ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

子宮がん検診 2020.2.5

朝一で子宮がん検診に行きました。

昨年初めて子宮頸がん検診に行ったのです。
その時は市の指定があって少しお安くなったのですが、
市からの補助は2年に1回しか認定されないようです。

今回は子宮体がんの方で、内診とエコーと細胞診。細胞診は12日以降に電話してねってことでした。
前回、ポリープその場で取って、検査に出したけど、問題はなく。
不正出血がなければ問題ないといわれています。
でも、まあ1年に1回しようかなと思い。
乳がん検診もともに。

日常的には、月1に主治医に見ていただいているし、定期的にレントゲンや心電図や血液検査、自律神経検査等々やっているので、いわゆる人間ドック的なものには行っていないけど、その分細かい症状的なものは気掛けてみていただけているので、いいかなと思っています。

が、先生曰く、「婦人科以外はカバーする」といわれますので、婦人科系は自力で行くというわけで。

しかし、何度やっても慣れんものです(ー ー;)
数分で終わるんですけどね。

でも、毎年行こうと思ってます。これと乳がん検診は。自分の身体のスクリーニングだと思って。

婦人科って、自分でもなかなか抵抗があるんですよね。
自分でも症状的なものがよくわからないし、人と比較することもあまりできないので、
こんなもんなのかなと思ってるけど、そうじゃないかもしれない。
更年期的なものも手伝って、いろんな体の変化はあるけど、それがどこからくるのかもわからない。
わからないから気にしていても仕方がない。

ただ、やはり急激な変化が起こるリスクも婦人科系ではあるから、
自分に目を向ける一環として、やっぱり行こうと思っているわけです。
今回は、10月に行きそびれてて、それに気づいたのが1月。1月中に行きたかったのだけど、時間が取れずに2月に入りました。
女医さんがいいので、日程と時間が限定されてしまうのです。

病院は、娘を産んだ病院。
当時からだけど、とても人気で、
9時から診察開始ですが、9時10分に行った時点で、1時間か1時間半待ちといわれます。
私は慣れてるので、本も持って行ってたし、のんびり待っていましたが、
他の病院とセットで強を受診日とされている方は、なかなか調整が難しいみたい。

終わった後、久しぶりに上に登ってみました。
2Fは手術室や分娩室、新生児室があります。11くらいのベッドがありました。
当時は月100件のお産があるという病院でしたが、少しは減ったのかな。
久しぶりに生まれたて~のベビーを見ました。ああ、かわいい。

手術室や分娩室、どっちも使ったぞーとか思いつつ、一番上のカフェテラスに行くと、出産前後のおかあさまたちのお茶会でした。
仲良さそう。

ここに通っていた頃は、いろいろありすぎて大変で、
救急で運び込んでもらって、原因わからなくて福大病院にいったのも懐かしい。
いろんな妊娠の形態があるんだなと思う経験でした。

そんなことを考えた、久しぶりの産院。
最近は、聖地巡礼的に、自分の生まれた病院に行くことが流行っているそうですが、
確かに面白いかもと思いました。
だって生まれた時は、その子の記憶はないですからね。

あの時未熟児で生まれたわが子も、結婚しましたよ~。と心の中でご挨拶してきました。


小さなことでも自分を信じることを続けていると結構いいことが起こる 2020.02.01

2月になりました。はやいなぁ。
歯科矯正も1年5か月目に突入です。毎日毎日を暮らしてさえいればいつかは。。。

昨日は、夕方から気分が落ちておりました。
きっかけは職場のBOSSからのちょっとしたプレッシャー。
今日のイベントでやるべきことというのを少し強く言われたことが、
ことのほか消化できず。
嫌味でもなんでもないのはわかっているのだけど、
「そうなのだろうな」とは思うけれど、
「べき」的に言われることがあまり好きではないのだなと、後から思ったのでした。

帰宅後、家でもSNSでも気に入らないことになぜかたくさん遭遇して、
「はあああ」と思って書いたのがこれ。

 

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すると、うちの学生ちゃんからDMが。
私のこの投稿をみて、「わたしなんかがなんですが」と連絡をくれた。

