ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その④二日目は「流れを整える」。魂チームは極楽浄土下見ツアーへ。

その①はこちら↓3日目の私の中でのトピックを書いてます。

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その①衝撃の那智のお滝 - ほほーんと暮らしたい(再)

その②はこちら↓1日目の神倉神社前までです。

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その②初日は魂の細分化がテーマ - ほほーんと暮らしたい(再)


その③はこちら↓1日目の後半、神倉神社についてです。

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ということで、その④です。
その前の夜は寝付けず、寝たまんまヨガのエクササイズを2回半ほど回したところで、眠りに落ちた模様。寝付けなかった割には2時間半ほど深く眠ったようで、目覚めたのは3時45分。それから寝付けず( ´艸`)1時間ほど経ったところで、もう寝るのをあきらめて仕事したりしてましたw
朝がめっぽう弱い私がこの時間に起きるなんて、滅多にないことです。何が起こってるんだろうか?
でも、おかげで夜が明けていく様をじっくり眺めることができました。
とんびがすぐ近くまで来た~。

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さて、行程としては二日目!二日目は一言でいうと「流れを整える」。
導きにより細分化された魂が、輪廻転生に向かい一定方向への流れになっていくそうです。魂は生まれ変わりの修行(生きていた時に成したことや子孫に対して与えてきた智慧など)に入り、生まれ変わりの方向に向けた流れに導かれます(巡禮記講話会テキストより)。

さて、生きている私たちは、まずは花の窟神社から。
こちらはいざなみ(イザナミノミコト)さまが火の神であるカグツチノミコト様を産んだ時にその火に焼かれて亡くなってしまい、後に葬られたお墓です。
ご神体は岩。
対面にその亡くなる原因となったカグツチさまも祀られています。
ここでは親子・原因と結果・死と生等々、相反するものは実は対であることを示しているみたい。

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岩の形状が不思議。どうしてあんなに穴がボコボコ空くのでしょう?
こちらも神倉さんと同じく自然がご神体となっています。
靴を脱いで座ってお詣りしていると、美子ちゃんが横で大声を出します。
何事??と思って右上を見ると、彩雲が!

f:id:miww55:20170309190340j:plainそして青い光が。
これって里実さんのお葬式の時に写真に写っていたのと同じものかな。
今回は、里実さんのご供養も兼ねていました。本人がいてもたってもおられず来てたのかも(^^)

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カグツチさまの横の穴にすっぽりなあみちゃんw
吸い込まれるように収まってました。

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「神だって死ぬ」というインプリケーションは、私たちの人生においてどう影響するのだろうかなどと考える。

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そのまま、熊野灘を望む海岸に出る。
大きな流木がでーんと。その先の海岸線は長く、海は水平線を描いてる。
水平線が黒く見えるのは、黒潮だからなんだって。f:id:miww55:20170309212154j:plain

石同士がぶつかりあって、角を丸くし、磨かれていく。一人ではできない技。
そして拾わずにはいられない石。
こどもの頃、石を拾うのは禁止されていた。石には念が入りやすいと。
実際子どものころは私は怖くて触れなかったけれど、今回は触らずにはいられないほど、みんな丸くてすべすべで、たまらん!笑
これだけ波にもまれている石なら、入れもするが出しもするだろう。
そう思い、3つお持ち帰り。これ、私にしては画期的!
育子さんになんか描いてもらいたいなぁ。

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石を拾う人々。f:id:miww55:20170309212409j:plain

寝転んで見た空

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福岡とは違う海辺。貝がない。砂じゃなくて丸い石だらけ。だから波打ち際の音が違う。石がぶつかり合う音。私が知っていたつもりのことは、一部にしか過ぎない。価値観を揺さぶられる。

ここはとても居心地が良い。石の上に寝ていると岩盤浴をしているよう。
例年は夕方来るらしいが、今回昼前に来れてよかった。夕方は夕方できれいなのだろうけど、私は昼前のこの感じが好き。身体で感じ、特別研ぎ澄ませなくとも五感が自然と働く。f:id:miww55:20170309214331j:plain

 ↑みんなが岩盤浴で気持ちよくなってるところに撮影して回るフォトグラファーさんが登場( ´艸`) 先達やらフォトグラファーやら大変wおっちゃん、お写真くださいませ。

 

熊野の浜 波引き際の音が独特。 #角の丸い石続々 #岩盤浴万歳

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さて、相当気持ちよくなったところで、今日のメインイベントのある陀落山寺へ。
f:id:miww55:20170309224322j:plain補陀洛渡海とは、平安時代から江戸時代にかけて、小さな船に閉じこもり30日分の脂と食糧をたずさえて、生きながらにして南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指す、最後の捨身行。補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られる寺です。

捨身行ですから、海に出て間もなく難破して沈没して、その身は海の藻屑となる、、はずが、その昔、この熊野の浜から補陀洛渡海に出た日秀という僧は、黒潮に乗って琉球にたどり着いてしまったそうで。
まだすることがあったんでしょうね。
そんなこんな日秀さまは、今は入定認定され、お上人になられ、毎回熊野ツアーで皆様から連れられてきた方々をお連れになって、補陀落→琉球の極楽浄土下見ツアーの先達をしてくださっているとのこと。

私も父、祖父母、曽祖父母等々10名ほど連れていき(もしかしたらそれ以上?)、ツアーに参加してもらいました。f:id:miww55:20170309224545j:plain

 

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何百年もこちらにいらっしゃる菩薩行の方々。こちらの方々にご挨拶をし、日秀さまが後ろの方々を連れて行ってくださいました。
このお船で!

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 その後、お寺の中で、名物らしいご住職のお話を。お話好きな方のようで1時間ほど欲しいと言われていましたが、この後団体さんが来られるということで、ばたばたと。
それでも特別にということで、こちらの千手観音さまを見せていただくことに。

写真が撮れなかったので拾い物で。腕は44本あるそう。

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1,2分だったけど、この観音様を見たら、なぜか泣けてきて涙が止まらなくなった。体が先に反応してしまう。
「ありがたい」という言葉が頭に浮かぶ。
この多くの手で、何でも受け止めてくださる。くだらないことから大事なものまで。
初めて「感謝」という言葉が口をつく。
私はこれまで「感謝します」という言葉は嘘くさくて自分ではほとんど使わなかったのだけど、なぜかこちらの千手観音さまの前では、すっと出てきて、そのことに逆にうろたえる私。極楽浄土ツアーに行った先祖たちからの思いとリンクしたのだろうか。

その後、、あれ?体が軽い。肩が軽い。
聞いてはいたが、本当だ。
背負ってきた先祖の方々をツアーに出した途端に、こんなに体が軽くなるなんて。
不思議だけど本当だ。

和歌山ラーメンとチャーハンを食べて、腹ごしらえ。
意外なことに博多と同じような細麺だった。
脂はあるがあっさり中白濁で醤油味。美味しい。
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これから山に入り、三山の2つ目。熊野本宮大社に向かいます。本宮は明治期までは下の大斎原(おおゆのはら)という熊野川の中州にあったのですが、水害にあい、一宮~四の宮までは上に移転したのだそう。

