ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

子が大人になる時 2021.6.11

f:id:miww55:20210612000854j:image

紫陽花。大振りの紫陽花が目をひきます。

 

前回書いたショックなことは、全貌がわかり、原因もわかり、
かつ担当さんが非常に寄り添ってくださる方で、対応もしてくださって、
結果ALLOKとなりました。ほんとによかった!

が、その原因を引き起こした本人である息子には、
事実を伝える必要がある。
責める言い方は絶対にアウトなので、
まずは状況確認からさせてね、と話をするも、
「そんなんしらん」「ぼくにはわからん」「はいはい」
9分でブツンと電話をきりやがるーー;
こどもだなー。

それはそうと、もう一種類書類を出さねばならない。
でも、ここでこちらから刺激を与えると逆効果だなと思い、
様子をみていた。
私は私で準備をしていると、
息子からチャットが入る。
「〇〇××者って誰?」

おっ、少し落ち着いたかな。
ちゃんと書類を書く気になっているようだ。
なので、返事をする。
何度かそういう往復をすると、
ある程度形になってきたので、その日は終了。

まあ、自分がわからないことで、至らなかったこと、間違えてしまったことは、
どうすればいいかもわからないし、責められているような気にもなるのだろう。

私も、今の自分だから何をどこにどんな風に聞けばいいのかの察しはつくというのもある。
今は時代的にもどこもとても複雑になっているし、
今どきの子どもたちは、それらに耐性がないのが事実。
他の人はやっている、というセリフも
事実ではあるけれど、酷なんだよね。

とはいえ彼の甘さは、締め切りは後の日付でいいと読み違ったことにあるので、
その事実を受け止めなくては、失敗から学ぶことができない。
彼の性格的に、逃げる方向に向きがちなので、
無理に投げてやらせるよりは、一緒にやっていったほうがいいのかもしれない。

こういう時には、一緒に暮らしていないというのは、
いい方に働きそうな気がする。
なんだかんだ、やっぱり手をかけてきてしまったから、
少しずつ自立してもらわねばと思うのだった。

===
昨日は、娘が家を出て丸7年だったようだ。
FBさんが教えてくれた。

娘の時の経験があるので、息子の今回は1/100くらいマシ。
娘が高校の時は、私も戦闘態勢で臨んでいたので、
バチバチにやっていて、お互いに暗黒時代だった気がする。
息子はそういうのを見ていたからなおさら、
出張りたくないのかもしれない。

娘にメッセで「7年目らしいよ」と送ると、
「丸7年ね」と帰ってきた。
そして「やっと最近大人になったなって思った」とも。

現在、25歳のむすめ。
18歳で家を出て、彼氏のご実家にお世話になることになった。
その時から家族同然に迎えてもらい、
姉家族とも一緒の大家族の中で、
ゆっくり大人にならせてもらったのだろう。
ありがたいことだ。

一昨年、彼と入籍することになり、
やっと二人で別に居を構えて1年半を過ぎた。
仕事も中堅としてやれるようになって、
大人になった実感があるようだ。

物理的に、家を出るということは、
巣立ちを実感する機会が持てるということだ。
自分も振り返ればそうだったなと思う。
その時には、目の前のことに必死で、自分の理想を追うことに必死で、
家族のことは考えているようで考えていなかったのかもしれない。

父親が生きていれば、また違ったような気もするが、
母も祖父母も、私の行動を止めたりはしなかった。
はらはらしながらも、見ていてくれたのだろうと思う。

手を出さずに見守る側の順番が、回ってきたのだな。
そしてもうすこしすると、見守られる順番になっていくのだろう。

子どもは、親から離れて外の世界を知っていく。
そのスピードはそれぞれ。
まだ手放しできないちゃんもいるけれど、
まだ見守れる側でいられることを喜んでおこう。