ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

領収書の整理も、生きること 2023.1.28

28日(土)

今日も気温が低い。多分今日まで。
朝も相当寒くて、布団の中でもぞもぞする。
カーテンを開けると、雪がちらついている。
もう雪も飽きたなぁ。
雪がちらつくのを見ることは嫌いではないのだ。
むしろ美しいと思うのだが、それ以前に寒いことと目の前の風景が直結することの方が耐えられない。

今日は、医療費の領収書を整理して、エクセルに入力。
自分の分、息子の分、夫の分。
夫の分は、全領収書の中から費目ごとに仕分けする。
経理をやっていた(る)経験が非常に生きてはいるのだが、
これが収入にもっと生きればいいのになーと思う気持ちも出てくる。

入力をしながら、なんでこんなにたくさんの支払いが。。。
うちの家計は医療係数高すぎる。
と、また悲しく、、いや怒りつつ、入力。

こういう具体的な数字に向き合ってこなかった自分が悪いのだともわかっている。
今回は、本当にそれ。そこに目を向けてどうするのか。

今は、夫の状態が安定しているので、
こんなこともできるし、喜怒哀楽も出せるのかもしれない。

できる時にできることを。

今はそれしかない。

敬愛する山本文緒さんが、余命宣告を受け書き続けた最後の日記「無人島のふたり」で、
「…私も頭が割れそうなくらい悲しいのにアマゾンの領収書を印刷した。それが生きること」と書いている。

このフレーズが、妙に心に残る。
悲しくても人はそうやって何かをして生きていかねばならない。
生きるということは、生命を維持することという意味合いのほかに、社会活動を、日々の生活をしていくという意味があるのだ。
地味な「アマゾンの領収書を印刷」することも、生きることのひとつなのだ。

今日の私の医療費の領収書整理やエクセル入力も、そういうことだ。
生きること。
淡々と生きなくてはならない。

久しぶりにホームベーカリーでパンを焼く。
家にある材料で、必要なものを作る。
これも今の私ができること。
きっとおいしくできてる。みかけは美しい(食べるのは明日)。

息子の寝床を整えた。
今は夫が不在なので、私は夫のベッドで寝ている。
寝室としてしっかりベッドが置かれているここは、非常に寝心地がよい。
私はしばらく和室に二段ベッドの片割れを置いて寝ていたのだが、
ここのところの寒さに耐えきれず、寝室に居を構えている。
私が使っていたマットは新しく、寝心地がよいので、
息子氏のベッドに移動させた。
息子氏のマットレスもへこたれているので替えなきゃなとは思っていたところだけど、
これで一旦様子をみてみよう。

新品が与えられ、子どものようにはしゃぐ20歳。
まだまだ子どもだ。というよりも、おそらくどんなに歳をとっても新しいものは嬉しいのだと思う。