ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

妄想で再会した祖父と父のはなし。2019.4.26

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何となく自分の中にはモヤモヤがあるのだが、それを言葉にまとめるのが難しくてしばらく放置していた。
そのうちそのモヤモヤが体に蔓延し始めて、昨日の朝、腹痛としてあらわれた。
この日は仕事に行かなきゃだったので、お薬飲んで、仕事に。この日はバタバタだったので、身体に気持ちがいかず、そこまでひどくもならなかった。
が、これは要注意で、このやり方でため込んできたので、このまま放置はしちゃいけない。「私に目をむけてない!」って、私の身体が怒り出す。
そろそろ向き合わなきゃというタイミングだ。
丁度、一つこれは顕在的にもやっとしていたものが落ち着いたタイミングでもあったので、好機だ!と思った。

足が冷えていたので、お布団の中に入って、目をつむり、きいろちゃんに話しかける。
ふとでてきたのは、先日の佐世保への旅で一番最後に行った、近くの宮地嶽さんの光景だった。
そこから始めろということなのか。
宮地嶽さんにお参りしているおじいちゃんの姿が見える。

お参りを終えたおじいちゃんと、階段を降りていく。
おじいちゃんになんでここに来たのかを聞かなくちゃと思いながら、別の頭の中では「過去だから、聞いたって答えはない」と思う私が居る。
でも、ふと思う。
これは過去でもあり、今でもあるのだ。

今、私のイメージでは、きいろちゃんが白い服を着て私と手をつなぎ、嬉しそうに一緒に階段を降りている。おじいちゃんと3人だ。
寂しくない。なんだかとても楽しくなった。

なんでここに来たのかは、どうでもよくなった。
おじいちゃんは一人できていたのかもしれない。そうじゃないかもしれない。
でも、さっきの後ろ姿から、いつも参っているような印象を受けた。それでいいと思った。

以上は全く私の妄想だ。イメージなんてそんなものだろう。
それが正しいのかどうかわからない。
でもそうだと信じることができるならば、それでいいとおもうのならいいじゃんか、みたいな思いがある。
これはこの1年で培った思い。

イメージの中のおじいちゃんに話しかける。
宮地嶽さんの階段を降りて行ってる最中だ。
「おじいちゃんは、今しあわせ?」

一瞬固まったおじいちゃんは「なんばいいよっとか~」と照れてはぐらかす。
まあ、それがこたえなのだろう。
耳がちょっと赤くなっている。
大正生まれには、ドストレートな問いをしてしまった。

歩いてうちに戻った。
おじいちゃんは、庭にいるのが好きだ。
庭が広いというのもあるが、いつも何やらやっている。おうちの修繕をしている時もある。
でも、一番よくしているのは、庭木の手入れだ。じか上の木々もあるが、おじいちゃんが手を良くかけているのはさつきの盆栽だ。なんでこんなに必要なのというくらい鉢がたくさんある。
さつきはつつじの小さい版で、字のごとく5月過ぎに咲く。つつじよりちょっと遅れて咲く。
つつじよりもさつきは手がかかるのだということは、おじいちゃんがなくなってから初めて知った。おじいちゃんが手をかけなかったから、さつきは咲かなかった。

私の庭にいるおじいちゃんのイメージは、だからなのか、赤い花をつけたさつきとともにある。5月くらいしか咲かないのに。

おじいちゃんに「ねえ、パパにはあった?」と聞いてみた。
声を立てずにおじいちゃんは首を振った。
なんでだろう。
おじいちゃんが亡くなって16年以上たつのに、
先に亡くなった子どもにあえてないなんて。悲しいことだ。
それこそ私の妄想であってほしいこと。
だから神様にお願いした。「あの親子を会わせてください。」

そうしたら、父がやってきて「おとうさん!」とおじいちゃんに走り寄る。
抱き合う二人。親子はちょっと若くなっていた。
父がちょっと子どもに戻っていて、おじいちゃんは若いお父さんだった。
二人とも泣いていた。
そのシーンをみて、私もいっぱい泣いていた(これを打ちながらも泣いてる)。

なんでこんなに泣けてしまうのだろう。
単なる私のイメージであり妄想なのに。

泣いている私を溶け合った二人が包み込んでくれる。今回は父の割合が大きい。
ししがみさまがだいだらぼっちになったような感じの、透き通った大きな流れで私を包み込んでくれていて、またそれを感じると泣けてくるのだった。

父の修行や戦いは少し段階が変わったのかもしれないと思った。
もしかしたら、成仏への道を本当に得たのかもしれないとも思う。そうだといいな。

布団から出て、一旦この妄想モードは終了。

この後、お風呂に入った時に、思い出してみた。
なぜ祖父と父だったのだろう。
祖母じゃなく。
思ったのは、私は大きな父性に抱かれたかったのだ、ということだ。
私の周りには男性が何人かいてくれるが、
父性や男性からの愛に飢えているのかもなと思った。
今更ながらに、男性から熱烈なアプローチされたいとは決して思わないが、
優しい愛でくるまれたいとは思っている。

