ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

あたたかな場でなごむ 2019.5.8

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昨日の好調なブログの後は、
朝から急降下した私の自律神経。
何があったわけでもないのですが、
このところ、手足も妙に冷たくて、なかなかあたたまらなかったから、
何かが原因としてあるのかもですけど。
まあ、時期ですかね。そもそも冷え持ちなので。

朝はそれでも起きてお弁当詰めて持たせ、
なつぞらみて、あさイチ見てる途中で、寒くてたまらなくなって、
お布団にごそごそ戻っておりました。
そもそも、妙に夢見が悪かったのもあって。
こんな時にはもう降参して手当てをしないとだめだなと思ったので、
午前はつぶしました。

午前の予定がない日でよかった。

予定が入っていたら、逆にモードは切り替わっていたのかもしれませんが。

これまでの経験から、自律神経の調整がきいてないことは実感していたので、
前に書いたブログを読み返しながら、F先生の言葉を再度読んでみたり、自律神経に効く体操なんかをやって、2時間くらいでどうにか復調。

夕方から出かける用事があって、その前にご飯を作らなくちゃだったので、
自分をそこまで持って行くのに必死な昼間でした。

一時は、夕方の用事を辞めるべきか、とも思ったんですが、
行きたかったんですよね。
精神論ではなく、身体の手当てをしたのがよかったよう。
行けてよかった。

ずっと行きたかった関係の集まりで、とても雰囲気がよいのです。
司会もお子さんを抱っこしながら男性の方がされていたり、
それをみんなが温かい目でみている。そういう空間。

私はアウェイな感じでいたんですが、知り合いも結構いて、
また新しく知り合いになった方もできて、楽しかったなー。

人から見られている自分は、自分が見ている自分とは違うんだということもよくわかりました。
私はいろんな業界で働いてきたし、活動してきたし、いろんな人と関わってきたけれど、それってそれだけのことだと思っていました。
でも、「それを人脈があるっていうんだよ」と言われてびっくり。
今日、私は、自分の仕事を広げたいし、今までとはまた違う可能性も探りたくて、
自分は実務やプログラムをしっかり作って動かしていくことはできるけど、
それだけなので、仕事を持ってきてくれる人やお金を産み出せる人と出会いたい、
みたいな話をしていたんです。
そしたら「え~、み。さんって、いっぱい人脈持ってるじゃないですか」ってNさんが言うんですよ。Nさんは大手通信会社の方。
会社からリーダー育成の塾にも派遣されるような方。
私とはその関連でお会いしているので、そういわれるのかもしれないけど。

私には自分が人脈を持っているなんて、全くそういう思いはなくて。
知ってはいるけど、知っているだけなんですよね。
でも、みんな、そこをもっと掘っていくのかな。
まだまだそういうアプローチが足りないのかもしれません。
目の前にある資源に気づけていないのかな。

まあ、そんな感じの話ができるのも、そういう場だったからかもしれません。
Nさんとも出会って10年弱だと思うけど「こんな話したのはじめてですよね」って言い合って。

私のことを一方的に知ってくださってる方もいらっしゃって、
声をかけていただきました。
そんなこともあるのね。
そしておうちが近かったりして。
帰りは別々に帰ったのに、近くのスーパーでまた一緒になるという。ご近所あるある。

10年以上前に、NPOをやっていた時にお世話になっていたYさんとも、
久しぶりにお話して、「いろいろお互い状況変わったけど、これからがまた楽しみだね」みたいなことを言われて。
当時とはお互いまた違う立ち位置で、またこうしてお話できるのは面白いな。

今回は、立場、役職が関係なくて、フラットに思いでつながる場所に居合わせた。そんな感じがして、それが楽しかったのかもしれない。

帰り際に、Nさんと握手をしたら、Nさんの手があったかくて「あったかーい!」
「冷えてるね~。大丈夫?」と心配されましたが。そういう自然なスキンシップも手伝って、ほんわりして帰ってきました。

人に大切なのは、ここにいてもいいんだと思えるような場、人と人との思いを自由に語り合える場、適度なコミュニケーションとスキンシップだなぁって思った午後。
午前中のドーンと落ち込んでいた自律神経ちゃんも、ご機嫌が少しは治ったようです。
おうちに帰って冷温欲を再開。
F先生曰く、自律神経に効く、体を温めるにはこれしかないという入浴法を、そろそろあたたかくなってきたし、また継続します。

