ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

篠栗・九大の森を森の案内人と歩く 2020.1.31

1月25日(土)に森の案内人三浦豊さんのガイドで、受講生とともに森を歩く体験をしました。
公式なものは、団体のブログに挙げているのですが、
写真やメモをいっぱい書いたので、一部を写真とともに残しておこうと思います。

場所は篠栗九大の森
癒し効果が科学的に検証されている『森林セラピー基地』の認定地域なのだけど、あまり知られていない(私もこの仕事を始めて、初めて知りましたw)、素敵なところです。
このガイド(森の案内人)育成の講座の一環で、月1で受講生の方々とともにこの森に私も入ってきました。
今日は同じコースを、三浦さんのガイドで歩いてみます。

まず、最初に集まったところから、三浦さんがクスノキを見上げながら言われます。
「このクスノキの葉の音がいいですよねぇ。さらさらって。」
そう言われてみんな耳を傾けます。
大ぶりなクスノキなので、葉もたくさん茂っていて、風に吹かれて、心地よい葉の重なり合う音が聞こえてきます。
クスノキは、福岡でよく出合う木なのだそう。
言われればそうかもしれません。
木の肌が彫刻刀で切ったようになっているのが特徴。
ここの若いクスノキは、幹も緑色です。なぜか。全身で光合成をするため。つまりは、大きくなりたいからです。



今日のガイドを前に、三浦さんは、皆さんに宣言されます。
「きっとラクウショウまではいきません」。
ラクウショウとは落羽松と書く、北アメリカ原産の木で、水の中、根元が冠水するような場所で自生するため、水に映った姿が幻想的。
九大の森ではこのところ「映える」場として有名な観光スポットになっている。
ガイドでも何度か行ったのでみんな周知している。

そこまではそんなに遠くはないのだけど、1時間くらいの予定でのなか、
名所的なところをガイドしていくならば、ラクウショウまで行き戻るのは可能だけど、三浦さんのガイドはそういう感じではなさそう。

さて、それからはこんな感じ↓
団体のブログに書いているので、こちらをご覧ください。

www.greencity-f.org

(一緒に行った子が書いたのを私がリライトしています。本人からリライト頼まれたんだけど、人の文章を活かしながら書くのは、結構大変💦というか、気を使います。
テイストが違うからなんでしょうね。
思いっきり加筆してしまったwww。本人にも納得していただきまして、ほっ。)

ため池の横のクスノキの後がこちら。

この写真は、わかりにくいけど、実生(みしょう:種から芽が出て伸びてきた状態)と、いのししがドングリを求めて掘り起こした後。
よくよく見ると、こんなのも発見できるのが森のだいご味。
パッと見ただけでは発見できないことも、つぶさにみていくと、木々の知識がそうなくても、結構発見できるものです。

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ここには写真を上げていませんが、コナラの木のはなし。
いわゆる私たちがよくいう「ドングリの木」ですね。
福岡を象徴している、と三浦さんが言われていました。
(なんでだったかな~、気になるので今度聞いてみます)

福岡に限りませんが、人が日本に定住し、いわゆる日本という形になって以降ずっと、人々は木を伐り、薪を作っていました。今から50-60年くらい前までのことです。
この50-60年は、私たちも知っているように、石炭、石油、ガス、電気と火に頼る生活がなくなり、人が木を伐らなくなりました。

木を伐らなくなった今、例えばここのコナラは大きくなりました。
茎は緑色ではありません。
森には木の先輩たちがたくさんいて、自分が頑張って大きくならなくてもよいのです。
この森の中で、コンパクトに、小さく生きている。

なんだか、私たち人間の話にも聞こえます。

コナラが切られずにいると、周りにいろんな木々も生えます。
ねずみもちの木には夏に白い花が咲きます。
ななみの木にも雄と雌がいて、メスにはみがつきます。
それらを鳥が食べて、ふんとともに森のあちこちに排出され、また実生が出てくる。

ヤツデ(下の写真)やシロダモ、タブの木なんかもどんどん栄えます。
あたたかくて土が肥沃なところ、洪水が起こらないところを好むそう。
そう、人と好みが似ているんですね。

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だから、そういう場は、5.60年前は人の手で切り開かれてきました。
木が伐られなくなったこの5.60年で生えてきたのです。
こういう生え方は、今の森の象徴的な形だそう。
ヤツデはどんどん大きくなっていきます。これがいいことなのかわるいことなのかは、今は判断できませんし、判断したとしてもそれは人間の見方によるものでしょう。

 

ちなみに、こならを「ドングリの木」と書きましたが、ドングリはコナラだけではなく、樫の木のものもドングリといいます。ブナ科の実のことをいうのかな。
しいのみは、長細くって茶色が濃いみたい。

