ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

大学での学びとは 2021.2.15

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今日は某所にて一日体験をさせてもらった。
とはいえ、すべてオンラインで見せてもらうという体験。

朝から夕方までのロングオンラインだが、
基本的には見学なので、流してみていていいと言われていたので、
気楽に確定申告の準備をしながらみていたら、
突然「進路を考えている高1の子と話をしてほしい」というオーダーが。

え~、どっきりですか?
断る理由もないので、
その子とオーダー主の代表さんと3人でオンラインで話をした。

高校1年の今頃というと、もう進路の希望を詳しく出さないと、
翌年からのクラス編成に間に合わないという時期で、
高校1年で大学受験を考えるのはちっとも早くないタイミングだ。
とはいえ、形式上それを決めても、その子たちの心がちゃんと決まっているかというと、たいていの子はそうではない。

私が関わっている大学生たちの多くは、
「なぜ大学に来たの?」と問われると「学位をえるため」という子がかなりの割合で多い。
正直でよいのだが、その裏には「大学位出ておかないと仕事に就けない」みたいな思いが透けて見えてしまう。
そんな思いを持っていることが悪いわけではないが、
大学に通って2年以上経っている子たちについては、後付けでもいいから
大学に通う意義を考えてこういう問いに答えて欲しいものだと思っている。

そもそも、答えは一つではない。
大学だって、それを用意しているわけではない。

その高1の彼女は、今やりたいこと伝えたいことがみつかりかけているよう。
そして探究することにとても興味を持っているらしい。
人の感情の動きにも起業にも経営にも興味があるという。
そして今、進路を考える材料を探しているらしい。

いま疑問として持っているのは
「大学には何のために行くのか?」「大学でしか学べないことってなにか」ということらしい。

これって、さっきも書いたけど答えが一つあるわけではない。
自分で問いを立て、その答えは自分で探すのだ。
なんのために大学に行くのかも、その人次第で答えは変わる。

それが他の進路と違う、最大の大学らしいことだと思う。

彼女にもう少し状況を聞いてみると、
心理学や経営にも興味を持っているのは、
「自分が伝えたいこと」のための手段だという。

そこまで自分で選択の仕方がわかっているなら、と思い、
大学生に話すようなことと同じようなことを言ってみた。

彼女が何人かに話を聞くと、

大学に行くのは「仲間づくり」のためという声もよく聞くという。


それも確かによく言われることだけど、
妙な人脈だとか顔見知りをたくさん作るとかいう意味合いではなくて、
「学びあえる他者としての仲間を作る」という意味で大学という場は必要だと思う。
「例えば、この問題に対して先生から教えてもらうという受け身の学びではなく、
議論をしながら、考えていくという場。
先生と学生の一対一だけではなく、学生同士でも討議していくような、
学びをともにする仲間という意味での仲間づくりはあるよね」
というような話をしてみたけど、
少し難しかったかもしれない。
「人脈づくりではない」という点はひっかかってくれたようだった。

実際のところ、
コロナ禍も手伝って、今やオンラインでこれまで以上にいろんな人とつながることができるようになった。

これまで大学に進学しなければ出会えなかったような人たちとも、
SNSyoutubeなどのインターネットツールで出会える機会は大いに増えた。
学びの場だって、大学という箱でなくてはならないという思い込みは、
この一年間大学がオンライン授業になったことで、随分払しょくもされた。

高校生はオープンキャンパスに行くだけでなく、

大学の講義にオンラインでもぐり体験させてもらうことだって可能だ。

選択肢は広がってきている。
その分、選ぶための力も必要だ。アンテナを立てていないと情報はかかってこない。
自分はどんなことをのぞむのか、自分はなぜそれを選ぼうと思うのか。
改めて自分に問い、言葉にすることが大事だ。

講義でやっているようなことを話すと、彼女はとても興味を持ってくれたが、
大学の学びの中には一見興味が持てないようなものもある。
でも、知識のインプットをしなければ、自分が必要とする表現もできないから
一見無駄なようにみえるものでも学びになる可能性はあることも伝えてみたつもり。

彼女は「時間は無駄にしたくない。自分に合った選択をしたい」といっていた。
私もそう思う。

でも、それが無駄かどうかを判断できるかというと、
わかいうちには無理なことも多いと思う。

大学には確かに「この講義ほんとに必要なの?」というようなものもある。
時代にあっていないものももしかしたらあるかもしれない。
でも、そこにそれが学ぶ必要のあるものとしてあるのならば、
なぜそれが学ぶ必要があるものなんだろうと考えて捉えてみてもいいのではないか。
そのインプットがどこで効いてくるかわからないのだから。

