久々に夕方からの打ち合わせ。
最近はこのご時世で、外での打ち合わせも大変少ないし、基本はZOOM。
でも、現地を見る、現地で話すというのも、
とても必要なことだと思う。
もちろん、今は絶対そうじゃなければとは言わないけれど、
リアルなものを推すのは、
人はZOOM(遠隔)の視覚・聴覚以上のものでも多く、
情報を得ているのだなというのが、久しぶりにリアルな状況下を経験すると、
とてもわかるからだ。
遠隔だと時間ぴったりで場が始まりぴったりで終わる。
余白がない。
時間前後のちょっとした会話や非公式な場で、
ぽろっと本音が出たり。そんな場からの言葉の救い上げも、
実は人間関係においては重要だったりするものだ。
私たちには等しく一日24時間しか時間がない。
だから、効率を上げることが利益を生み出すための必須要件になることはよくわかる。
ただし、私たちは感情のある生身の人間だ。
ビジネスライクでとか、ロジカルにとかいうけれど、
皆がそんなに簡単にできるわけではない。
それをしないと仕事ができないと言われてしまいがちだが、
思いや感情を外すと、仕事のモチベーションがなくなってしまう場合もあるのだ。
ロジカル派の方には「それは甘えだ」と言われてしまいそうだけど。
(今日はロジカルかどうかの話が結構出たので、少し引きずってます)
自分の感情はそのままにロジカルにふるまうことができたら、
仕事ができる人になれるのだろうな、
そうすれば自己肯定感も上がるのだろうなとも思うから、
それができない自分にどうしても否定を感じてしまう。
ここはセットになりがち。
できない自分も今の自分。
そういいきかせながらも、「できるといいな」と思ってしまう。
その方が楽そうだから。
そう。できない自分と、自己肯定感が高い自分は
共存するのがむずかしいのだ。
できる→自己肯定感高い
はわかりやすい。
できない→自己肯定感高い
はロジカルではない。
(因果関係がわかりにくい)
ということは、自分に対しても他者に対しても、それでいいんだとは伝えにくい。
説得力がないのだ。
他者を理解する時には、「ま、人間いろんな面があるよね」と思えるけど、
自分を観る時にはなかなかそうは思えないもので、
そういう状態で自分をアピールするって、難しい。
盛ることは言語道断だし、でも「どこまでできるかわかりません」ばかりでは
消極的アピールをしているようなもので。
ロジカル派に立ち向かえないのは、
それ以外の言語を持たないからなのかな。
ロジカルに翻訳してくれるような機能をグーグルさん作ってくれないだろうか。
ロジカルの反対語は直感だとすると、
直感に意味づけすればロジカルになる(意味というファクトがつくから)。
それはできるが、ツリーが苦手。
いやロジカルツリーを作るのはまだできるとして、
自分の話をロジカルにまとめながら話すとかいうのが苦手。
あ~、ほんとに心が萎えている💦
違うことを書こうと思っていたんだけど、
ウイークポイントを目の前に出して話をしてしまったがために、
別に否定をされているわけではないのに、
自分を公開処刑してしまってる気がしたのでした。
自分のできることできないことを見ていく作業は、
自分だけじゃ難しいから、
有難い機会なんですけどね。
学んだことを実践する場が与えられるけど、
ちっとも学べてないことが明らかになる💦
いや少しはわかってきつつあるのだけど、
まだまだ自己受容できていない。
こっちはできないけど、こっちは得意です、おまかせあれ、
っていいたいなー。
(得意なこと、ちょっとは言いました)
恥もさらして書かないと自分の整理にならないからね。
つらつら書きました。
整理というよりはまず机上に出すみたいな感じで。
自分の中で整理ができないから、まずは出して形にしないと、
何があるかもわからないんだよなぁ。
ロジカルな人というのは、小出しにしているのだろうか。