ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

自分の推しになるキャンペーン 2021.2.9

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昨日ぐちゃぐちゃ思ったことを書いてすっきりしたのか、
今日は「ここまできたら、どうにかやっていくしかない!」と
開き直りモードになってた(笑)

だいたい「こんな感じでやっていけば大丈夫だ」
というラインは押さえられる自信はある。
とりあえずそれでやっていってみよう。
壁にぶつかったら、またその時に考えればいいし、
その時に考えるしかない。
今考えたところで何にも生み出さないというのはわかるから。

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「役に立ちたい」というシンプルな思いがある。
自分のためだけに動くよりも、誰か特定の人のために、
誰か特定ではないけれど支えたい人たちのために、
自分がのぞむ社会のために。未来のために。

直線的に線がひけるものではないかもしれない。
直線的に線が引けるものは、今できること。
今できることを少しずつやりながら、つなげていくものかもしれない。
私の場合は、先に「こんな社会がいい」がある。
そこまでの道のりは、どう歩めばいいのかはまだわからない。
でも、最近思う。
重い荷物を背負ったまま苦しい思いをしてたどり着いても、そこは望む未来じゃないんじゃないかって。

今の私自身が、鎧を少しずつ脱いでいき、少しずつ軽くなって、
いいことが続いて有頂天になったり、逆に自分の弱いところにどうやっても自信が持てなくなったり、そんなことを繰り返すことも面白いと思いながら、進んでいけたら、
なにかよいものがあるような気がする。
自分の変容がカギである気がする。

「曲がり角を曲がった先にはなにがあるかわからないの。
でもきっといちばん良いものに違いないと思うの。」by村岡花子

アン・シャーリーの言葉を村岡花子が訳したこの言葉を、私はとても気に入っている。
進んでいかないと曲がり角にはたどり着けない。
曲がり角から先は見えないから、不安だ。
でもきっと希望を持って進んでいけば、
その見えない曲がり角の先には「(自分にとって)一番よいもの」が待っている。
期待というよりも、「違いない」と確信している。この言葉がとても心強くて好きだ。

自分に何かできることがあっていっているわけでもない。
ただ、自分はそう願う、そうありたい、そうに違いないと信じている。
自己肯定感は、そうやって自然にできるのが理想なんだと思う。
そして、根拠はなくてもよいから、自分の思いを信じることだ。
だって私はこうありたいんだもん。
そこに理由はない。
敢えて言うなら、私がここにあるからとでも言うべきか。

ふと、「自分の推しになるキャンペーン」が、私の頭の中にやってきた。
自分を信じるとか自分を好きになるとか、
これまでいろいろ考えてきたけど、どうもぴんと来なかった。
「推し」に接するように、応援していけばいいのだ!と
ちょっとビビっときてしまった。なるほど。
推しを見守るように、
推しを応援するように、
推しを気遣うように、
そして推しの行動に励まされ、
自分も頑張ろうと思う、
そんな「自分の推しキャンペーン」をこっそり今日から始めようと思う。

芥川賞をとった宇佐美りんさんの「推し、燃ゆ」も読んでみたいと思っていたところ。
(そこからのインスパイヤだったりもする)

推しを好きな私は、わくわくするし、心地がよいものだ。
そんな感じで自分自身を応援できていくといいなぁと思う。

昨日からは、333や3333の数字を見ることが増えている。
これまでは1や2、たまに4だったので、3は初。

どんな意味があるのだろうと、エンジェルナンバーのサイトをみてみた。
333
“アセンデッドマスターと共に、あなたの才能を使って人々に貢献してください”


3333
“アセンデッドマスターのサポートにより、あなたの道は新たに開かれます”


進め、舵を切れ、
そういう意味だと解釈しました。
あれ、そんなことを書いてるよね、今日。

そう言えば、今日、仕事ファイルからぱらっと飛び出てきたのが、おみくじ。
色が少し変色しているので、いつかひいてそのまま書類に紛れ込んでいたのだろうか。
ぱらっと、気づけよ的に降ってきたこのおみくじ。
大吉でした。

岩ばしる真清水。てり映える月光。平安静寂の極み。心の奥にしみこむ清らかさ。
まさにないも言う余地がないほど完璧にとはいえ治に居て乱を忘れずの自戒を要す。


全ては用意されている。