明日は大学なので、早く寝なくちゃなんだけど、今日の話は今日のうちに。

今日も取り留めのない形でのポストとなりました。
読んでくださった方、ほんとにどうもありがとうございました。

おやすみなさい。
明日は今日よりもっといい日。

ゆるく、日々を丁寧に暮らしたい

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さて、連休明けは、どうなることかと思いましたがw
まず、朝ちゃんと起きれました~ヾ(*´∀`*)ノ

こどもかっ!って感じですけど、これが私には切実なんですよ。。。

目覚ましが鳴る前に何度も起きたんです。
これは私がというよりも、横に寝てる夫の足が何度もつって大騒ぎで、
その度に目が覚めるという。

今日の高校生男子弁当。
写真サイズがデカいと、ぼやけますねぇ。
iPhoneからそのままアップするとこうなる。

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何度も起きてしまったおかげで、午前中がちょっと眠くて集中力がなかったのですが、どうにか集中力なくてもできることをやってごまかしごまかし、家事やらなんやらをやっつけて、今日は久しぶりの整骨院ピラティス

不安だった腰はそこまで悪くなく、
やっぱり肩甲骨周りが固くなっていたのでほぐしていただいた。
ピラティスでも、今日はじっくり伸ばしてほぐしてがメインだったので、
じんわり~とやっていました。
ここでも眠さと闘い、いや共存しながらきもちよーく伸ばしつつ。


先生からは、随分よくなった~とほめられた(*ノωノ)
今までつながっていなかった動作が、つながってきたそうです。
自分じゃそこってよくわからないんだけど、さすが2年やっただけはあるのかも~。
のんびりペースな私ですが、できなかったことができるようになるのは嬉しい(自覚ないけど)。
動きを頭で考えてやる、ってことを辞めたってのはあるかもしれない。
先生が「考えない。体で感じて」ってよく言われるのだけど、やっと体が慣れて感じてきたのかなと思う。

コツコツやるしかないのですね。
いつも言ってるけど。コツコツやると、身体が慣れて自覚するようになってくれる。頭で考えると、その時点で体の信頼がなくなってしまう。身体が自分の力を放棄しちゃうというか、「どうせ頭の方でやるんでしょ」みたいな感じで、頭で考えた通りに体を動かそうとしてしまう。そうではなくて、体で覚える。それが大事みたい。

今日はてくてくホームセンターまで歩いたり、
お野菜やさんでまた大きなガーベラの花束を買ったり、
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そうそう、令和になって初めて氏神様とお地蔵様にご挨拶に行ったり。
平成最後の日にご挨拶に行ったので、少し間をあけたのでした。

今日はすっごくお天気が良くて、
気温は4月上旬並みで風もあったけど、風がやむととってもすがすがしくて、
思わず空を眺めたり、少し上を向いて歩いていました。
なんだかいつもと風景が違って見えた。

久しぶりにお腹がすいて帰宅。
残っていたりんごのコンポートのケーキが、冷蔵庫で冷えて、おいしくなっていた!

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嬉しい。誰と分かち合うでもないけど、にやにやしながら、食べました。
また作ろう。

夕方~夜はちょこちょこ仕事をして、さっきやっと終了。

今日もだらだらと、今日の一日を書いてみました。
今って、何か一つのトピックを書きたい欲が私にないのがよくわかります。

今割と気に入っているのは、ゆるく日々を丁寧に暮らすこと。

昨日一昨日とベランダの鉢を植え替えたり、土を触ったりでほーっとして、
ケーキ作ったり、ご飯作ったり、お日様を感じながら風を感じながら歩いたりする、そのひとつひとつがたのしい。
気を使わなくていい、のんびりした感じ。この春の日みたいなのを感じるのが嬉しい。
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慌ただしいこともやっていかなきゃいけないけど、
自分を取り戻す時間は、確保していかなきゃいけないなとつくづく思う今日でした。
温泉行きたいー。

今日も、今日のうちに寝るぞ~。お~!