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 御祭神は、熊野三山熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に共通する「熊野十二所権現」と呼ばれる十二柱の神々。
そのうち、主祭神は家津美御子大神(すさのお)さま、本地仏阿弥陀如来さま。
基本的に、速玉さまと同じ神様がいらっしゃるので、同じことを祈ればいいのですが、
手を合わせるたびごとになにか言葉が変わってきます。
具体的になり、祈りはより深くなっていきました。
何度も口にすることで、自分の思いがブラッシュアップされているのでしょう。
また結構泣けても来ます。一番泣けるのは天照さまのところです。
やっぱり私は自分のギャップに思いのほかやられてるんだなぁ。
出来ない自分を突き付けられるのは本当につらいけれど、「辛いです」とまず口にしてみることは悪いことではないのだ。
だってこんなに内側の自分は苦しい思いをしているのだもん。表が光るほど違和感は生じる。正直な私だから、そこをうまく使い分けている人がうらやましいとは思えども、自分はそれをするのも違和感がある。
いい塩梅で表と裏のバランスを取らせてくださいと祈る。

昨日願っていた自分の中のヘタレた自分はずいぶんと減っている気がする。
ヘタレてもいいのだ。それよりもそれを憂う自分の方が問題なのかもしれない。
ここにきてから、随分と納得感が増えている。

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和泉式部のエピソードがある碑。長々と熊野の地を目指し、やってきたのに月のモノがやってきた。こんな体ではお詣りすることは許されないだろうと嘆き歌を詠んだが、熊野の神はそんなことは取るに足りないことだと返歌したという。
今でさえもまだ生理に対する偏見は多くあるのに、熊野の神様は相当の昔からこうしておおらかに座っていらっしゃる。この碑が境内にあることが何よりも素敵なこと。世の中の「生理痛?それって病気じゃないでしょ」なんていう男性は一度こちらに参ってみてほしいものだ。

車で少し降りて、元宮の大斎原へ。
第5殿から12殿までの神様は、まだこちらにいらっしゃり森羅万象のことをつかさどる神たちを中心に、魂の流れを流す番をしてくださっているらしい。

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なにかがピンとくるものではないが、自分が思いつくことにこたえがあるんじゃないかと感じた。
こたえは自分で作るというか、作る必要がなければつくらずともよく、作る必要があれば思った通りにしてみてよいのだと。
河原は広い。

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河原から見た日本一の大鳥居。ちょっと寂し気だけど、周りにはうじゃうじゃ魂の粒が流れているはず。

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熊野ブルー。

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自らいけにえに・・・www

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お水に手を入れてみました。ひんやり気持ちいい。
この川の水もまた魂を整えるのに大きなお役目を担っているのでしょう。
この地になら戻って来たい。

 

二日目はこれで終了。
お寿司やさんでマグロ丼を食べ❤ 育子さんにレイキを流してもらって、胸の重みや肝臓の鈍い感じがすっきりしました。
背中はそのまますっきりしています。あの重みはなんだったんだろう?

さて、最終日3日目に続く。その⑤へ!

 その⑤はこちら↓

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その⑤3日目後半は、先祖供養の集大成とむすび。 - ほほーんと暮らしたい(再)

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その③ロッククライミングな神倉神社

 

その①はこちら↓3日目の私の中でのトピックを書いてます。

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その①衝撃の那智のお滝 - ほほーんと暮らしたい(再)


その②はこちら↓1日目の神倉神社前までです。

miww55.hatenablog.com

その③です。
1日目の後半は、熊野速玉神社の摂社である神倉神社へ。メインイベントです。
というか、途中からそうなりました。
はやたまさまを歩いていると、過去のツアー経験者から「神倉さんは大変」「前回は死にそうだった」「普通には登れない」等々の言葉を聞き、ビビりな私は萎縮しまくってました。
ここまでくればいかないという手はないのですが。ここ数か月前のぎっくり腰が、最近またちょっと痛んだりして怖い。直前に整骨院にも行ってきましたし、コルセットもしてきたので、これを信じて!
摂社は小さいとは限りません。
車で移動して数分の場所ですが、山のふもとです。
写真では見ていたけど、想像以上だった。

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今回の旅は、ご先祖さまも連れてきています。
と書くと、「は?なくなってる人をどうして連れてこれるのよ」なんて言う方もいらっしゃるでしょうが、連れてきてるんですよw
この旅に来るにあたり、幾度か地元の神社やお地蔵さんに「熊野に行ってきますよぉ」とご報告をして、後ろの方々にも「一緒に行きましょね」と再三お伝えしてきました。
そういう見えないご先祖さまと見えない神やなにかとをあると信じ信頼してつなぎ合わせてみる。そういう作業がここでは行われます。
見えないからといって、ないとは限らない。
「見えないものを信じて、しゃべらず、振り返らず、ゆっくりと自分のペースで登る」。これがお約束でした。

この石段ですから、ギャーギャー言いながら登った方が気楽なのですが、
あえてそれをせず、一心に上を目指して登っていく中で、見えないものとの向き合う決心をつける感じもありました。

神倉神社にはこちらに詳しい情報があるので、ぜひご参考に。私が調べた中では一番わかりやすく、いろんな情報がありました。石段のことなんかも書いてあります。

http://www.mikumano.net/meguri/kamikura.html

この記事によると、石段は538段。鎌倉積みというらしいのですが、自然石を重ねた石段なので、上りにくい。途中手をつかないと登りにくい場所も数カ所あって、一度手をつくと、そこから態勢を立て直す時に腰に力が入る。それが腰に不安を持つ私には怖い。登ること自体は、嫌いじゃないのでいいんだけど、実際は降りる方が怖かった。

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登りきると、こんな感じで、巨石がごろっとしています。これらがご神体。(一番大きい岩はゴトビキ岩というらしい。ゴトビキとはカエルのこと。手前のお手水岩のところでもカエルの鳴き声のような音が聞こえます)
こちらに熊野のお神様が降臨されたとか。
その横にお社があります。
見晴らしも素晴らしい。お社では何を願ったのか忘れました(--;おそらくほっとして「登れましたぁ!」という報告で終わったような。なにしろ狭いので、後から来られる方もいらっしゃってゆっくり祈れない。

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横にスライドして、(といっても一度途中まで降りて岩をまた登って)

