ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

年末のつれづれなる思い 2020.12.27

今日の掃除は、ドレッサーの大半の引き出しを拭きあげて整理して、
靴下・下着入れを同じく拭き整理。
キッチンの一部棚を同じく拭きあげて整理。
手が荒れてきたので、ハンドクリーム塗りながら。

仕事も昨日よりも稼働w
年内には終わらないかもしれないペースなので、
どこかでがーっと仕上げたほうがすっきりするかなと思いつつ、
すべてにそう思ってしまうので、
24時間の制限のある地球と私のペースは、いつになってもあいません💦
地球人として生まれてきたこと自体が、チャレンジだったんだなぁ、きっと。

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さて今日は、一年の締め時期なので、
振り返りの話を。
自分の備忘録のために。

私が今自分が生きていく中で、参考にしているものを紹介します。
うずめカフェのikukoさんの数秘宝箱。
この2年、お願いしてきました。

オリジナルな数秘鑑定とお参りアドバイスを言葉にして送ってくれます。

これらを事あるごとに見返しています。
その時には?と思っていた言葉も、時間が経つと「ああ、こういう意味だったのか」と腑に落ちることもあります。

数秘は、生まれ年月日とローマ字の数字でみるので、
年ごとに変わるものではありません。

私の数字は「6」。
キーワードは「無条件に愛を与えて、真の責任を持つ」。
テーマは「義務感を優先させることなく、自分の気持ちと重ねながら、無条件の愛、母性的な愛で人の役に立つ」。「家族」。

自分の関わった人や物に対して愛情を感じてしまう私なので、おおよそ思い当たるところはあります。
思い入れが強くなりすぎたり、自分がきつくなってもやるしかないと泣きながらということもしばしばあったので、「自分の気持ちと重ねながら」というのをここ数年は意識して生きています。

2018年の宝箱にはこんな記載がありました。

責任感のあまり少しお節介になってしまったり、回りくどい言い方になったり、義務感が優先されて重荷を背負ったり、我を忘れて働いてしまったり、正しさにこだわってしまったりすることも。常に自分を置いてけぼりにしていないか、が大切になります。

 おせっかい、回りくどい言い方は、
今年になって実感するようになりました。
誰かに言われたわけではなく、
自分で「あ、これおせっかいになってるかも」とか
過去のことを思い出して「相手を傷つけないようにと発した言葉が、結果的に回りくどく伝わりにくい表現になっていたな」と思い返したり。

「常に自分を置いてけぼりにしていないか」は、
前述の「自分の気持ちと重ねながら」とともに私のチェックポイントになっています。

2018年にはこんなことも書いてありました。

コミュニティを調和し温かな関係にしてゆける力のある人ですから、家族間でも母性的な愛を惜しみなく与えますが、自分の意思とのバランスの問題が起きやすくなります。それも魂の今世の学びのテーマの一つです。

 「自分の意思」とのバランス。過去にあったことも含めなんだろうと思うのですが、
私の魂は今世家族とどうかかわることで学びにしろということなのか、
わかるようでピンと来ていないところがあります。

私の思いやりや精神性の高さは、個人というよりも公的な社会的な役割や仕事の中で発揮されていくのだそう。
確かに、人と心でつながる場を創るというのは私の信念みたいなところです。

それによってご自身の周りの人を浄化していく、つまり本来のその人らしく豊かに生きるきっかけを与えることができます。

が、周りの人を浄化していく、その人らしく豊かに生きるきっかけを与えることができているかな?
もちろん、それは私がとっても望んでいることだし、今関わっている学生には、その思いは伝えているはず(思いは込めて話してる)ではあります。
それが結果そうなるかどうかは、もう少し後にならないとわからないかもしれませんね。
与えられるものは愛しかないんですもん。
私ができること。私の言葉や作るワークが、彼らのきっかけになると良いなとはいつも思っています。

そういう意味では、今の大学の仕事は、ありがたい仕事です。
もう一つ仕事しているけど、そっちでは私の愛みたいなものは、必要とされないんですよね。システマチックで。
「リーダーとしては」みたいな、ものすごく「あらねば」が強いので疲弊しちゃう。

「思いが強すぎて先走ってしまったり、感情的な面に左右されたり、執着が強くなると人との距離感が難しく感じたりがあるかもしれません。」との記述もあり。
まさにそうだなと思います。
ただ、それで自分自身も傷を負ったので、今はそこをできるだけ抑えてはいます。
人との距離感、ほんとむずい💦