私が欲していたのは、それだったのかとなんとなくわかり、
少しもやが晴れた気がした。
そういう愛情をえることは、私もこの年齢となり現世では物理的に難しくもあるが、
イメージの中で父や祖父が与えてくれるものがあると知ったから、
何となく少し落ち着いた。
直感と、それを分析する論理、正確に言うと直感と直感をつなげるむすびを、
時間を越えてやっている感じだ。
私のこうありたいという思いを物差しとして。

そういえば、今日はふと、以前私が父のことを書いた文章のことを思い出していたのだった。なんでそれを思い出したのか。
何かが動いてる。そんな気がする。


今日は全くの妄想のお話でした。
妄想だけど、作り話100%かどうかは神仏のみぞ知る。
妄想したから真実になることもあるかもしれないのだから、
イメージしたから、形にして行けた事例はいくらでもある。
思いは、イメージしたら実現すると誰かが言っていたが、それは今世だけとは限らないのではないかな。
そうであれば、とてもおもしろい。
過去だって変えていける。
歴史は変わらないけど、自分の中の意識はかわるかもしれない。
そうすれば、今も未来も変わる可能性があるのだ。
変えるためにやっているわけではないけど、
一生懸命、こっちがいい、と自分がいいと思う方向を選んで歩いている。






 

 

歴史はロマン 2019.4.22

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連日の整骨院通いは、土曜日で終了。
先生から「もう、この状態まで戻ったら、ぎっくり腰がおこることはないでしょう」とお墨付きを頂いたので(^^)
とはいえ、身体を保つための呼吸法だとか、運動だとかはしなくちゃね。
自分を大事にするって、こういうところからなんだろうと思うけど、身体の管理がこと難しい。

===
昨日、母のところに行く。
佐世保から帰ったらすぐに行くつもりが、
ぎっくり腰で1週間延期したので、2週間ぶり。
行けないことは電話で伝えたが、電話の声は補聴器では聞き取りにくいようで、なかなか伝わりにくい。
電話は、最低限の用事でしか使えないなぁと思った。

2週間ぶりの母は、かなり暇そうだが元気そう。
いつも通りに近くのセブンでコーヒーを2杯買っていった。

スマホの写真をみせながら、報告。

叔父の写真、彼の部屋の写真、彼の様子、
見つけた神社の話、佐世保のまちや九十九島の風景のこと、
友人が付き合ってくれた話、元実家あたりの写真、
裏のFさんちが古民家カフェになった話、
Fさんの娘さんとの話、そこから聞いたご近所さんたちの話、
叔母との話、家系図の話、宮地嶽さんの話、亡くなった叔母のお店あたりの話、
その他。

話しがひと段落ついて、母が「盛りだくさんな旅だったね」という。
ほんとにそうだと思う。

家系図の話で、
母が覚えている話で私が知らないことがいくつかあった。

私の曽々祖父にあたる宇助さんと言う人は、
今のうちの墓の上の方に土葬されていたらしかった。
母と父は誰からかそういう情報を聞き、探しにいったが、そのものはわからなかったとか。

うちあたりに移住してきたのはこの宇助さんの子、兼太郎さん(私の曽祖父)の時なはずなのだが、家督を引き継ぐのをなくなる結構前にされてるので、その関係なのだろうか?そもそもなぜ早めに家督相続したのだろう?
そういうところの謎がまたそそるw
戸籍謄本の写しをまたじっくりみて、仮説を立ててみたい^^

母がぽつりという。
「あの家系図は、どこにいったんだろうね」
私は現物を見た記憶がないのだが、母が覚えているのは、「一番上になんとか井手の守と言う人から始まっていた」ということ。
井手というのは私の旧姓だ。

その話を聞いて、私の古い記憶が反応した。
うちの一族の最初は、佐世保から平戸へ行く途中の地域を治めていたところの家臣で、参勤交代の時のその地域の警護に当たっていた、という話の記憶。
母は「松浦藩やろうねぇ」と言っていた。

他にも城を持っていたとか、炭鉱をやったとかいろんな話が先祖にはあるのだけど、それがいつの時代に誰がというのがいまいちはっきりしない。兼太郎さんは炭鉱をやってつぶしたらしい。

母とのそんな話が気になって、それでなんとなく検索をかけてみたら、
松浦藩に、井手大和守という方が実際にいらっしゃった。
宗家家臣と書いてある。

sasebosengoku.com

出展はこちら:

sasebosengoku.com


1513年に殿様についてきたらしいので、500年前くらいの方。
井手姓は、長崎佐賀福岡に多いので、ここが始まりなのかもしれない。
でもそこからひも解くのは難しそうだなぁと思いつつ、
佐世保松浦関係の郷土史にはあるのだろうか、なんても思いを馳せたりする。

昨夜はこれでワクワクしていた。
先祖供養云々というのもないこともないけど、
単純にすごく惹かれるのだ。
知らないことを知りたいというのは私の根本的な原動力のひとつだけど、
ことこの手の歴史的なものにはとても思いを引っ張られる。
一言でいうと「ロマン」だ。

