ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

億劫な話

夫が買い物に行こうとしていた。
明日の昼食のパンを買いに行くという。

この頃の彼はむせる発作が出ることが多くなってきた。
運転中に出たら、と思った私は「おにぎり作ってあげるよ。パンだけなら、今日は行かなくてもいいんじゃない?」と言った。
夫は「確かにおにぎりも食べたいな。じゃあお願いします」と言って、出かけるのをやめた。ほっ。

彼が出かけるのは9時45分頃だから、朝の時間は十分にある。
でも私の中で「やらなきゃいけないこと」がひとつできた。

私の今のうつという病気の特徴なのかもしれない。
「料理を作ることが重い」。
今までの私は、料理を作るのはどっちかというと得意で、
苦にもならない方だったのだけど、
この数か月は、とにかく料理を作るという作業はなかなかに気が重い。
(それでもだんだん一時期よりは軽くなってきた。時間をかければできる)

それならなぜ気が重くなることを、自ら言い出すのかというと、
夫がむせて事故ることよりも、私がおにぎりを作ったほうがいいからだ。
事故ると決めつけるわけじゃないけど、私の精神状態からはそういう可能性は排除したかった。

そしてついでといってはなんだけど、
最近おにぎりを持って行きたがる息子に
「今日、おにぎり要る?」とまた自ら言ってしまう私。
こっちはついでだから2個も4個も同じと思ったことと(実は同じじゃない💦)、
「してあげたい」思いがあるからだろう。
2個も4個も同じではないが、別々にするよりも一緒にやったほうが、大変さは一つで済む。

結局4つおにぎりを作った。
それだけの話だ。
それだけの話だけど、そこまで重労働ではなくても、何もしないいよりはそれなりに手間はかかる。その「やらねばならないこと」という作業が一つ増えることが、私には重いということだ。

自分の中で「なんで私はここまでやってしまうんだろう」と何度も思う。
おそらく、できる自分も見たいのだ。
自信にはなる。実際できた自分にほっとしたし、喜ぶ家族の顔を見ることもできる。
役に立ちたいし、私の行動で安心が手に入るならそれが一番よい。
ただただ、動くまでがおっくうだ。
慌てたくないので、早めに準備をしてとりかかる。
そこまでの気持ちの葛藤さえ通り過ぎれば、やりはじめれば気分は変えられる。
逆に途中で嫌になると困るので、そこは急ぐ。集中して作る。
自分の気持ちをいかに保つかが、この病気の今のところの問題点になっているみたい。

ブログを書くことも最近これによく似ていて、
書きはじめるまでが億劫だ。
日々何もせずに家に居ると、ネタがない。
感情が動かないので書きたいと思うことがなかったり、こうして自分の中に葛藤があってもまた病気ネタ、、と思って、書くことを躊躇したりもする。(ということでこのブログも数日に分けて書いている)

季節の変わり目に入ったからか、よかったり悪かったりする波の高さが高くなっているような気がする。
すっきりする一瞬もある一方で、こんな感じの低飛行もある。
ただ、前よりも随分よくはなっているのだ。
痛みだってない。落ち着かないだけだ。
不安なわけでもないけど、落ち着かない。何かに集中すればいいのだけれど、
音楽を聴いてもビデオを観ても、長続きしない。
集中力が続かないのは、この病気の特質なのだろう。
少し体を動かした方がいいかなと思って、今日は思い立ち真剣にラジオ体操をした。
真面目に気合入れてやると、ラジオ体操もそこそこ疲れる。
身体がなまっているのだろう。
ストレッチはしてるんだけど、有酸素運動が足りてないからやっぱり歩かなきゃかな。これまた億劫なのである。

晩御飯の支度のことを考える時間。
肉は解凍に入ってる。米は炊飯器に入れた。
少しずつ準備して、飽きてもほおりださないようにする。
自分の集中力に自信がないので、こういう対策を打っているけど、
今が忙しくないからなんだよね、これができるのは。
幸せだと思っておこう。
日々を生きるのはこんなに大変なんだと思ってなかったけど、大変だ。
健康って大事で愛おしいものだよ。自分を大事に、復活したい。