ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

諸行無常 2023.3.28

時はずっと流れていて、一時とも同じものはないのですね。
それなのに、この時がずっと続くとなぜ私たちは思ってしまうのでしょう。
そういう思考はDNAにあるのでしょうか。

小難しいことをまた書いてますが、
まあそう思うようなことがありました。

夫が骨折をして救急搬送されました。
と、一言で書くとそういうことです。

が、彼の場合それだけでは済みません(By整形外科主治医)。

退院からまる2週間、大丈夫なのかなとビクビクしながらも、静かなひと時でした。
あれ?意外と大丈夫なのね。
こんな生活に慣れていくのかな、なんて思っていました。

日曜日の夜、いつものように大河ドラマを見ながら晩御飯を食べて、
食器を片付けようとした時に、
ことは起こりました。
本人曰く、テーブルと椅子の間に足が挟まって転けてしまったよう。
私は痛がる夫の様子を見ながら、割れた皿を回収し、拭き掃除。
しばらくしないと状況が掴めない。
頭は打っていないようなのは確認し、これで動けそうにないなら救急車に来てもらうしかないというのは、すぐに頭にありました。
おそらく折れているだろう、折れていなくてもかなりの打撲がありそうだし、
かなりの痛みは出るだろうとは予想。
本人の了解をとって、救急車を呼びました。
ーーーー
意外と私が慌てている。

私自身は大きな骨折は2度経験しているし、
その痛みがわかる。状況もわかる。
夫の骨折にも付き合ったことがある。同じように救急隊を呼んだこともある。
いわば経験済みのことばかりなので、体が覚えているはず。
なのに、なんでこんなにバクバクするんだろう。
いつもの救急搬送と苦しみ方が違うからなのか。
自分自身に違和感を感じつつ、準備をする。

最低限は、医療証とお薬手帳があれば問題はない。
お財布と携帯のバッテリーを掴んで、バッグに入れた。

お家に帰れるようなら、靴と上着
上着は救急隊の方に言われバッグに詰めたが、
靴を忘れた、杖も忘れた。
待ち時間用のイヤホンも本も忘れた。
その辺まで頭が回らなかった。

これまでの救急搬送時は、家で苦しんでいる時間が長かったのかもしれない。
私にあれこれ考える時間もあったのかもしれない。

息子はお風呂に入っていたので、
救急に連絡する前に伝えたら急いで上がってきた。

ーーー

ここまで書いてみたけど、
状況書いているとまた長くなりそうなので端折ります。(とかいたけど、自分の備忘録にもなるので書けるだけ書きます。なので以下長文)

いつもの救急病院に運んでもらい、処置。
痛がる夫。
外科的なものだから、痛み止めを使ってすぐ処置が済むと思っていたけど、なかなか呼ばれない。
21時すぎに救急車の中で時計を見た気がする。
待合室で待っている間、微かに叫び声がする。多分夫なのだろう。
あの調子ではレントゲンをとるなんていうのも難しいのかもしれない。
待合室のテレビ番組はもう何を見ているのかわからない。先ほどとは違う人たちが出ているので違うものが始まっているのだろうが、全く頭に入らない。
なぜか叫び声が大きく聞こえる気がして、思わず耳を塞ぎたくなる。
イヤホンを忘れたことをこんなにも後悔するなんて。

あ、また感情ばかりを書いてしまう💦

結局呼ばれたのは23時ごろ。
先生によると、強い痛み止めを使ってもなかなか効かないらしい。
点滴で入れるほうが効くのだけど、痛みが強すぎて末梢血管が小さくなりすぎててルートが取れないとのことだった。なんてかわいそうなの。
レントゲンやCTは撮れていた。ほっ。
様子を見ますか?とのことで、ベッドの脇に。
痛みの波がある。まるで陣痛。いやそれよりも刻む感じ。
頭や手をさすりながら、球に手を止めて入院のための書類を書く私。

途中で看護師さんが覗きにこられ「痛いよねぇ」と声をかけてくれます。
「波があるみたいで」というと
「それでも落ち着かれましたよ。波もありませんでしたから」とサラリ。
そうかぁ。いいほうなんだな。
さすが専門職。こういうのにはなれてらっしゃるのね。
私はなんども現場に当たってるけど慣れません。

