ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

ついにきてしまったよこの時が。 2023.1.14

前回の投稿から続けて。

11日の夜、夫透析のため、息子と食事中、携帯に電話。
夫の透析病院からで、夫が透析中に調子が悪くなり透析を中断したという。
「点滴も入れてみたが状況が良くならないので、いつもの大きな病院にみてもらうよう準備をしている。
迎えにきてもらって、連れて行ってもらえないか」

この時には「救急車が呼ばれてないのでその程度なのね」という認識。人は本当に勝手に判断するものだ、とは後から気づくこと。

タクシーを呼び、化粧もせずに着替えて病院に向かう。マスクはとても便利。


着くと、まあ想定内な感じで車椅子に乗った夫が上着を着ようとしていた。
病院では主治医の先生とスタッフさんが手厚く、下まで降りてタクシーに乗せてくれる。
お手紙も書いてあり、大きな病院にも話を通していると言われていた。
「タクシーを降りたら、スタッフの方を呼んで車椅子を用意してもらうようにいえばいいですよ。乗り降りも頼めますからね」とやたら親切に伝えてくれる。

車で数分、救急入口に乗り付け、スタッフの方に言われたように車椅子をお願いする。
が、降りれない夫。いつもの感じだと思っていたが、もっとキツかったようだ。
仕方ないので、タクシーの方にはまってもらい、受付窓口に行くと「どうやって来られましたか?」と聞かれる。
「えっ、透析病院で具合悪くなって、こちらに行くように言われてきたんですが。連絡してもらってるはずですが」というと逆にえっという顔をされる。
まじか、連絡ついてないのか?

とはいえ、タクシー内で苦しんでる夫がいるので、「すみません、車椅子にも座れないので手助けお願いします」と言って私はタクシーに戻る。
戻ったところで私が車椅子に移譲させることもできないのだが。
看護師さんが出てきてくれて、ストレッチャーもやってきて、4人がかりくらいでタクシーから出す。
が、そもそも力も入らない、途中で肩がドアに当たったようで大きく痛がる夫。
スタッフさん看護師さんも、救急隊員さんとは違うので、その辺の要領はわからないようだ。

何度この入口を入っただろう、何度ここにきただろうと思いながら、
待合室に座る。
今日も長丁場になるんだろうという覚悟はある。
だからイヤホンも本も持ってきたが、手に取る気にならない。

処置室に入り、私は思いがけず早く呼ばれた。
先生から不整脈が強く起こっているという話を聞く。
透析病院でも不整脈という言葉は使われたが、ピンときていなかった。前回、昨年の夏にここに運ばれた時もそうだったから、同じことだと思っていた。

「旦那さん、何も話してくれないので、お話聞かせてください」というので、
まあそのこともいつものことなので、かくかくしかじかこういうことでと説明。
「透析病院から連絡入ってないんですか?」
と聞くと、
「そういうことだったんですね。実は今一般病棟が満床で、救急車は全部断っているんですよ。透析病院もそれがわかっていて、タクシーで来らせたのかもしれないですね」。

そういうことだったのか!

丁寧な説明もそのためか。

「どこの病院も同じような状況だと思いますが、一般もICUも一室も空いてないので、うちでみれるかどうかは分かりません。今からは受け入れ先があるか、それを探すのが主になるかもしれません。もしかしたら県外もあり得ます」

県外!

念のために聞いてみると、これはコロナだからというだけでもなさそうで、
冬場は心臓を悪くする人が多いのだそうだ。(コロナは確実に引き金にはなっていそうだけど)
その先生は「コロナの死亡者数が増えてるでしょう?あれはコロナで亡くなってるんじゃなくて、病院に入れなくて間に合わなくて亡くなってるんですよ・・・」と残念そうに教えてくれた。。。
医療崩壊も甚だしい状態が、今まさにあるのだ。

私の前に座っている方々も「今、満床ですが、どうにかやりくりしてベッドを開けようとしています」と説明されている。

落ち着かない気持ちで、息子に状況LINE。
こういう時に状況をシェアできる人がいるということだけでも救いだ。

程なくして、看護婦さんから「ICUに入院することになりました」と言われる。
ホッとする。
「すぐに先生に呼ばれますから」。
その間に事務スタッフさんから入院の手続きを書くように言われた。

手続きをし、息子に状況報告。「入院決まった」「意外と早かったね」そうなのよね。

先ほどとは別の先生から説明を受ける。
心電図の波形は、みたこともないものだった。
一部用紙をはみ出たところもあるくらいに波の針が触れている。
彼の中の竜が暴れている。

