このところ、びみょーな体調でした。
痛いとか苦しいとかじゃないけれど、不安定。
心がではなく、体がどうもすっきりしない感がある。
そういえば、すかっと早寝ができなくなった。
そして朝シャキッと起きれなくなった。
それにも何か理由があるのだろうとは思ってはいたけれど、
その理由はわからない。
一昨日、週1のヨガに行き、まあまあ普通にレッスンして、
買い物をして帰ってきたら、右肩が妙に痛い。
触ってみると、ボコッと骨が出ている。左と比べて明らかに突き出ている。
そして妙に肩が前に巻いている。
これは四十肩とか五十肩的なものではないなとは思った。
でも、じゃあ何が原因なのかはさっぱり見当がつかない。
ヨガの時になにか無理な姿勢をしたかというと、まったく覚えがない。
でも、痛い。下に下げているとより痛いので、
少し浮かした姿勢にすると少しはよい。
なんだろう。痛いので息子に湿布を貼ってもらった。
息子にぼこをみてもらうと、「うわ!すごく出てる!」
「明らかに右と左は違う」「腫瘍じゃないの?早く病院いかな」
と矢継ぎ早に言われてしまう。
腫瘍とは思わないけど、まあ可能性ゼロとは言い切れない。
ともかく痛いのが治ればいいのだ。
翌日、ヨガスタジオ併設の(というかヨガスタジオが併設の)
整骨院に予約を入れて診てもらった。
「ここが昨日の夕方から痛み出して」とみてもらう。
「ああ、確かに右と左の高さが全然違いますね。前に巻いてもいますね」と先生。
そして軽く首から頸椎を押していく。全部痛いが、特に背中の方が痛い。
一旦首、肩、背中、腰に電気を当てて、筋肉を柔らかくする。
そして一つ一つの部位をチェックしてもらう。
「背中の頸椎からきてるみたいですね」と先生。
なんかした記憶はないんですけど。
「寝る時どうやって寝ます?」と聞かれる。
「うーん。基本的にはあおむけですけど、そういえば最近気づいたら横向きに寝てたとかいうのはあります」
「寝返りを打つ時に、普通は頸椎がきれいに滑って肩も一緒についていくところが、頸椎が硬くなっていて動かずに、肩だけ動いていったかもしれませんね。そこで負担がかかっている。」
え~。
「寝てるときには防ぎようがないですからね。広々としたところで寝るといいんですけど。」
言われてみれば、ここ数日、毛布や布団でプロテクトして寝るという感じは確かに続いている。でもなあ。
「じゃ仰向けに寝てください」と言われ、うつ伏せからあおむけになる。
首をじわじわと緩めてくれる。
これは自分じゃ絶対できない技だ。
「そういえば、前に来られた時にはどこが痛かったんですか?」と聞かれる。
11月末に9か月ぶりくらいに診てもらったのだった。
えっと、、なんでだっけ???