小学5年生の時に、邪馬台国卑弥呼の本に出会い、
めちゃくちゃワクワクした、あの思いと同じだ。
これも邪馬台国が九州にある説があったから、
身近に感じて遠い弥生時代に思いを馳せたのだった。
グループワーク発表の時に、私はこのテーマで一人で発表した記憶があるけど、
興味があることについては、一人ででも走るのが私で、
それは変わっていないんだなと思う。

とはいえ、これ以上は時間と労力をかけないと、調べられそうにない。
ただ、先祖の話は大方がなくなってしまって、
一番知っているのが母くらいのもんだから、
それ以上は探しようがないけれど、
この歴史上に名が残っている人についてはもしかしたら文献があるかもしれず。
探そうと思えば探せるかもというところにロマンがあるわけで。

繋がると面白いんだけどな~。

しかし、あの家系図、どこにいったんでしょうね。とまたここに戻る。
それさえあれば、一目瞭然なのに。
なくなったのは、苦労して探せということなのか?
性格が性格なので、あまり深入りせずに、つながるといいなくらいで、
思っていようとは思う。

ちなみに、佐世保市周辺には当時炭鉱がかなりの数あったらしいので、
炭鉱 曽祖父名で検索かけてみたが、ひっかからなかった。
ここ100年くらいのことだけどネット上では難しいみたいですね。

こうして時間が過ぎていくのは、いかんいかん。


もう一つの宮地嶽神社 2019.4.19

ぎっくり腰続報。
仕事の後に整骨院に行くと、
「腰の他はそうずれてもなかったし、後は適度にゆるく体を動かすこと」
と言われたので、座ったり立ったりする時には多少痛むけど、
できるだけ動くようにしている。
今日は整骨院は一旦お休みして、明日朝の外出前に行ければなと思っている。
今の調子ならば~。

===
さて、これも続いている佐世保記。今日が最終になると思う。
一週間前のことになってしまった。思えばすごく前のことのようにも思う。
時間って不思議だ。

今日のBGMは米津くん♬

miww55.hatenablog.com
ひとつ前の投稿で、元実家とその周辺に行った話を書いた。
うちの裏のおうちが古民家カフェになっていて、当時「Fさんちのおばちゃん」と呼んでいた方の娘さんとお会いでき、昔の話ちょっと前の話などを聞いていた。
その話の中で「宮地嶽神社」が出てきた。
私が「朝から宮地嶽さんに行ってきました」という話をしたからだ。私が行った宮地嶽さんは街中の神社。
Fさんの娘さんは「ん?宮地嶽さんってそこの?」という反応をされた。
そういえば、近くに宮地嶽さんがあった。佐世保に行く前に地図検索をしている時に、この古民家を発見した時と同じ時に、墓の近くに「宮地嶽神社」と記載されている文字を発見していた。
でもこの時には「墓の近くにあったっけ?」くらいにしか思わなかった。

娘さん曰く「昔はこの辺はこどもたちも多くて、みんなで神社で遊んだりしていた」とのこと。
そんな話を聞きながら、私の頭は忙しく動き始める。
どこだっけ、、、と思い始めて割とすぐに「ああ!あそこだ!」と思い至った場所があった。
一度いった記憶がある。

帰りのバスまではまだ2時間ほどあった。
Fさんとこをおいとまして、近所を歩き、そのまま墓に向かった。

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墓に向かう道は、今はあまり使われていないよう。
写真のところは比較的まだ草も刈ってあったが、ここに至るまでの道は草が覆いかぶさっているところが多くて、道を見つけるのにちょっと手間取った。
となりのトトロで、メイちゃんが記憶をたどって道を探す、あんな感じがちょっとあった。

前の日に墓に行った時には線香をあげるのを忘れていた。
また今日行く理由は、それだけでもないけど。
「またきたよー」っていってお参りをした。
おじいちゃんおばあちゃんたちが居るのはここなんだろうから。
佐世保にいるうちなら、できる限り毎日行きたかった。
手をあわせ語り掛けるには、お墓やお位牌前はしっくりくる場だ。
お墓は、私の生まれ育った空気をそのままもってくれていて、
ここで参るのは私にとってはそれだけで癒しになる。
自分が生まれてきたことや生きていることを、そっくり肯定してくれる空気感がそこにはあった。

墓に行った後、足はその宮地嶽さんに向かう。
前は家があった、今は駐車場になっているその横を行き、急な階段が続く。看板や表示はない。

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階段を上っていくと、意外と大きな鳥居がある。
階段は途中から石の踏み石になり、手すりは綱になる。
歩きながら、「ここはおじいちゃんとも来たことがある」そんな記憶が頭にかすむ。
何のときだったのか、大きくなってからなのか、その辺は全く覚えていないが、ただおじいちゃんと一緒にこの景色を見たことがある気がするのみだ。
墓には何度も連れだって来たことがあるのに、ここにはなぜたまにしかこなかったのだろう。
こたえはもう得られない。

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登りきったところの正面に、お地蔵様がいらっしゃった。
育子さんの豆地蔵様を供えて、ご挨拶をする。
佐世保に又来ることができたことのお礼と、これからも見守っていただきたい旨をお伝えする。

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本宮は2つ御社がある。
熊野の大斎原を思い出す。

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右にいらっしゃる方

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左のお方。

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旅の終わりに、当初は想定していなかったここで、総括的なものをすることになった。