先生は図を書いて説明してくれた。
前回はこうで、今回はこうであると。

前回は、心房細動で、アブレーションという処置をおこなった。
こちらは命に関わるものではなかった。そういう説明も受けていたことを思い出す。
今回は心室の方で不整脈が起こっており、こちらは血圧に影響があり、命に関わるものであるという。
ドキッとするよりも、きたか、、という感じである。

元々難病の持病があり、不純物が臓器に溜まって行っている。
腎臓の不調→腎不全→そして心臓へ。
こうなることはわかっていたはず。でも今こう来るとは思わなかった。
でもきてしまった。

不整脈には電気ショックを与えて点滴で薬を入れて対処したので、
本人は落ち着いたという。
落ち着くのもいつもより早い。
でも今日は私が彼の状態を見始めてからが早いだけだったかもしれない。

この心室頻拍という病気は、一度起これば次も起こる可能性があるそうだ。
そもそももう心臓はこれまでの病気でずいぶん痛めつけられ傷もついているそう。
治ることはなく、不整脈対策しかないとのことだった。
薬、埋め込み式機械、アブレーション。

ICUで様子を見ながら薬コントロールをし、1週間以内に機械を入れて発作に備える。
その機械はペースメーカーのようなものらしく、不整脈が起こったら自動的にAEDのように電気ショックを与えてくれるものらしい。
今時はそういう便利なものもあるのだなぁ。
と感心していたら、
心室頻拍は、寝てる時でもいきなり起こることがあるので、起きたら亡くなっていたなんてこともあるんですよ」と言われる。
怖っ。

結局いろんな調整や待ちを経て、ストレッチャーで酸素マスクにいろんな管をつけられてる夫と一緒にICUまで行く。少し話はできるが、眠そう。酸素がまだ足りてないのだろう。

ICUに入った後、書類かきとICUの看護師さんからの説明を受ける。必要なサインをし、少し待つと、ICUで面会をさせてもらえることになった。
さすがICU
一般病棟だとこうはいかない。

本人はずいぶん顔色も良くなっていて、話もできるようになっていた。
痛みの元がなくなれば元気なのだ。いや元気ではないのだが、普通に戻れるのだ。
保険証やイヤホンのありかなどを聞く。
いつもは冷たい夫の指が、ずいぶん暖かくなっていたのにホッとする。
人間の当たり前なんてすぐに奪われる。
だから当たり前なんてないのに、つい今までは、いつもはと思ってしまう。
それが非常時に対する私の対処策なのだろう。

結局日を跨いで病院を出た。
心配していた息子に、先生から言われたことを話す。
神妙に聞いていたかと思ったら急にポロポロと涙を流す息子を見て、
私が慌ててしまい、抱きしめて「大丈夫大丈夫」とポンポンする。
不覚にも私まで涙が出てしまう。

命に関わるという言葉を診察室で聞き、
「泣いている場合じゃない」と自分に言い聞かせたはずだった。
はずだったけど、やっぱり心はショックを受けているんだ。
弱っている本人を見るよりも、こういうふうに感情が動いちゃう時の方が涙は出やすいんだなぁ。

翌日、必要なものを届けに病院を再訪。
本人とIpad面会をし、ちょっと安心したところに、「主治医の先生から説明があります」

先生が待つ部屋に通されると、ICUの役職の方と、スタッフの方も2名入られた。
それだけでも大事なんだと思わされる。

前回のCTを見ながらの説明で、心臓の状況が極めて悪いことはわかった。
前回のでこれなので、今回はもっと危機的な感じなのかもしれない。

昨日と同じような話の後に、「余命の話をします」と言われてちょっとフリーズしそうになった。
命の危険があるという話は昨日聞いた。
その時もショックだったが、「余命」というのは本当にキラーワードだと思う。

「1年持てれば、よくやった!という感じです。」
「ただ癌とか他の病気と違うのは、徐々に悪くなるというよりもいつ不整脈が起こるかわからないこと。1ケ月後に起こってもおかしくないこと」
とのことだった。

