ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

母への告白 2019.7.16

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■母からの突然の言葉

弟から電話があった。
私が母のところに行った翌日だったかと思う。
「母の家から香水を持ってきてって言ってたよ。」

母の家はもうない。
1年2ケ月前に、母が痴呆を患っている時に、処分したのだ。
苦渋の選択だった。
それしかその時には選択肢がなく、弟も私も同意で決めていった。

この作業はかなり私の精神には辛い作業だった。
母はまだ生きているのに、ほぼ意思疎通ができず、
私はそのことにショックを受け、また母宅をかたづけながら、ものたちひとつひとつからの思い出を処分しなければならない現実に押しつぶされそうになりながら、やっとの思いで立っていた。
娘に随分手伝ってもらい、最終的には片づけやさんに入っていただき、処分した。

弟は忙しさを理由に出てこなかった。
彼の中で、これは私がするものだと決めているようだった。
彼は余裕がなくなるとよくこうなる。

だからなのかよくわからないが、またもや彼は自分で言わずに、私にそのことを振ってきた。
怒る私。
が、私が怒れば、その痛みは私に出てくる。

痛んでいるうちは、その怒りをノートに書きだしたり、TMS対処の方法でしのいだ。
怒りを乗り越えないと次にあたれない。
まああいつはそういうやつだから仕方ないという、私のあきらめもどこかにある。
(仲はいいんですが)
あいつにいったところで、何も進まないからこれ以上は言わないだけだ。

それよりも、母にどう言おうかが問題だった。

私はうそをつきたくない。
嘘が嫌いだ。
それを自分の中にためておくことは、あまり好きではない。というか、かなり苦痛だ。

ただ、今回は母のためには「今は言わないでおいたほうがいい」という、
判断をし、とどめておいたものだった。

■リハビリ病院から、老健、特養に移った経緯

母は、家を処分するちょっと前にリハビリ病院から老健に転院した。
リハビリ病院では、みるみるうちに痴呆になってしまい、要介護3のランクもついた。
私と弟はかろうじて認識しているが、ドクターとスタッフの方を敵だと思い込み、ハンストする。薬も飲まないので、その度に私は呼び出されていた。
家に帰るといい、ベッドを降りるので、半拘束的な処置を取られたこともある。

老健にうつると、リハビリ病院より、幾分元気な方々が周りをうろうろされている。
スタッフの方も多く、よく声をかけてくださるので、無表情だった母の顔に表情が戻った。この頃から少しずつ痴呆がほぐれてきて(という言葉も変だけど)、ついに常時覚醒した。
本を読むのも再開、よくしゃべるようになり、ご飯が美味しいとばくばくたべるようにもなった。老健を出るころには、要介護は2になった。
ここまで変わるとは。

リハビリ病院では、脳のCTで脳の萎縮もみられ、脳梗塞の後もあるし、もう元にはもどらないでしょうといわれていたのに。
この言葉に後押しされたから、家を処分できたので、まあ私たちにとっては必要なことばだったのだが、母が元に戻るということを想定してはいなかったので、母の帰り先をなくしてしまったというのは、私の中に残った。

当時、恒例の一人暮らしの方を看取る仕事をしている友人に、話を聞いてもらったことがある。
「もしも、おかあさまが元気になられて、施設を出てまたアパートを借りることになるくらい快復したなら、それはその時に考えればいいじゃない。お母様にもそういえばいいじゃない。」と言われて、そうかと気が楽になった。


母が気に入っていた老健だが、そもそもそこに居れるのは3か月が基本限度で、その先はそれぞれ行く先を探すことになる。そういう決まりがある。
うちも2か月目にはいくつか近くの特養を回り、2ヶ所に申し込みをした。
ピーク時には100人待ちのような状態もあったそうだが、
うちの場合、母は一人暮らしで、その家に戻ること自体が難しい状況だったので、
施設によって頻度は違うそうだが、空きが出た際の受け入れ会議の優先順位は高いとのことだった。
7ケ月目に今の特養から連絡が入り、8ケ月目には申し込んでおいた特養に移動することになった。


特養に入るには、収入を開示し、本人の年金の払える額の中で生活を営むことになる。
なので、どちらにしても住居を処分する必要があった。特養に入りながら、住居を保っておくことは金銭的にできなかった。

私たちには選択肢はなかった。
当時もそう思っていたし、今もそう思う。
あの時母の意識がしっかりしていれば、母に確認しただろう。
が、当時はそれもできない状況だった。
(リハビリ病院の先生に相談した際は、痴呆の状態では老健に行くことと家を処分することの2つは、本人にとっては頭の中で処理ができないと言われた。
それはとても納得したので、老健に行く話だけを本人に了解してもらって、転院したのだった。)

どうしようもなかった、、と思えば思うほど、
体の中のどこかの片隅で「でも本当にそうなの?」と思う自分もいる。
第3の道はあったかもしれなかった。
私に余力があれば、それをさがしていたかもしれない。
でも、それは当時できなかった。
体力気力共に、私ができるだけのことが、今の現状にある。