朝の街中の宮地嶽さんでは感じられなかった、地元での思いがあふれてきた。
いろんなことがつながって、今ここにきているのだと思った。来れていてこうしてつながりを感じさせていただいているのだと感じた。

佐世保に行きますよと氏神様やお地蔵様にご報告をし、ご縁をつないでくださいとお願いをしていた。
自分の産土神さまはまちなかの宮地嶽神社さんだと思ってはいたが、
そこに参ることをどう自分の中で解釈すればいいのかを考えあぐねていた。
この2日間、佐世保をぐるぐる回り、この土地の空気をからだじゅうで感じ、
叔母と話して、自分の6代前までの先祖のことがわかって、自分の今の命のルーツ、流れを実感することができた。みえなかったものが、名前がわかること続柄がわかることで、ちょっとだけ今までよりリアル感をもって存在を感じる。見えないものはないものではない。在っても見えないだけなのだ。

過去は時間の経過としてはなくなったものだけど、それは現世的にないだけで、
実は時間の概念は現世にしかなく、記憶の中に生きている。
今回私の記憶はここを訪れたことで、色鮮やかになった。
昔の記憶も、今現在のちょっとさびれた場になっていることも記憶としてインプットされた。
それらはメビウスの輪のように、私の中にある。
そして亡くなった方々もそこにいて私を見守ってくれている。

勝手な妄想といわれればそうかもしれない。
ただ、パラレルワールドのようなものはありそうな気がする。
「君の名は」のような世界は存在しないとはいいきれない。
まああんなスペクタクルなことは、その任を負う運命であればあそこまでいくのだろうが、凡人には起こらないと思う。
でもスペクタクルでなくとも、
自分の生や命や魂がどこからきてどうなっているのかは、
今の私にはとても興味があることだ。

私がどう生きるのか、
そのミッションはなにか、
この人生で魂をどう輝かせるのか、
私の魂と先祖の方々やこの地域との関わりとはなにか。
それらを、単純に知りたいことと、
知って納得することで、自分の在り方の見方が変わることを望んでいるからだ。
新しい見方をしてみたい。したらどう変わるのかをみてみたい。
過去や今や未来を通しての自分を俯瞰してみたい。
自分の人生は自分でクリエイトできることを体感したい。

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ここまで書いて、小池一夫先生の訃報を知る。
私の昨年の闘病中に、心のよりどころになってくださった先生のツイートが読めなくなるのはとても寂しい。
苦しいながらも、明るくツイートを続けられた先生に、
追悼の意を表します。まずは現世のお疲れを取り、食事制限のない世界を楽しんでくださいね。

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神社のあがりふちから臨む。

神社では、言葉にならない思いもあった。そんな時にはじっと手をあわせるだけにした。
思いつくままをお話しし、私の思いや願いも口にした。

神社を後にし、駅方面に向かうバス停のところで座って墓と神社を見ていたら、涙があふれてきた。
墓も神社も、私が生まれる前からそこにある。
曾祖父母からこの土地に移り、住んできたと聞く。
私はずっと見守られてきたのだ。そのことに気づかなかっただけなのだ。
そこにあったのだ。私が受け取れていなかっただけなのだった。

なあんだ。

気が抜けたと同時に、これまで気を張って頑張ってきた私の孤独感はすっと薄れて行った。必要だから居てくれた私の孤独感。でももういなくなってもいいよ。
私は、愛されて護られてきたんだ。
それで十分じゃないか。

故郷への旅は、こうして終わった。
やはり体感の旅だった。

起こるべきして物事は起こり、必要な順序で進んでいく。
自分が自分に素直になり、その時に出来ることをやる。感じる体と心を健やかに保ち、自分の中の声に耳を済ませて行けば、たいがいのことは何とかなる。

今の私は、そう思う。

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福岡に戻り、あれ?
育子さんのお地蔵さまがない。。。
もしかして、ご奉納しちゃったー?
写真を見返して、、そうみたい。
左の方のところに違和感なくお座りいただいて、そのままで。
ワンカップを供え、周りに撒きお清めさせてもいただいたし、
怒られることはないよね、、と思う小心者。

きっと置いてくることでご縁がつながったのだ、と思いたいヽ(´Д`

自分のルーツへの旅 2019.4.17

今日は朝から体調も思わしくなく、だからなのか夢見が悪くてどよん~。
そんなときは寝るしかないと、午前中は寝て体を休めていた。
食欲もないが、蓄積があるので大丈夫w
整骨院での見立ては、以前よりも良いが、固いところがまだあるよう。(自覚あり)
手足には力は入るようになったが、長く力を入れ続けるのが無理。
スタミナがないのを指摘される。
呼吸もできている、水分も足りている、となると、足りないのは鉄らしい。

鉄不足は気になっていたので、前回のF先生の診療の時に、
鉄の摂取について尋ねてみたところ、私の血液検査からいくと、
鉄は数値的に問題ないのであえてとる必要はない、とのことだった。
ちなみに、日本の女性の多くは鉄不足らしい。