なんでも彼女は、私のちょっと前のFBの投稿をスクショしてくれているのだそう。
それがこれ。

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 「1月半ば、何かに押しつぶされそうになり、私も落ちてダーク面しか見れない時がありました。
しかし、み。さんのこの投稿をみて、励まされ、ひっそりとスクショを大切にし、気分が落ちたときに見ていました。
仲間がいるから大丈夫!気持ちがあれば大丈夫!と言い聞かせ、早めに寝て、自分をリセットしていました。
家を出てから考え事をするさいには、時間調べずにバス停に着いたらすぐにバスがきた!!など、些細なことに、あ!ついている!と思えて、気分を取り戻していました。本当にありがとうございます😭🌟
雨が続いていますし、気分も下がることとおもいますが、これだけはお伝えしたいと思い、ご連絡しました!」

なんてかわいい子や~。
私のこの日のネガティブを、この子はこのメッセージで「ラッキー」に転換してくれた。

「この考え方を知れてよかったなと本当に思います🥺すごく素敵なことですよね。ラッキーって言えばラッキーになる気がします本当に。」

うん、そうだよね。

私は私で、彼女のインスタのストーリーズによく出てくる、愛らしいこの子に癒されている。
そのことを返信で書いたら、こんな写真と動画が送られてきた。

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 いやぁ、すごい。
自分の言葉が自分にGIVEしてくれてる。
そこには彼女とペットちゃんという他者がいてくれてて、
よりパワーをくれる。

1が10になり100になる感じで戻ってくる。これ素敵。

救われる。

そして私も彼女を救っているのだ。

そんなことがわかってとても嬉しい日だった。

マイナスも、出したからプラスが入ってきたように思う。
私には書くことしかないから、書くしかない。どんなことも。

明日はそんな彼女がメインとなって企画した、プロジェクトの振り返り。
卒業前に、いい場になるとよいな。
フィードバックのいい方に気を付けよう^^

おやすみなさい。

 

 

 

篠栗・九大の森を森の案内人と歩く 2020.1.31

1月25日(土)に森の案内人三浦豊さんのガイドで、受講生とともに森を歩く体験をしました。
公式なものは、団体のブログに挙げているのですが、
写真やメモをいっぱい書いたので、一部を写真とともに残しておこうと思います。

場所は篠栗九大の森
癒し効果が科学的に検証されている『森林セラピー基地』の認定地域なのだけど、あまり知られていない(私もこの仕事を始めて、初めて知りましたw)、素敵なところです。
このガイド(森の案内人)育成の講座の一環で、月1で受講生の方々とともにこの森に私も入ってきました。
今日は同じコースを、三浦さんのガイドで歩いてみます。

まず、最初に集まったところから、三浦さんがクスノキを見上げながら言われます。
「このクスノキの葉の音がいいですよねぇ。さらさらって。」
そう言われてみんな耳を傾けます。
大ぶりなクスノキなので、葉もたくさん茂っていて、風に吹かれて、心地よい葉の重なり合う音が聞こえてきます。
クスノキは、福岡でよく出合う木なのだそう。
言われればそうかもしれません。
木の肌が彫刻刀で切ったようになっているのが特徴。
ここの若いクスノキは、幹も緑色です。なぜか。全身で光合成をするため。つまりは、大きくなりたいからです。



今日のガイドを前に、三浦さんは、皆さんに宣言されます。
「きっとラクウショウまではいきません」。
ラクウショウとは落羽松と書く、北アメリカ原産の木で、水の中、根元が冠水するような場所で自生するため、水に映った姿が幻想的。
九大の森ではこのところ「映える」場として有名な観光スポットになっている。
ガイドでも何度か行ったのでみんな周知している。

そこまではそんなに遠くはないのだけど、1時間くらいの予定でのなか、
名所的なところをガイドしていくならば、ラクウショウまで行き戻るのは可能だけど、三浦さんのガイドはそういう感じではなさそう。