といいながら、三浦さんは言われます。「木の名前を知るよりも、いかに愛でるか」

三浦さんご自身は10年前はスランプになられた時があったようです。
たくさん森に入りそこそこ知識が自分に入ってしまうと、
森の驚きがなくなってしまったそう。
だから、「各々の愛で方で楽しむのがいい」と三浦さん。

とはいえ、まったく何も知らなくては、ガイドも味気ないものです。
三浦さんからは草と木の違いを教えてもらいました。
森の中にいると、実から生えてきた実生は小さいと草みたいにみえるものもありますし、草でもが―っと伸びているものもあります。
「0101を繰り返すのが草。0123と成長するのが木」。
草は枯れてまた生える。どんどん大きくなるのが木ということですね。

最初は上の方、そして今は下の方ばかりみています。
木にもいろんな見どころがたくさんです。

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「森はタイムトラベラーです。大きい木は過去を見れ、足元の小さい木からは未来に思いをはせることができる」
三浦さんの言葉に、なるほど~と思います。
「森は雄弁である」「森は般若心経」とも。
深いなぁ。

 

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「森は般若心経」の言葉は、森の木々が伐られた後、どう伸びていくのがいいのか、その境遇でベストを目指して根や枝葉を伸ばしていく、その森に還ろうという営みについて、言われているのでしょう。

森のガイドについては「一旦見た木を、通り過ぎてまた振り返ってみることも大事」だといわれます。
見え方がまた違います。
これは、日常のことでもほんとそうだな。

1年中葉をつけている木々は、パワーが必要です。
木々は状況に応じて、

どう生きていくかを考えます。
エネルギー消費を抑えるために、暗いところには葉を少なくし、
例えば枝の付け根で能動的に枝を枯らせることもあるとか。
「木が枯れてしまっている、かわいそう」と思いがちですが、
木があえて自分からしていることもあると聞いてびっくり。

でも、それが木々の生存戦略なんですよね。
彼らは動けないから、ある状況でいかに生きるかを考えるわけで。
森の中では若手は99.9%枯れ

るといわれます。
森は生の世界であり、死の世界である。
ただ、我々人間の言う生と死とは、ちょっと違う生と死なのかもしれません。

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「このヤマモモりっぱですね!」いきなり三浦さんが言われて立ち止まります。
この太さだときっと200年くらい。江戸時代から頑張っている木みたいです。
ヤマモモは5月6月に実をつけるそう。ヤマモモは窒素固定生物と共生している。いわば根で窒素肥料合成できるため、土壌を肥沃にする働きがあるそう。空気中の窒素を固形化できるから、肥料なしでも生育ができるそうだ。

どんなところに、どんな植物が生えているか、その植物がどんな特性を持っているのかを知ると、後はマイワールド,マイストーリーを作っていけます。
それがそのとおりであるかどうかはわかりませんが、仮説を持って森を見ていくと、そこにたくさんのストーリーを感じることができます。
たくさんの生を感じることができます。

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さて、時間的にはもうあと少し。あまり遊歩道は歩いていない感じですが、戻ります。
入って割とすぐに池が見渡せる展望所(東屋)があります。
上の左の写真。
東屋から池が望めるように、ここらの木々が伐られたのでしょう。
そう言われれば、この一帯だけ大きな木がありません。
手前には漆の木。
赤く色づいています。

これまで3回も来ているのに、気づいていなかった。

右の写真の木も、きっといわくありげですね。
途中まで横に伸びてから上に上がっている。
どんなストーリーがあったのでしょう。

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帰り道を急いでいると、ふと足元にキノコが。
数日前まで雨でしたからね。
私たちが気付いていないところでも、いろんな生の営みがあります。

私たちは木も森も人も一緒。森の一員なのです。
今は私たちはほぼ森では生活していないので、一員という言葉には違和感がありますが、このまま私たちが木を伐らなければ、森はどんどん伸びていき、もしかしたら都市も森になるのかもしれません。そうしたら、一員であることがわかるのかもしれませんね。これがいいことかはわかりませんし、まずもっていい悪いで判断できるものでもないのでしょう。

ただ私たちは、移動したり、木を伐ったり、整備をすることはできる。それが木たちとは大きく違った特性です。
私たちの関わりが、木や森に与える影響は大きく、
それをどう考えどう共存していくのかは、私たち人間にかかっているのでしょう。


三浦さんのガイドは、森だけでなく、自分の人生にまで思いを巡らすものでした。
そしてそれが重くなく、とても楽しいモノでした。
それは三浦さんがものすごく楽しそうにおはなしされること、ひとつひとつの木やひこばえや実生たちを見る目がとても愛らしいことによるのでしょう。
みな、その三浦さんのつむぐストーリーに引き込まれ、森の中でタイムトラベルをしている気分だったように思います。

私たちには、想像力がある。
そのことを思い出し、元気を復活させるきっかけを作っていただいた気もしました。


おしまい。

この後、三浦さんとは「またやりましょう!」となり、春に自主企画を計画中。
面白くなりそうです。