取りに行く学びはPBLだけでなく一般の講義でも有効だと思う。
その意志がその学びを自分の中にしっかりと蓄えさせてくれるから。

大学って、もっと考えさせる場にしないといけないよなと、
今日高校生と話して、改めて考えたことだった。
一非常勤講師のつぶやきですけどね。


ほめ活 2021.2.14

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昨日は早く寝ようと準備万端にしたとたんに、娘から電話。
なんだかんだと話をした後夫に代わり、
私は思い立って家事をしていたら、
夫が「地震だって。電話切れた。」と。
すぐネットをみたら、大きな地震の知らせが。
メッセンジャーで連絡を取ると、すぐに応答があってほっとした。

この10年で東北には知人友人親戚が増えた。
だから、今回はとても心配したが、みな無事で安堵した。
自然の前では人は無力だというのを思い知らされる。祈るしかない。

====
先日ツイッターでこんな投稿に目が行った。


(あれ?画像出てるかな?)

一時前に、ひたすら他人をほめる、ほめて育てるみたいなのが流行った。
私はそれに違和感を感じていた。
何をほめられているのか、そこに根拠がなくほめても、本人はわかってしまう。
「ほめる」という手法だけが先行したって、本当の育ちのための推進にはならないと思う。
そのこと自体は、変わらない。
でも、対象が自分であれば、と考えた。
意外と自分に対してって、評価が低くなりがちだと思う。
例外はあるかもしれないが、私は、自分へのダメ出しをめっちゃしてしまうタイプだ。
自分に厳しいと他者を見る目も厳しい。
どっちもどっちな点はあるが、
私が目指す、皆にやさしい世界に私自身が反してるなと気づいた。
「自分に価値がない」という思い込みをどうにか外そうとしているが、
価値があるなしで、自分の存在を担保しようという考え自体が人をジャッジする根本だ。
「命自体に価値がある」というある人の言葉に大きく頷く。

そして、自分の想念が、自分の現状を作るのだとすれば、
この私の自己否定感を、自己解決する道を歩む必要があると思うに至った。
やっとね。
ということで、こと自分に対してはなんでもほめてよいのだと思うことにした。
自分を自分でほめることについては、自己有用感ではないわけで。

自己有用感=他者の存在を前提として自分の存在を認めること

これは「誰か」という他者の存在や誰かに感謝されることで、自分を満たす感覚。
誰かの反応や誰かの存在が必要になるので、
他人軸で生きることになりやすい。

ほめて育てるのは、自己有用感へのアプローチだけど、
他者に褒められないと伸びないので、これだけでは成長が見込めない。

これに対して、自己効力感という言葉がある。
自己効力感=自分の能力を信じる感覚。自信。
      やったことはないけど、やれるんじゃないかという期待。

これがあると強い。
自己効力感があれば、意欲も増すし、失敗しても前向きにリセットして進んでいける。

最強なのは、この自己効力感と自己有用感のセットだろうか。
そこまではいかずとも、
とにかく自分が自分を常にOKと言える心持になってみたいと思った。

そのこと自体を「私には無理」と思っている自分がいることにも気づいてるから。

と、つらつらいつものように書いているけど、
数日前からツイッターの別垢で、自分褒め絶賛開始中。
なんでもツイッターでは結構みんなやってるみたいで、
#ほめ活 #褒め活 #ホメ療法なんてのもあるみたい。

そちらも続けてみることにしまーす。
気になる方はご一緒に。
self-innovation!





体の声を聞く 2021.2.13

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朝7時40分には家を出なくてはという仕事は、
私にとっては、超早朝。
なので、前日11時には布団に入り、頑張って寝た。

無事、6時に起床でき、準備して洗濯までして出発。
昨日、二度寝して30分で準備した痛い経験があったので、
頑張れましたが、毎日はしんどいなー。

気温は17度以上あった日中。
ですが、私の今日の仕事は、某施設の中でオンラインとリアルのハイブリットイベント。
コロナ関係で、窓は開放。
しかも、施設は絶賛空調の工事中で、暖房が入らない💦
天井の高い広めの会場に、ストーブが4つ。
しかも、600w以上はだめだそうで、徐々に冷えてくる会場内。