写真は、今日からうちにきてくださった豆地蔵さま。
前の方は、佐世保にご奉納してきちゃったから、新しくお迎えしました。
今回はレゴたちとともに、PC前に座っていただいてます。

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おやすみなさい。

長い休みの後でつらつら思う自分のこと

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過ぎてしまえばあっという間で、何をしたのかすぐには思い出せない。
楽しい時間ってそういうもの。

ゴールデンウイークが終わる。
旅行とかお出かけとか、派手なことがほぼなかった我が家でも、
平成が終わり令和を迎える興奮したウイークの高揚感があって、
それが徐々に収まり、デイリーな日常に落ち着こうとしている。

今日は、30日の病院付き添い以来、長い休みだったのに
顔を出せてなかった母のところに。


サボっていたわけでもないのに、一週間もあいてないのに、
長い休みに顔を出さないとなんだか悪いことしているような気がしてしまう。
母が寂しい思いをしているんじゃないかと、勝手に決めてしまって、
勝手に良心の呵責を感じているのだろう。

このところ、とても気候がよいので、
母にそれを感じてほしかったのだ。
これからは、もっと外にも連れ出したいから、
夏用の軽く羽織るものや、シャツを買い足せればいいなとも思っていて、
近くのショッピングセンターに車いすで行けるといいなと思っていた。

思っていたのだけど、毎日「いまのうちに毛糸ものをあらっておきたい」とか
息子の友だちが来るから布団ほしとかなきゃとか、
クリーニング出しに行かなきゃとか、
いろいろ積み重なると、すぐ夕方になってしまう。
それもこれも、休みだーと思うと私が目覚ましを無視して
10時過ぎまで寝てしまうことに敗因がある。
体が持たないとなんにもできないから、仕方がないのだ、といいきかせてはいる。
特にこの数日は鼻がぐしゅぐしゅで(黄砂のせい?)
就寝間の呼吸がいつも以上に浅かったみたいで、そうなると睡眠の質が低下し、
長く寝ないと取り戻せない。

あ、いかんいかん。
また分析やさんになってしまう。

母のところには無事行けて、忘れ物を後から持ってきてくれた息子の登場もあり、
母はとても機嫌よくお出かけに賛同してくれたので、
ショッピングとコーヒーとおしゃべりを楽しんできた。
茶店であんなにくつろいだのは私も久しぶりだったかも。

まあ、そんなこんなで過ごしてきた10連休も終わり。
明日のお弁当も仕込んだし、
明日の朝起きるだけ!
が、これが一番の問題だ。私にとって。

今日の西日本新聞にふくろう体質の話が載っていた。

「朝寝の宵っ張り」で、朝は起きられず夜はなかなか眠れない。学校や仕事に遅れそうになるので、親は何度も起こしにくる。ひどい者は目覚まし時計を自分でとめて、また眠る。朝はいつまでもベットにいたい。休みの日は昼近くまで寝ている。

朝起きても、体も頭もエンジンかかからず、頭はぼーとして、体は動かすのも大義である。
だんだんによくなり午後3時を過ぎるころから元気が出てくる。日が落ちる頃から夜にかけては、一日中で最も元気である。何を食べても美味しく、またよく食べられる。

フクロー型体質には特有の頭痛と肩こりがある。その特徴は、横になると楽になることである。頭痛、頭重は主として後頭部が中心で、肩こりは項部が特によく凝るという。痛みは、鈍痛、重い感じである。同時に重い者はシビレ感を自覚することがあり後頭部が主であるが、頚から肩や腕にかけてシビレ感を訴えることもある。凝りは、他覚的より自覚的な凝りが強く、首を廻そうと思っても廻りにくい。按摩なども少しも良くならない。

 
弱虫である。年中いろいろと身体の苦情が絶えない。体がしんどい、疲れ易い、体力がない、頭が痛む、肩が凝る、胃が痞える、吐き気がある、胃が痛む、めまいがする、手足が冷える、朝起きにくい、夜が眠れない、不定愁訴といわれ、非常に訴えが多い。

私は 頭痛はあんまりないけれど、その他は結構ドキッとするような書かれようだ。
引用はこちらからでした↓

www.ogorimii-med.net


これって、私のせいではなく、体質らしい。
この手のものは気合いが足りない的に言われることがとても多いのだけれど、
そもそもは自律神経の問題だそう。起立性調節障害というものらしい。