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この岩の部分は名前が明らかではないのですが、
女性器の形をしています。
神社には女性器男性器を形どりお祭りされているところも多いと聞きますが、私は初めて参りました。正直なところ、あまりこの手のモノを目の前にしてすんなり参る気持ちを持てなかった私でしたが、(で、ここに登るまでここに在ると知らなかったし、心の準備もなかったのですが)なぜかここで手を合わせると、違和感なくて、また先祖の方々に対し、ありがたいという思いが湧き出てきて、それが非常に不思議でした。

横にスライドすると、(ここも一度途中まで降りて岩をまた登って)、クリトリスを形どった部分も。
育子さんのナビも入ります。「自分が気持ちいいと思うことを大切に思っていい。」育子さんが言われた言葉通りかどうかわからないけど、私はそういう風に受け取り納得しました。自分を認めるということは、こういうことなのかもしれません。
ここは写真が撮れなかった~。場所的に身動き取れず。

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 随所随所に右回りにねじれている木が。

気の力?磁力かな?
確かにここ周辺でお参りしている時に、あわせた手に右周りのループの力を感じます。

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 火神社とお地蔵さま。

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よく見ると、変わった鳥居です。
>両部鳥居。
>両部とは密教の金胎両部(金剛・胎蔵)のことでを、両部鳥居は神仏混淆の神社に多く見られます。
と先ほど紹介したブログより。
綺麗な朱塗りで手入れされています。

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最後は猿田彦様に、ご挨拶。おかげさまで迷わずに下山できました。ありがとうございました。

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ふもとの小学校。ちょっと暗いのでわかりにくいけど、木造でいい味出してました。
子どもたちがあの石段をワーワー言いながら駆け上がっていて、微笑ましかった(^^)
こんなところで育ったこどもたちは神仏と自分たちをどう位置付けてるんだろう、なんて思ったり。


さて、初日はこれで終了。回転ずしのご飯→ホテルで大浴場のんびり。ホテルの部屋も広々。
リラックス❤
ベッドはダブルサイズ。のびのびでした~。

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 その④はこちら↓

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その④二日目は「流れを整える」。魂チームは極楽浄土下見ツアーへ。 - ほほーんと暮らしたい(再)




 

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その②初日は魂の細分化がテーマ

その①はこちら。3日目の私の中でのトピックを書いてます。

miww55.hatenablog.com

さて、その②は1日目に戻って書きます。

今回の熊野ツアーは3つのステージに分かれています。これは魂が輪廻転生に向けて細分化清流→収束するという流れとあわせてあるようです。
1日目は魂の細分化。
2日目は細分化された魂が輪廻転生に向けて流れを整える。
3日目は整えられた魂の粒が、また新しい魂に収束される。むすび。

ということで、1日目の魂の細分化ステージは阿須賀神社から。f:id:miww55:20170309121947j:plain
熊野は「黄泉の国」。対して伊勢は「現世」という対比がされるようです。
日の当たる昼のこの世からすると真逆の夜の黄泉の国。この世とあの世。
(正確に言えば熊野は黄泉の国の入り口)

なんで私がこのツアーに行ったかというと、この世を生きる上で、この世だけでは立ち行かないものがあると思うから。「イマココ」は重要だけど、その「イマココ」を生きるために「イマココに居る私はどこからきてどこに行くのか」を知ることが大切だと思ったのです。
私たちがどうやって生を受けて生きてきたかというと、その前にご先祖様という人たちがいたから、その人たちが連綿に命をつないできたから、私たちは今ここにいるという事実があるわけで。
そのことに対して背中を向けたい時期もあったけれど、自分がいかに生きるかを考えた時に、冷静に「自分のルーツに目を向ける事」と、「自分がいかに今を生きるか」と、「自分の肉体がなくなった時にどうなっていくのか」に目を向けていくことが、セットで考えられれば、私の「こう在りたい」や「いかに生きるか」に納得感が出てくるのではないか、そう考えたのでした。

巡禮記講話会で熊野の話を聞いた時、実は熊野がどこにあるのかも何があるのかも全く知らなかったのですが、「ここにいけばさがしていたことがわかる。3点セットだ!」と思った衝撃が残り、参加を決めたのでした。
性格上、理論的に仕組みが分かった方が納得がいくというのが多く働きました。

さて、阿須賀神社です。
ここでは「なぜ熊野に来たのか」を問われます。

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祭神:
事解男命(ことさかおのみこと)
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)
配神:
事角見命(事角見神、たけつねのかみ)
黄泉津道守命(黄泉津道守神、よもつみちぬのかみ)

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事解男命さまとは、ひるこがみさまのこと。いざなぎ様いざなみ様の間に生まれた最初の子ですが、不具を理由に川に流されてしまいます。葬られた子=水子と考えれば、黄泉の入り口ならではの祭神と言えるのでしょう。
熊野速玉さまは、いざなぎさまの権現。本地仏薬師如来さま。
熊野夫須美さまは、いざなみさまの権現。本地仏は千手観音さま。
家津美御子さまは、すさのおさまの権現。本地仏阿弥陀如来さま。

で、なぜ熊野に来たのか。
まだうまく言葉でまとまらないながらも、ご挨拶。
今回は、「自分が今明らかにしているミッションや思い、これから体験する祈りを体感し、腑に落としたい、納得したい」ことをお願いしました。

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須賀神社の境内には、お稲荷様や龍神様もいらっしゃいます。お稲荷様には足りないものを、龍神様にはこの旅がいい流れに乗り得たいものを得、その後にも流れをつくっていけますよう祈ります。

さて次は、、ごはんです笑
名物のめはり寿司をいただきます。
確か、大きいので目みひらいて(目をはって)食べることから、この名がついたのじゃなかったっけ。いただいたのは初めてでした。九州では高菜はからし高菜にするからなぁ。

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なかなかボリューミー。
このお店で何やかやくつろいでいたのですが、うむ、この状況みたことあるぞ~と思ったのでした。もちろんこちらには初めて寄せていただいたので、リアルではないのはまちがいありません。でも、美子ちゃん夫婦とさいこちゃんがいた図は確実に見たことがあるのです。この並びで。これって予知夢なのかな?厳島に行った後だったかと思う。
夢にしてもその時は熊野にいくなんて決めても居なかったし、このお店も知らなかったし。
このデジャブみたいなやつ、何か関係があるのかなぁ。よくわからない。