一応冷えるのを見越して、あったかレッグウォーマーをつけていき、
集中して、かつ動き回っていたので
そこまで冷えている実感はなかったのですが、
終わって、おなかもぺこぺこで
帰宅してご飯食べたら急に疲れが。
ベッドで爆睡してしまいました。こどもみたい。
(同じくイベント頑張った同僚たちも、4人中3人が甘いモノ食べて寝てましたwもう一人も甘いモノ食べて別仕事。甘いものは心身を救います)

で、1時間ほど寝たのですが、疲れが取れない。
なので、お風呂に入って体を緩めてから、ご飯の支度を開始。

今日はかす汁にしました。
こんな季節は、気温が上がっても体の深部は冷えていたりします。
あったまるものがいいですね。
お野菜もたっぷり入れて、鮭も入れて。


餃子も焼いたので、
ご飯をやめてビールを飲みました。
冷え性の私は普段ビールはあまり飲まないのですが、
そして今日は寒さに参っていたのに、
ビールが欲しいとなぜか思ったんですよね。
その代わりにご飯は食べず。

炭水化物が体に重かったのかもしれません。

ビールを飲んだら、あんなにきつかった体がふわーっと楽になる不思議。
酔った感じはないのに、変な感じ。

体が欲するものをちゃんと求め、摂取できているのはいいことなのでしょう。

さて、今日もベッドが呼んでいる。
早めに寝ます。

皆さまも、体調管理にはお気をつけて。
体調的には、一番難しい季節かもしれません。

ささやかな欲求を満たす 2021.2.12

今日は免許更新。
身分証明書のみの利用と化しているので、
ゴールドは当たり前。
私が持っている唯一のゴールドカードでございます。

弟も同じくなので、5年ごとに一緒に免許更新に行きます。
近いので楽なんだけど、混むので今回は1時間前に。
それでも30番目でした。
そこから30分待って整理券配布。30人毎お部屋に入って待機。

LINE予約とかすればいいのにね。
まだまだ遅れてる。

視力検査は右が0.1になってた💦
でも、視覚の広さ検査がクリアできたので、「眼鏡等」の表示追加はなし。
運転しないからいいんですけどね。
そういえば、運転する夢もみなくなったなぁ。

とまあこんな感じで、早めに終わったのですが、
その辺でランチするには時間が早いので、弟と話しながら歩いて天神まで。
なんとなくひょうたん寿司にでもいこうかと、行ってみたら開店10分前。
列ができてて当たり前の店だけど、いけそうなので10分待つ。

そんな感じでの今日のご飯でした。
回らないお寿司はいいですね。

今日の飲食系
・昼:ひょうたん寿司
・買い物:PARAREVOの冷凍ピザ

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客層はほんとに老若男女。
一人で来ている若い女性、男性、スーツケースの女性二人、カウンターで板さんと親しげにお話されるご老人の女性。若い男性二人組、いろいろでした。
ここはほんとにいろんな層に有名なのだな。
このセットが1000円なので、若い子にも手が届きやすいというのも理由かしら。

弟と別れて歩いて帰宅中、PARAREVOの前を通りかかったら「2のつく日は冷凍ピザ特売」とあったので、2枚買ってみました。
ここのは焼いてもらう方が好きではあるのだけど。
うちであの焼き方が再現できるとは思わないけど、ストックがあると嬉しいので。

そのまま帰ろうかとも思ったのだけど、
プリンが無性にたべたくて「くらすこと」にいってみましたが、満員💦
ここは古いビルの2Fをカフェと雑貨のお店にしているところ。
ここの客層は女子ばっかり。高校生っぽい子たちも多かった。
進路の決まった高3生だろうか。
プリンだけテイクアウト。

・買い物:くらすことのプリン
・カフェ:abekiでコーヒーとチーズケーキ

abikiさんからの景観。包みはバレンタイン用のケーキかなー。お忙しそうでした。

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テーブルの脚がおしゃれ。これも特注なのかな。

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 帰ろうと信号待ちをしていて、abikiを覗いたら珍しく一人しかお客さんがいない!
マスターのコーヒーを淹れる姿をみたら、私の体が勝手に扉を開いてしまった。
コーヒーが私を呼んでいたのだろう。