漢方医学的な見方なのだそうで、漢方で症状が落ち着く場合があるらしいので、
今度F先生に相談してみるつもり。

iryo.kurume-u.ac.jp


あ、また症状のことばかり書いてしまった。

でも私の生きづらさのメインがここなので、
ついね、これがなくなれば、って思うんです。
これとお腹の冷えが落ち着けば、かなり人生バラ色な気がする。

対比でひばり体質という方々がいらっしゃるらしく、
こういう症状が全く出ず、朝早く起き、頑丈で筋肉質で胃腸が強いという。

こういう方々には、辛さがわかってもらえないのが難点。

あ、また愚痴モードになっておる。

私の場合、1日24時間と自分の身体のペースが合っていないのが一番の問題だと思われる。
1日24時間は変えられないので、変えるとすると私の状況か、私の捉え方しかない。
どっちも変えたいところだ。

考えても仕方がないので、
まずは健やかな眠りを取ることに専念することにする。

おやすみなさい。
明日は今日よりもっといい日。







 

家事ないちにち。

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ユキノシタに、花が付きました~。葉のイメージとちょっと違う。

長すぎるGW,皆様いかがお過ごしでしょうか。

私はGWというのに、いやGWだからか、
いつもの土日よりもあわただしかったりして、
夜更かしが続きます。
昨夜は、久しぶりに目覚ましをかけずに就寝。
朝、いや昼になるころに起きたら、体がすっきり♥
賛否両論あるけれど、睡眠負債を解消するためには、
しっかり寝ることだと実感しました。

夫の透析や息子の塾で、月水金は晩御飯が9時過ぎになるから、
どうやっても寝る時間がおそくなりがちな我が家だけど、
できるだけその日のうちに寝ないとな~~~。と思うんです。思うのは思う。
今日も金曜日。
お休みが続くと、その辺がぼやけてしまうけども。
そして、娘からの弾丸電話がくると、どうしようもないけれど笑

GWに特段家族イベントを入れていない我が家は、
皆が好き勝手に動きます。
晩御飯だけは作るけど、朝昼はみな好きな時間に好きなものを食べる。
気が向いた人が「〇〇作るけど、食べる?」と聞くこともあって、
その時は複数作る感じ。
だいぶ楽になりました。

さて、今日は天気が良いので、やっと毛糸ものの洗濯に着手。
セーター3つ、スカート2つ、グランドコート3つを洗って干しました~。
明日には乾いていると思うので、また明日いっぱい洗えるといいな。
どうにか連休中にこの行事は終わらせたいと思っています。

そう、GWは私にとって、「気になっていた家事をできるだけこなす」日々。

PCの中の不要なものを捨てることも含め、
断捨離もぜひやってしまいたい。

昨日は、夫に頼んでちょっと遠くの家具やさんまで、
母の部屋に置くタンスやテーブルを選びにいきました。
これも、ずっとやりたかったことなので、終わってよかった。
配送は20日くらい後だけど。

ひとつひとつ、やるしかないんですよねぇ、これも。

連休に限らないでいいのでしょうが、
やるぞーって思ってやらないと、いろいろちょこちょこやることって差し込まれていくから、
「空いた時間にやろう」ではなかなかはかどらない。
コスト管理といいますか、この時間で何をするか、何を選ぶかって重要です。

下手すると、自分の健康を害することになるので、要注意で。

今日は、気になっていたことのひとつ、りんごをコンポートにして一安心。
りんごがぼやぼやしてきてたから。
ご飯の仕込みもしたし、今からお風呂に入ります。

ゆっくりしようと思っていたら、
塾に行ってた息子から「塾空いてないんだけど」との連絡が。
私のゆっくりのんびりは、今日はここで終わりのようです。

さて、お風呂くらいはのんびり入ろ。

何気ない休日の日記でした。

今日はタケノコの炊き込みご飯と、ぶりのネギポン酢焼き。

モヤモヤの正体 2019.5.1

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昨日、学生や卒業生たちとの話で、納得した部分もとてもあったのだけど、違和感もあって、それが何なのかを考えていた。

私は、「マイノリティを理解したい、理解してほしい」という思いが強い。

昨日は「死ぬな」「生き残れ」「切り捨てる」「上に上がる」「できる人できない人」「稼げる人稼げない人」というワードがよく出てきた。
これらの言葉は、利他心があることが前提だ。そして利他は、自分軸で生きることが前提だ。
と、私は思っている。