そんな話を整骨院のK先生にすると、
身体に対するストレスで鉄はすぐ不足するので、
そういう時は摂った方がよいとのこと。
血液検査はしょっちゅうできるわけじゃないし、
リアルタイムな数値はわからないので、
あれっと思ったら摂取するのは必要かもね、と思った次第。

~~~~~
今日も、佐世保記。
まだまだ続きます。

今日は、元実家とその近辺を歩いた話を。

1日目についてすぐ、墓と元実家、実家近くの井戸の神様にお参りし、
2日目にも訪問。

どちらかの日に行こうとは思っていたのだけど、
1日目に半日友人が車でアテンドしてくれたので、
叔父のところにいく時間までを、墓参りと元実家に行く時間に充てさせてもらったのでした。
元実家近くへはバスの便も悪くはないのだけど、
そこから別のところに行こうとすると途端にアクセスが悪くなる。
どこの土地も一緒かもしれないけど。
なので、友人が車を出してくれるというのはとても助かった。

友人とも、私が佐世保に行くからわざわざ連絡を取ったのではなく、
2か月前くらいから用事が合って連絡を取る中で、佐世保に行くならという話が出てきたわけで。
これも一つのご縁なのかなと思う。
まあ相手が優しい人故なのだろうけれど。

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墓の手前から見える景色。このクレーンとドックが私の原風景。

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元実家の裏手。木が大きくなっている。

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うちの方に上がる道。何度こうして見上げながら歩いただろう。私にとっては「帰ってきた!」と思わせてくれる風景。

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うちと母屋。この間の道が私のメインな遊び場。

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母屋入口。2年前に来た時はジャングルのようになっていたが、ある程度草木は切ってある。

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あらごろさま。

昔はこのご近所で井戸の神様をお祀りしていたが、もうそれもできなくなり、魂抜きをしてもらったそう。昔の猛々しい感じはなくなり、おだやかな井戸になっていた。

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帰るたびにお酒をあげてお参りをしていたので、今回もそうした。
「お魚さんはよっぱらわないかなぁ」心配する友人w

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水の湧き出ていたところ。今も湧き出ているのだろうか。
軽くお参りさせていただいた。変わらずあるのが嬉しい。
私のルーツを思わせてくれる場所。

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うちから見て裏手の、あらごろさんの井戸の前のFさん宅は、古民家カフェになっていた。

里帰りを前に、たまたま地図検索をしていたら、うちの実家と同じ番地にカフェがあることに気づき、今回絶対行こうと決めていた。

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ちいさい頃何度か上がらせていただいた記憶がある。玄関に見覚えが。

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お店の方に、Fさんのご関係の方ですか?とおたずねしてみたら、
私の知るFさんご夫妻のお孫さんだった。「母が帰ってきましたので呼んできますね」と言われ、Fさんご夫妻の娘さんとお会いした。

私より一回り上だというこの方とはお会いした気がしないでもないけど、よくわからない。娘さんも同じだったそうだが、私の名前はご存じだった。

Fさんご夫妻は、夫さんが割と早く亡くなり、奥さんが亡くなったのを機に、娘さんが帰ってこられていた。おうちを半分だけカフェにし、お孫さんがお料理を作り運営されている(金土日のみ)。
夫さんはコツコツ手づくりされるのが好きと聞いていた記憶があるけど、そのリフォームをそのまま使ってある部分もあるよう。

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お忙しそうだったので、途中まったりと文庫本を読んで待たせていただいた。
よしもとばななのこの本が、今の私の心情にとてもぴったりで驚く。

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娘さんから、周辺の方々のこともお聞きした。
うちと上のNさんのところは、社宅のような使われ方をされているのだそう。
当時の、私の祖父母時代の方々は大方亡くなっていて、2世帯だけはまだいらっしゃるそうだった。
仲良くさせていただいていたNさんのおばちゃんも、近くの施設に入ったが何年か前に亡くなったと聞いた。
娘さんは、私の母のことは覚えてらっしゃって、「福岡に行く時にご挨拶にみえました。お元気でとお伝えください」と言ってくださった。

「昔はこの辺も子どもがたくさんいたけど、今はすっかり空き家ばかりになって。寂しいですね」と。

「そうですね。懐かしくて私もわざわざ訪ねてきたんですが、こちらがあるので嬉しいです。また伺います。」そう言ってカフェを後にした。

親戚でもないのに、故郷を尋ねると寄れるところがある。
これはとてもとてもうれしいこと。

そういえば、帰り際に言ってらした「いつもなら、仕事に出ていてこの時間にはいないのに、今日は帰りに車に乗せてもらえたので早めに帰ってきた」のだそう。
ラッキーだった。お孫さんだけだったら、こんな話は聞けなかったから。
このタイミングも、ベストな状況になってる。

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さて、せっかくなのでいろいろ歩いてみたい。そう思って、
まずはバスを降りてからうちに降りてくる道を。

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この辺、むかしのまんま!
私の中の小さい子、きいろちゃんが大喜びしている。

 