さて、次は熊野三山のひとつ、熊野速玉神社です。
神社では摂社や末社も大切なモチーフのひとつ。
摂社・末社は主となる本社・本宮が手に負えないところを手助けする役割だそう。
こちらでは、八咫烏(やたがらす)神社と手力男(たちからお)神社が並んでいました。
八咫烏は、神武天皇の道案内をした3本足のカラスのこと。
なのでこちらでは、道中・また人生を怪我なくさわりなく行けますようにとお詣り。
手力男さまとは、あの高千穂の天岩戸を開けた方だそうです。その戸は遠く長野の戸隠にまで飛んで行ったらしい(だから戸隠という名前になったとか)。だから力の強さがfeatureされがちだけど、実はそれよりもその扉がちょっと開いたタイミングで手を入れ、引き開けたというもののタイミングを持っている神様でもあります。
「自分の心に嘘をつかず心をひらけるか」と問われます。
私の中には大きなふたがあると思っていましたが、お詣りした瞬間、大きな石の扉である感触がありました。これを外すのは容易ではなく力からもいるけれど、ともかくはそこに手をかけるタイミングと飛ばすコツがいるようです。この石の扉は外してもまた生成されそうなので、ここは後で出てこられる大国主の尊様の打ち出の小づちで、ガンガン地ならしをしてできないようにする必要がありそうw
で、天岩戸のメタファーで行くなら、自力では開ききれないので、誰かにてつだってもらうということなのかな。

さてさて、やっと熊野速玉神社の本殿です。
こちらは、魂が細分化されるところ。結んでいたものがほぐれる場所。流れに乗るために、魂はもちろん現世の自分自身が、自分だと思っているものをバラバラにして行く作業が必要です。
人が死ぬと体がなくなるだけで、魂は残ります。これがよくいう火の玉の状態らしいのですが、そこには体が合った時代に対する未練や思念、雑念、執着が存在します。これがあるままでは成仏は出来ない。成仏して輪廻転生するためには、これらの雑念等を廃止、一旦固まっている魂をバラバラにして分解していく作業が必要なんだそう。要素分解と一緒なのかな。私を形作っているものは、固まってこそ私だけど、細分化されたって私の一部だと信じることができれば、バラバラにしても違和感がないのでしょう。そこにしがみつくことこそが執着。
本地仏である薬師如来さまのお力を借り、普遍的な森羅万象の悟りがここに参った私たちの魂から執着を脱がせ、細分化の手助けをしてくださるようです。

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こちらは12殿もあります。


第一殿は、祭神:熊野夫須美大神(いざなみ)さま、本地仏:千手観音さま
祈りは、「自分の力でできるように。自分のありたい姿、やりたいこと、思い、悩みを並べて自己紹介。しんどいならしんどいですでいい。」
第二殿は、祭神:熊野速玉大神(いざなぎ)さま、 本地仏薬師如来さま
祈りは、第一殿と同じ。
第三殿は、祭神:家津美御子大神(すさのお)さま、本地仏阿弥陀如来さま。
祈りは、「自分が強力に祓い清めたいこと」。私の場合はヘタレ、抱える、弱さ、緊張。
ここまでは陰の世界。


第四殿は、祭神:若宮 天照大神さま、 本地仏:十一面観音さま。
天照さまは日の当たるところを見る神様。表の顔を早い清め、仕事や人気についてのお願いを聞いてくださるそう。第三殿までが陰だったのにくらべ第四殿は陽。これらを両立することってしんどいけど、必要だと言われます。
ここは非常に納得できました。
そしてこれが私のテーマのひとつでもありました。
陰での自分がなかなか落ち着かないのに、表では表として仕事をしていかねばならない。そのギャップが一番堪えているのが私自身。でもそれはそれでいいんですね。しんどいですって神様に知ってもらえていれば。それがダメなことだと思い、頑張っているけれどもなかなかあるべき自分の姿にはなれない。それに対して大変呵責がありました。だから、それをそこで「しんどいです」って言えたことで、結構ほっとしたりして。
ちょっと感情がでちゃいました。胸が痛い。悲しい。
第四殿のもうひとつは、神倉さま。
こちらは後で登るので「あとでいきまーす」とご挨拶。

第五~八殿は一緒になっています。
第五殿祭神:禅児宮 天忍穂耳尊さま、本地仏地蔵菩薩さま
第六殿祭神: 聖宮 瓊々杵尊さま、本地仏龍樹菩薩さま
第七殿祭神: 児宮 彦火火出見尊さま、 本地仏如意輪観音さま
第八殿 祭神:子守宮 鵜葺草葺不合命さま、本地仏聖観音さま
こちらでは、神様が人になる、神が死ぬことを目の当たりにするということを認識する意味があるようです。神と人の間の方々がここにはいらっしゃるよう。
だから祈りとしては「私が生きている間、わからないものやことがあるでしょう。神様の生きざまを教えてください。」
神も輪廻転生する、神も死ぬ、だから連帯感を持って(信じて)生きていこうねと言われている気がしました。
最後、九~十二殿も一緒になっています。
第九殿 祭神:一万宮 国狭槌尊さま、本地仏文殊菩薩さま
       十万宮 豊斟渟尊さま、 本地仏普賢菩薩さま
第十殿祭神: 勧請宮 泥土煮尊さま、 本地仏釈迦如来さま
第十一殿祭神: 飛行宮 大戸道尊さま、 本地仏不動明王さま
第十二殿祭神: 米持宮 面足尊さま、 本地仏多聞天さま
水、土、流れ、気力、モノの形、表情などをあらわす神様で、
祈りは、「モノを成し遂げる執着、やり遂げる持続、地に足をつける本気力など、道筋と着いてくる道の両方を成就する力をお与えください」。
ここでは自分のやりたいことを人前で言える自分、自分では見えない、人から見た自分を見る力を持てるような自分になるようにと、祈ります。
お詣りはすればするほど、今自分がやっている書くPと同じだと納得します。
生きるために必要なことは自分の中にあって、でも自分じゃなかなか出せない部分もあるから、こうして神や仏に祈ることを通じて、自分の中にあるものを出し、自分の中にあるものと何かが呼応して出されることで気づいていく。そういうものかと。もちろんもっと神や仏には私たちが想像しない幅や奥行きがあるのでしょうから、その力をお借りしてもっと知らないことを知りに行きたいと思います。

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お隣には金毘羅様が。瓦に金の文字があります。
金毘羅様にお詣りするのは初めてです。

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「道中つつがなく、故障なきようお願いいたします。」

長くなったので、1日目だけどその③に。

その③はこちら↓

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その③ロッククライミングな神倉神社 - ほほーんと暮らしたい(再)

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その①衝撃の那智のお滝

3/3-5で、巡禮記の熊野ツアーに行ってきました。

巡禮記 熊野三山ツアーとはこちら↓

ameblo.jp

3日間のうちの、最終日からレポします。
記憶が新しいうちに~ってのもありますが、一番強烈な出来事が私に起こったからというのが一番の理由。

今回の熊野三山ツアーの行程は以下の通り。
1日目:阿須賀神社めはり寿司→熊野速玉大社→神倉神社→回転寿司
2日目:花の巌(神社)→熊野灘→捕陀落山寺→和歌山ラーメン→熊野本宮大社→大斎原→あづま寿司(後ろの方々は、日秀さま先達で捕陀落山寺→金武・観音寺→阿弥陀寺の極楽浄土下見ツアー)
3日目:飛瀧神社那智の滝)→那智熊野大社→うどん屋→青岸渡寺阿弥陀寺(後ろの方々と合流)