ここはチーズケーキが有名らしいという情報は聞いていたので、
コーヒーとチーズケーキ。
チーズケーキはレア。
コーヒーも粉を引いてからドリップ。

最初ちょっと苦めかなと思ったけど、その後はスーッと飲みやすい。
チーズケーキとの相性がいい。
フォークとナイフのデザインもオリジナルらしい。

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疲れた時には、一人でまったりカフェがいいよね。

最近、どうも外に刺激を求めているらしい。
その割にのんびりもしたい。
人とも話したい。

いろんな欲求が渦巻いてる。
そんな欲求にちょっとだけ耳を傾けて、満たす。
ささやかなぜいたくな日でした。

さて、明日早起きしなきゃいけないお仕事なので、
切り替えて、今日は早くやっつけてしまいます。

息子との散歩 2021.2.11

今日は、近くのチョコレート専門店まで。
最近、学校もなくなって引きこもり気味の息子に声をかけ、
一緒にてくてく歩いていった。
息子も自分が運動不足であることは認めているので、
ついてくる。
目指すお店は、息子も大好きなお店なので、
ちょっとスーパーに行くというと「遠い!」と却下されるが、
ここだとすんなりOK。
気持ちはわかる。

お気に入りは「生チョコ」。
福岡でチョコの有名店はいくつかあるが、
私は地元のここのチョコが好き。
そして、「こんなにおいしいお店が校区にあるのなら、
地元民としては応援しなきゃ!」という謎の気合も入る。
これはいつもクリスマスケーキを買うお店にも、思う気持ち。

中に入ると、まあまあな混雑ぶり。
私は決めているものがショーケースの中にあるのだが、
息子はあれこれみたいらしくうろうろ。
そしてショーケースをみて「抹茶がある!これがいい」という。
私はその横のカカオサブールにしようと思っていたのだけど、
しゃーない。
2種類買う。
こんな機会でもないと、味比べしないしね。
という言い訳。
違う人と居るということは、
自分とは違う好みや目線を持っている人がいるということ。
誰かと一緒に何かを見る時、自分だけじゃ選ばないものを選ぶ。
そういう利点がある。

(ちなみに、抹茶サブールは早くも味見をして「めっちゃうま!」らしいです。)

10分くらいの道のりだけど、うちの周辺は山あり谷ありな地形なので、
いい運動になるといえばなる。

買い物が割とさっくり終わったので、
店を出てもう一つの気になる店に行こうと坂道を降りていくと、
左側に知らない道があり、奥に学校風の建物が見える。
息子が「あれ?何だろう?学校?」とやたらと気にするので、
じゃあいってみるかとその建物を目指して歩いてみる。

長年住んでいても通ったことのない道はあるものだ。
先日うちの近くを息子と散歩していて、
そういう道があって二人して面白がっていたので、今回は2回目。

途中にシェフ風の方が水撒きをされていた建物にも遭遇。
閑静な住宅街に、洒落た建物。
ここにこんなレストランがあるのも知らなかったな。
(後から調べてみると、中洲にあった老舗レストランが5年ほど前に移転されてきていたよう。)

さて道を進むと、件の建物の前には教会。
いつも通る道にある教会の裏手がこうなっていたんだなと合点。
関係者以外立ち入り禁止という札と門の前に確認はできなかったけど、
おそらく建物の感じからいくと寮のよう。
せっかくなので、そこから伸びる道をずっと歩いていくと、
キリスト教関係の施設もある。
この一帯は教会関連施設なのね。
どんどん歩いていく。大きなおうちと外車がある車庫が続く。
高級住宅街だものなぁ。
マンションの建設用地のような赤土の広い空き地もある。
残された石垣をみながら、
ここにはなにがあったんだろうね、といいつつ歩いた。

と、見覚えのある道に出て、息子と二人「ここに出るんだ!」と驚いた。
脳内で地図がつながった。

思った以上に下に降りていたので、上へと登る。
この通りは、家が左の方にあるので左側を通ることはよくあるが、
右を通ったのは久しぶりだ。
木のショールームは初見だった。
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(これしか写真が撮れてない今日。今からおうちを作るとかリノベーションをする人のためのお店なんだろうけど、つみきとか色鉛筆とか、木材のグッズがあると通りがかりでも入って楽しめるのにな~なんて、勝手に思いました。こういう木のストックを見るとワクワクします)