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ここは昔はまきの木の生け垣があったのだけどなくなっている。すぐのびるので通行の邪魔になるからだろう。

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カフェから出たところ。大学時代、この道バイクで通ってた。

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ここで、よくガキ大将の方々にくっついて遊んだ。

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前は手前にも奥にもおうちがあったのに。

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歯医者さんがまだあった。50年くらいはこのまま。

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うちの裏手。おうちがなくなって駐車場に。

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お世話になっていたパーマやさん。
さてここから、幼稚園への道を歩いてみることに。幼稚園はもうないのだけど。

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お世話になっていたお店。父の友人の家でもあり、父が大学卒業後しばらくバイトをしていたらしい。と数日前叔母に初めて聞いた。

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あの山を見ながら幼稚園に通っていた。

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右手はお餅やさんだった。

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山の中腹にあるおともだちのうち。
記憶は正しかった。
保育園跡地まで歩き、そのまま折り返して帰ってきた。f:id:miww55:20190417200509j:plain

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たかだか50年。自然は何も変わらないのに、
そこに住む私たちだけが変化している。
私の中にまだ色鮮やかにある祖父母たちの居る風景はあるが、
今見る誰もいなくなったあの場所の風景もまぎれもない事実として、そこにある。
どちらも自分の中にある風景だ。
ただ、昔はもう確実に終わったのだと、思い知らされた。
当たり前のことだけど、そうなんだなと思った。

産土神様へ 佐世保 宮地嶽神社 2019.4.16

ぎっくり腰続報。
毎日少しずつ良くなっている模様です。
一番つらいのは、寝た姿勢から体を動かす時。
右の臀部周辺に痛みが走ります。
今日も整骨院
首を触った先生から「昨日直したところがずれてる」と一言。
私の首はこうなんですよね。
首は首で、体の不均衡を察知してて、いろんなところのバランスを調整している気がします。でもおかげでその本体自体がずれる。すると神経に触って痛む(--;

呼吸が浅いからと、今日は呼吸筋を鍛える運動を教えてもらいました。
これ、私にとって相当根深い問題なので、こつこつやろうと思います。

コツは、胸に手を当て、息を吸って吐く時に胸の手を下に押し下げること。呼吸する時に筋肉が動く方向と反対の動きをすることで鍛えるそう。

gooday.nikkei.co.jp
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さて、佐世保記の続き。
今日は、産土神様に行った話。

産土神というのは、生まれ育った土地の神様という意味でいいと思う。
私の場合、家系が参ってきた神社であり、厄払いや七五三などの行事では宮地嶽さんに伺っていたので、おそらく産土神さまは宮地嶽神社だとして訪ねてきた。

40年ぶりくらいなのだろうか。

当時はもっと大きな神社だった気がするのに、行ってみると思ったよりこじんまりしている。
先ず一人で行ったことがなくしかも車でしか行ってないので、どうやっていけばいいのかわからない。
ネットで調べていくも、ちょっと違ったようだ。
まあ土地勘はあるので、大体な感じで歩いていく。

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陸橋から見た宮地嶽さん

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神吉の横から入る、とナビは伝えるが、ほんとに?

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先の見えない階段

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登り切ったところにいらしたお神様。どなたでしょうか。お通しいただけるようご挨拶。

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駐車場のところにはお馬さん。

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御手水には龍が。

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御手水の向かいにお社が。本殿にお参りする旨お許しをお願い。

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狐様いらっしゃるので、お稲荷さんだったのね。

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由来。どこに行っても神功皇后さまがいらっしゃる。

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本殿に参る前に、自分で払います。

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本殿。初参りの方々がいらっしゃったので、まっすぐは撮らず。

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たくさんみくじがあった中「宮みくじ」を選びました。

新生児の赤ちゃんとご家族の方々が、初参り中。
それを脇で見届けてから、一人になって、ゆっくりお詣りさせていただいた。