さて、それからはこんな感じ↓
団体のブログに書いているので、こちらをご覧ください。

www.greencity-f.org

(一緒に行った子が書いたのを私がリライトしています。本人からリライト頼まれたんだけど、人の文章を活かしながら書くのは、結構大変💦というか、気を使います。
テイストが違うからなんでしょうね。
思いっきり加筆してしまったwww。本人にも納得していただきまして、ほっ。)

ため池の横のクスノキの後がこちら。

この写真は、わかりにくいけど、実生(みしょう:種から芽が出て伸びてきた状態)と、いのししがドングリを求めて掘り起こした後。
よくよく見ると、こんなのも発見できるのが森のだいご味。
パッと見ただけでは発見できないことも、つぶさにみていくと、木々の知識がそうなくても、結構発見できるものです。

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ここには写真を上げていませんが、コナラの木のはなし。
いわゆる私たちがよくいう「ドングリの木」ですね。
福岡を象徴している、と三浦さんが言われていました。
(なんでだったかな~、気になるので今度聞いてみます)

福岡に限りませんが、人が日本に定住し、いわゆる日本という形になって以降ずっと、人々は木を伐り、薪を作っていました。今から50-60年くらい前までのことです。
この50-60年は、私たちも知っているように、石炭、石油、ガス、電気と火に頼る生活がなくなり、人が木を伐らなくなりました。

木を伐らなくなった今、例えばここのコナラは大きくなりました。
茎は緑色ではありません。
森には木の先輩たちがたくさんいて、自分が頑張って大きくならなくてもよいのです。
この森の中で、コンパクトに、小さく生きている。

なんだか、私たち人間の話にも聞こえます。

コナラが切られずにいると、周りにいろんな木々も生えます。
ねずみもちの木には夏に白い花が咲きます。
ななみの木にも雄と雌がいて、メスにはみがつきます。
それらを鳥が食べて、ふんとともに森のあちこちに排出され、また実生が出てくる。

ヤツデ(下の写真)やシロダモ、タブの木なんかもどんどん栄えます。
あたたかくて土が肥沃なところ、洪水が起こらないところを好むそう。
そう、人と好みが似ているんですね。

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だから、そういう場は、5.60年前は人の手で切り開かれてきました。
木が伐られなくなったこの5.60年で生えてきたのです。
こういう生え方は、今の森の象徴的な形だそう。
ヤツデはどんどん大きくなっていきます。これがいいことなのかわるいことなのかは、今は判断できませんし、判断したとしてもそれは人間の見方によるものでしょう。

 

ちなみに、こならを「ドングリの木」と書きましたが、ドングリはコナラだけではなく、樫の木のものもドングリといいます。ブナ科の実のことをいうのかな。
しいのみは、長細くって茶色が濃いみたい。

といいながら、三浦さんは言われます。「木の名前を知るよりも、いかに愛でるか」

三浦さんご自身は10年前はスランプになられた時があったようです。
たくさん森に入りそこそこ知識が自分に入ってしまうと、
森の驚きがなくなってしまったそう。
だから、「各々の愛で方で楽しむのがいい」と三浦さん。

とはいえ、まったく何も知らなくては、ガイドも味気ないものです。
三浦さんからは草と木の違いを教えてもらいました。
森の中にいると、実から生えてきた実生は小さいと草みたいにみえるものもありますし、草でもが―っと伸びているものもあります。
「0101を繰り返すのが草。0123と成長するのが木」。
草は枯れてまた生える。どんどん大きくなるのが木ということですね。

最初は上の方、そして今は下の方ばかりみています。
木にもいろんな見どころがたくさんです。

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「森はタイムトラベラーです。大きい木は過去を見れ、足元の小さい木からは未来に思いをはせることができる」
三浦さんの言葉に、なるほど~と思います。
「森は雄弁である」「森は般若心経」とも。
深いなぁ。

 

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「森は般若心経」の言葉は、森の木々が伐られた後、どう伸びていくのがいいのか、その境遇でベストを目指して根や枝葉を伸ばしていく、その森に還ろうという営みについて、言われているのでしょう。