母がいまの特養にいいタイミングで入れたのは、それもまた確率的にはラッキーな話だった。
老健に入った母は、みるみるうちに回復し、痴呆だったなんて嘘でしょ?って感じになった。ありがたくも老健から特養に移った時も発症せず、落ち着いてくれている。

特養は、実は要介護3以上じゃないと受け入れてくれないという話だった。
申込時は3だったが、よくなって受け入れ時には2になった。
それでも、特養が受け入れてくれたので、救われている。

母は、実はラッキーな人であると思う。
何やかや大変な人生を送ってきているが、危機に陥った時にも、なぜか救いの手が入る。そうやってギリギリのところでV字回復するので、
まだまだお役目があるのだろうと思わせられる。

■いつ言うか、どう言うか

さて、そんな感じで特養に入り、おちつきかけた11ケ月目に、
いきなり告知のタイミングがやってきた。

特養に移ってから、いつこの話をしようかというのは、ずっと私の中にはあった。
が、本人から言われるまではやめておこうと思っていた。
理由がなにかあったわけではないが、まずは特養の部屋を整え、毎日を過ごしやすくすることに腐心しようと思った。
場所はどこであれ、ベストな状態をつくってやりたかった。

そんな時に、
「母の家から香水を持ってきてって言ってたよ。」という言葉が降ってきたのだった。

当時、部屋の片づけを手伝ってくれた娘に言うと、
「なかったって言えばいいんじゃない?わざわざ家を処分したって言わなくても。」
という。
なるほど。そういう考え方もある。

が、嘘はぼろが出る。
母には真実を受け入れてほしいという私の思いもある。
重病でも痴呆でもない状態だから、こそだ。

夫にも言ってみたが、「そうねぇ」で終わった。
親のことは「子」が関わりを持つのは当然なので、私自身も夫に期待をしているわけではない。アドバイスをもらえるなら、なんだけど、ないならないで構わない。

ここは私の思いを通させてもらおうと決めた。

とはいえ、ベストはどのタイミングでどんないい方がいいのかは、悩むところだった。
しかも、その香水についての情報がない。
母の部屋の引き出しにあったような気は確かにする。
でも、母からその由来について聞いたことはなかったと思うし、
今回母がどんな気持ちでその言葉を言ったのかもわからない。

聞くしかない。

行くタイミングは、いつもの通り週末しかない。
が、一人で行くのはなぁと思い、息子に相談したのが3連休の中日の夕方だった。
いくならその日かなと思っていたのだが、大雨で、行きあぐねていた。

決めはしているが、どうにもしゃきしゃきしない。

息子に話を聞いてもらい、結局、彼も同行してくれることになり、
翌日の私の仕事が終わった頃に待ち合わせをしていくことにした。


雨も上がり、風もさわやか。
息子もいるし、近くのイオンに散歩に行こうと誘ったら、行くという。
母を散歩に誘うと、8割の確率で断られるのが常なので、
ラッキーである。
母が好きな本屋をめぐるも、好みの本はないらしい。
母は耳が詰まっているので、少し会話がしにくくなっていて、
口数も少ない。
が、コメダ珈琲ではにこやかにコーヒーを飲んで、会話もそこそこ弾んでいた。

ただ、雰囲気的にそこで話す感じでもない。

耳が聞こえにくい状態なので、外だと必要以上の大声を出さないといけないのもちょっと気が引けた。

そのまま、部屋に帰るともう食事の用意ができていた。
あまり時間はない。


■母と香水
ふと、母から「K(弟)に、香水を持ってきてって言っとったんだけど。」という言葉が出た。

ああ、今なんだ。
やっと覚悟して、私は車いすの母の横にひざまずいた。

母にはまず、その香水のことを聞いた。
「その香水って、パパの形見のやつなの?大切な思い出があるとか?」

「うん。ナンバー5。」

ナンバー5というのは、シャネルの5番だ。
そういえば、母のいつもの引き出しにあった気はする。
ただ日常的に使っていることをみたことはない。母から香りがした記憶もない。

「そんなに思いがあるってものでもないんだけど、K(かず)が”ほしいものなんかある?”っていうけん、ふっと思いだしてね。枕のところにたらしたらいいかなぁって」

香水は、父が韓国出張の時に買ってきたものだったようだ。
免税品が安く買えるので、父は韓国出張の際には山ほどお土産を買って来ていた。
買って来てもらったものはたくさんあったのだが、その香水は使う機会もあまりなく、なんとなく持ち続けていて、結局形見のようになってしまったのだろう。

父が亡くなってもう35年くらいになるので、そもそもそんなにものも残ってはいないのだが、それでも母が一人で暮らしていた家には、その思い出が充満しているものがかなり残っていた。