で、3日目です。
飛瀧(ひろう)神社に向かいます。実はこの神社のことも那智の滝の存在も、このツアーのことを聞いて初めて知り、かつ直前までどんなところなのかも知らなかった私(汗;

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ここは、熊野那智大社の別宮で、ご祭神は大己貴命大国主命さま。
那智の滝自体がご神体なので、本殿はない。自然信仰として直接滝を拝みます。
熊野信仰はココから始まったともされるらしく、修行の地でもあったよう。
魂のみなさまも結構いらっしゃるらしい。

石段が続く。1日目の神倉さんに比べればへでもない石段なんだけど、徐々に胸が痛く重くなっていく。
滝を目の前にして下りの石段をもう少しで降りるという頃に、それはいきなりやってきた。
瞬間的に私は足が止まり、「いやだ~~~!」と叫び、後ろを向いて硬直。。
その先に何があるのかわからないのに、その場所から先に行くのが怖い。恐ろしい。よくないことは見たくない。そんな感じ。私の中の何かが大きく抵抗した。わずかに一部冷静な自分がいるけど、9割はわーっとなっているので、止められない。わめき泣いて抵抗する。

感情が出たというのとはちょっと違う。私の中の何かがそれと呼応したのだろうか。
思いっきり駄々っ子のように「やだやだ」ばっかりしか言葉が出ない。

私は、父を19の時に亡くした。
父は亡くなる数年前から、お神様事をしていて、亡くなる前は英彦山でお滝に打たれていた。元々心臓がよくなかったので、死因は心臓弁膜症となったが、一部の方からはお滝にやられたと聞いていた。
滝を見ながらふと思い出して、先達の育子さんにはそんな話をしたところだった。

いきなり私がそんな風になっちゃったので、あわてて先達のお二人が来てくださる。
育子さんから話を聞いた須佐さんが、
「お父さんはお滝が原因で亡くなったんじゃないよ。
お父さんは文覚様が付き添われて、こちらのお滝で修業されるみたいだから心配ない。
弘法大師さまもいらっしゃっている。」
と言ってくださって、ほっとする。
そうか、やっぱりこれは、私の中にある”滝に打たれて亡くなった不憫な父”にたいしての思いが、それこそ滝のように雪崩れて出てきた感じなのだろう。

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那智のお滝。今回は水量が少なめらしい。

背中を押してもらいながら、どうにか護摩焚きをする。5本。
「残されたもののやるせない思い」「残したものへの申し訳ない思い」等々の思いをそれぞれ口にしながら護摩を焚く。
まだ涙が止まらない。胸から出てくる。

それから、那智御滝拝所へ。滝を一番近くでみれるところ。
須佐さんいわく、父は滝の下方に小さな流れが3本あるうちの一番左に居るそう。滝の上にいるらしい。滝の上にいて、それは修行になるのだろうか。。
私はみえんのでよくわからないが、なんだかとにかくあれこれとにかく悪態つきたくなる。

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だって、悲しかったし辛かったのだもん。
あれから、30年以上過ぎてるけど、いきなり居なくなって、どれだけ私は母は悲しかったかってわかっとらんやろ~~~!

 

須佐さんからは「お父さんだって、おいてきて死ななくちゃいけなかった思いがあるんだよ」と言われましたが、それもわかる。わかるけど私の中の30年以上の思いがもう止まらなくて、ぐしゅぐしゅ大泣き。ふえーんって子どもみたいな泣き方してしまう。
育子さんがずっとそばにいてくれて、背中をさすりながらいろんな話をしてくれます。それが妙に納得するも、激情的な思いは、わーっと湧き、すっと引き、またわーっとというのの波が繰り返される。
そんな中「まず、この思いを出してしまいましょう。叫びますか?一緒に叫びますよ」と育子さん。


へ?叫ぶ?
声には全く自信ないんです。声量ないし細いから。あそこまで届かん。
でも、育子さんと一緒なら、育子さんの声と一緒なら届くかもしれん。
そう思いました。
思いの出ようとのタイミングがなかなかうまくあわずに、ちょっと時間がかかったけど、
育子さんと、その父がいるというところめがけて「ばかたれ~~~!」と叫んできました。
父に届いたでしょうか。悪態が。
悔しかったら、私に聞こえる声で返事しなさいよっ!
~~
ここで結構時間を取ってしまいました。ツアーご一緒したみなさま、お待たせしてごめんなさい。
おそらく何が起こったのかみんな知らなかったと思うのですが、こんなことでした。自分でもあんな風になるとは思ってもなくて、私もとっても驚きました。。。。
最初は何かが憑いたのかと思ったけど、そうじゃなかった。
「修験者の方々がいっぱいいるねぇ」という話に、それに反応してなんか自分の中のものがざわっと動いた気がしたのでした。


===
滝を見るところの左手の階段を上り、そこでお滝のお水をいただきました。
杯はお土産に。
そこからちょっと上がって祈願所へ。
窓からお滝(大国主命さま本地仏は観世音菩薩さま)と、そしてこちらには役小角行者さま、不動明王様がいらっしゃいます。神仏習合

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 お札のところには、お滝の行者様のお名前も。弘法大師様も文覚様のお名前もありました。父、この方々についてしっかり修行なさいませ。

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まだ、3日目のしょっぱななのに、こんな感じでのスタートでした。時間も字数も食ってますw

長くなるので、とりあえずその①はここまでに。

その②はこちら↓

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その②初日は魂の細分化がテーマ - ほほーんと暮らしたい(再)















仕事モードで書き始めたのに、いつのまにかこうなってしまった今日の投稿

刺激的でした。
昨日の夢チャレの勉強会では、中高生に向けて「志を見つける未来志向のキャリアデザイン」というテーマで、メタファーワークを使い自分らしさに気づくワークをやってみました。
 
最初に中学生にキャリアデザインをどう説明するかは、非常に悩みましたが、
今回は「キャリア=その人の生き方」とし、キャリアデザインは自分を起点してはじまるもので、
こんなことをしてみたい」「こんな生き方をしたい」「こう在りたい」という自分らしい思いを基に、それを自覚しながらチャレンジしていくことが大事なことだとして、構成しました。

キャリアデザインってなに?なぜ考えなきゃいけないの?どんなことを考えるの?キャリアデザインを職業だけで考えちゃいけないの?等々を最初に話してからのワーク入り。
子どもたちの集中度を保つには10分くらいで行きたかったのだけど、13分かかっちゃった。
バッサリ切ってもう少しゆっくり行くべきだったかな。。。と思う気持ちもありましたが、
前日に紙に書きながら、何度か軌道修正した中で、やっぱり伝えるべきことは伝えようと思い、路線を決めました。”その場の理解より、後からの理解”を期待して。
実際、その後のメタファーワークはかなり集中&開放のワークであり、かつ自分らしさはこういう方法で見えてくるんだということが体感的にわかるワークなので、前段では少しお勉強チックにいってもいいかなと。

