ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

キュンキュンは大事 2020.02.25

どっちをむいても、ねてもさめてもコロナの話ばかり。
仕事や生活に影響があるから、チェックもしなきゃだけれど、
今のところ、いい感じの話はまだない。
夕方のニュースで解説の方が「明るい兆しも見えてきました」って言われるのをちらっと聞いたけど、ほんとなんだろうか?っていぶかしく思うこの頃。

徐々に、気持ちが落ちがちになるので、意識的に何かに没頭する時間を作ることを心掛けている。

昨日は、大好きなTDL15周年のミュージカルショー「ビバ・マジック」の動画をがっつりみてた。

寝る前には、息子から誕生日にもらった小説「氷菓」を読んでいる。
ラノベらしいのだけど、意外と面白い。

そして火曜日は、恋つづ!

佐藤健ファンとしては、外せない。

 

 

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キュンキュンは、いくつになっても必要( ´艸`)

今日は!!!の回でした。飛ばすなぁ。ほんとに。

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こんなのかわいい方でしたね。

そして今日は清原翔くんも出てて、これまた眼福。

 

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ということで、火曜日は早めには寝れないのでした。
いかん。
でも気持ちよく寝れそう。イケメンは幸せを呼びます。
ドラマや映画は、
現実逃避にどんどん使いましょう。

おやすみなさい。

深呼吸で”清”の魔法を 2020.2.24

一週間放置のブログでした。
体調はずいぶん落ち着いているのですが、もう世の中コロナの話でもちきりで、
仕事でも、市で陽性者が2人出たことを受けて、
屋内もの子どももののイベントが中止になり、なんだか不穏な空気が。

気持ちが上がりません。

母のいる特養からも、「不要不急な外出は禁止」「面会は10分以内」というお知らせが。
ちょうど2月合同お誕生会の2日前の連絡でした。
この日に市にコロナ陽性者が出ちゃったから、仕方ないんですけどね。
その辺から一気に気力が失せております。

私がそういう状況だからなのか、「そんな行動する?!」みたいなことも受けてしまう。
日頃はそう気にならないことも受けてしまうのかなぁ。
いや、そればかりでもないなぁ。

私は自分勝手な行動をとる人がほんと苦手💦
そうしたいなら言ってくれと思う。
自分はいいかもしれないけど、ほんと他の人のことを考えない利己的な行動って嫌いです。
そういう人に限って、自分は利他の人だというのが不思議だわ。

今日は新月だったので、
新月満月恒例のタロットを引きました。

”あなた”は清い心を持っています。

 

それなのに自分に対して時に、、、

「心の定まりがない」

「八方美人」

「気が散りやすい」

「飽きっぽい」

「潔くない」

などと思ってしまうこともあるかもしれません。

 

そんな風に思うのはもう止めましょう。

自己を否定するのはもう終わりです。

 

 

他の人の思いや世の中の流れを敏感に察知して『和』を保とうとするからです。

元来”あなた”の資質には『調和』の心が根付いているからです。

 

『和を以って貴しとなす』の精神です。

 

そんな”あなた”です。

時に相手(他人)の気持ちに共感して自分の全てを捨てたり、消したりしてしまい、、、

自分がわからなくなることもあります。

そして我に返った時に”あなた”自身が自分を責める(自己嫌悪)ことになってしまうこともあります。

 

”あなた”は相手(他人)を責めることはしない人なのでどうしても自分を責めてしまいます。

 

 

今、自己否定の想いが多くなっていませんか。

自己嫌悪感が増してはいませんか。

 

 

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こころが完璧に疲れてるのは自覚中。


自分の為、自分のことを1番に考え、自分に正直になってください。

これはワガママなことではありません。

これからの未来の為へは必要なことです。

 

行動する前に深呼吸して”あなた”を”あなた”自身で清めましょう。

 

波風が嫌いです。
ほんとめんどくさい。
どうしても、それが必要という時には、戦うけど、
不毛な戦いには参加したくない。貴重なパワーをそんな無駄なことに使いたくない。

取りあえず深呼吸して、楽しい映像みて体と心を休めます。

浄化をしてくれる深呼吸で”清”の魔法をかけましょう。

綺麗な光をイメージして、その光の中で深呼吸です。(瞑想方法)