「そうなんやね。あのね。
かあちゃんにはいってなかったんだけど、、、」と
リハビリ病院で母が痴呆になったこと。
その時にお医者さんに母は戻らないといわれたこと。
施設と母の家を同時に保つことはできなくて、処分したことを話した。

母は「うん、わかった」といい、
じゃあと食事に向かった。
「香水は、香りがあると安心するだろうし、必要なら買ってくるよ」と言ってみたのだが、「いや別にいいよ」という。

結構そっけない。
私はというと、母はその後いろいろ考えるのだろうと思ったら、
母に言ったことですっきりなんてしていられなかった。

フロアの方に別件で呼び止められたので、ついでにこの話をし、
ショックを受けているかもしれないので、
少し様子を見ておいていただけませんかと頼んで帰った。

2日後。
母を耳鼻科と期日前投票に連れて行った。
耳鼻科は5ケ月ぶり。
補聴器も慣れてきたので、頻繁に耳鼻科にこなくてもよくなっている。
詰まっていたものも、以前よりも軽く取れて、本人も機嫌がよい。
「あ~、綺麗に聞こえる~」と満足気だ。

その勢いで、期日前投票に誘ったら、行くというので区役所に。
区役所ではレンタルの車いすがあるので、それに乗って投票所に。
投票所では係りの方が説明してナビしてくれたので、お任せする。
母はおそらく1年以上ぶりくらいに字を書いたのではないだろうか。
期日前投票の理由と、投票で字を書いていた。
ちょっと感動( ´艸`)

母からは、家の件ではその後何も言わない。

■娘からの提案

娘にこの話をしていたので、彼女からちょこちょこメッセが入る。
香水にまつわる話をすると、
「せつないね」という。

そうなのだ。せつないのだ。
母がどう思っているかわからないが、その話を聞くとどうしても切なく感じる私が切ないのだ。

娘が言った。
「その香水、私がおばあちゃんにプレゼントしたら、おばあちゃん喜んでくれないかな?」

ああ、そういう手があった。

「香水もだけど、あなたがおばあちゃんを思ってプレゼントしてくれたことに、おばあちゃんは喜ぶと思う」と返した。

よか娘や。

正社員1年目の娘は、ボーナスも出て( ´艸`)はぶりがよい。
安定的にお金が入ってくる安心感は、彼女を安定させているようだ。

昨日はシャネルに行き、モノを見てきたらしい。

「わたしもさ、おばあちゃんになにかプレゼントをちゃんとしたことなかったけど、そういうこともできるようになったしさ」と言っていた。

大人になったなぁ。

私が母にしてあげたことの一つは、孫を持たせてあげたことだと思っている。
親を早くになくし、伴侶も早くになくし、苦労してきた母なので、
その娘としては、母がほしかった愛情の足りない分を埋めてあげたいという思いを強く持っている。
孫である娘の言葉や行動は、その私の思いを受け継いでくれる感じがして、
私自身もとても救われている。

話はとりあえずここまで。
長くなりました。


呪いにきづく 2019.7.12

私は完璧主義なのだそうだ。
私自身は全くそうはおもってなかったので、
人にそういわれると、反発していたのだが、
幾人かにいわれるということは、そうみえるのだろうし、そうなのだろう。

私が思う完璧主義は、すでにほぼ完璧であるのに、その理想を高く持ち行動をしていくひとのことなので、すでにほぼ完璧でない自分は、その範疇には入らないと思っていた。
だから自分は完璧主義ではないと思っていたのだが、
どうもその前提が人と違うのだろうと思い始めた。
完璧主義とは、その人がどういう状態であるかは、あまり問題じゃないみたい。「理想が高く道徳的観念を持つ、自己批判的で他人の批判に過敏。」と書いてある。

「理想が高く道徳的観念を持つ」ゆえに「自己批判的で他人の批判に過敏」になるのかなとは思う。
であれば、当たっている( ´艸`)

私から言えば、自分はいろんな部分で「ある程度の標準」くらいまでは知識常識、それができる技術を持ち合わせて居たいと思って生きてきた。
日常的に人が生活をできるレベルは必要不可欠である。世間に関心を持ち、自分事として社会を見る人でありたい。
が、正直なところ、私自身のスペックはそう高くない。だから努力しないと保てない。
故に頑張る。
その姿が、他者からみると「完璧主義」にみえるらしい。
私は単に真面目なのだろうと思う。

が、子どもの頃から私以上に真面目な人たちがいる家に育ち、「清廉潔白であること」「質素倹約であること」などを美徳とする人たちからの圧を受けて、そこで愛をもらって生きるには、そうあることが美徳であることに沿わねばならなかった。

性格と環境がマッチして、より私は真面目に育ってしまい、「理想を目指して頑張るのが美徳。そうありつづけなければならない」と精神的にいつも自分を追い詰めることで、自分の存在意義を他者にも理解してもらう、、という思考になっていったように思われる。
これは、「呪い」だ。
家族からもかけられたのだろうし、自分自身にもかけた呪い。

