ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

2022から2023のこと 2023.1.13

前回の投稿は、12月の半ばまでで2022年が終わっていた💦

うちの状況としては前回の投稿からあまり変わらない感じで、
でもまあどうにかこうにか年を越した。
と言いつつ、今思うとそれでも安定していた方だったかもしれない。

2022年の振り返りは、節分までにはと思いつつ、
できないかもしれないと思っている。

この1ケ月弱、ブログを書いていないので、記憶が朧げ。
記録はやっぱり大切だと思う。
だから今日、この投稿を書いている。
今のことをやっぱり書いておかないといけないと思ってる。
誰かに見てもらうためというよりは、自分の記録のために。思い出して考えるために。

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ぎっくり腰のあとがいまいち不安定でいたが、
年末はやってくるので少しずつ準備をして、年を無事越した。
年内は、「無事に年を越す」ことしか考えてなかった気がする。

気になるのは夫の病状のことで、私の体調の変化もそのことは大きく起因していると思われた。
とはいえ、環境は自分ではなかなか変えられない。
それもあって、私はこの半年ほど読書にはまり込んでいた。
最初は何でもかんでも読んでいたが、そのうち全く受け付けないタイプの作家さんの文章にも出会い、胸糞悪くなるので(言い方!)、
好きな作家さんの本を集中して読むことにした。
その辺りはまた別の機会にガッツリ書きたいと思う。私の「今」に相当影響も与えてくれているので。

で、今日は「今」というよりは「現況」を書こうと思う。

30日まで掃除や気になっていたことを一式やって、
31日はお正月の食事をひたすら考えていた。
食べることは生きることだ。
特にうちは夫も私も体調と食欲が直結する。

息子は友人たちと夜出かけることも多くなって、とても健全😀
でホッとする。
ご飯もよく食べ、お菓子もよく食べる。
コロナ禍で、我が家は本当にお菓子をよく食べるようになったが、
体には悪いのかもしれないが、幸せを感じるひとときはお菓子タイムでたくさん作られた気がする。

話がちょっと横道にそれた。

年末まで夫も仕事が忙しく、夜中まで頑張っていることも多かった。
仕事があることは、彼の生きる張りになるので良いことだと思う。

ただ、具合が悪そうにしていることも多い。
何もしてあげられないので、たまに声をかけるとかさするとか、
基本的にはあまり触らない。
そういう時の彼は野良猫のようにくるまって寝ている。
ねれるならそれが一番だ。(と前にも書いた気がする)

私と息子は、彼の体調に一喜一憂はできるだけしないようにしている。
そこに引きずられて3人もろとも落ちてしまうのは避けたい。
気分というのはどうしても他者に影響を与えてしまうものだから、
同じ家にいても、自分のテリトリーを作り、自分の安全圏は守るべきだと思う。
べきというよりは、それは自衛だから。

なんかもうほぼ覚えてなかったので、Twitterのつぶやきを見直して、自分の行動を把握。
年末はSilentの再放送にハマっていた笑
そういえばその前は「月の満ち欠け」を見に行ってた。
物語、ストーリーの中に入り、自分じゃない人たちの人生にはまることで、
どうにか生きているというのが年末年始の状況のようだ。
大河ドラマにも随分助けてもらった。

そうそう、大晦日は息子が夜遊びに行ったので、夫とおせちを開けてお刺身とお酒とで早速正月気分に入った。
年越し蕎麦の出来が悪かったので、お雑煮のリベンジを心の中で固く誓った。

年が明け一日。
夫は義母対策で一人で外出(年末に義母ショックがあり。とだけここでは書いておこう)。
息子が初詣に行きたいというので、近場を考えていたが、あまりにも天気がいいので、つい太宰府まで行ってしまった。
元旦に人が多いところに行くことは、私の行動パターンにはなく、
太宰府天満宮に元旦に行った記憶は、高校受験?の時以来な気が。

近場にも神社はたくさんあるのだが、彼は出店で何か食べたいという。
コロナもまだまだ流行っているが、人というものはやっぱり浮かれて外に行きたい生物なのだと思う。
私も嫌いじゃないし、太宰府はなじみでもある神社さんなので、腰にしっかりコルセットを巻いて出かけた。
いい感じに風を感じ、青い空を見上げて信念を感じることができるのはとても気持ちがいいものだった。
息子が露店で唐揚げを買ったので、一つもらう。
一つくらいで十分だ。
帰りにはお約束の梅ヶ枝餅を箱で買う。
息子が、「食べ歩きしたい」というので、食べる用のは別に2つ。
この焼きたての梅ヶ枝餅が非常に美味かった。これは特筆すべきことだった!
衝撃的美味さ。
矯正期間は餅が食べられなかったので、それも大きく影響しているかもしれない。

食べ歩きも基本私はしないので、
息子が横にいることでいろんな経験をさせてもらえるなぁと感心する。
肝心の天満宮さんは、長蛇の列だったので(14時半くらいだったけど)
遠くからお参りさせてもらって、おみくじを引いた。