身体や心が軽くなる瞬間が来るまで深呼吸です。



おやすみなさい。


字も小さくなっておる。みたままモードでは修正がうまくいかないのです。これまた面倒。



 

風邪と罪悪感 2020.2.16

一週間ほど前から寒気が続いていたので葛根湯を飲み続けるも改善せず、
とはいえご飯も食べれるので頑張っていたものの、
ここ数日、全身倦怠感と節々頭肩腰の痛みが酷くなって起きているのが辛く、若干発熱(でも7度代)。

というのが、14日にFBに記した文章。

買い物にも行けないので、昨晩楽天西友ネットスーパーで、今の私が食べられそうなもの調理できそうなものをポチし、翌日夕方大量の食材が届きました。
が、この時すでに見るだけでも具合悪い状態に。
不調な時の体調は、ころころ変わります。よく変わればいいのだけど。

ここまできたら、もう病院に行かずに治るんじゃないかなーと思ってたんですが、行ったほうが良いのかもと悩み中。
けど病院まで歩ける気がしない。

そんなこともFBに書いたら、「病院に行け!」がほとんどのコメント。1つだけ「今、病院にいくのはこわいかも」というのもあった。

ほんとに、今回は体中の倦怠感、痛みがひどく、寝てるしかなかったので、
まず病院に行こうという気が起こらなかった。

でも、よくなるような感じにもならず、かかりつけ医は日曜月曜はおやすみなので、
行くなら土曜日。
夫が車を出してくれるなら、、そして予約が開いているなら、、
というのをどうにかクリアして、診てもらいにいきました。

症状的に、もしかしたらインフルエンザB型かと思ったのですが、
判定はシロ。

となると、私のいつもの過敏性が大活躍しているとしか思えないわけで。

のども腫れてない、咳も出ない。鼻水はおそらく鼻炎から。
主症状の「寒気、発熱、腰等の痛み、多少の吐き気食欲不振、頭痛」をクリアするには、ひたすら気を休め体を休めるしかないかと、吐き気止めと痛み止めを頓服で出してもらって帰ってきました。

ちまたで流行りのコロナウイルスの方は40度が一週間続き、、とあって、咳もすごそうだし、今の私がそれにかかるともう耐えられないだろうなと思うわけで。
ひたすら身をひそめるしかない冬場。
冬眠って理にかなっているような気がします。
ああ、人間にはなぜ冬眠がないのだろう。

最近の私のテーマが「罪悪感の克服」なのですが、
こうして病気になると、予定のキャンセルを余儀なくされます。
金土と仕事が入っていたのをキャンセルお願いしたのですが、
その前に少し「あれ?」と思うことがあって。

今やっている仕事の上司?に当たる方は、
旧知の方なのですが、一緒に仕事をしはじめて半年。
年代は私より少し下。
まあ昭和育ちという点では同じなので、ひとくくりかなと思うのですが、
私は大学でも仕事をしているし、イノベーションであるとか多様性であるとか、新しいリーダーシップの在り方だとかいうのは、割と普通に理解をしているつもりで、
NPOだとか小規模の団体でやっているところの方々、特にトップはそういうことへの理解はあると思っていたんです。
思い込んでいたのかな。
でも先日会話中に、あれ?この人結構旧態依然だなと思うところがあって。
なんの話だったんだろう。ちょっと記憶が薄れていますが、
「みんなでカバーしあおうよね」的なことが伝わらないなと感じたわけで。
「ねばならない」が強いと感じてしまうのは、私にまだまだ「ねばならない」が強く残っているからなのかな。

その辺がずっと体の中にあって、今回の風邪の起因になっている気もしないこともないのです。
未消化の思いは、なにかしら体の不調としてサインを送ってくる。
そんな気がします。

言わなくてもわかるだろうという環境から、そうではない環境に。
(ある意味逆なものもありますが)
人と仕事をするということは、非常に難しいものですね。
その人の価値観って、しばらく一緒にやらないとみえてこない。

私の「罪悪感」も、しばらくでてこなかったのに、
環境が変わるとやはり出てきてしまう。
ということは、私自身の根本が消化できていないということだ。

めんどくさい、自分さえスルーすれば、、となっていき、たまっていく。
めんどくさいのところで、そっちのほうをみないようにしてかかわらなくしていたのは、環境が変わったらそれは回避していただけだったということに気づく。
逃げても、回避にしかならない。

