかと思いました。
それは私は何度も本で読んで知っていたことでした。でも自分の今の状態とリンクしていなかった。
心がそれを拒否していたのかもしれません。
だって症状は「愛されたい私」から出ているものだろうから。
そこを私が受け止めていないから、症状として出るんだろうなとも。

これ、結構難しいところで、(「結構難しい」を連発していますがほんとにそうなんです💦)
全部が全部私の思いを受け止めていないから症状が出る→全部私が悪い
となるとやぶへびで、
単なる風邪を引いた、なんていうのもあるわけですよね。
それは単に体の理由なわけです。
わたしのせいではない。

だからケースバイケースなわけです。
その辺はまたうまくいいように思っていけばいいのかなと思います。
この数週間調子が悪かったのも、正直なところ、風邪なんです。
気温がグッと下がった時に、歯列矯正の余波で、また鼻が詰まっていたこともあって口呼吸で寝ていた時期があって。
喉風邪をこじらせてしまいました。
そういうのは、心じゃどうしようもない。

でもそこからもっと悪化させたのは、心が問題かもしれません。
「ああ、またか~」と自分を責めた。そりゃそうです、もう長年、すぐこじらせる身体と一緒に生きているわけですから、愚痴も言いたくなる。
でもきっと体も心も愚痴が言いたいんだろうなとも思います。口がないから言えないストレスがこうして病気やらなんやらになってもおかしくない。


F先生に「観方」をお聞きしました。
「脳には大脳新皮質と大脳旧皮質(大脳辺縁系)があります。
新皮質は理性的論理的抑制的な脳、旧皮質(脳辺縁系)は本能や感情の脳。
自分を観る場合は、新皮質を使うようにすること。
感情を司る旧皮質は、とりあえずお休みしてもらう。」

そう先生は言われます。これも前から何度もお聞きしている話です。

今うまくいっていないのは、
自分の中の愛欲求とか不安だとか心配事だとか、そういうことに対して判断している自分がいるから。
自信がないというのが今の一番かもしれません。

体に自信がない(体調を保てない)→役に立てない→自分はこれができますというアピールができない→役に立てない私は価値がない→自信なくなる→ますます体調保てなくなる・・・

みたいなループ。

こういうマイナスな判断を、払しょくしたい。
判断は+ならいいかなとも思ったりもしますが、まずは「判断しない」を目標に、
とりあえずこの12月を乗り切ろうと思います。

身体に不調がきても、自分を嘆くことはちょっと横に置いて、
先ずは不調を取り除く処置をして、自分を安心させてあげようと思います。
そして「観る」。感じる、もあってもいいのかも。

私よりも私を大事にしてくれる存在はいないから、
私が私のために本気で動く。
そこを本気で実感しないとな。
そうしないと大切な誰かを守れない。

今日は長々と書きました。ここまで書く気はなかったんですが、
今日は不穏な空気があったので、引きずられないようにここでちゃんと自己を持とうと思ったんです。テレビのニュースやネット上の情報も、たくさんの人の行動や思いはどんどん私たちに影響を与えます。
私のような気質は、それを過敏に受け取りすぎないようにしないといけません。

年末忙しくなる前に、この機会が取れてよかった。

ということで5千字オーバーで、一日BTSに突入するのか???

【一日1BTS】72 Answer : Love Myself

前にも取り上げてますが、今日はこの話題なのでこの曲しかない。
何回聞いても泣けます。
答えはLove Myselfなんですよね。許可なんていらない。

BTSに出会えて本当に救われています。
音で声で私の心に染み込ませてくれるという、私の満たし方もあるのかもしれません。
他者の力を借りることは大いにありですね、こういう形で。

www.youtube.com