今回の参加者は勉強会常連の中1中2の3人と、スタートアップカフェのツイッターを見てきてくれた高校生2人。 そこに元夢チャレ大学生チーム統括のAちゃん、Sちゃん、現役大学生チームのHちゃんが加わって、場が作られていきました。

ASコンビはワークは一年ぶりだけど、とにかく頼れる子たち。しゃべりが上手なのは当然だけど、なによりも大切なポイントがよくわかっているので、こどもたちを見ながらの臨機応変な態度がもうばっちり。久しぶり感が全くない。
そして今回大学生1人で参加してくれた4年生Hちゃんが、最近非常に伸びてきてて!
今回は先輩の力を借りて下がることもできたのに、がっつり来ます。
今回かなり大切な役割を自分からみつけてやってくれてました。
事前にFBでやり取りしている中でも、実際に何度もやってきた感触を意見や提案に昇華させて、しっかりぶつけてきてくれます。
最後の最後でこんな風に伸びてくる子もいるってのは、この仕事をやってて、ほんとにかなり嬉しい。
この3人の共通点はタフさ。心がタフ。
今回中高生を見てて、その個性や表現力にもかなり光るものを感じたし、学ぶことが多かった(夢チャレのFBページで、またその辺は書きます)のですが、彼女たちからも学ぶこと教わることが本当に多くて。
私が置かれている大学生たちとの場って、本当にありがたい場です。終わった後のKASAでの打ち上げで、ひしひしと実感しておりました。
ここにたどり着いてる私も、自分の感性を信じて自分の北極星を掲げて、今ここにいるので、そこはやっぱり間違いはないんです。私もすごいのですwww

ここ数日は、時間感覚が麻痺したように思える日々でした。
大切な方々の訃報を聞き、身内の病気や不調を目の当たりにしながら、心が揺れてもやらなくてはいけないことが目の前にあり。
でも、それに救われた思いもありました。 その一つがこの勉強会でした。

自分がいかに生きると決めるのかなんですよね。
揺れながらもひとつひとつを決めていく修行を今しているのだなと感じます。
これまでは「決めたら絶対だからちゃんと決める」方針だったのが、
「決定を仮止めする」という方針に変わりました。
この変化は自分の中ではめっちゃ大きいのです。
やっとここまできたなという。
かなりのジャングルに迷っていた期間が結構長かったので、やっと抜けた感じがしていて。
体力をつけながら見失っていたタフさを復活させたいと思っておりますw

節分に間に合ったかな。 厳島で思ったことを、昨日日常生活で具体的にやってみた感じ、悪くない。いや、いい。
冷や汗をかくようなシーンもあるけれど(´・ω・`、私のこれからの決意を実際に出来る場があるって素晴らしい。それがもう嬉しくてたまらない。

厳島での祈り+気づき②

miww55.hatenablog.com

この前の記事はこちら↑

厳島神社の本殿から出て、
海側に渡ったところにある境外の末社へ。
清盛神社。
この旅での私の一つのベンチマーク的な神社でした。

思ったより小さかったけれど、存在感がありました。

ここで須佐さんからのお言葉。
「千の祈りより、一つの自我」。
この言葉は清盛さまからのメッセージだとして、
一人ひとりその解釈は違うし、違っていいのだろう。
思いのままに生きていますかということを考えなさいということだと思う。
私の解釈は「お前は自分がどう生きると決めるのか」と問われているという意味に受け取った。
「祈ってばっかりいるけど、で、どうしたいの?何を決めるの?」って迫られているような…

結局ここでの祈りは、なんかしかっとしないものだった。
自分の中では祈りに自分の気持ちを綴り、間違いはないつもりでいるけど、祈ってるそばからなんか言葉が違う気がして、もやっとした。

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海側の道を歩く。
大鳥居は時間がないので今回は近くまで行けず。
フェリーの中の説明によると、この鳥居は海中に留められてはおらず、この鳥居の重さで立っているそう。ここにも賢人の知恵が。こういうところに私は妙に反応するw

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 さてさて、次は仏閣ゾーンに。大願寺へのお詣りです。
大きな大きな不動明王様にお詣り(不動明王様は撮影禁止だった~)。
不動明王さまは、大日如来さまがもっと庶民に近い存在として明王となられている姿。
本当は観音様なので優しい方らしいのだけど、「優しい顔ばかりしてても本音言わないでしょ」ってわざわざ憤怒の顔で現れてくださってるのだそう。

次に龍神様のところへ。
こちらの龍神様はブースっぽいところにいらっしゃる。大願寺の中央部分に自分の居場所をもってらっしゃる。なんだかこの周辺だけ空気感が違う。
そもそも水辺が近いからなのだろう。この下には水があふれている感じ。
このあたりはいろんな神様が混在されているが、それぞれが自然に在る感じが素敵だ。

f:id:miww55:20170113234705j:plainこの頃からもう何を祈ったり願ったりしたのかわからなくなってきているw
清盛神社で少しもやっとしたものの、龍神様にはストレートにお願いをしてきた。

そして本尊のべんざい天様のところに。もとは厳島神社にいらっしゃった
べんざいてん様が神仏分離令でこちらに来られたそう。薬師如来さまも本尊としていらっしゃる。
ここからは仏閣ブースで、人が多いため、ろうそくと線香を求め火をつけ祈るタイミングもあって、私の場所場所で書いていたメモも途切れがち。
べんざいてんさまは秘仏なので、お顔が見られず、残念。弘法大師さま作で八つの手があるものだそう。6月17日に行けば見れるそうですが、人が多いよねぇ(↼当たり前)
でもしっかりと、「私に女性としての仕事をちゃんとさせてください」と祈ってきました。
べんざいてん様が好きなのは、私にとって伝えたいことお願いしたいことが明確だからかもしれません。

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めらめらと燃える線香たち。護摩焚きではありませんが、いい感じだったのでパチリw

こちらは弘法大師様が開かれたお寺。弘法大師様もいらっしゃって、つくづくいい男だな~と思っていました(失礼ながらw)
とりあえずここで一旦おみくじを。
大吉!でもよくよく読むとそうでもないけれど、こう書いてありました。
「はじめは思うようにならないことも必ず成就します。いそがずあわてず信心しましょう」

ここまでで、結構頑張った感があったのだけど、ここからがディープゾーンらしい。
ということで、みんなでお茶休憩してから坂を上ります。
大聖院への道。こちらも弘法大師様が開かれたところだそう。
これまでが平地で結構道幅の広かったところを行っていたのに、
今度は山に向かっての坂道。川も流れていて風情があります。
でも今回は結構早歩きで歩くので、あまりのんびりな感じでもなく。
あ、でも途中で大きなお屋敷のお庭に白い花がぽつぽつと咲いているのを発見。梅かなぁ。春は見えないけどそこまで来ているのかな。

大きな仁王門をくぐり、あちこちの小さなこどもの羅漢さん??をみながら登っていきます。
可愛い子がたくさん!