正直、誰からも強要はされていないし、私自身が思い込んでいるものである。(当時は何か変なことをすると、祖母が嫌な顔をして「もうこの子は変人づいてから」とか言われていたので、そういう土壌はあったと思われる)

愛されるためには、ここにいるためには、認められるには、
何か行動をする時には、そういうことばかり考えていたような気もする。

それが普通に育ってきた私は、
意識していないところで、他者からどう思われるかを非常に気にし、自己批判的に自分を律してきた。自分に管理的に接してきたということになる。
そんなのひねくれるに決まってる。

子どもを産み育てる作業は、私の意識改革には大きく貢献してくれた。
環境も手伝ってくれたことと、私が私のような子供を量産したくなかった。
もっと自分を肯定でき、自分の中の光を頼りにもっと飛び出せるように。

そういう思いで、こどもたちには接してきたと思う。
とはいえ、途中途中で自分の管理的な部分も多く出てきてしまうので、
そういう時にはやっぱりぶつかってしまう。
自分が管理的だと思ってない時に、問題が生じがちだ。

「完璧主義なんかじゃないのに、人から完璧主義だと思われる」と思うような時には、
たいがい他者の目の方がただしい。
「管理なんかしてないのに」と思う時は、たいがい管理的な行動をしている。

そういうのに気づいたのは、わりかし最近だ。

私の周りにもそういう人がいる。
「自分じゃわかっている、自分はこうだ」と言い切り、
人からの言葉を絶対に受け入れない。
そういう人と付き合うと疲れる。
そういう自分を、その人を通して見せられてるんだろうなぁと思う。

この頃やっと、この生き方って、窮屈だなと思い始めた。
完璧主義がいいと思っていたわけではないが、
それを目指してきたのは、そうじゃないと生きられないと思っていたからだ。
理想を高く掲げ努力しないと、価値がない。
価値を認めてもらえない。
そういう強い呪いがある。

とけたわけではないと思うけど、
その呪いに対して、要らないなとやっと思えるようになってきた。

呪いを全うし続けることで、自分を価値あるところにおいておけると思い込んでいたのだ。これはおそらく対外的に。
でもそうじゃなさそうなので、却下してもいいのかなと私の中の人がそう思い始めている。
が、じゃあ何を頼りに生きて行けばいいの?
ってところで、立ち止まっている。

立ち止まることを許しているだけでも、私的にはかなり進歩である気がする。

「もうきついのは嫌だ」
「自分を他者を律するのはいやだ」
「そうだ。私はいつも自由を求めていた」

先日書いた自分の人生プロットで、子どもの頃に出てきた感情はいつも「自由」を求めていた。
福岡時代は、比較的自由に過ごせた時代だった。

マズロー欲求段階説の中で、
クリアしているのは、生理的欲求、安心欲求。
生物的に生きていける安心は持っている。
が、社会的欲求と承認欲求のところがアバウトなのに、
その上の自己実現欲求を叶えようと高望みしてジャンプしまくってるので、
なかなか成果が得られない。
ああ、そうか。なんで成果が得られないかが、今ここでわかった。そういうことなんだ。

社会的欲求は「愛情と所属の欲求」あるいは「帰属の欲求」とも表現されます。

 

 自分が自分であることをOKして自分を愛していいことをOKしないと、
ここは他者にいったとところでどうしようもないのだろう。

他者に頼れず抱え込んでしまうのも、この辺のひねくれたところで、
社会に他者に受け入れてもらいたいのに、できないのは、まず自己開示の仕方が不器用なところが起因してそうだ。

そういうことを今日は全く考えていなかったのだが、
今日は、私が抱えていた問題を、息子に聞いてもらったのだった。

以前だったら絶対しなかったようなことだけど、
いざ話をしてみると解決はしないが、ほっとした。
そもそも解決できるかどうかは、他者の範疇にある問題なので、相談したところで何も変わらないのはわかっていて、だから留め置いているものだったのだが、
それを私がひとりで抱えておく必要も、意味もないわけなので、
共有してもらったことで、自分だけがそれを担わねばならないという思いはなくなった。

こういうところからだな。
この年になって、幾分かいや随分と手放したことや
手放す準備段階に来ていることは多く、それだけでかなり楽にはなっている。

「こっちの方が心地よい」
「これがいい」と自分が選ぶことを大切にしたい。

選んだ先に、なにをしたいのか、どうなりたいのかは今は白紙。
いや、実際は何となく想像できるところもあるのだけど、
山を登ったところから景色をみたら、気持ちがまた変わってしまう可能性もあるから、
今のところは、少しシンプルな絵だけ描いて、要らないものをそぎ落としていく時期かなと思っている。

痛みを叱る 2019.7.11

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ザーッと激しく降ったり、かと思うと
カーンと晴れて青空にそよ風が気持ちいい、なんてお天気が続いています。