そう思っていながらも、上記の言葉に引っかかる私が居る。

以前よりは気にならなくなってはいる。以前はこれらの言葉は地雷のような時があった。今はそこまではないが、聞くと胸が痛くなる部分がある。

私の理想は、「早く行きたければ、一人で行け。遠くまで行きたければみんなで行け。」の後者の部分。

誰かが先頭に立って動く必要がある場合もあるだろう。
でも組織としてチームとして何かを実現するために生きていく時には、
みんなでということを考える必要があると思う。
同じく目指す目的のために、多くの人を巻き込みその人たちの力を借りて、お互いが力を合わせて達成する、そういうフェーズが必要だと思っている。

後者を考える時に、上にあげた言葉らとの世界観がどうも合致しない気がするのだ。
効率化、コスト意識。
それが自分のモチベーションになる人は確かに仕事もできると思う。
そういう動き方ができれば、気持ちいいだろうし、無駄も省ける。
社会の役にも立つと思う。
そうなりたいと思う。
だけど、そうできない人は価値がないのだろうか?

そう、私は、特に人を扱う場合にいい悪い的に二極で語るのが、どうにも苦手なのだ。
いいことを語る分にはいいと思う。
そういう生産的な人になれるといいなと思う。
でも、それは恵まれた人だ。努力は絶対的にしているだろう。
環境の整え方も考えているだろう。
こう書くと、ひがみに聞こえてしまうかもしれないけど、
してないだけでしょと言われるかもしれないけど、
人にはいろんな事情や状況があって、
そこに至れない人もいる。
正直なところ、今の学生たちが「考えたことがない考えることができない」ところに陥っているのは、社会の環境のせいであることが大きいと私は思っている。
その個体のせいではないことを、責められてもきついなと思う。
私でいうと、身体が弱いことはずっと幼少の頃からのネックだった。
それは何かしら私の保身故からでてきたものだったかもしれないが、
人波に頑張ろうとしても、持たない体を持つ人はどうすればいいのだろうか?
努力が足りないと言われたらそうかもしれない。
ただ、それは身体の強い人には、理解できない部分だ。

人は自分の体験体感経験でしか物が判断できない。
慮ることはできても、本当のところで理解はできないだろう。
でもそれは承知で、他人の痛みや感情、思いを尊重したい。

そんな風に思うのは、私自身を自分でマイノリティだと感じているからなのだろうと思う。
大きな病気を何か持っているわけではない。虚弱で敏感な体を持っているだけだ。

この辺のことは、このところあまり考えなくなっていたのだけど、
昨日の話の中で、出てきた言葉に反応している自分をみるに、やはり自分は消化していないんだなと思った。

私ができることって、私サイズしかない。
それはわかるようになった。

私は、こうあるべき、こう在りたいと思う世界が大きい。
頑張る人がむげにされない社会を目指している。

だが、これを「そうでしょ、ねえみんな」と声高に言っても、誰もみてくれない。
そうなるように仕向ける仕掛けをすること、システムを作ること、流れを作ることが必要なのだ。
それが難しい。
そしてそこが私が苦手とするところだ。

私はこうなったらいいなのゴールイメージは持ち合わせているが、
そうなるまでの、道のりの仕掛けづくりが下手だ。
他者とブレストしてると、アイデアを思いつくことは多い。
でもそれを組み立てるのは苦手。
だから、私のような人は、他者が必要なのだ。

私が自分の能力を活かして生きようとする時、
そこにはそれを活かすことを能力として持っている人と一緒に、
同じ目的をもって力を合わせる場が必要となる。

そういう体制が取れるならば、
早くは行けないが、遠くまで行きたいところに行くことができる。

そういうコミュニケーションが取れるまち、社会、未来でありたい。
そうしたい。

おそらく、コスト管理ができ、生産的で、キャリア意識があって、身体が強い人が、そんな私の手助けをしてくれるような役を担ってくれたら、と思うが、
その人たちは一人で行く方が早いのなら、私のような存在は切り捨てる方が身軽に行けてしまうので、そもそもこれらの世界は違うところに存在すべきなのかもしれないとも思う。
早く行きたい人たちで組むこともありかもだ。
でも、そうなるとそれ以外の人たちはあがいてしまう。
頑張りたくない人は頑張りたくないという意志があるから、置いていってもいいのかもしれないが、頑張りたいと思ってやっている人は連れて行きたい。救われるべきだと私はやっぱり思ってしまう。おそらく自分がそうだからだ。私は切り捨てられたくないから。

であるならば、個々を活かしあうことをコーディネートする存在が必要なのかもしれない。

頑張りたい、目指すところに進みたい、でも何か足りない人たちが、お互いを補完し合い、生きていくことができる道はないのだろうか?
今までのキャリアの積み方は一つの方法だけど、
もっと人間らしく、どんな人でも思いがある人ならそれなりのそれぞれの個性が尊重されて生きていける、そんな世界にはなれないのだろうか?