痛くなくなると忘れてしまう。
腰だったかな?腰は秋あたりから固くなりがちで、ぎっくり腰の経験が度々ある私は気をつけるようにはしている。
「うーん」と先生。
首をされている間に、ふと思い出した。
「あ、頭です。頭痛が酷くて首肩も痛くなったからでした」
「ああ、なるほど」
首が終わり、頭、こめかみ、頬骨とゆっくりマッサージ。
「そういえば、歯列矯正がきつくてですね。それが大きいかも」というと
「うん、それかもですね。どうも腰からというよりは、上からですもんね」と言われる。
ああ、そうか。
歯列矯正は2年2か月目。そろそろ終盤には差し掛かっているのだが、
調整日毎にぎゅーっとしめつけられるので、歯だけではなくいろんなところが影響を受けている。
でも、もうそれにも慣れてしまってきて、日常的にこんな風にいきなり肩の骨が突き出て痛くなるなんてことが起こるなんて。
でも、頸椎が固まるその原因は、、と辿るとそこに行きつくことはありえる。
シップ貼っても、痛みが消えないわけだ。
そこ自体は悪くないのだから。
結果的に首と顔を緩めてもらい、頸椎付近も調整してもらって、どうにか痛みは減った。
今に始まったことではないが、
どこかにひずみが来るとそれを調整しようとして体は頑張ってしまう。
すると無理がきてしまう。
当たり前だけど、それを私たちの体は敏感に感じて反応する。
が、それを自分の頭では知覚できない。
痛くなってから、専門家にみてもらい、やっと原因がわかる。
今のところは原因に対しての対処をすれば、落ち着くのでどうにかなっている。
その辺が今回割とスムーズにわかったので、ちょっとほっとした。
さすがI先生。
信頼している先生が近くにいてくれるというのはありがたいことだ。
そして、体操を教えてもらった。
壁に両手をついて、肩甲骨を寄せる動作を繰り返す。
痛気持ちよい。
こんな簡単なことでいいんだ。
とはいえ、やはり自分の体でも、体の声を聞くというのはとても大変なことだと思う。
専門知識がないと、私個人ではわからない。特に背面のような見えないところだとなおさらだ。
誰かの手や目が必要だ。
小さい頃から痛みとともにずっと生きてきたので、
ちょっとの痛みには我慢してしまう癖もついてしまっている。
だから、体はもっと強烈な痛みを与えてくる。
これはある意味体からのメッセージなのだとはわかってきたが、
どこから来るのかは、専門家の手を借りなければわからない。
でも逆に言うと、専門家の手を借りればわかることなのだ。
体の言葉の翻訳をしてくれる人は色々いる。
無理をしないことがベストではあるけれど、
歯列矯正のようなことをやってる間は特に、
我慢せずに他者にゆだねてもいいのかもしれない。
つくづく頑張りすぎてきたなと反省した。
朝眠くて起きれないことも、
自分を責めたり早起きできない自分にダメを出しつつあった。
でもこの頃は、それに自分がダメではないと自覚し、
本当にOKを出していくことが溶解になるんじゃないかという気がしている。
だから、寝たい時には寝る。私の体はそれを求めているということを否定しない。そう努めている。
からだがきついと言っている時には無理をしない。
もちろん仕事の場合は、そうも言っていられないが、
仕事を優先して来たら、こんな風になってしまった。
つくづく私は不器用だと思う。
でも、それが私の体だから仕方ない。
体も心も嘘をつきたくないのだろう、私自身、まるごと。
うまくやっている人はうらやましいが、
ここまできたら、もう振り切るしかない。
体の声を聞き、体が整わなければしない。
少しなら無理もするが、長丁場の無理はしない。
今はその訓練中。
いきたいところ、やりたいことはいろいろある。
でも、体が整うことを優先する。
もやっとするものには行かない。
ある程度の時間の期限を設けて、そこまでに体が整えば行く。
整わなければ日延べしたり仕切りなおしたりする。
そういう感じで、ここの所は過ごしている。
そうしていくと、心なしかすっきりするのだ。
今日もそんな感じで、やっと夕方に整って、
ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見に行けた。
夕方にしか整わない自分を厭わない。
全部やろうと思わない。
一つ光るものを得たら、他は手放す覚悟で。
(時間は有限だ)
そう思えるようになったら、ずいぶんと気が楽になった。
手放しすることが苦手だった。
数か月前から聞いている寝る前のマインドフルネスで、
大事にしているものもすべて手放すことを推奨される。
イヤなことや手放したいことだけでなく、
持ち続けたいものまで手放すというのはどういうことだろうかと
しばらくは理解できなかった。
だが、眠りのためにはそんなものは持つ必要はない。
眠るときまでそんな執着を持たずともよい。
持っていても持っていなくても、寝ている間に何かが変わることはないのだ。
であれば、身軽な方がよい。からっぽにして眠りの中にダイブできたら、
シンプルにすっきり気持ちよくなれる気がする。
といいつつ、午前3時を回ったわけですが笑
明日は何もない土曜日だからよいのです。
言葉は吐けるうちに吐いて。
体にも心にも余白を持って。
おやすみなさい。