お目当てのお店に到着するも、
ショップがあるかとおもいきやカフェだけだったので、
息子のお眼鏡にはかなわず、帰宅の途に。

4000歩くらいのお散歩でした。
息子と散歩ができるのはいつまでなんだろう。

さて、先ほどツイッターにあった投稿を、FBにシェアしたら、
「ものいい」がついた。
ふーん、わざわざ人のTLに異論を書くということは、
自分の意見に自信があるということだろう。

私はこういう人の意見でつぶされる思いがあるからこそのシェアだったんだけど。

こういう人が多いのだろう。
そこに言葉で対応しようとすると語気が強い方にどうしても圧倒されがちだ。

書いてもいいけど、不毛な闘いはしたくないので、とりあえず静観。

しかし、持論は自分のTLで展開してほしいものだ。

そろそろちょっと冬眠も? 2021.2.10

今日はヨガと母の通院付き添い。
その間が少し空いたので、お地蔵さんのところに寄り、
そして初めてのカフェに足を向けてみた。


知り合いが良くいくと言っていた店。
よくよく場所を確認してみると、
30数年前に住んでいたマンションの裏にあるビルの2階だった。
当時もあったと思われる古いビルだけど、
気にも留めていなかったようなところ。
もちろん当時はカフェはなかったけれど。(多分)

細い急な階段を上がり、木のドアをあけるとこじんまりとした、一面窓の明るい空間。
軽く食べたかったので、ガトーショコラとコーヒーのセットをいただいた。
f:id:miww55:20210211005035j:imagef:id:miww55:20210211005039j:image窓からは大きなびわの木と桜の木がみえる。
桜の季節はきっと綺麗だろうな。
あのあたりには銭湯があった気がするなぁなどと思いながら、窓の外をみていた。

私のほかには先客の男性が一人。
静かだったから、余計にぼーっとできた。
最近出かけても外で食事を取ることがあまりないので、
ちょっと新鮮だった。
そういえば、息子と高校に行った時に回転すしやには行ったけど、
その日中に出願校を決めなきゃというので、あまり味わっても居られなかった。

外で美味しいものを食べるというのは、
ご飯がおいしいだけでは成り立たないんだなというのがよくわかった。
くつろげる場があって、目に映るものが心地よくて、
香りがよくて、静寂で、ちょっとした音が心地よくて。
そんな場を今は欲していたんだなと思った。

ガトーショコラとコーヒーも、
なんというか程よくおいしくて(←すごく褒めている)
するするっと入っていく感じだった。
またこよう。

ケーキも食べたし、約30分程歩いて母の施設に。
またリフトカーを出していただき、母とともに皮膚科へ向かう。
前回にあまりにも無防備な服装だったので指摘したら、
今回母は首にチーフをまき、
冬用のあったかパンツを履き、ひざ掛けも持参で登場。
珍しく言うこと聞いてくれてた(笑)

今日はいつもよりもいっぱい話をした。
なんてない話ばかりだけど。
「こないだのヒヤシンスが咲いて、香りがするのよ」
だとか
「最近は前に手伝っていたお店の夢をよく見る」だとか。

質問の仕方によるんだろう。
母は自分からあまり自分の気持ちを言う人ではないから、
もう少し引き出してあげなきゃなと、
こないだから少し思っていて、
今日は「さいきんどう?」みたいな聞き方ではなく、
具体的に「お花はどのくらいまで咲いたの?」とか
「最近どんな夢を見る?」とか
そんな聞き方をしてみた。

リハビリも週2回がとても楽しいようだ。
コロナが落ち着いても続いてほしいな。
あの母が自転車こぎをしてるなんて、ちょっと信じられない(笑)

母は母で、いまを受け入れて淡々と生きている。
声にも強さが戻ってきたし、いい感じで皆さんが接してくださっているんだろうな。
安心してお任せできるところがあるって、ありがたいことだ。

皮膚の調子もずいぶんよいらしく、今回から保湿剤に切り替わって、
しばらく様子をみることになった。
今月はもう通院しなくてよさそう。

帰宅したら、なぜかやたらと疲れてしまって、
ご飯作るまで1時間以上、机の前から動けなかった。

寒気もしてきたので葛根湯と捕中益気湯を飲んだら、少し回復した。

自分を駆り出そうと押し気味だったから、
少し疲れが出てきているのかもしれない。

焦っても仕方ないので、自分らしくいきますか。

今日はシンガポールチキンライスを作ったんだけど、
ナンプラーが効きすぎてて息子には不評。
味はいいんだけどなぁ。彼は香りに敏感な人でした、そうでした。
「これは間違いない」というレシピの言葉は真に受けてはいけないんだけど、
疲れ切っててすがってしまった。
好みはあるよな、確かに。