人が人につぶされない世界は、望めないのだろうか?

今日のもやもやの正体は、こういうことだったのでした。
一言でいうと、「マイノリティは望んじゃいけないのか?」というモヤモヤした思いでした。
目指すところが違うのかな?


新しい時代へ 2019.4.30

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平成最後の日が終わり、令和がはじまりました。

昭和が終わって平成が始まった時は、
もちろんあの小渕さんの「平成」も衝撃的だったけど、
崩御の事実のショックの方が大きくて、1月7日の記憶はあんまりないのです。

今回は、元号が変わる、紀が改まるに時間があって、
平成という時間に向き合うこともできました。

今日は、朝から母親の大腸がん手術から1年半の検診。
腫瘍マーカーの数値も低く、転移無と先生から診断いただき、ほっと一安心。

5時からの天皇陛下美智子さまの最後の式を見た後に、
なぜか家族で記念写真を撮りました。夫が「ありがとう平成」ってのを持ってw

夕方、氏神様とお地蔵様に、平成のお礼をしてきました。
「平成は、いろいろ大変でしたが、気づき多き時代でした」
と、お礼というよりも振り返りに近いおまいりでした。

歩きながら考えました。
何が今日と明日は違うんだろうと。
一日という点では変わらない。でも天皇が変わったという事実があり、
元号が変わり、それによって人々の機運が高まっている。
時代の空気がまた変わっていくんだなという気がします。

私はどう変わっていくのだろうか。
そんなことを考えた今日でした。

卒業生たちとの飲み会がまたとても本質的な話で、
非常に面白かった。
いろいろ事態が深刻な中、咲く花はあります。
芽を大事にしていきたい。
伸びたいと芽を出す子たちを、応援し伴走したい、そう思った次第。


GWスタート。

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連休ですね。

初日は私が監事として参画しているNPO法人の監査。
元帳チェックから始まって、決算書とのつき合せで、
ちょこちょこ突っ込み入れていたら4時間も。
もう一人の監事は弁護士なので法的なところのチェックをじっくりしてくださって、
いやー、今年はびしっと頑張りました。監査。
終わって、みんなで昼から飲み。楽しかった。

私は、このところ神様仏様への朝晩のおまいり時には、
「私の能力を活かして楽しく面白おかしく生きることができますように」
と祈っています。
自己肯定感を上げたいと祈ることもあったけど、
それよりも自分が持つ自分らしさを活かして生きれると、
楽しくなるし自己肯定感も上がるかなと思って、
直接的な言葉に変えました。
自分もそっちの方がわかりやすくなったからか、
そういう場面が毎日の中に増えてきた気がするのです。

監査は、最初どこから見るかなーと思いながら見てるんですけど、
見えるんですよね。穴が。
あれっ?って思うんです。見てると。

ちなみに私は会計のプロではありません。
簿記は3級しか持ってない。でも私はこの手の勘所みたいなところがあって、
直感なんです。見ているところは。
で、そこをよくよくチェックするとやっぱり抜けていたりする。
膨大な資料をひとつひとつ見るのは、いくら時間があってもできない。
元帳を見ればだいたいの答えはあるので、それとPL、BSを見合わせながら。
まあこれは、どの人も監事ならすると思われますけど、
私の性格にはあっているのかもしれないなと思っています。

さて、昨日今日とで、休みになったらやろうと思っていたいろんなことをやりかけてます。
連休にやりたいことのメインは、掃除と片付け。
とにかくぐちゃっとしたものをすっきりさせたい。

衣替えもやりかけていますが、雨が多くて、干せないので、なかなかはかどらず。
毛糸物を洗いたいな。


今日は昼間、NHK天皇運命の物語の再放送を見ていました。
平成は戦争のない平和な時代でした。それを振り返るだけでなく、その前の流れも見ていくことで、自分なりにの新しい時代を迎える心の準備をしたいなと。私も「戦争を知らないこどもたち」だからこそ。

今からは、BSで「四人の皇后」。

時代の狭間だからこそ、意識的に歴史を見ることは、大切なことなのかもと思っています。

おやすみなさい~。