罪悪感なんて感じなくてもいいって、自分が心底思わなくては、消化しないんだなぁ
ということまではわかった。


さて私がいるだけでいい。価値を見出さなくてもいい。と本当に思えるのかどうか。
自分ができることで価値は提供してきたつもりだが、それでよしとできるかどうか。
もっと、と期待されているのはわかっている。
そのもっとが、「決まった時に来る」とか「休まない」だとしんどくなる。
体あっての仕事だから、体がいつも平常運転である率は、私は人よりも低いので、
だからそれでもいいよと言われるにはどうしたらよいかと考えた挙句、
レベルを上げること、それでもいいよと言われるようになることを志望したが、
実際はそこまでになるにはタレント性が必要であり、
私レベルの人は結構いくらでもいるわけで。
そこに自分の価値を見出すのは無理だとわかった。

私自身がそこにOKを出さねば、ほかの人に自分を売ることなんてできないわけで。

いちばんしんどいところに、結局フォーカスが来る。
私の自己否定の一番のとこでもある。自分に自信がない。人に「こんなところが私は優れています」といえない。
「わたしなんて」という言葉は使わないけど、「このくらいのやつ、どこにでもいるよ」By天沢聖司
はつい言ってしまう。
これは「ここまでいきたい」というビジョンがあり、今の自分のレベルがわかっていて、ビジョンに向かって努力している奴が言うにふさわしい言葉で、
ビジョンや周囲の状況をぼやっとしか把握できていない今の自分にはあんまり適さないなとは思う。

私のいう理想は、みなにはきれいごとに思われるようで、
あまりくちにもしなくなってしまった。そのうち自分でもわからなくなってきた。
私は何を目指しているのだろう。


どんな人にも心地よく、誰もが自分を否定せずに居れる社会。お互いを補完しあえる世の中。頑張っている人が無碍にされない世界。


ただそのためには、自己開示が必要だ。お互いが同じテーブルにつきお互いの自己開示を受けてフィードバックしあえる関係性づくりが必要だ。
それができるまで粘り強くやるのか、
そういうシステムをつくるのか、
今どっちからもやろうと思っているから、余計にしんどいのかもなと思う。


いくつかの場所で、それぞれにやりたいと思うことがあり、それを有機的にくっつけられないかと考えているのだけど、それらをうまくシステムに組み上げられるような人と出会いたい。
なるほど、こうして書いていくと、自分がどういうイメージを持っているのかがはっきりしはじめる。

あまり人には執着せず、できることをできるだけのところでやり、ある程度の自分のやりたいこと、できることの主張はし、折り合いをつけ、自分の全部を仕事にささげず、自分のできる例えば60%くらいの中で、配分してやる。くらいを徹底しないとだめだな。


道の描き方 2020.2.11 

「あなたは、どんな風に人生を生きたいですか?
何にこだわりたいですか?」
そう問われたら、どんなことを思いますか?思って来ましたか?

===

私は、割と幼いころから「こう生きたい」というのがあった。
それは「太く短く」だ。
別に「長く」を否定しているわけではなかった。
ただ、「太く長く」だとメリハリがなさそうだし、
体力がそこまで備わってはない自覚があった。
メリハリは私の中では重要だ。
楽しいことは思いっきり楽しみたい。
でもちょっと変わったことも体感してみたい。
そんなところがある。
だからか、「太く短く」をなんとなく選んでいた。
なんとなくというのは適当というのではなく、「直感で」というのに近い。


思いがそれを呼ぶのか、そうだから感が働くのか、
私自身はやはり太く短くのスタンスを、繰り返している。
私は病弱で、原因不明の病気もちょこちょこ繰り返していたので、
19歳までの命といわれていたようだった。(病気で余命宣告されたわけではなくて、占い師さんみたいな人から言われたみたいです、親が)

その19歳の時に、父親が亡くなった。
身代わりではないと思うが(今気づいた!そうだったのかも?)
私の思う「太く短く」を、父が私の目の前で体現してしまった。
44歳は19歳よりは長いが、今の平均寿命からすれば短い。

