”疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。”
というのは、私がお気に入りに入れているブログの毎回の冒頭の一文だけど、
もうこれが、私たちの日常の中で、1年以上も続いているのだなと思うと、
なんともやるせない気持ちになっている。
コロナにはなりたくない。
体力があまりないことを自認している自分には、かかった時の体自体のダメージはもちろんだけど、そこに輪をかけて心のダメージが大きそうだからだ。
今はまだ一生懸命手洗いやっているので、かかる時にはかかるのだろうし、
仕方がないが、これ以上外出をしないとか言ってられない状況だ。
仕事はできるだけ在宅ベースにしている。
これは、今回のコロナ禍を理由にしているけど、実は在宅の方が仕事がしやすいからだ。
自分のPCで大きな画面で仕事をする方がはかどる。
特にZOOMのようなオンライン会議ツールでやり取りする系の仕事であれば、
物理的に小さな部屋を借りているような組織だとやりにくいだろうなと思う。
コロナになりたくない理由は、まだある。
ひとつは受験生がいること。もう受験が終わったので過去形になった。よかった。
もうひとつは家族に基礎疾患者がいること。
これは結構大きい。
大きいが故に、これまでいろいろの出ごとにはびくびくしていた。
会食系のお誘いもあまりなかったし、そもそもあまり行く気もしていなかったので
心理的負担はなかったが、
卒業生を送り出す時のイベントだけは行こうと思っていた。
そして実際に行った。
そこで出たかみおしぼりがぱっさぱさだったので、
除菌シートを取り出して拭いたりしていた。一応対策。
今日は、息子の小学校時代のサッカーチームの子たちと監督のところに卒業&進路報告。久しぶりに会う子たちは大きくなっていた。
終わった後にファミレスでごはん。
受験生の母が終わった母たちは、その労をねぎらいながらこの一年の話を。
みんな頑張ったんだなぁとしみじみする。
子たちはほぼゲームに興じている。
そして、その中の一人、息子の幼馴染のSくんはまたうちにお泊りだ。
明日は弟と息子と3人で食事。
その前には息子の片道切符を買いに街に出る。
息子の大学からは「入寮までの2週間は、家族以外との会食やカラオケ等、感染リスクの高い行動を控えていただき・・云々」という文章がきている。
備えあれば患いなしはそうだ。基本的に私はそっちの人間ではある。
でも、どこまでそれをするのかというとはなはだ疑問。
精神の健康の維持のためには、ある程度の人との交流は必要になる。
それができない故で結果的に免疫低下だってありえる話だ。
出れば不安だし、出なければもんもんとする。
体調と相談をしながら、自分でできるだけの対応をして出るしかないのだろう。
文章に書いてしまうと、至極当たり前のことではあるが、
人の心は揺れるのである。
ツイッターにこんな投稿があった。
癌の80歳台患者さんが退院したいと騒いでいるので病棟に行く。とにかくこの週末に出たいんだと。治療はよく効いて喜んでた方だったので、人払いして、何か失礼なことがありましたか、と質問。患者さん涙目で答えて曰く、『桜が満開になっちゃった』と。
— 神崎 周@内科医/小説書きshu.kanzaki (@zCBiwsEqKlObzi7) March 26, 2021
確かに、そりゃ一大事。早めに退院整えます。
一大事ですよ。桜。
心だって大事です。
もしかかっちゃったら、相当嫌だけど、
嫌なのは、先出の理由だけじゃなくて、
実は世間の声が怖いから、が一番なのだろうと思う。
なんでこんな時に、なんて言われたくない。
自分でも、あの時やめておけばとか思いたくない。
そんな心配ばっかりで、この命の大切な時間を無駄に過ごすのが嫌だ。
それでなくても、息子が家を出るまでのカウントダウンは進んでいる。あと5日。
毎日を健やかに過ごしたい。にこやかに彼を送り出したい。
そして私は自由に書きたいし、自由に動きたい。