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途中の鐘楼堂でひとりひとりゴーンと鐘つき。
いい音が響いて気持ちがよかった。鐘の音の振動ってすごい。体中に響きます。
ここでは、身体で感じろというか身体に落とすことが命題かな。

こちらのお寺は雰囲気的に修行中~という感じがします。
実際に修行が行われているのかわからないけど、宿坊的な。。。

十一面観音様にもお会いしました。お久し振りです。
両親が健在の頃はよく愛宕神社の十一面観音様にお詣りをしていましたので、
懐かしいという感じがいっぱいに広がりました。私の後ろの父親が反応?笑

こちらの観音様はお顔が人間っぽく、誰かに似ているなぁと思ったのです。お顔は出てくるのですが、どこで出会った方だったかな。

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こんな現代アート的なものもあちこちにあります。見方によっていろんな解釈ができる現代アートって、実は仏閣とも通じるものがあるのですね。私は現代アートについては理解がある方だと思っていたけど、この視点はなかった。新しい発見!

施無畏堂。せむいというのは、観世音菩薩さまの別称だそう。相手におそれを抱かせずに救うこと。観音さまはそういう優しい面をお持ちです。手前の金色の方よりも奥に観音様がいらっしゃいます。

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「人には"魔”というものがある。でも"魔”ってよくわからないよね。ここでは"魔”がよくわかりません。私にとって"魔”とは何でしょうか?と尋ねてみてください。自分がついやってしまうこと、払いたいこと、自己卑下とか…」
と須佐さんに促されながら、その通りに手を合わせながらつぶやきます。

この手の問答は、はじめは全く自分の中にこたえがなくても、仏様に伺いぶつぶついうことで、いろんな考えが降りてきます。
いや、降りてくるというよりも、自分の中にあるものに気づくことが多いのです。
仏様にぶつぶつと話をしながら、「私の”魔”ってこれだよな」とつくづく感じることがあります。そしてなんかそういえば、これもあったあれもあったとザクザクと出てくるw
魔は払うものもあるけれど、「そういう私ですが」とそのまま神仏にすがることもできる。すがったまま生きるということもできるんだというのも、なんとなくリアルな感じで受け止めることができます。

さて大詰め。
観音堂へ。(多分)
須佐さんが、「時間をかけて自分のペースで祈ってください」といわれます。
モヤモヤしていた思いもなんとなく収まっていたものの、再度こちらに来た思いと悩んでいること、モヤモヤした思いをそのままお伝えしながら、、、

ーーーここまでの途中の祈りの中で、自分のミッションやビジョンははっきりしていることは再確認できてました。
そこに至るまでに何をどうすればいいのかわからなくなってきて、それが今回の旅で一番お尋ねしたいことでもありました。

でも、ふと思いました。
「今の自分とミッション、ビジョンが明確であれば、どう行くべきかなんてあまりに気にしなくていいのではないか」と。
「後はよろしくお願いしますと、必ず自分はここに行くんだと思っていれば大丈夫じゃないか」と。

この気づきには、ちょっと雷に打たれたようなところがありました。
だって、私は自分を信じることができていなかったから。
一歩一歩ちゃんと固めていかないとてっぺんにたどり着けないと思っていたんです。
自分を信じることができなければ、この「間」をゆだねる事はできない訳です。だから、この考えがふと出てきた時には、驚きました。
「私は委ねてもいいやと思えるようになっている!!!」
これは驚きでした。

これまで私は自分というものが信じられなかった。
自分というより自分の身体に対しての大きな不信感があったのです。
頭ではわかっていたんです。自分を信じる事が大事だって。でもそれができないのは、自分のからだ(健康)に自信がなかったから。

いつも私の気持ちや目標を崩すのは私の健康でした。
でもそれは自分がそうしていることにも気づいていました。
だけど、どうすればいいのかがわからなかった。
だから何度も考えたし、何度もカウンセリングを受けたりしたけど、
自己否定は外れなかった。

でも、ここ1年の動きの中で、からだの悲鳴を受け止めて、自分を観ようと決めたのです。
動きの始まりは、丁度1年前の事でした。
1年前の成人式の日だから、ちょうど本当に1年前になります。
私は覚悟を決めました。というより、決めざるを得ませんでした。
「このままじゃ死ぬ」と感覚的に感じた、いや思ったという方が近い。
それで、この日丁度うかがっていた櫛田さんに、「お願いですから、とにかく健康をください」とそれは必死で祈りました。
すると、すぐに体の拒否反応は静まりました。
ここで私は初めて、神仏に必死に本心で頼むと聞いてくれることを知ります。
そして、そのことと、私自身が体を持つ人間で在り、この体とともに生きていくしかないんだということを体感的に知ることにもなりました(若干今思えばが入ってますが)。
それでもう覚悟を持って(というより、本能的に)自分を縛っていた社会のしがらみを一旦外し、会社を辞めることを決め(これは大変勇気のいる事でした。)、信仰によって自分の人生を見直す決意をした時でもありました。

今思えば、櫛田さんは清盛さまが通われた神社でした。
数年前、初めて行った巡禮記のお詣りが櫛田神社東長寺で、弘法大師様の話、清盛さまの話が満載のお詣りでした。
あれが始まりでした。ああこうしてつながってきたんだなぁとちょっと感慨深かった。

今、自分の自己否定がなくなったかというと、そこまではないのかもしれません。
でも、自分を愛でるということがちょっとだけわかってきたところでもあったのです。それは昨年ちょっとずつやってきた自分開きの成果かな。
ここにきて、ずとんとそれが決まった、ハマった感じです。ーーーー

ということで、ここでの気づきは、
「今の自分とミッション、ビジョンを固めて、あとは委ねること。自分に、神仏に、相手に、環境に。」
これは実は、仕事上でも出てきていて、わかっていたことでした。
私が今大切に思っている仕事は、本当に気づきの宝庫で、これは私のミッションやビジョンともつながっていることだから、直接的に出てくるのでしょう。
私にとってはとてもわかりやすい。これはすぐこんがらがる私のために、わかりやすくなってるんだわ。

観音堂では、ダライラマ14世が開眼したという東南アジア風なキラキラな弥勒菩薩さまがいらっしゃって、その方のお顔が、今回初めてご一緒させていただいたあいりさんのお顔に似ているなぁととても思ったのも、私にとってはなぜか印象深いできごと。