眠くなる薬も随分入れてもらっていて、
少しずつ落ちつく矢印→の上にいることにホッとします。
「今のうちにベッドに移動しましょう」と看護師さんがベッドを持ってこられました。
落ち着けば、ECU病棟に入れるらしいんですが、もうちょっとかかりそう。
それでも今が状況よさそうだからって。そうなんだ。

私はまた待合室に移動になり、書類を書き、説明を受けたり荷物を受け取ったりして、
0時20分ごろに病棟に移動。
本人は少しうとうとしている。そのくらいがいい。
病棟の手前で手を握り、
「また済まんのう」「うん、とにかく治してね」と会話をして別れた。
それから30分ほど待ち、病棟の看護師さんからの説明を受けやっと帰宅に。
1時をすぎていた。

翌朝、本人から電話。
電話ができるほど回復しているのに驚き。
うまく薬が効いているのだろう。
動かず骨に神経が触らなければ、基本骨折は痛くはない(経験者談)はず。

入院の荷物届と主治医の先生からの説明の時間確認の電話だった。
16時半から17時と時間が決まり、入院道具の準備をして病院へ。

整形外科の主治医の先生がいうには、
手術すれば元に戻るかというとそうではないと。
夫の場合、手術にもリスクがある。合併症と言葉はよくきくと思うが、
夫が持病として持っている難病や心臓の機能が、今回の手術の刺激によって
症状を引き起こす可能性がないとは言い切れないそうだ。
かといって、手術をしなければ寝たきりになり、ベッドの上で寝返りさえ打てない。
そうなればその死亡リスクは、前者の4倍になるらしい。
今回、いろんな検査を経て、手術ができそうというので、
難しい手術になると言われたがお願いして同意書を書いてきた。

骨折の状態はというと、大腿骨の転子から下の方に向かって折れているらしく、
骨も薄くなっている。
運動していないんでしょうと言われたけど、
運動できる体ではない。
高齢者によくある骨折したら弱るという話とよく似ている。

病気を持つと、もちろん部署にもよるが、
健康を保つための運動ができる状況ではなくなることの方が多いのだ。
アスリートが怪我をして復活のためのトレーニングをしているけど、あれはそういう職業だったり体を鍛えている人だからできること。

リスクの話は本当にそう。
半分脅しのようで、半分事実だなと思いながら聞いた。
素直に聞いてしまうと、全く持って先生の言うとおりです!と言いそうになる。
実際そう思った。
先生だってうまく行かせたいと思っているはずで、
私としては彼に対する情報を思いつくままに羅列して情報提供し、
とにかく痛みが強く出ることが多くて、本人が辛いので、可能な限り緩和して進めてほしいということを伝えた。
その話をしたのが月曜。昨日の話。

火曜日は透析、水曜に手術というスケジュールで進んでいる。

そして今日、火曜日。
普通なら10時から14時までが透析。(これまでがそうだった)

16時ごろに主治医から電話。
透析中に本人が背中の痛みを訴え、意識がなくなり、血圧が下がったとのこと。

透析中だったので、血液を戻したら、意識も血圧も戻ったそう。

痛みは腰にうつり(そもそも折れてるから痛いはず)
今に至るよう。

いろいろ調べてみたけど全ての原因が不明と。
全てはきっと難病のせいだろう、病気によると寿命に近い、とは言われる。
そうなんだけど。

とりあえず明日はそのまま手術GOの予定。
先生からは、13時から始めて何もなければ終わったら連絡します。
何かあったら連絡しますとのこと。怖すぎるけど、願うしかない。

もうね、痛いの辛いのからどうにか解放してあげたい。

とりあえず明日のヨガはキャンセルした。
怖いけど、祈るしかない。願うしかない。待つしかない。
彼の痛みや私の怖さもきっと諸行無常。ずっとあるわけではない。
そう思うしかない。

先生は、元の生活に戻れるわけではないというけど、
でも、一歩一歩やるしかない。進むしかない。
「手術成功して、車椅子に乗って動けるようになる」
これが今の目標ですよねって、先生と電話で合意した。