ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

ほめ活 2021.2.14

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昨日は早く寝ようと準備万端にしたとたんに、娘から電話。
なんだかんだと話をした後夫に代わり、
私は思い立って家事をしていたら、
夫が「地震だって。電話切れた。」と。
すぐネットをみたら、大きな地震の知らせが。
メッセンジャーで連絡を取ると、すぐに応答があってほっとした。

この10年で東北には知人友人親戚が増えた。
だから、今回はとても心配したが、みな無事で安堵した。
自然の前では人は無力だというのを思い知らされる。祈るしかない。

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先日ツイッターでこんな投稿に目が行った。


(あれ?画像出てるかな?)

一時前に、ひたすら他人をほめる、ほめて育てるみたいなのが流行った。
私はそれに違和感を感じていた。
何をほめられているのか、そこに根拠がなくほめても、本人はわかってしまう。
「ほめる」という手法だけが先行したって、本当の育ちのための推進にはならないと思う。
そのこと自体は、変わらない。
でも、対象が自分であれば、と考えた。
意外と自分に対してって、評価が低くなりがちだと思う。
例外はあるかもしれないが、私は、自分へのダメ出しをめっちゃしてしまうタイプだ。
自分に厳しいと他者を見る目も厳しい。
どっちもどっちな点はあるが、
私が目指す、皆にやさしい世界に私自身が反してるなと気づいた。
「自分に価値がない」という思い込みをどうにか外そうとしているが、
価値があるなしで、自分の存在を担保しようという考え自体が人をジャッジする根本だ。
「命自体に価値がある」というある人の言葉に大きく頷く。

そして、自分の想念が、自分の現状を作るのだとすれば、
この私の自己否定感を、自己解決する道を歩む必要があると思うに至った。
やっとね。
ということで、こと自分に対してはなんでもほめてよいのだと思うことにした。
自分を自分でほめることについては、自己有用感ではないわけで。

自己有用感=他者の存在を前提として自分の存在を認めること

これは「誰か」という他者の存在や誰かに感謝されることで、自分を満たす感覚。
誰かの反応や誰かの存在が必要になるので、
他人軸で生きることになりやすい。

ほめて育てるのは、自己有用感へのアプローチだけど、
他者に褒められないと伸びないので、これだけでは成長が見込めない。

これに対して、自己効力感という言葉がある。
自己効力感=自分の能力を信じる感覚。自信。
      やったことはないけど、やれるんじゃないかという期待。

これがあると強い。
自己効力感があれば、意欲も増すし、失敗しても前向きにリセットして進んでいける。

最強なのは、この自己効力感と自己有用感のセットだろうか。
そこまではいかずとも、
とにかく自分が自分を常にOKと言える心持になってみたいと思った。

そのこと自体を「私には無理」と思っている自分がいることにも気づいてるから。

と、つらつらいつものように書いているけど、
数日前からツイッターの別垢で、自分褒め絶賛開始中。
なんでもツイッターでは結構みんなやってるみたいで、
#ほめ活 #褒め活 #ホメ療法なんてのもあるみたい。

そちらも続けてみることにしまーす。
気になる方はご一緒に。
self-innovation!