森のガイドについては「一旦見た木を、通り過ぎてまた振り返ってみることも大事」だといわれます。
見え方がまた違います。
これは、日常のことでもほんとそうだな。

1年中葉をつけている木々は、パワーが必要です。
木々は状況に応じて、

どう生きていくかを考えます。
エネルギー消費を抑えるために、暗いところには葉を少なくし、
例えば枝の付け根で能動的に枝を枯らせることもあるとか。
「木が枯れてしまっている、かわいそう」と思いがちですが、
木があえて自分からしていることもあると聞いてびっくり。

でも、それが木々の生存戦略なんですよね。
彼らは動けないから、ある状況でいかに生きるかを考えるわけで。
森の中では若手は99.9%枯れ

るといわれます。
森は生の世界であり、死の世界である。
ただ、我々人間の言う生と死とは、ちょっと違う生と死なのかもしれません。

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「このヤマモモりっぱですね!」いきなり三浦さんが言われて立ち止まります。
この太さだときっと200年くらい。江戸時代から頑張っている木みたいです。
ヤマモモは5月6月に実をつけるそう。ヤマモモは窒素固定生物と共生している。いわば根で窒素肥料合成できるため、土壌を肥沃にする働きがあるそう。空気中の窒素を固形化できるから、肥料なしでも生育ができるそうだ。

どんなところに、どんな植物が生えているか、その植物がどんな特性を持っているのかを知ると、後はマイワールド,マイストーリーを作っていけます。
それがそのとおりであるかどうかはわかりませんが、仮説を持って森を見ていくと、そこにたくさんのストーリーを感じることができます。
たくさんの生を感じることができます。

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さて、時間的にはもうあと少し。あまり遊歩道は歩いていない感じですが、戻ります。
入って割とすぐに池が見渡せる展望所(東屋)があります。
上の左の写真。
東屋から池が望めるように、ここらの木々が伐られたのでしょう。
そう言われれば、この一帯だけ大きな木がありません。
手前には漆の木。
赤く色づいています。

これまで3回も来ているのに、気づいていなかった。

右の写真の木も、きっといわくありげですね。
途中まで横に伸びてから上に上がっている。
どんなストーリーがあったのでしょう。

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帰り道を急いでいると、ふと足元にキノコが。
数日前まで雨でしたからね。
私たちが気付いていないところでも、いろんな生の営みがあります。

私たちは木も森も人も一緒。森の一員なのです。
今は私たちはほぼ森では生活していないので、一員という言葉には違和感がありますが、このまま私たちが木を伐らなければ、森はどんどん伸びていき、もしかしたら都市も森になるのかもしれません。そうしたら、一員であることがわかるのかもしれませんね。これがいいことかはわかりませんし、まずもっていい悪いで判断できるものでもないのでしょう。

ただ私たちは、移動したり、木を伐ったり、整備をすることはできる。それが木たちとは大きく違った特性です。
私たちの関わりが、木や森に与える影響は大きく、
それをどう考えどう共存していくのかは、私たち人間にかかっているのでしょう。


三浦さんのガイドは、森だけでなく、自分の人生にまで思いを巡らすものでした。
そしてそれが重くなく、とても楽しいモノでした。
それは三浦さんがものすごく楽しそうにおはなしされること、ひとつひとつの木やひこばえや実生たちを見る目がとても愛らしいことによるのでしょう。
みな、その三浦さんのつむぐストーリーに引き込まれ、森の中でタイムトラベルをしている気分だったように思います。

私たちには、想像力がある。
そのことを思い出し、元気を復活させるきっかけを作っていただいた気もしました。


おしまい。

この後、三浦さんとは「またやりましょう!」となり、春に自主企画を計画中。
面白くなりそうです。






 

リュウジュ組みなおし 2020.1.30

お正月過ぎ、母を連れての温泉旅行時のこと。
温泉後に、母をリュウジュですりすりしてたらパーンとちぎれてしまった。
慌てて回収。パーツもちゃんとそろっててよかった。
それから袋に入れて、机の上に。
毎日のように「今日こそは!」と思っていたのだけど、毎日が過ぎていき💦
やっと今日、組みました。組めました。
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シルバーのパーツは重曹で軽くシュワシュワして、
練り歯磨きと綿棒でくるくるすると、おもしろいほどにピカピカに。
そして久しぶりにリュウジュの組み直し。
集中してやるの、ほんと楽しい。