私は嫌いじゃありません。
ずーっと暑いのとかずーっと雨とかいうより、
こういうののほうが好き。
これって昔からで、そんな自分のことを「これがほんとのお天気やさんっていうんだろうな」と思っていました。
天気のことだけではなくて、気分も。
ちいさい頃は今よりも喜怒哀楽が大きくって。
出しきったらすぐ気が済んでいたんでしょうね。あの頃が懐かしい。

大人になって、気質自体は残ってるのに、外にあまり表現しなくなった分、
うちにためていくようになってしまったのかもしれません。
感情はそうやって抑圧されて、痛みとしてその存在を主張するようになるのかぁ。

さて、昨日からの「痛みは怒りである」というTMSのお話のトピックその2。

TMS対策のうち、結構効果があるとされているのが、
「痛みを叱る」こと。

痛みが出てきたら、その痛みに(自分自身に)
「お前の正体はわかっているぞ!」とか
「いつまでのさばってるつもりだ!」とかいうのです。
それも優しく説得するとかじゃなく、こう力強く、怒鳴るくらいが効果的らしくて。

痛みと自分自身に対しての宣言なのでしょう。
自分を管理するのは自分自身。
だから、痛みに対しても変におびえないし、
幻想であるし、それが怒りから注意をそらすためにでてきたにせものだということはわかっているわけだし。
だから、自分自身の意志として「負けないぞ!」「この状況に甘んじるつもりはない!」という宣言。

これも言ってみればアファメイションのひとつかもしれませんね。

言霊が云々ということも聞くし、
汚い言葉を使うのは、大いに抵抗があるところですが、
以前F先生が「暴れ馬を調教する」
と言われていたことと、同意であるようにも思えてくるので、ちょっと客観的な視点で自分の暴れ馬をいなす感じでしょうか。

「いい加減にしろ!」
「だまされるもんか!」
「ふざけるな!」
「このやろう!」
・・・
このくらいのストックがあればいいかな?笑

いいなれない言葉って、すっと出てこないから難しい。




さて、今日は早く寝ます。
最近寝るのが遅くなりがちでしたので。

堀江さんのこの言葉はほんとにそう。
ameblo.jp

子育て時期は、自分は後回しで家族の世話、仕事を優先してしまうし、
そうせざるを得ないと思い込んでいるけれど、
自分の体を守れるのは自分しかいないし、
自分を優先していいんだとわかると楽になれます。
そういう時に、誰かに「自分を優先していいんだよ」って
言ってもらえるといいんだけどね。気持ちに寄り添ってもらえれば、
早くそのことに気づけるし、行動もおこせるんだけど、
誰もいなければ、自分で頑張ってやるしかない!

ちょっと哀しい気もするけど、
そうやって頑張った人には、
頑張った分だけ気づきが大きくプレゼントされるので大丈夫。

うまくできています。

おやすみなさい。
明日は今日よりもっといい日。

痛みは怒りである 2019.7.10

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小さな頃から、私の身体はいろんな痛みや不定愁訴をシグナルとして出しています。

何時しかそれをシグナルだとは感じるようにはなったのですが、
何が問題なのかが全くわかっていませんでした。
ひとつだけわかっていることは、私は非常に過敏であることだけでした。

虚弱体質であることが、この根本だと思っていたのですが、
これはいろんなアプローチをここまでやってきましたが、ほとんど効き目はありませんでした。
ただ、中学の時は膝を悪くしたり、中耳炎や副鼻腔炎やと結構酷い状態になったりしましたが、部活でかなり体力がついたためか、全体的な体の調子はあがってたなと今思えば思うくらい。
なので、トレーニングして筋力をつけることは、身体の保持には効果があることは私自身は理解しているつもり。

ですが、大人になってのトレーニングは、あちこちにある痛みとの戦いの中にさらに負荷をかけることになるので、なかなかうまくいきません。

そんな時にであったのが、TMS理論。
その理論の中では、「痛みは怒りである」と言われています。


miww55.hatenablog.com


昨日から本を読み始めました。
TMS理論の本。

 

腰痛は<怒り>である 普及版

腰痛は<怒り>である 普及版

 

 


私自身、痛みはあちこち移動することがあり、
そうなると、傷んでいるのは身体ではなく、心であるという話を受け入れるしかありません。
ま、もう半世紀生きているので、体のあちこちにガタが来ていることは認めたうえで、気になる症状は病院でチェックをするとして、その上で、です。

心のバランスが崩れると、自律神経の変調につながり、血管収縮、酸素欠乏という具体的な反応を起こします。つまりTMSによる痛みの直接原因は、血流不足による酸素欠乏といえるそう。

大胆な仮説だけど、でもそれで大方説明ができるようです。
TMSが出る部位は、筋肉、神経、腱・靱帯。
私がいま一番気になっている、睡眠時無呼吸症候群も、酸素量が足りないことから来るもの。
該当しそうです。