最後に愛染明王様へのお詣り。
愛染明王様は、神仏の中で唯一「だって好きになっちゃったんだもん」をOKとされる方。不倫や不貞を認めるというよりは、そういう枠で自分が開けないことの方が罪悪だと思われているのかなと感じます。
自分がタブーだと思っていることは、自分を鎖でしばること、自分を勝手に罰したり、自分が自由になること、自己愛を否定することにつながるような気がしています。
だからここでもブツブツとお詣り。
もしかしたら初告白かもと思ったけど、
でも、これも数年前の東長寺愛染明王様にはお詣りした記憶があって、多分この時の祈りと同じこと祈ってる、、はず。

さてやっと1クール、といったところで、おみくじ。
小吉です。
「このみくじにあうひとは、はじめ思いこと叶いにくく、急がず心静かに時を待てば
後には 神仏のご加護ありて 幸せの路開かれる」

その前に引いたおみくじと同じことだ。。

まだまだ道は途中なのね、と思いつつも、この道は正しいんだなと思えるだけでもありがたいと思ったことでした。うまくできてるー。

さて、帰路はまた自分の中でドラマがあったのですが、それはまた番外編で。
とりあえずは、これで厳島への祈りの旅は一旦終了。
お疲れ様でした、私。





















厳島での祈り①

厳島に行ってきました。
厳島が正式名称で、宮島は通称とWikiに書いてありました。行政区分は宮島町らしい。ちょっとややこしいw
広島駅からJRで30分ほどの宮島口から、フェリーで15分ほどで厳島に到着。
着いて厳島神社までの参道で圧倒的なのは、しゃもじと鹿!f:id:miww55:20170113164506j:plain

べんざいてん様いちきしまひめ様)が持つ琵琶の形を真似て作ったのが、この地で起こったしゃもじ産業の最初らしく、今でも木製のしゃもじの産地としては日本一だそう。ちなみにしゃもじは「杓子」と書くそうです。

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鹿はなんでこんなに多いのかわかりません笑

さて、今回の厳島への祈り旅。

2017年 巡禮記遠足 初春詣り 厳島神社|生まれてよかったね!を伝える。育む。【うずめ カフェ】ikukoのブログ

松本育子さん主催、須佐厳さんの先達で、行ってきました。
祈りは自分と自分の生活とつながっているもので、地元の神仏にお詣りをするのが基本部分でもあると思う一方、行きたいところには遠くても行って祈ることは必要だなと思う時期に来ていて、
そういう意味でも1月の3連休は動けるいいチャンスだったのです。

巡禮記の講話会でもとにかくよく話が出てくる平清盛様は、弘法大師様と並んで私の「今会いたい男性ベスト2」なんですよねw(ちなみに「今一番会いたい女性」はべんてん様(いちきしまひめ様))

厳島神社は清盛様が平安時代に、弘法大師様が開いたこの場所にべんざいてん様がいらっしゃるからという理由で、ここに宗像三女神をお迎えしたという場所。
須佐厳さんが言われるに「べんざいてん様という女性を守ろうとした、女性を守ることが世を納めるという、その力を示した施設」。


美しさに圧倒される。

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須佐さんはこうも言われていました。
「女の子はこの宮のように、大事にしてもらうこと。触りたくなるよう、いつでも普請(ケアってことね)してもらえるように。」
この宮は国宝だからということもあるけれど、日本全国からの腕の経つ宮大工が集まり知恵をしぼりながら作ったお宮。なにしろ海の上に浮く宮なのでメンテのこともかなり考えて作られたよう。潮の満ち引き、塩害への対処はかなり大変だろうに、普通のお宮さんと比べても壁や朱塗りの柱や梁は格段に綺麗。メンテにお金も手もかかっているのでしょう。

この言葉は前からも聞いていたけど、この場で聞くと、妙に心に響きます。

相似性という言葉が浮かびます。
レビィ=ストロースの野生の思考の考え方にも似ているし、私が常々やっているメタファーワークでいけば「私は宮だ」となる。

「この宮のようになる!と思うか羨ましいでとどまるか。
この宮であれば、どう普請して守られたいか考えればよい。
この世をおもしろくするには、女人を愛すればよい。(女人は)笑っておればよい。
でも、そうでなければよくない」

この言葉を聞いた後に、
改めてお詣りをしている中で、ふと沸き起こってきた感情がありました。

「私は愛されていいってこと?」

私は、「私は宮だ」と思ったことがありませんでした。
子宮は自分自身だ、宮だという話がネットにあがっていて、なるほどとは思いつつも
自分の中では、そこがなかなか納得できていなかったのかもしれません。
「私なんてメンテしてもらえる資格はない」とは思わないし、そういう言葉も使った記憶はないけど、似たようなことは思っていたのかもしれないなあって。


「わがままをいっちゃいけないと思ってきた」という思いも上がります。
「愛されるためには、わがままを言ってはいけない」。
私の中にそういう思い込みがあったことに、今更ながら気づきます。

私はこの日、私の先祖(主に祖父母・父、曾祖母、おじおば)を連れてきていました。(といっても私には何も見えないし聞こえませんが、意識的に”一緒に行こうね”と連れてきている感覚で。)
私が愛されるためにわがままを封じ込めたのは、自分の幼少期に起源があります(顕在意識下では)。
それでも一族の中では、私は父の次に”ふうけもん”だったようで、実際そういう風に言われていたので、私なりにかなり抑えていて。
でも実は「もっと求めたいのに、愛されたいのに、その言葉を飲み込んでいた、諦めていた。」のだなぁと気づきました。

この日の前に、大学時代の先輩にお会いしていたのですが、彼から旧姓を連呼され、かつ思い出話をしている中で、当時の自分の思いがうわぁと出ても来ていて。
大学時代も私は幼い頃と同じく、「もっと求めたいのに、愛されたいのに、その言葉を飲み込んでいた、諦めていた」自分がいたんだなぁって。

須佐さんに「昨日、旧姓を連呼されたんですよ~」って話をしたら、「なぜ今そういうことが起こったかだよね」なんて言われたけど、まあここに気づけって話ですよね。
このことは非常に納得しました。

厳島神社の中の大国神社

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ここでは須佐さんに「足りないもの」をお願いしてと投げかけられました。
ブツブツと神様にお話ししながら、結局ここでは「愛」でしたw
「愛をください。愛がほしいです」ってなんてベタなの??と思いながら。
それが本心なら仕方ない。

こちらには、道真さまもいらっしゃいました。「天神社」。
道真さまにおねがいすることは決まっていて、私は私のミッションを追求する仕事のためのお願い。
今の時期、太宰府天満宮に行けばほぼお詣りできないくらいごった返しているだろうから、ここでゆっくりお詣りできるのはラッキーでした。

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ここは勅使の方が登って来られたという太鼓橋。
高下駄でこれは無理よね~。

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狛犬さんのしっぽが不思議な感じです。

その②につづく。
厳島での祈り+気づき②はこちら↓

miww55.hatenablog.com