それから「どうせみんな死ぬかも」と思われた1999年6月のノストラダムスの予言の日も過ぎてしまい、今50を越えている。
いつの間にか人生100年時代とかいうようになったので、え?あとまだ折り返し過ぎたところ?と若干息切れ感も感じるお年頃となった。

太くというのは、今も変わらない。
でも短く、ではもうなくなった。
50年も生きれば、父よりも長いわけで、平均寿命よりは短くても、そんなに「短命」でもない。
自分の人生を振り返ると、太く短い部分は、
マジックインキ(油性・黒)の平たい部分のイメージだ。

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たまにかすれてスカスカな感じになったり、細い部分でくねったりもしてきた。
でも大部分はマジックインキの平たいライン。
どっしりとではないが濃い。何度も塗りなおしたところもある。
薄い部分もあるがそれは薄いというよりムラだ。

さて、私はこれからどうその道の続きを描いていこうかと、
ふと立ち止まってしまった。

マジックインキの黒で平たくシッカリは書いていきたい。
ムラがあってもいいけど、やっぱり太くつなげていきたい。
ただ、これから描く紙は材質が変わるかもしれないなとも思う。

そしてこれまで書いてきた紙も、ひたすらにその道だけを書いてきたけれど、
周りにはいろんな色があってほしいと思うようになった。

いや、思い返せば、色は欲しかったのだ。
でも、黒に注力しないと描けない気がして、周りに色を配置することなど、贅沢な気がしていた。

今はむしろ、マジックインキでなくても黒でなくてもいい気がしている。
それにこだわるよりは、もっと色と遊びたい。
絵具ではなくて、薄い色のついたスケルトンのもの、セロファンみたいなもので、
色遊びをしながら、それに合わせて線を作っていきたい感じでいる。

芝生を植えて、花を植えていったら、なんとなく道ができていく、そんな感じで。

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女性のかさはともかく、道はこういうイメージ。

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これ、とっても理想!


今までが割とストイックな考え方をよしとして来てしまったので、
なんだか疲れているのだろうと思う。肩に力が入りっぱなしで、一生懸命マジックインキで線を書いてきた。

それはそれで私らしい線の描き方なのだけど、
私らしさは一つではないわけで、
気持ちいいとか楽しいとか、そういうことを周りに置きながら、ゆっくりでもいいから道を作る。そういうのでもいいかなと、今は思っている。



楽しさと忙しさのはざまで 2020.2.9

いろいろありすぎ考えすぎで、何から書いていいのかわからなくなっている昨今。

今日はオフでした。
昨晩は東京からの師匠たちを囲んでの宴で、
非常に楽しく、自分の中の火もまた薪がくべられた感じがした。

が、さて私はどこにいこうか。
そこを図解言語化がなかなかぴったりはまる表現にできなくて、
うずうずしている。

おそらくこういう時には、時間を数日取って、
まず体を休めたりして感覚が体に戻ってくるのを感じてから、
選んでいくのがベストなのだけど、

大体この12月から3月の時期というのは、
私にとっては鬼門の時期で。

まず寒いこと。
冗談ではなく、環境の変化は体に大きな影響を与えるのだ。
特に私はHSPなので、過敏に体に反応が出る。
体がきゅっと縮こまると、おなかに影響が。
「毎日同じものを同じように食べているのに、お通じがいまいちな感じになる」
これは、通っている整骨院のおにいさんがいわれていたが、
これが人間だと。
私たちは、同じことを同じようにすれば、同じ状態になると、そう思うことがあるが、人間はそういう機械的なものではない。考えれば当たり前なのだけど、なぜかコントロールできると思い込んじゃうんですよね。

確かに毎日の習慣が体を作ることもある。
が、細胞はずっと入れ替わっていて、特に腸なんて菌の8割は日和見菌なのだ。
今日は善玉の方にわ~って寄って行ったり、逆もしかり。中庸も。要はとどまらない。
そんな体とのコンタクトを取りバランスを取ることは、私のようなセンシティブな人間には、時間もパワーもかかる。
だから、もうそれはあきらめて、「そんなこともあるなぁ。今日は偏ってるなぁ」と思う方が精神衛生上は健康だ。

このところ、体調もぼんやりし、何かと忙しいので、ついついまた体調をコントロールしようと頭的に意識してしまっていたみたい。
冬場のストレスに加え、忙しいから多分そういう体調になることもあるのだろう。
まあ、今年は暖冬なので、かなりそれでもいい方なのだけど。

