ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

ポイ捨ての現場で 2021.1.18 

先日、近所の道を通っていて、あるカップルと遭遇した。
女性の方が先に行き、あちこち歩き、男性に話しかける。
男性の方は何かを食べながらのんびりと歩いてくる。

男性は道の真ん中を通っていたので、私は端の方を通りすぎようとした。
そのすれ違う少し前に、男性が食べていたらしき容器を、
ほおりなげるようにぽーんと後ろに投げた。
彼は宙にうかせるようにぽーんと上に投げながら歩いたので、
後ろに投げるというよりも、結果的に投げたものが本人よりも後ろに行き落ちた、
という感じ。

ちょっとあっけにとられてしまい、
私は一瞬フリーズしてしまった。

ちょうどその数歩先のお地蔵様に行くつもりで歩いていたので、
とっさに、お地蔵様のお堂に入った。

その時は、お地蔵様に行ってお参りすることに集中していて、
見た瞬間フリーズしたが、その時点で何かしようとは思わなかった。
お参りを終え、
ふと道をみると、カップルは居らず、
投げ捨てられたものが忽然と道の真ん中に落ちている。

ここで見ないふりをすればいい気もする。
でも、拾ってしまった。

何故見ないふりをすればと思ったかというと、
コロナだ。

彼が口をつけて食べていたものを拾うというのは
正直リスクが高い。

でも、体が拾ってしまった。そして拾った瞬間に、
あ、コロナの可能性、、、と考えてしまったのだった。。。

拾ったそれは「かにかま」のプラ容器だった。

こんなもん、投げ捨ててどうするねん。

とっさに持っていた買い物バッグに入れて、スーパーに行き、
トイレで念入りに手を洗った。
そして買い物をし、帰宅。

すぐに買い物バッグに入れたかにかまのプラ容器をゴミ箱に入れ、
買い物してきたものたちは、全部アルコールで拭いた。買い物バッグは洗濯機で洗った。

なんでその時に彼らに注意しなかったんだろう?


一つは、お地蔵様のところに行くことに集中していたからというのは大きい。
息子の受験前のお願いをしに行く途中だったから。
もう一つは、感覚的に、ここでその非を責めても、
彼らの行いが変わるかというと?自信がなかった。

見た目で判断してはよくないのだけど、
違和感はなかったけど、
女性が男性に話しかけてるのがわかったのは、
マスクをしていなかったからかな、、と後から思う。
人が通ることについても、あまり気にしてないような彼らのふるまいをみるに、
聞き入れられないだろうなと、判断したからだ。

近親者でもない他人に、言われて素直にごみを持ち帰るような子なら、
そもそもごみを投げ捨てたりはしないのではないかと思ったのだ。

帰宅後、息子にこういうことがあったんだよねという話をする。

彼は「僕はごみを捨てるなんてことはせん。しようとも思わん。信じられん。」という。
私もそうだ。
では、なぜしないのか。
自分で自分のごみを持ち帰るのは当たり前だと思っているし、
ごみを出せば、誰かがそれをかたづけなければならなくなる。
それに対して申し訳ないと思う。そんな理由。
そこは息子も私も一致している。

で、彼らはどうなんだろうか、と考える。
彼らだって、学校や地域で、そんなことくらい言われて育ってきているはずだ。
でも、それをしないというのはなぜだろう?

あえてやっているのか?
愉快犯のように?
ふわっとボールをなげるように彼は手を上に向けて投げた。
要らないものを捨てるなら、普通は下にぽいっと捨てないだろうか。
遊ぶように、捨てる。
そこには必要以上の意図があるような気もしちゃう。
(深読みの可能性は十分あると思って書いてます)

でなければ、何も考えていないか。
自分の行動が他人の迷惑になるだとか、
そんなことをかけらも思っていない可能性もある。
息子はこっちの方を支持していた。

こんな人は結構多い。

その昔、学生時代に、缶コーヒーを飲んで
階段に放置しようとした先輩にかみついて、口論になったことがある。

私は今でも悪いことをしたとは思っていないが、
その人からみれば、「あなたに迷惑かけてないんですけどなぜそこまでいわれなきゃいけないの?」という思いがあるようだ。
正義感振りかざしてなんだ、みたいに言われてしまう。

そのことがあってから、私は言うのを止めた。
自分の心も時間も使うし、それよりもなによりも、
私が言っても、その人の行動が変わるわけではないことを知ったからだ。
私はその人に行動を変えて欲しいから言っただけなのに、
そこを逆にこじらしてしまう可能性があるなら、
それって逆効果じゃないかと。

その人にはその人のタイミングがあるのだろうと思う。
学生を見ていると、それは特にそう思うから、
(ゴミ拾いとかではなく、行動の変化について、ですね。)
関係性のある立場の場合は言うが、
そこからはあまりしつこくは言わないようにしている。
プライドがあるような子の場合は余計に、逆効果になるから。

あれ、何のことを書いていたんだっけ。

そうそう、ごみのはなし。

捨てる人に理由があるかどうかわからない。
その理由をいくら考えたところで私は捨てる人ではないのでわからない。

もしかしたら、そういう教育ができない親の元で育ったのかもしれない。

わからないから、断定もできない。

とまあ、そうなれば、私ができることは、
私は私の良心に従うしかない。ならば、拾うしかないのだ。選択肢は。

ビニール袋とか、バッグに忍ばせておかねばなあ。

しかし。
こういうことで、心や感情を揺さぶられても
あんまりいいものではないなとも思う。

ブログの読者になっている方が、
ごみ拾いのことを「宝拾い」として、自分から嬉々としてごみ拾いをされていた。
彼女にとっては宝拾いは気持ちの良いものであるという。

実際私も、道が汚いことの方が嫌で、きれいになるとすっきりするから拾うわけで。

私は今回ビッグな宝を拾ったのだろうか?

今の時期はなかなかリスキーだよなと思いつつ、
ビッグなラッキーだと思えば、
なんとなくそんな気持ちになってくるから不思議なもんである。

あ、でもちゃんと手洗い消毒は必須!