勝手なもので、徐々に悪くなるだろうと思っている自分に気づく。
でも言われれば確かにそうなんだろう。
私も父親を心臓の病気で亡くしているが、

確かに急だった。心臓は急に命を奪うのだ。それが心臓の機能なのだ。
でもそれがわかっているのに、わからない。

父の時と比較するならば、
父はいきなり亡くなってしまったので、私は悲しむことから始めればよかった。
自分の心配に浸ることができた。

でも、夫はまだ生きているのだ。
そして、確実に死ぬのだ。

「人間はいつかは死ぬ」
ソクラテスは人間だ」
「よってソクラテスはいつか死ぬ」
演繹法がぐるぐる回る。

ソクラテスだけじゃなくて、人間は例外なく死んできたというのに、
私は死を受け入れられない。

そして死を迎えるにあたっての生活も同時に考えていかねばならないのだ。
Xデーは必ず来るが、いつどういうふうにやってくるかは誰にもわからない。

夫の持病は、45歳くらいが平均死亡年齢だ。
20年ほど前はそう聞いていた。
酵素補充療法ができて、続けてきたのでその平均年齢は上がったのだろうと、
これまた勝手に思ってきたが、変わっていないのだそうだ。
だからそれよりも生きたよねなんていわれても、心は納得しない。
人は欲張りなので、もっともっとと思ってしまう。
そういう気持ちがあるから生きていけるのだとも思う。

余命の話は、先生からそれぞれに聞いたが、
私と夫は具体的にはまだ話をしていない。
先生には、「そういう状況なら、本人が納得できるように終活をさせてやりたい」と伝えた。
病院的には手術も含め2週間の入院の予定。
退院後、多分うちには戻れないだろう。
今でさえ、3階の階段を上がってくるのはしんどそうだ(うちのマンションにはエレベーターがない)
その話をしたら、
「それは今も相当負担になっているでしょう」
「車も禁止です。事故の危険性も高い」
「でも週3の透析には通わないといけない」
というジレンマ。
いつ爆発するかわからない爆弾を抱えながら、
自分の人生を終わりにするための生活や活動をどうさせてやれるのか、
選択肢は少なそうだし、私にはほぼ想像がついていない。
一番は、家族と共に暮らす何気ない生活なのだろうが、
今の自宅では難しいことは分かりきっている。
とはいえ、透析病院の近くに今から部屋を借りれるのか?
費用はどのくらいかかるのか?
ソーシャルワーカーさんから連絡があると言われているが、
2週間と言われてもう数日が経過している。ちょっと焦りつつ、
焦ったところでどうしようもなく、
誰に何を訊けば良いのか混乱しているというのが今の私である。

必要なところには、大方説明をした。娘息子と3人でも話し、
それぞれ聞いてもらえる人にちゃんと話をして鬱々しないようにすることを伝えた。
義弟から義母にはそれとなく伝えてもらうように連絡した。
流石に私の口からは義母にはいえない。
ストレスがかかりすぎてしまう。ストレス分散で言えば、弟にも伝え母の世話を頼んだ。
この状態がどこまで続くかわからないが、夫のこの状態を抱えつつ、
母関係のことをするのは無理だ。
もう同時多発はここで終わってくれ。

喪服もいるよね。葬儀は?互助会入った方が?
何をどういう順番で考えればいいのかわからない。
でもまずは、夫が退院をしてからなんだろう。
お互いでゆっくり感情的にも冷静にもなりながらも
何をどうした移動するかを決めなくてはならない。

結婚する時以来の、いろんな決め事をする時なのだ。
結婚する時と違うのは、夫から私への引き継ぎ項目があることだろうか。
ここをちゃんと押さえておかねばならない。
そういう時間をゆっくりとれるくらい、落ち着いて語れるのはどこでいつなんだろうか。家ならできるこの場が作れる気がしないのが、今の私の不安だ。
あとはここまでくれば、また二人三脚で行くしかない。

また長くなったけど、見返す前提の殴り書きなので、記録として残れば良いのだ。

ちなみに今日も足りないものがあるというので病院にお届け。
FTで面会。息子もついてきたので、少し安心したようだった。
その後にまた先生説明。主には手術の話。
いまだにソーシャルワーカーさんには会えてないので、
出た後の不安が大きい話を強調してお伝えしておいた。
役所にいったほうがいいのだろうか。

病気の会の方にも聞いてみよう。

子たちにはいろいろ言ったけど、私の中のモヤモヤが涙に変わりそうで嫌だ。
ただ、今は手配や情報集めの方を優先させたいのだ。
「涙は取っておきたいの〜」by斉藤由貴

少し決まってきたら、どこかでガーっとなく時間を作りたい。
それまでは泣くのはしない。でもほろりは許す。人間だもの。

誰か経験者いませんか?
こうしたらいいよって教えてくれる人いませんか?
と聞き回るのが今からだ〜。

でも寝る。
思い立って1時過ぎから書き始めて、5時25分。
まあ明日は土曜日だし、やり残しはあるにしろ、取り合えす寝る。
眠剤多くして寝よう。

横で仮眠をとるはずの息子が熟睡中。
彼のケアもしないとな。高校の時に父を亡くした弟にそのケアも頼んではいるけどね。
意外と心を開く人を選ぶので、うちに篭りがち。私に似たな。