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ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その②初日は魂の細分化がテーマ

その①はこちら。3日目の私の中でのトピックを書いてます。

miww55.hatenablog.com

さて、その②は1日目に戻って書きます。

今回の熊野ツアーは3つのステージに分かれています。これは魂が輪廻転生に向けて細分化清流→収束するという流れとあわせてあるようです。
1日目は魂の細分化。
2日目は細分化された魂が輪廻転生に向けて流れを整える。
3日目は整えられた魂の粒が、また新しい魂に収束される。むすび。

ということで、1日目の魂の細分化ステージは阿須賀神社から。f:id:miww55:20170309121947j:plain
熊野は「黄泉の国」。対して伊勢は「現世」という対比がされるようです。
日の当たる昼のこの世からすると真逆の夜の黄泉の国。この世とあの世。
(正確に言えば熊野は黄泉の国の入り口)

なんで私がこのツアーに行ったかというと、この世を生きる上で、この世だけでは立ち行かないものがあると思うから。「イマココ」は重要だけど、その「イマココ」を生きるために「イマココに居る私はどこからきてどこに行くのか」を知ることが大切だと思ったのです。
私たちがどうやって生を受けて生きてきたかというと、その前にご先祖様という人たちがいたから、その人たちが連綿に命をつないできたから、私たちは今ここにいるという事実があるわけで。
そのことに対して背中を向けたい時期もあったけれど、自分がいかに生きるかを考えた時に、冷静に「自分のルーツに目を向ける事」と、「自分がいかに今を生きるか」と、「自分の肉体がなくなった時にどうなっていくのか」に目を向けていくことが、セットで考えられれば、私の「こう在りたい」や「いかに生きるか」に納得感が出てくるのではないか、そう考えたのでした。

巡禮記講話会で熊野の話を聞いた時、実は熊野がどこにあるのかも何があるのかも全く知らなかったのですが、「ここにいけばさがしていたことがわかる。3点セットだ!」と思った衝撃が残り、参加を決めたのでした。
性格上、理論的に仕組みが分かった方が納得がいくというのが多く働きました。

さて、阿須賀神社です。
ここでは「なぜ熊野に来たのか」を問われます。

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祭神:
事解男命(ことさかおのみこと)
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)
配神:
事角見命(事角見神、たけつねのかみ)
黄泉津道守命(黄泉津道守神、よもつみちぬのかみ)

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事解男命さまとは、ひるこがみさまのこと。いざなぎ様いざなみ様の間に生まれた最初の子ですが、不具を理由に川に流されてしまいます。葬られた子=水子と考えれば、黄泉の入り口ならではの祭神と言えるのでしょう。
熊野速玉さまは、いざなぎさまの権現。本地仏薬師如来さま。
熊野夫須美さまは、いざなみさまの権現。本地仏は千手観音さま。
家津美御子さまは、すさのおさまの権現。本地仏阿弥陀如来さま。

で、なぜ熊野に来たのか。
まだうまく言葉でまとまらないながらも、ご挨拶。
今回は、「自分が今明らかにしているミッションや思い、これから体験する祈りを体感し、腑に落としたい、納得したい」ことをお願いしました。

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須賀神社の境内には、お稲荷様や龍神様もいらっしゃいます。お稲荷様には足りないものを、龍神様にはこの旅がいい流れに乗り得たいものを得、その後にも流れをつくっていけますよう祈ります。

さて次は、、ごはんです笑
名物のめはり寿司をいただきます。
確か、大きいので目みひらいて(目をはって)食べることから、この名がついたのじゃなかったっけ。いただいたのは初めてでした。九州では高菜はからし高菜にするからなぁ。

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なかなかボリューミー。
このお店で何やかやくつろいでいたのですが、うむ、この状況みたことあるぞ~と思ったのでした。もちろんこちらには初めて寄せていただいたので、リアルではないのはまちがいありません。でも、美子ちゃん夫婦とさいこちゃんがいた図は確実に見たことがあるのです。この並びで。これって予知夢なのかな?厳島に行った後だったかと思う。
夢にしてもその時は熊野にいくなんて決めても居なかったし、このお店も知らなかったし。
このデジャブみたいなやつ、何か関係があるのかなぁ。よくわからない。

さて、次は熊野三山のひとつ、熊野速玉神社です。
神社では摂社や末社も大切なモチーフのひとつ。
摂社・末社は主となる本社・本宮が手に負えないところを手助けする役割だそう。
こちらでは、八咫烏(やたがらす)神社と手力男(たちからお)神社が並んでいました。
八咫烏は、神武天皇の道案内をした3本足のカラスのこと。
なのでこちらでは、道中・また人生を怪我なくさわりなく行けますようにとお詣り。
手力男さまとは、あの高千穂の天岩戸を開けた方だそうです。その戸は遠く長野の戸隠にまで飛んで行ったらしい(だから戸隠という名前になったとか)。だから力の強さがfeatureされがちだけど、実はそれよりもその扉がちょっと開いたタイミングで手を入れ、引き開けたというもののタイミングを持っている神様でもあります。
「自分の心に嘘をつかず心をひらけるか」と問われます。
私の中には大きなふたがあると思っていましたが、お詣りした瞬間、大きな石の扉である感触がありました。これを外すのは容易ではなく力からもいるけれど、ともかくはそこに手をかけるタイミングと飛ばすコツがいるようです。この石の扉は外してもまた生成されそうなので、ここは後で出てこられる大国主の尊様の打ち出の小づちで、ガンガン地ならしをしてできないようにする必要がありそうw
で、天岩戸のメタファーで行くなら、自力では開ききれないので、誰かにてつだってもらうということなのかな。