久しぶりに伺ったこと。私はこうして生きてきてること、つまづいていること、これからこんな風にして生きていきたいこと。見守っていただきたいこと。
ゆっくり時間をかけて、お話をしてきました。

お参りの後は、おみくじ。
よく見たら、中透けてるw

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大吉。ときわなるまつのみどりもはるくればいまひとしおのいろまさりけり

このおみくじは、何度となく引いている。
おそらく最低4回は。
最初から最後まで同じ内容w
ってことは、まあ「順風満帆で行ってますよあなた」ってことなのだろう。

そもそも素晴らしいけども、耐えたあなたはもっとすばらしいわよ、と言われていると受け取ってみる。

神様がそういってくださってるのだから、そうなんだろう。

ここまで見せられると、信じざるを得ない。

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社務所のところから。歩いてくるとこのルートであがる。

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帰りは、歩きの正規ルートで降りる。

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ふと見上げた空には、飛行機雲がまっすぐに2つ延びていた。
「まっすぐに行きなさい」というメッセージだと思った。

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叔母との会話 2019.4.15

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午前中に整骨院に行き、ぎっくり腰を診ていただいた。
K先生は、過去私のぎっくり腰を治してくださっている中ではぴか一なので、
こういう時にはほんとに頼りになる。

今回は右の臀部がぴきっときたのだが、足裏~ふくらはぎ~首~肩~肩甲骨~右ひじあたりを調整してもらい、いっぱいタネシールを貼られる。今日は20くらい貼られたような。
(一種のツボ療法?種子療法と言います。花のタネ~ひなげし?のシールを貼るとこれが結構効くのです。貼ったら動かなかったところが動いたりして。)

小一時間ほど調整してもらって、随分痛みが引いた気がする。
局部的に来る痛みはあるが、そのために周辺かちかちになっていたところがほぐれてきて、全体的に柔らかくなってきた。ほっ。
痛みが落ち着くまでは毎日通院。
私は、身体を緊張させてしまう癖もあるので、何かの時には一旦専門家に診ていただいた方が、スムーズに調整できる。
即対応いただける方々が近くにいらっしゃるのは、ありがたいことだ。

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さて、佐世保記の続きを。

佐世保に行こうと思ったきっかけは、前回も書いたけど叔父の施設の面談、
そして目的は、自分の産土神様へのおまいりだったが、目的のもうひとつは、叔母に会うことだった。
叔母は私の亡き父の妹で、私とは17歳離れている。
昔から叔母と私はよく似ていると言われていて、
顔や体格や体質も似ている。彼女をみていると、こういう風に老いるのかと思えるので、いいロールモデルになってくれている。

最近はなかなか会えないし、たまに電話で話をするくらいだったので、
何かを話すため、というのはなかったが、立ち寄りたいと連絡を取ってみた。
すると叔母から「ちょうどよかった!」と弾んだ声での返事が。
その日はちょうど叔父が検査入院の日で、不在なのだそうだ。
「年に1回あるかないかやったけん、ちょうどよかった!外でご飯食べよう~」。
ということで、叔母と二人で晩御飯を食べることになった。

タイミングというのは、そうあるべきだからそうなるのだろう。

考えてみれば、叔母と二人で食事をすることは、初めてだった。
美味しい和食に日本酒を前にしてだったが、
とにかく「しゃべって聞く」のに集中しすぎて、飲食がついていかないw

近況からはじまり、元実家のこと、祖父母のこと、父のこと、親戚のこと。
知っていることも、知らないこともあった。
叔母と私は、会話をしながら、答え合わせをするように、話を確認していった。
それは、ジグソーパズルのピースを埋めるような感じでもあった。

特に祖父母の性格や行動についての話を、叔母から聞くのは面白かった。
私は初孫だったからか、叔母いわく、とにかく二人の可愛がりようはなかったらしい。
子ども心には叔母が言うような「可愛がられた」という印象はそうないのだが、
祖父母はベタベタするようなかわいがり方をしない人たちであることは
私も重々承知しているので、「温かく見守り、たまには干渉的に接する」のが彼らの愛し方だったのだろうということは、今回叔母と話をしていて再認識したところだ。

それにしても、なんとわたしたちの家の血は濃いのだろうか。
昔も親戚の集まりをすれば、そんな話は出ていたが、
「愛ゆえの干渉」を、そういう言葉で話していた気がする。
昔はどこもそうだと思っていた。私はそこしか知らないので、比較することはできないのだが、大人になっていろんな家族や親せきの在り方を聞くに及び、
うちは他のところよりも、家族・親戚の距離がものすごく近いのだなと思う。

それを仕切っていたのは、祖父母だ。
その末っ子である叔母は、また一心にその「愛ゆえの干渉」を人一倍浴びた人。
そんな叔母の視点から聞くうちの一族の話は、また新鮮であった。
叔母は「嫌だった」「早く出たかった」とはいうものの、
祖父母に対して「こうだったから仕方なかったのよね」とかの解釈をしない。
それが、彼女と話をしていて感心したひとつだった。

私は小さい頃から、自分で相手の状況を優先して「仕方ない」と慮り、
自分の本心である「もっと私の気持ちを尊重してほしい」というのを押しつぶして、
でも押しつぶしている本心は消えはしないので、
自分が自分に与えるストレスで苦しんでいたのだが、
叔母は、それとは少し違う耐え方をしているようだった。
私以上のストレスを浴び、その半分は流していたのだろう。

私と似ている叔母の話しの中から聞く、私と違う生き方処し方は、私にとって「なるほど!」だった。
方法論を得た感覚もあるのだが、それ以上に「孤独でない感じ」を感じさせてもらえた。
当たり前ながらに、いろんな先祖がいて、彼らの人生の営みから私の命は始まっている。そして、私と同じように、私以上に理不尽を身に浴びている叔母がポジティブに生きていてくれる。このことは私に大きな力をくれた。