酸素足りない→痛みがでる
ってのは、西洋医学的にも間違いないみたい。

で、その対策なのですが、やることがいくつかあります。

大前提として、
これまでの痛みに対する思い込み(ここでは「呪い」という言葉で言われる)を外す必要があります。

特に「この痛みは身体が悪いからだ」という、からだの問題という思い込みから「これは心の感情の問題なのだ」という視点に変えることですが、これが一番大変かもしれない。
自分の思い込み、誰かから言われた言葉って、意外と妙な信念みたいに残りやすいから。
それで、TMSでの治療をする場合は、
先ずその思い込みを徹底的に排除することから始めるそう。
本では講義形式でのレクチャーが紹介されていました。
知識レベルから変えるということですね。

TMSジャパンのサイトでは、読書治療も紹介されています。
本に書いてあることを読んで思い込みがなくなり、
この理論に納得すれば、それだけで痛みがなくなる事例はいっぱいあるのだとか。

TMSについての根本的な考え方↓
潜在意識にしっかりこれを理解させないといけないので、
この考え方を毎日のアファメイションすることも必要なのだそう。
ちょっと宗教っぽさを感じたりもしますが、
いい思い込みで体が楽になるなら、使わない手はないというものです。

「毎日の注意」
痛みは、TMSのせいでおこる。
痛みの直接原因は軽い酸素欠乏である。
TMSは抑圧された感情が引き起こす無害な状態である。
主犯たる感情は抑圧された怒りである。
TMSは感情から注意をそらすためにだけ存在する。
背中も腰も(自分の痛みの出る部分)も正常なので何も恐れることはない。
それゆえ体を動かすことは危険ではない
それゆえ元のように体を動かすべきである
痛みを気に病んだりおびえたりしない
注意を痛みから感情の問題に移す
自分を管理するのは無意識ではなく自分自身である
常に身体ではなく心に注目して考えねばならない

 

いとうさんからも資料を送っていただいたので、
ここまできたらやるしかありません。
一日15分。これ読んだり眺めたり録音して聞いたり。

一週間、怒りを書きだしたので、自分が顕在的に感じている怒りは目の前に出された状態です。

昨日この本が来て読み始めて、
夜、ふと思いました。

ああ、私が他人に感じていたあんな怒りやこんな怒り、、、
あれは、その人に対するものというよりは、その人を通して自分が自分に思っているものだったんだなぁ。
自分が自分に対して思う足りてなさや認められたい感や、それを他者を通して欲求していたんだなと気が付きました。

それは、なんでそう思ったかというと、
この本にあった文章からでした。

TMSには性格特性があるそうです。「タイプT性格」とあります。
かかりやすい性格といえばいいのかもですね。
そこに書いてあった性格は、
6つの根本的欲求に起因しています。

①完璧でありたい
②人に好かれたい
③見捨てられたくない
④満足したい
⑤強靭な肉体でありたい
⑥死にたくない

 

TMS患者は、欲求を満たそうと自らにプレッシャを課しているものの、欲求が強ければ強いほど十分に満たされることはなく、その挫折感から激しい怒りが生まれてしまうのです。

ううっ、痛い。突かれる~。まるままです、私。

日常的ストレス∔幼少期トラウマ∔性格→無意識に怒りが蓄積されていくと。


なるほどな~と思いました。

怒り自体は全く何もケアできていませんが、
カニズム的には納得しました。
なんだかすっきり。

そしたら、
今日、昨日あんなに痛んでいた肩が結構楽になっている気がします。。。

本にも書いてあったけど、ああ、これがTMSなんだなと思わざるを得ません。

又すぐに痛みは出てくると思うけど、
まあワンステップ踏み出してみたところです。

長くなりました。

まだまだやることはあるので、
日々コツコツとやってみます。
ほんとに人生って修行だわ。
でもよくなる修行ならする価値はありますからね。
結構ポジティブに捉えられてます。今回。

やっとここまできた。

睡眠時無呼吸症候群の結果 2019.7.8

先日、毎月のF先生の診察日に行ってきました。

先月やった睡眠時無呼吸症候群の結果が出ていました。

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 以前が20くらいだったから、やっぱりひどくなってます。
いびきは245回( ;∀;)
呼吸が止まって再開する時に出るみたい。

とはいえ、重症ではないので、CPAP(寝る時に酸素マスクつけて酸素を送り込む方法。大型機械を導入する必要あり)はしなくていいんじゃないかなとのこと。

あまりにも昼が眠いし、集中力が持たないので、
寝る時に酸素入れて、日中が健やかになれるのならそれでもいいんじゃ、とまで思っていました。

先生によると、CPAPは結構やりたくない人も多いらしい。
なれればいいんでしょうけど、装具って基本的に嫌ですよね。
私は今、歯科矯正をしているので、その点随分寛容になっていますwww

この睡眠時無呼吸症候群対策は、マウスピースを使うやり方もあります。
これもすでに歯科矯正の先生には相談済み。
歯科矯正をしてなかったら、そんな選択肢は全く考えもしなかったはずだけど、
許容できるものが増えたので、私の中では少し自信になってます。

