ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

厳島での祈り①

厳島に行ってきました。
厳島が正式名称で、宮島は通称とWikiに書いてありました。行政区分は宮島町らしい。ちょっとややこしいw
広島駅からJRで30分ほどの宮島口から、フェリーで15分ほどで厳島に到着。
着いて厳島神社までの参道で圧倒的なのは、しゃもじと鹿!f:id:miww55:20170113164506j:plain

べんざいてん様いちきしまひめ様)が持つ琵琶の形を真似て作ったのが、この地で起こったしゃもじ産業の最初らしく、今でも木製のしゃもじの産地としては日本一だそう。ちなみにしゃもじは「杓子」と書くそうです。

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鹿はなんでこんなに多いのかわかりません笑

さて、今回の厳島への祈り旅。

2017年 巡禮記遠足 初春詣り 厳島神社|生まれてよかったね!を伝える。育む。【うずめ カフェ】ikukoのブログ

松本育子さん主催、須佐厳さんの先達で、行ってきました。
祈りは自分と自分の生活とつながっているもので、地元の神仏にお詣りをするのが基本部分でもあると思う一方、行きたいところには遠くても行って祈ることは必要だなと思う時期に来ていて、
そういう意味でも1月の3連休は動けるいいチャンスだったのです。

巡禮記の講話会でもとにかくよく話が出てくる平清盛様は、弘法大師様と並んで私の「今会いたい男性ベスト2」なんですよねw(ちなみに「今一番会いたい女性」はべんてん様(いちきしまひめ様))

厳島神社は清盛様が平安時代に、弘法大師様が開いたこの場所にべんざいてん様がいらっしゃるからという理由で、ここに宗像三女神をお迎えしたという場所。
須佐厳さんが言われるに「べんざいてん様という女性を守ろうとした、女性を守ることが世を納めるという、その力を示した施設」。


美しさに圧倒される。

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須佐さんはこうも言われていました。
「女の子はこの宮のように、大事にしてもらうこと。触りたくなるよう、いつでも普請(ケアってことね)してもらえるように。」
この宮は国宝だからということもあるけれど、日本全国からの腕の経つ宮大工が集まり知恵をしぼりながら作ったお宮。なにしろ海の上に浮く宮なのでメンテのこともかなり考えて作られたよう。潮の満ち引き、塩害への対処はかなり大変だろうに、普通のお宮さんと比べても壁や朱塗りの柱や梁は格段に綺麗。メンテにお金も手もかかっているのでしょう。

この言葉は前からも聞いていたけど、この場で聞くと、妙に心に響きます。

相似性という言葉が浮かびます。
レビィ=ストロースの野生の思考の考え方にも似ているし、私が常々やっているメタファーワークでいけば「私は宮だ」となる。

「この宮のようになる!と思うか羨ましいでとどまるか。
この宮であれば、どう普請して守られたいか考えればよい。
この世をおもしろくするには、女人を愛すればよい。(女人は)笑っておればよい。
でも、そうでなければよくない」

この言葉を聞いた後に、
改めてお詣りをしている中で、ふと沸き起こってきた感情がありました。

「私は愛されていいってこと?」

私は、「私は宮だ」と思ったことがありませんでした。
子宮は自分自身だ、宮だという話がネットにあがっていて、なるほどとは思いつつも
自分の中では、そこがなかなか納得できていなかったのかもしれません。
「私なんてメンテしてもらえる資格はない」とは思わないし、そういう言葉も使った記憶はないけど、似たようなことは思っていたのかもしれないなあって。


「わがままをいっちゃいけないと思ってきた」という思いも上がります。
「愛されるためには、わがままを言ってはいけない」。
私の中にそういう思い込みがあったことに、今更ながら気づきます。

私はこの日、私の先祖(主に祖父母・父、曾祖母、おじおば)を連れてきていました。(といっても私には何も見えないし聞こえませんが、意識的に”一緒に行こうね”と連れてきている感覚で。)
私が愛されるためにわがままを封じ込めたのは、自分の幼少期に起源があります(顕在意識下では)。
それでも一族の中では、私は父の次に”ふうけもん”だったようで、実際そういう風に言われていたので、私なりにかなり抑えていて。
でも実は「もっと求めたいのに、愛されたいのに、その言葉を飲み込んでいた、諦めていた。」のだなぁと気づきました。

この日の前に、大学時代の先輩にお会いしていたのですが、彼から旧姓を連呼され、かつ思い出話をしている中で、当時の自分の思いがうわぁと出ても来ていて。
大学時代も私は幼い頃と同じく、「もっと求めたいのに、愛されたいのに、その言葉を飲み込んでいた、諦めていた」自分がいたんだなぁって。

須佐さんに「昨日、旧姓を連呼されたんですよ~」って話をしたら、「なぜ今そういうことが起こったかだよね」なんて言われたけど、まあここに気づけって話ですよね。
このことは非常に納得しました。

厳島神社の中の大国神社

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ここでは須佐さんに「足りないもの」をお願いしてと投げかけられました。
ブツブツと神様にお話ししながら、結局ここでは「愛」でしたw
「愛をください。愛がほしいです」ってなんてベタなの??と思いながら。
それが本心なら仕方ない。

こちらには、道真さまもいらっしゃいました。「天神社」。
道真さまにおねがいすることは決まっていて、私は私のミッションを追求する仕事のためのお願い。
今の時期、太宰府天満宮に行けばほぼお詣りできないくらいごった返しているだろうから、ここでゆっくりお詣りできるのはラッキーでした。

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ここは勅使の方が登って来られたという太鼓橋。
高下駄でこれは無理よね~。

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狛犬さんのしっぽが不思議な感じです。

その②につづく。
厳島での祈り+気づき②はこちら↓

miww55.hatenablog.com