さてさて、やっと熊野速玉神社の本殿です。
こちらは、魂が細分化されるところ。結んでいたものがほぐれる場所。流れに乗るために、魂はもちろん現世の自分自身が、自分だと思っているものをバラバラにして行く作業が必要です。
人が死ぬと体がなくなるだけで、魂は残ります。これがよくいう火の玉の状態らしいのですが、そこには体が合った時代に対する未練や思念、雑念、執着が存在します。これがあるままでは成仏は出来ない。成仏して輪廻転生するためには、これらの雑念等を廃止、一旦固まっている魂をバラバラにして分解していく作業が必要なんだそう。要素分解と一緒なのかな。私を形作っているものは、固まってこそ私だけど、細分化されたって私の一部だと信じることができれば、バラバラにしても違和感がないのでしょう。そこにしがみつくことこそが執着。
本地仏である薬師如来さまのお力を借り、普遍的な森羅万象の悟りがここに参った私たちの魂から執着を脱がせ、細分化の手助けをしてくださるようです。

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こちらは12殿もあります。


第一殿は、祭神:熊野夫須美大神(いざなみ)さま、本地仏:千手観音さま
祈りは、「自分の力でできるように。自分のありたい姿、やりたいこと、思い、悩みを並べて自己紹介。しんどいならしんどいですでいい。」
第二殿は、祭神:熊野速玉大神(いざなぎ)さま、 本地仏薬師如来さま
祈りは、第一殿と同じ。
第三殿は、祭神:家津美御子大神(すさのお)さま、本地仏阿弥陀如来さま。
祈りは、「自分が強力に祓い清めたいこと」。私の場合はヘタレ、抱える、弱さ、緊張。
ここまでは陰の世界。


第四殿は、祭神:若宮 天照大神さま、 本地仏:十一面観音さま。
天照さまは日の当たるところを見る神様。表の顔を早い清め、仕事や人気についてのお願いを聞いてくださるそう。第三殿までが陰だったのにくらべ第四殿は陽。これらを両立することってしんどいけど、必要だと言われます。
ここは非常に納得できました。
そしてこれが私のテーマのひとつでもありました。
陰での自分がなかなか落ち着かないのに、表では表として仕事をしていかねばならない。そのギャップが一番堪えているのが私自身。でもそれはそれでいいんですね。しんどいですって神様に知ってもらえていれば。それがダメなことだと思い、頑張っているけれどもなかなかあるべき自分の姿にはなれない。それに対して大変呵責がありました。だから、それをそこで「しんどいです」って言えたことで、結構ほっとしたりして。
ちょっと感情がでちゃいました。胸が痛い。悲しい。
第四殿のもうひとつは、神倉さま。
こちらは後で登るので「あとでいきまーす」とご挨拶。

第五~八殿は一緒になっています。
第五殿祭神:禅児宮 天忍穂耳尊さま、本地仏地蔵菩薩さま
第六殿祭神: 聖宮 瓊々杵尊さま、本地仏龍樹菩薩さま
第七殿祭神: 児宮 彦火火出見尊さま、 本地仏如意輪観音さま
第八殿 祭神:子守宮 鵜葺草葺不合命さま、本地仏聖観音さま
こちらでは、神様が人になる、神が死ぬことを目の当たりにするということを認識する意味があるようです。神と人の間の方々がここにはいらっしゃるよう。
だから祈りとしては「私が生きている間、わからないものやことがあるでしょう。神様の生きざまを教えてください。」
神も輪廻転生する、神も死ぬ、だから連帯感を持って(信じて)生きていこうねと言われている気がしました。
最後、九~十二殿も一緒になっています。
第九殿 祭神:一万宮 国狭槌尊さま、本地仏文殊菩薩さま
       十万宮 豊斟渟尊さま、 本地仏普賢菩薩さま
第十殿祭神: 勧請宮 泥土煮尊さま、 本地仏釈迦如来さま
第十一殿祭神: 飛行宮 大戸道尊さま、 本地仏不動明王さま
第十二殿祭神: 米持宮 面足尊さま、 本地仏多聞天さま
水、土、流れ、気力、モノの形、表情などをあらわす神様で、
祈りは、「モノを成し遂げる執着、やり遂げる持続、地に足をつける本気力など、道筋と着いてくる道の両方を成就する力をお与えください」。
ここでは自分のやりたいことを人前で言える自分、自分では見えない、人から見た自分を見る力を持てるような自分になるようにと、祈ります。
お詣りはすればするほど、今自分がやっている書くPと同じだと納得します。
生きるために必要なことは自分の中にあって、でも自分じゃなかなか出せない部分もあるから、こうして神や仏に祈ることを通じて、自分の中にあるものを出し、自分の中にあるものと何かが呼応して出されることで気づいていく。そういうものかと。もちろんもっと神や仏には私たちが想像しない幅や奥行きがあるのでしょうから、その力をお借りしてもっと知らないことを知りに行きたいと思います。

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お隣には金毘羅様が。瓦に金の文字があります。
金毘羅様にお詣りするのは初めてです。

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「道中つつがなく、故障なきようお願いいたします。」

長くなったので、1日目だけどその③に。

その③はこちら↓

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その③ロッククライミングな神倉神社 - ほほーんと暮らしたい(再)