歯科矯正中はマウスピースは作れないので、その代わりになるような装置を考えてあげるよーって言ってもらえてます。


で、とりあえずは今やれることなんですが、
F先生からおススメされたのは、「横向き寝」。

前に一度おススメされたので、やってみたけど、すぐ元に戻って失敗。

F先生曰く、
普通に寝ると舌が落ちて気道をふさいでしまう。
横向きに寝れば、気道をふさがない。
私の場合は、夜2時3時くらいが大きくそれが起こるので、
睡眠の第一の波の時に横向きになれていればいい。
つまり、後で寝返りを打ってもいいという理論に。

まあ、納得します。

で、その夜やってみました。

途中で起きました(苦笑)

実はその数日前に、ピラティス中に肩をマットに打ち、打撲してて、
元々少し痛めていた右肩が余計に痛くなってしまっていました。
それで余計に体が緊張状態にあります。
しかも慣れぬ横向き寝。
痛い右肩を上にするので、まあ一石二鳥みたいなところはあるのですが、
それでも安定しないからかな。布団を抱き枕みたいにして寝たんですが。

それで、武器を調達しました!
じゃーん。

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こんな感じで使うの。↑

昨日、届いたので試してみました。

うーん、よくわからない。

そもそも昨日は2時くらいに寝たから、↼早く寝ろ
朝はさっと起きたけど、9時くらいからやたらと眠く、少し寝てました~。
やっと取れた、まる一日休みなので、だらだらしてます。

あ、でも、普通の枕よりも、
後ろで支えてくれるのと、
耳がつぶれないのと、
左手を圧迫しない。

これ重要。というか基本。

フランスベッドさんのです。

 プレミアムにしてみました。黄色がかわいい。

 ま、身体が慣れるには時間がかかります。
心も同じみたいです。

慣れるって思考や気合いが関与できないところにあるので、
あまりいろいろ考えても、無駄みたい。

粛々と、実験楽しんでみます~。


博多は、山笠の季節です。
きらびやかな装飾は、目が喜びます。

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 ひとつひとつに物語があるのです。

いろんな物語があることを知ると、とてもわくわくします。

皆さんのまちでは、どんなお祭りがあるのかな。

TMS理論による怒りの書き出し 2019.07.06

先日、また催眠ショー&意識のマネジメント講座に行ってきました。

前回の様子はこちら↓

miww55.hatenablog.com

今回はまたちょっと違ったものでした。
講師のいとうさんは引き出しがいっぱいあるので、
その時の集まった人の関心事で話をしてくれます。

私は少し早く行き、前回からの疑問をいろいろお尋ねしていました。
私の関心事は、やはり痛み対策。
最近では、睡眠時無呼吸症候群

これについて、いとうさんは「TMS理論」の話をしてくれました。
TMS理論は、TMSジャパンのサイトに詳しいので、サイトから編集して引用します。

==

TMSとは、「Tension Myositis Syndrome」の頭文字からとった略称で、
日本語に訳すと「緊張性筋炎症候群」。
腰痛などの痛みは骨や軟骨から生じているのではなく、筋肉から生じていると考える。

※ただし、筋炎といっても筋肉に炎症があるという意味ではなく、筋肉内に何らかの変化があるという意味。
この理論の開発者であるサーノ博士は、TMSの定義を『痛みを伴う筋肉の生理的変化』としている。


痛みが起こるメカニズム
痛みの直接的な原因は、血管が収縮することによって起こる患部の虚血状態だと考えられます。
つまり、自律神経系を介して血管が収縮し、患部の血液循環が悪くなって酸素欠乏を起こすことから痛みが生じるのです。
血管収縮に伴って血流量が減少すると、筋肉内に発痛物質でもある乳酸が蓄積して筋肉痛を引き起こしますし、血流量の減少によって酸素欠乏がより深刻になると、筋肉がケイレンしてきます。
さらに、酸素欠乏は神経障害を引き起こし、さまざまな程度の知覚異常や筋力低下を招いてしまいます。

「サーノ博士が至った結論は、TMSとはストレスによるものだということでした。しかも、ただのストレスではありません。怒りの抑圧というストレスであり、その抑圧が、腰痛をはじめとする筋骨格系疾患を招いているのだといいます。」

www.tms-japan.org

ktmhp.com

 

↑こちらはいとうさんのTMSに関する記事。

ストレスが引き起こす病気はたくさんある。
そして原因不明の症状にはかならず「ストレスでしょう」と言われるので、
病気の原因がストレスと言われても、じゃあ対処できる療法はないのね、と思いがち。

でも、TMSではストレスの中でも怒りの抑圧というストレスが、腰痛をはじめとする筋骨格系疾患を招いているというのです。

詳細は、上のリンク先に明るいので、気になる方はご参照ください。
結局コピペになるので^^;

