ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

話をする・話を聞く 2021.9.17

23日ぶり。また備忘録として書いておく。

なんだかんだの低空飛行は、さほど変わらない。
それでも、まったく楽しくないわけではない。
逆に、いつもよりも喋ってるし、楽しんでもいるかもしれない。
このなかなか上に上がらない飛行は、
漫然たる不安が自分の中にずっとはびこっているからなんだろうと思う。
気候の変化で、私の体調は不安定になる。
不安はそんなときに大きく気持ちを揺らす。
これといって打開策を見いだせない時には、
そこから浮かび上がるのに、やたらと時間がかかる。

今日は台風のため、月1のF先生の診察が電話診察になった。
最近は、とはいえ、そんなにドーンと落ちたりするわけでもないので、
毎回のF先生との会話も、季節季節の日々気をつけることがメインになっている。

今回は、某所にしこりができていて痛いので、その相談をしたかったのだが、
思う以上の風雨による電話診療で、口頭での相談。
リンパだと思うが、発熱痛みが強烈でなければ炎症はひどくないだろうということで、
来月まで様子をみることに。
酷くなったら都度見ていただけるので、
一度先生に相談しておくことが安心材料となる。

今日は、今の私の体調の状況を説明したら、
先生が先日読んだという論文の話をしてくれた。
海外の事例で、認知症の人を追跡調査したところ、
回復した人と回復しなかった人の差異において
「相談相手がいるかどうか」がポイントだという結果が出たらしい。
レジリエンス(回復力)は、誰かに語ることができると上がってくるという。
※出典は探してみたけど不明。最近のジャーナルに乗ってたらしいのだけど。

いわれることはわかる。
それでいくと、私は今語る人を持っていないのかもしれない。
いろいろ思うところや、悩むことを人に言うことははばかられる。

と、こうしているうちにも、
家人はおなかの痛みで苦しみ転がっているので、
背中をさすりにいってきた。
本人の苦悩はわかってあげられない。
私の苦悩も、それを言ったところで
他者が重い気持ちを持つだけのような気がして、
言語化して吐き出すことをしてきていない。
私が感じているストレスのうちの大きな部分を占めているのには間違いないのだが、
それをいうとしても、相手を選ぶから。

今息子が帰省しているので、彼もその状況はみているのだが、
彼はあまり積極的に関わろうとしない。
ちゃんと話したことはないが、
彼なりの自分を守る術なのじゃないかと私は思っている。
家人のことについては、私は母か子どもたちとくらいの共有で、
母はこのご時世で面会中止で話はできないし、
子どもたちにも心配かけるので言えない。
義母になんかは絶対言えない。と思っている。
本人も具合悪い絶不調の時に義母から電話かかってきたら、
元気そうに話して、電話を切った後にまた苦しんでる。
心配かけたくないんだろうなと思うので、
本人が言わないのに私が言うのはやはり違うだろう。

そんな状況をどうにか癒してくれるのは、バンタンさまさまだ。
沼に入ると、自分の好きだけに没頭できる。
こちらも、好きの話ができる人がまだあまりいないので、発掘したい。

いろいろあって、自分の内的な話をする人を選ぶようになってしまった。
ここ数年は、人間不信が強いので、
なかなか素の自分でコミュニケーションする人を発掘するのが大変。

それでも幼馴染や同級生の数人がいてくれるのは、心の支えになっている。
なぜか、みな遠くにいるので、
チャットで話すくらいしかできないのだけれど。
たまには自分からチャットをしてもいいのかもしれない。

先生と話をしながらすぐにわかったことがある。
私の不安は、仕事や収入のことも多くあるということ。

F先生は、やはり優れたカウンセラーでもある。
看護師さんたちも「先生は特別」といわれるのがよくわかる。
話し手が自分の話をする中でわかっていく。
F先生と話す時は、私はある程度自分が何を聞いてほしいのかを考えて話すので、
会話の中で、こたえが出てきやすいのだろうとも思う。
おそらく先に先生が敏感に感じ取ってくれて、
「こんな話をしましょう」としてくれた話の中に、
自分が何かヒントを見出していくんだろう。

F先生から今日の話の中で言われたのは、
「あなたは人の話を聞いてあげるのに向いているのではないか」という言葉。
人の話を聞いてあげると、聞くだけで話したその人は救われる。
同時にあなたは助けた瞬間に救われる、と。

わからないではない。

実は今、聞くことに関する本を読んでいて、
これがなかなか面白いので寝る前のおともになっているのだが、
そこに「私たちは純粋に聞くことができなくなっている。
聞いていると思っていても、どこかで自分は何を言おうかを考えている」
というような記述があって、その通りだなと思った。
つまりは相手の言葉に解釈をつけてしまっているのだ。
ただ聞くということが、実は大切なのだとその本にはあって、
なかなか衝撃的だった。

F先生の話を聞いて、その本のことを思い出し、
今こんな本を読んでるんですよ~という話をし、盛り上がる。

F先生から、なぜか今の仕事の話を聞かれたのは、
こんな本を読んでいるからだったのかもしれない。
「あなたが持っている鋭いセンサーを不安に浪費させている。
それを相手理解にするんです。
あなたは個人的な不安定体験をいくつもしてきた。
そして介護の苦しみや病気の経験があるから聞ける。」
なんというか、青天の霹靂、、いや違う、
なんとなくそういうもありなんじゃと思っていたことかもしれないと感じる。

数秘やらの鑑定で出てくる適した職業で、
よく出てくるのの一つがカウンセラーだ。
ただ、私は自分ではあまり適していないとおもってきた。
人の話を聞くと、同調してどうにか解決をと思ってしまうから。
本を読んでいて、聞き方を変えればいいんだと思うようになってきた。

そういえば昨年からこの手の本に出合うことが多く、
自分でも傾聴の本は自然と手に取っていることがある。
身体は、ちゃんと必要なものを先に選んでいるのかもしれない。

F先生は言われる。
「カウンセラーはリスニングは9割。ただ聞く。
そして1割はソーシャルイノベーション的な理念。
前向きにこうしたら楽になるという方向を示す。
ただ人によって指標は違うから、押しつけはだめ。
あなたの鋭いセンサーを+にしていくためには、
徹底して自分の不安や志を徹底してみつめること。」

先生と志やソーシャルイノベーションの話をするとは思ってもいなかったが、
おもしろかった。
志がなくても生きれる人もいる。それを否定しないこと。
志とはそれぞれの指標ともいえ、それぞれに違うものだ。
先生は「得体のしれない世界に首を垂れる」という言い方をされたが、
そういう「すべてを任せている、委ねている」という状態にまでもっていけたら、
自分の設定した志が、自然と道しるべになってくれるのだろう。

今日はここまで。