2日の記録はなし。
夫は夜透析なので、息子とおせちと刺身。
息子がお正月用に買ってきてくれた日本酒がうまい。
そして彼はまた夜遊びに出かけた。お泊まり。若いっていいね。

3日、娘に頼まれた買い物があり、博多駅に。
ついでに、年内に観れなかった「すずめの戸締まり」を観る。
その後お泊まり先から来た息子と合流し、娘のお買い物を。
ケプラーちゃんの化粧品を買いました。娘BAなんだけどね笑

4日、記録がない。記憶がない。
夫は夜透析。

5日、仕事始めで、後期最終。
お正月のどこかでこの準備を少しずつやってたのだろう。
どうにか講義も無事終えられた。
後期はできた感がしない。一部の子には伝わったとは思うが、
一部素行の悪い子たちがいて、ちょっと怒ってしまった。
基本的に私は若い子には寛大なのだが(ここ数年の私の成長です笑)
コロナ禍が彼らに悪い癖を植え付けたのは否めず、
これに関しては、来期の私のリベンジ目標となった。
来期はきびしく。

6日、母とのはじめてのロビー面会。
母は息子の成人式のお祝いも兼ねてお金を包みたいというので、お金とのし袋を用意して息子と一緒に行く。
息子に私が「おばあちゃんから」と言って渡してもいいのだが、(その方が簡単だが)
その場で母にペンを渡してのし袋に書いてもらう。
その光景を見ながら息子が「おばあちゃん、達筆やね」という。
こういう機会でもなければ、施設の母の手は文字を書くことも忘れてしまうから。
そのくらい、施設では本人には書類を書かせないから。
仕方ないとは思うけど、私は施設の方には「できるだけ母に決定させ署名してもらう」ことをお願いしている。

母面会の後は、バスで足を伸ばしてショッピングモールへ。
息子の靴、コート、パンツを購入。ああ、散財。
成人式(二十歳の集い)のための費用は工面するつもりだったけど、
まんまとそれ以上の買い物をさせられる。
来月のカード支払いが戦々恐々。

7日から3連休。
急遽、大学時代の友人から連絡をもらい、お茶をすることに。
なんだかんだと長話。
娘への仕送りのための食品購入。
息子の二十歳の集いのためのヘアセットを急遽私の行きつけの美容室さんにお願いする。

9日、息子二十歳の集い。
今年からなのか、成人式という名称は無くなったようだ。
福岡は、人口が多いので密を避けるためなのだろうか、市を2つに分けて午前と午後の部が行われた。うちは午後だったのでヘアセットも余裕。
ただし、同窓会には多くの女子がギリギリだったらしい。
振袖を脱いでドレスに着替えて行くのも時間がかかるはず。

男子は本当に楽だ。娘の時を思い出すと費用も(以下省略)。

ヘアセットをしてないので、そのまま送り出したが、その状態でも写真を撮っておけばよかった。
本人は夜中に帰宅。
私は息子のサッカー部の母たちLINEで写真のシェアをしながら、子等の成長を楽しむ。
夫は夜透析。久しぶりに夜一人を満喫。

10日。別所の仕事始め。
のっけからオンライン月例のMTG。仕事はたんまりあるがどうも乗らない。
事務所で「大丈夫?」と気をかけてもらったが、すぐすぐに蹴って辞める必要もないと思っていたので、「大丈夫」と答える。
先月の修正もあり、時間が足りず積み残した。
残業する気持ちも起こらないので、よっぽどこの仕事がもう私の中にはないことがわかる。

今日は夫の母が長期入院から退院の日。
義弟が2週間ほど介護休暇をとって付き添ってくれる予定。
夫も付き添うらしく、朝から車で出かけて行った。
長崎までは少しロングドライブ。実家で一泊して帰宅予定。
夜に義母とのツーショット写真が送られてきた。


11日、なんとなく疲れが出て昼近くまで寝る。
夫もいないのでのんびり寝てしまった。
1月11日なので、いつもなら11時11分にと思うはずが、気持ちが全く乗らずにダラダラ過ごす。精神的にあんまり良くないなぁ。と自分でも思う。
夫にラインを送ろうかとも思ったが、水を差すような気もしてやめた。
本人も考えてやっていることだから、休み休み帰ってくるだろう。

昼過ぎに夫帰宅。
思ったより元気そうだったので、実家リフレッシュ効果があったのかと思う。
母と弟と3人で水入らずの実家というのもなかなかないだろう。
弟に任せればいいのにと思わないではなかったが、
やりたいようにするのがお互いいいと思う。
相手の動きに水をさす権利は私にはないと思う。
という書き方をするとなんだけど、その人にはその人の思いがあって、歴史があって、
その上に成り立っているものがあるわけで、
年末に私はそのことをすごく思った再会があったので、自分も含めて「もうみんな自由に生きようよ」とか「できないことは頼ろうよ」とかなんかスローガン的なことをよく考えていた気がする。
この再会のことも書かなきゃなと思うが、またこれは改めて。

さてここまでで、4千字弱。
出来事だけでもこのくらいになってしまうね。

11日夜からは大きな事件があったので、これはまた次の投稿で。