満月の影響もある。が、気持ちだけでも少しすっきりはさせたいところ。

頭の中の混乱をどうにかしたいのだ。
机回りの混乱も片づけたい。

何から手を付けるべきかなのだよな。
やっているそばから次々にいろんなものがやってくる。
それらをさばきたい。
身軽でいたい。

春に向けて、必要なものだけを持って、
歩き出したい。

今はそのための整地と種まきをしなくちゃいけない時期なんだろうね。

そんな時に、2月は誕生日がめっちゃあるもんだから、大変なのだ~。
確定申告も今年はちょっと面倒だし、うむむ、どうしようかなというところで、そういうのを、時間をかけずに終わらせていかなくちゃね。

今月の
直感メッセージ・ナビタロット 2月9日 ~満月~

私はこれでした。もやもやが吹っ切れる、はず!

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ご興味のある方はこちらからどうぞ!
満月と新月の時に毎回引いてます。おみくじみたいなものね。

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あっ、今日はにくのひでした。
いつも「肉肉」言う息子に、今日くらい肉を意識して出してあげればよかったな~。
頭が飽和してたので、だめでしたwww

昨日作ったケークサレ。いろいろやってます。だから時間がなくなるのか?

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明日頑張ろう。
明日は今日よりもっといい日。
おやすみなさい。

母80歳の誕生日。 2020.02.06

今日は、母と父の誕生日でした。母は80歳になりました。
特養で、健やかに穏やかに暮らせていることに感謝です。

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↑若かりし結婚直前の二人の写真を少し明るくして文字入れ。

 

今年はプレゼントの他に、母方実家の面高(おもだか-長崎県西海市西海町)の郷土料理 面高寿司を作って持って行きました。


年末に箱寿司用のキットを新調。作り始めると、ん?押し板が大きすぎて押せない。。。
どう考えても大きすぎ。これ押してなんぼの寿司なので、斜め半分ずつな感じで重石載せて💦
どうにかイメージ通りに仕上がりました。

 


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試行錯誤中。

昨晩から漬けておいたから、お寿司にヒノキの香りがするのがまたいいんですよー。

キットごと持って行って、枠を抜いて。そういうのも懐かしかったんじゃないかなぁ。


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紙皿とお箸持参。


母も「面高寿司なんて久しぶり〜!」ととても喜んでくれて、嬉しい😊作ったかいがありました。
具は2種類。さばのおぼろを作り、ごぼうとシイタケを甘辛く煮。おぼろは骨を取りながら念入りに煮ていくので時間がかかります。これは以前時間がある時に作って冷凍しておいたもの。
お誕生日に作れてよかった~。休みでよかった^^

かつ、昔から食べてる味に近づけて私的にもまあ満足。
それでも、まだまだ母のあの味には届かない。
母曰く「はるよ姉ちゃん(祖母の所で和裁やお花を習っていた住み込みのお弟子さんらしい)の作る面高寿司は、うちの味とは違うおいしさだった」そう。
私はその味を知らないから再現は難しいので、自分の味覚の記憶を頼りに精度あげていきます。
私が継げるものはこれくらいしかないから。

 

面高寿司の情報はなかなかネットで見つけられないのですが、きっと地元ではまだ続いてると思うので、いつかまた母を連れて行きたいな。
今日はひとしきり面高の話で盛り上がりましたw

 

そしてプレゼントとは別に、昨夜思い立ってコラージュ作り。
今日は両親ともの誕生日だから、2人の若い頃のツーショットをメインにして、この年末年始の写真をコラージュし、家族でメッセージを。娘もメッセージを送ってくれ入れ込みました。余白には息子の似顔絵入りメッセージなどなど。

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母は嬉しそうにじーっと見てました。今日は本当によく喋り笑顔が多くて、娘は嬉しい。
夫婦写真はまた別に、ポストカード版を作っておきました。「パパが80まで生きてたらどんな顔になってるんだろう?」と母。
本当だねぇとしか返せず。
「パパと二人分生きらなね」と言って帰って来ました。
メッセージはコラージュに書いたので、今日は敢えては言わず。
いつもみれるように、ベット頭のところに立てかけて来ました。

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未知の80代、楽しんでほしいものです。