今後の人生のテーマは「責任や役割、調和」。

チャレンジとして起こってくるのは、直感的なわかることをしっかりと現実に結びつけていくこと。 直感と意志力のバランスを保ちながら、大きな流れに乗る。やってくることや相手をそのまま受け入れていく、または、一対一の深い人間関係やパートナーシップを学ぶこと。

 直感的なものをどう現実に結び付ければよいのか、がまだ道半ばの試行中。
直感と意志力のバランスを保ちながら、大きな流れにはまだ乗れていないなあと思います。
やってくることや相手をそのまま受け入れていく、または、一対一の深い人間関係やパートナーシップを学ぶということが、今現在のことを言われているのかこれからなのかはわからないけど、どっちにしても難しいことです。

強みで書いてあることは、「タフ」以外は納得。
弱み、苦手で書いてあることは、全部納得です。
特に「自分を主張すること」「思い込みが強いこと」「本音を出すこと」は今年改めて苦手にしているものだということがよくわかりました。

「自分が本当に喜んでできることが、周りの人にとってもいい流れになる」と信じて、これからも生きようと思います。

昨年末には、「神社さんやお地蔵様に、どんな風に接していけば、近しく親しくなれるのか」という点でアドバイスをもらいました。
昔ほどではないんですが、神仏に祈っていても「本当に話を聞いてもらえてるのだろうか?」という疑心暗鬼な想いが出てくることがあります。

ikukoさんの言葉でいうと、
私には「神仏に祈ることでこう動いていきたい!こうあってほしいという自分自身への期待や理想のようなもの」があって、
それを神仏に期待しまくっているのかもしれないなということに、
最近気づいたんですよね。
アドバイスのところに書いてある言葉に、しっくりくることよりもそうでないことも多くて、ちょっとフリーズしてしまっていたここ数年でした。

私としては、人と関わる時のようになんらか反応が欲しいと思ってたんだと思います。
でも、そういうのもないし、叶った感もないし、
どういうことなんだろうって。
現世利益的なものが手に入った感覚がないことも大きいのかもしれません。

そこはなるほどねと思ったのですが、
じゃあどうすればいいんだろうと、また悩みの中に。。。

ここにきて大きな不安にぶち当たりましたし、
そこから色々な気づきも出てきたけど、
根本支出が増え、収入が伸びないことから来る不安はものすごく大きいという、ここは消えないんですよね。
お願いの仕方もいろいろとやってみているけども、
いまいち、ヒットしないなぁと思うと、また自分否定な方向になってしまう。

今の私は、どうも神仏に祈れば祈るほど、
これうまくいかないじゃんという思考になりつつあって、
あんまりよくないなぁという感じ。
まだかっこつけてるのかなぁ、私。
素直に不安ですと言うことを言ってるつもりなのだけども。

あ、いい感じで書いていたのに、
不安にフォーカスすることになってしまった💦
そのくらい、不安って行動を不安対処にしてしまって、視野を狭めてしまうもの。
だから見たくないし、早く解消したい!って思うし、
だからこそ、その逆の「私らしさを活かした仕事がしたい!」という思いが募るのですが。

ともかく、そういう仕事をするためには、
今のぐちゃっとした環境を片付けたり一掃したりして、
改めて仕切り直しをする場がいるんだろうなと思ってはいます。
ここからは意志なんだろうな。

ということで、年内と年始は掃除と片付けを頑張ります。

「私は大丈夫」というおまじないを自分にかけて。

さて、今年の玉手箱ですが、公式には出されないとのことで、
お願いして、こっそり作っていただくことになりました。やった!
ikukoさん、よろしくお願いします。
難しい~、う~とかいいつつも、
何等かこういう指標みたいなものがあると、
今自分はどうしているかなと客観的に見る時間を持てるので、
私にとっては必要でありがたいものです。

今年の占いも毎年見るんですが、忘れてしまうんですよね。
なので、手元に置いて、ふっとした時に見れる言葉の玉手箱って、ありがたいです。
こんな風に凹んでいる時も、書いてある言葉に励まされたりもしますしね。

「言葉」ってやっぱり大事。
傷つきもしますが💦
使いよう、捉えようなんでしょうね。