今回私は、叔母からもらったオレンジトパーズの指輪をつけていた。
これは祖母のもの。

祖母の指輪が私のところに来た経緯はこちらに↓

miww55.hatenablog.com


その日、叔母も私も偶然なのかオレンジの服を身につけていた。
私は指輪を外し、叔母と私の間に置く。
オレンジネットワーク( ´∀` )
祖母が会話に入りたそうでw

そういうのも、偶然といえばそれまでだけど、
面白いね、ご縁だねっていえば、そこから物語が始まりそうにも思える。

親戚や先祖の話になり、
以前父が存命中に、先祖供養のために先祖の名前を探し家系図を作ったことがあったのだが、その家系図は紛失していた。祖父母がなくなった後家を処分する時に叔父と叔母で随分さがしたらしいがなく、うちにもなく。
という話までは祖父母がなくなった後の時点で共有していたのだが、

叔母から「その後、私さ、気になっとったけん、家系図作る人に聞いて、戸籍謄本を取って作ったっちゃん。」という言葉を聞く。
「えええええ~!ほんとに?」
「見に来る?」
という流れで、その後叔母のうちに移動し、家系図チェック。
結果、私から見て、ひいひいひいじいさんとばあさんまでのものが発覚した。
曽々々祖父母というのか。
19人の先祖の存在、続柄と18人の名前がわかった。

想像していなかった展開。

叔母とは結局5時間半ほどしゃべっていた。
叔父がいたらこんな時間は取れなかっただろう。

先祖供養にまつわるもろもろや叔母の思いも聞いた。
私たちは私たちの立場でできることをするしかない。

どんな信仰をして、どんな風に祈っていくかは、
個人の思い次第。
叔母も私も、なんらか感じるセンサーは持ち合わせており、
いろんな出会いやタイミングに逆らわずに、
受け止めて生きることを意識しはじめてからは、
いろんなことがつながってくるように感じている。

今回の私の佐世保訪問で、うまくタイミングがあって
叔母といろんな話ができる時間が確保されたことで、
シェアできたことや明らかになったことがある。
父が亡くなった理由についての納得感や現状理解をする選択肢も増えて、
叔母と関わりある方の話を聞くと、つながりがあるようにも思えた。

いろんなことが明らかになっていく。それは本当かどうかはわからなくとも、
私たち生きている人たちが、それをどう思い、
自分の生き方にどうつなげていくのか、
それを考えるための選択肢はいろいろあってよいと思う。
その中で、自分が選び生きることを学べばいいのかなと思う。
こんな風に命を生きることが、先祖供養にもなるような気がした。

和田津美神社 2019.4.14

今回の旅は1泊2日だったけど、とにかく盛沢山で。
撮った写真は240まいほどという数値を出せば、盛沢山具合がわかっていただけるだろうか?
肝心なところの写真が欠落しているけれど、
それは私の目に焼き付けられているのでよしとします。

ところで、今日ぎっくり腰になりました(´;ω;`)
このところ、筋肉が固くなってるのは感じていたけど、
ヨガもピラティスもやってるし週1整骨院にも通ってるしと、
気にしないようにしていたんですよね。
でも、今回の旅に出る前に、クローゼットからコルセットを発見していたんです。
予知したからなのか、そうなる前提だったからなのかわかりませんが。
まあおかげで、こうなってから、クローゼットを探すのはかなり難しかったと思われるので、不幸中の幸いではあります。

明日から結構予定が詰まっていたので、頭を抱えていますが、
これもこの一泊2日が終わってからでよかった、旅先じゃなくてよかったと思えば全くそうなので、
これもまあそうなるべくしてなったのかなと。
ああ、もちろん腹筋背筋が鍛えられていればならなかった可能性はありますが。

一昨日、叔母とこの辺の話はじっくりしていて、
気づかなきゃいけない時には、身体にやってくるよねって。
叔母も私のようなタイプですから、
すごく話が通じました。

===
さて、今日は今回の旅で偶然に出会った神社の話を。

最初から行こうと思っていた神社はひとつありました。
私の産土神様である宮地嶽神社さん。

でも、そこに行く前に、ある神社に出会いました。

1日目、母校を懐かしく散策した後、叔父の施設に行く前に橋を通っていると川の中州に神社があるんです。
まだ約束まで時間があったので、神社を目指していってみることに。

中州に入る前に、お地蔵様たちがいらっしゃいました。

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道祖神の方々でしょうか。
真ん中の方はお不動さまかな。
両津勘吉風w

先の神社さんに伺うことをお断りして、先に進みます。

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マップには「和田津美神社」とあります。
大学の裏手の方から周り、川沿いの道から歩きます。

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水が引いている時間でした。
向かい岸に見えるのが、叔父のお世話になっている施設。

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細工が素敵。
太陽と月。
現世と黄泉、でしょうか。
中にはご神体らしき鏡がちらり。

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元禄とか明治とかいう文字がみえます。
何度も再建されたようですが、どなたがお座りになっているのかはわかりませんでした。
こちらは海につながる川。
海系の神様なのかなと思います。

川の水が増えたら沈没しないのかなと心配になります。
でも桜の木も伸び花をつけているし、日常的には大丈夫なのでしょう。
船がつけられるような船着き場もありました。

叔父の施設の近くにある神社さんなので、
叔父のことをお見守りくださいとお参りしてきました。

母の施設の近くにも六地蔵様がいらして、お参りしておねがいしていますので、
同じような感じ。
近くにこうして神社さんがいらっしゃると、ほっとしました。

天気もよくて、よかった。

しかし、4年も通っていた大学の裏にこんなところがあるなんて知らなかった~。
そもそも裏に行こうとも思わないし、こうして懐かしくて母校には来たかもしれないけど、叔父の施設がなければ通りもしなかったかもしれない。
そういう出会いって、実はたくさんあるのかもしれません。
気づかなかったけどあった、というもの。
これを今回の旅でたくさん発見することになりました。
これから、そのことを少しずつ書いていこうと思います。