自分の推しになるキャンペーン 2021.2.9

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昨日ぐちゃぐちゃ思ったことを書いてすっきりしたのか、
今日は「ここまできたら、どうにかやっていくしかない!」と
開き直りモードになってた(笑)

だいたい「こんな感じでやっていけば大丈夫だ」
というラインは押さえられる自信はある。
とりあえずそれでやっていってみよう。
壁にぶつかったら、またその時に考えればいいし、
その時に考えるしかない。
今考えたところで何にも生み出さないというのはわかるから。

=====

「役に立ちたい」というシンプルな思いがある。
自分のためだけに動くよりも、誰か特定の人のために、
誰か特定ではないけれど支えたい人たちのために、
自分がのぞむ社会のために。未来のために。

直線的に線がひけるものではないかもしれない。
直線的に線が引けるものは、今できること。
今できることを少しずつやりながら、つなげていくものかもしれない。
私の場合は、先に「こんな社会がいい」がある。
そこまでの道のりは、どう歩めばいいのかはまだわからない。
でも、最近思う。
重い荷物を背負ったまま苦しい思いをしてたどり着いても、そこは望む未来じゃないんじゃないかって。

今の私自身が、鎧を少しずつ脱いでいき、少しずつ軽くなって、
いいことが続いて有頂天になったり、逆に自分の弱いところにどうやっても自信が持てなくなったり、そんなことを繰り返すことも面白いと思いながら、進んでいけたら、
なにかよいものがあるような気がする。
自分の変容がカギである気がする。

「曲がり角を曲がった先にはなにがあるかわからないの。
でもきっといちばん良いものに違いないと思うの。」by村岡花子

アン・シャーリーの言葉を村岡花子が訳したこの言葉を、私はとても気に入っている。
進んでいかないと曲がり角にはたどり着けない。
曲がり角から先は見えないから、不安だ。
でもきっと希望を持って進んでいけば、
その見えない曲がり角の先には「(自分にとって)一番よいもの」が待っている。
期待というよりも、「違いない」と確信している。この言葉がとても心強くて好きだ。

自分に何かできることがあっていっているわけでもない。
ただ、自分はそう願う、そうありたい、そうに違いないと信じている。
自己肯定感は、そうやって自然にできるのが理想なんだと思う。
そして、根拠はなくてもよいから、自分の思いを信じることだ。
だって私はこうありたいんだもん。
そこに理由はない。
敢えて言うなら、私がここにあるからとでも言うべきか。

ふと、「自分の推しになるキャンペーン」が、私の頭の中にやってきた。
自分を信じるとか自分を好きになるとか、
これまでいろいろ考えてきたけど、どうもぴんと来なかった。
「推し」に接するように、応援していけばいいのだ!と
ちょっとビビっときてしまった。なるほど。
推しを見守るように、
推しを応援するように、
推しを気遣うように、
そして推しの行動に励まされ、
自分も頑張ろうと思う、
そんな「自分の推しキャンペーン」をこっそり今日から始めようと思う。

芥川賞をとった宇佐美りんさんの「推し、燃ゆ」も読んでみたいと思っていたところ。
(そこからのインスパイヤだったりもする)

推しを好きな私は、わくわくするし、心地がよいものだ。
そんな感じで自分自身を応援できていくといいなぁと思う。

昨日からは、333や3333の数字を見ることが増えている。
これまでは1や2、たまに4だったので、3は初。

どんな意味があるのだろうと、エンジェルナンバーのサイトをみてみた。
333
“アセンデッドマスターと共に、あなたの才能を使って人々に貢献してください”


3333
“アセンデッドマスターのサポートにより、あなたの道は新たに開かれます”


進め、舵を切れ、
そういう意味だと解釈しました。
あれ、そんなことを書いてるよね、今日。

そう言えば、今日、仕事ファイルからぱらっと飛び出てきたのが、おみくじ。
色が少し変色しているので、いつかひいてそのまま書類に紛れ込んでいたのだろうか。
ぱらっと、気づけよ的に降ってきたこのおみくじ。
大吉でした。

岩ばしる真清水。てり映える月光。平安静寂の極み。心の奥にしみこむ清らかさ。
まさにないも言う余地がないほど完璧にとはいえ治に居て乱を忘れずの自戒を要す。


全ては用意されている。