リュウジュは電気体質な私には必要不可欠。
最近また体に電気たまってるからか、ドアノブでばちっ!が増えてきた。
持ち歩かねば。
寝る時も両手に持って寝ると安心して眠れます。

そして先ほどのシルバーのピカピカに味をしめ、
ブレスのシルバーまでも磨いてしまいました。
が、ブレスの方は蓮華の形が複雑なので、
綺麗になった部分と黒ずんでる部分のコントラストが際立つ結果に😿
こちらもゴムがそろそろやばそうなので、
どうせメンテに出さねばという感じですが。

リュウジュにご興味のある方は、リュウジュ愛のあふれる育子さんの投稿をどうぞ。

ameblo.jp

 

#リュウジュ

黒電話の感触 2020.1.29

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最近流行ってるらしい「黒電話の感触」なるガチャガチャを、職場の子が持ってきていたので、じこじこさせていただいた。

留め金のところまで回してからの、もとに戻るまでの時間と音がたまらないんだよな~。

私が回した番号は、祖父母の家の番号。
もうないけど、指が覚えているもんですね。

買ってきた本人は、おばあちゃんちに黒電話があったので知っているという32歳。
彼女もおばあちゃんちを回していた。
そして職場のBOSS47歳もじこじこまわしている。番号は実家。

やっぱりみんな、今の自分のうちの番号ではなくて、
それを使っていた時代の懐かしい場所の番号にかけるんですね。
なんだかタイムスリップできそうな気さえするなぁ。

受話器があれば、なにかしゃべりかけてしまいそうな気がする。

ちなみに17歳息子も、黒電話は友人宅でみたことがあるらしい。
結構愛好者はいるみたい。

思いがけず、思い出が引っ張り出されたひと時でした。




課題 2020.1.28

気になっていた仕事をやっと完結させた。
どこまでクオリティを上げるかとか、揃えるかとかって、
私には非常に難しいことで。
自分が目指したいところが、どうしても水準がたかいので、
簡単にしようと思いつつ、作りこんでしまったりして、
やたらと時間がかかる。
作っている合間にも、いろんなことを思いついてしまう。
それを採用したら最後、完成が予定時間にできなくなることは必至。

うまく、同じレベルでポイントをつかんで作ることができんかなぁ。
課題である。

癖なのだろう。

性格的に、一つ一つに思いを込めやすいので、
モノづくりに向いているのか向いていないのか。

とはいえ、作ったものは大変評価されたので、よしなのだ。
ここ忘れていた(-_-;)
自分の納得がいかないことに、焦点が向いている。


もうひとつ、ブログのリライトを頼まれ、手直しした。
人の文章を直すのは、自分で書くよりもパワーが必要だ。
気を使うからだ。
思いっきり書き直したいところを、
その表現を活かして、「ちょっと追加したらとってもよくなったよ」テイストに仕上げることが大事。
その子のモチベーションも下がらない。
むしろ今回は「こうすればよくなるんですね!よくわかりました」といってくれた。
次に期待したい。

が、若干「あとはみ。さんがやってくれる」風潮になってきているのが否めないので、
それはどうにか回避したいところ。

こうして書いてると、今日はかなりパワー使って仕事したんだな、だから疲れてるんだなというのがわかる。なるほど。

===

だからだったのか。
今日はなんだか頭を使いすぎているのか、まったくブログを書く気がしなかった。

で、おもうところあって、リノベーション系の不動産屋さんのサイトをみていたw
気になるところはすべてFULLだったのだけど、
なんとなくめぼしはついた。

うちはエレベーターなしの3階なので、きっと多分どこかで引っ越す必要が出てくると思うのだ。
それがいつのタイミングになるのかは、さっぱりわからないのだけど、
間取りを見るのは、とても楽しいw


あめのせいもある。

早く晴れないかな。

今日はこんな時間まで起きててしまった。
集中して寝ます。おやすみなさい。