いとうさんは、潜在意識の絵を描いてくれました。
潜在意識の中には、心のごみ箱がある。
怒りのストレスは、吐き出したり昇華できないものは、知らず知らずのうちにそのごみ箱にたまっていく。
このごみ箱の中の怒りがもし溢れたら、顕在化してしまうので、見続けないとならなくなる。それはしんどいので、潜在意識(無意識)は、心の防衛スイッチをオンにする。つまり痛みを発生させ、そちらに目を向けさせる。痛みに目を向けている間は、怒りに対峙しなくてもすむというわけだ。

まあよくできているお話。
昨年、自律神経についてはかなり勉強したので、その辺の理解はできる。想像もできる。
これは人の生存戦略なんだよね。

で、いとうさんが教えてくれた治療法は3つ。
1.「これは深刻な病ではなく、TMSによる症状である」ことを理解すること。
2.「TMSなんかに負けてたまるか!」という強い意志(思い切り)を持つこと。
3.陰性感情(怒り)をひとつひとつ紙に書きだすこと。

この方法で、いとうさんの取ったデータでは、男性の治癒率は90%、女性は40%が完治をするらしい。

ん?この差は何なんだ?

女性は、そもそも右脳と左脳のパイプが太いので、腹をくくれば何でもできるってのが女性の性質らしいのだけど、腹をくくるというのが、男性よりも難しいらしい。
男性は、比較的納得したらはいっとストレートに動く。悪い言い方をすれば単純ということらしい。
その対比で言えば女性は複雑なんだろう。

自分に照らすなら、怒りを出すこと自体に抵抗は大きい。
ネガティブワードを口に出すことは、ちいさい頃からヨシとはされていない環境でいきているので、そういうことも思っちゃいけないって、そもそもそこから抑圧している。

でもどこかで、ここは砦だなと思っていた節もある。
見なくて済むなら見たくないような部分だったから、
ああ、これがあるからいっぱい症状として吹き出しているんだというのは、

体感的にとてもしっくりくる。

ということで、ワーク。
怒りを書きだすワークを実際にやってみた。
ポイントは「ガキの心で、怒りをやくざ言葉で書く」(笑)

ガキの心ってのは、まあこどものようにってこと。
相手のせいにして、自己中心的になることが大きなポイントらしい。
ここに忖度は不要。
罵詈雑言を書きまくること。淡々と書き続けること。

みんなもくもくとノートに書く。
私も書いてみる。
が、なかなかかけない。
まず、対象者の名前が書けない。
内容を具体的に書けない。

うむむむ。

いとうさんからのアドバイスで、5W1Hはやっぱりちゃんと書いた方がよいとのこと。
原因がはっきりしているものは取り除くことができる。
なににどう怒っているのかがはっきりしたほうがいいってことだろう。

これ難しい。
怒りは一つではないからだ。

それを言語化しないと、捨てられないんだなぁ。

それで一週間、毎日20分やってみることにした。

今日で一週間目。

初日、2日目は12項目書いた。
その後は書くことがなくなってしまった。
半分くらいの量になる。
あれ?もう終わり?
んなわけない。
絶対ドロドロしたものを私は持ってるはずだ。

で、出てきたのは、対象者というよりも、「男」だとか「世の中」だとか「無関心層」だとかだ。
ここに行きつくまでに、何か自分が傷つくようなことがあったのか、
そこがまだみえないのだけど、
決着ついていない怒りはまだまだあるので、
大きなものからちいさなものまで、先ずは書き続ける練習、かな。

先日、情熱大陸上野千鶴子さんの回の時に、WANの会に集まった方のうちの一人が「怒りを出す訓練をしています」と言われていて、ああなるほど、女性って出せないんだとちょっとほっとした。
結構出しているつもりで、かなり自分で抑制しているんだなという理解はできた。

しかし、基本的に私は優しいので、
書きながら感謝の気持ちが立ち上ってきたりする。
このまま、ポジティブ感謝ノートにして行きたい位の気持ちになってしまいがちな昨今。
でも、このドロドロはやっぱりできるだけ出した方が良さそうなので、
頑張ってちびっこギャングでオラオラ系になります。

さ、今からなりきって書きますので、今日はこの辺で。


心が躍る景色 2019.6.29

長時間睡眠がないと身体を保てない自分の今が、つくづく理解できました。
逆に言うと自分のためには長時間睡眠の日を作ることが必要。
ここ自己否定してる暇ありません。
動ける身体を保つことは、自分にとっての責務だなと思います。
久しぶりに頭も身体もすっきりして、嬉しい😃

スムージー作る気になれたのがまた嬉しいし、
息子と一緒に食せるのもありがたいなと思う。
冷たいものが食べられるようになったことも、とてもありがたい。

(今日のインスタに書いたもの)

まだ新しい診断は出ていないんですが、
私は睡眠時無呼吸症候群の症状があり、
以前計測した時には、手術や機械をつけるような治療をする必要はないっていわれていたのですが、自覚症状的に昼の眠気と集中力の低下が酷くなってきていたので、
今回再度、検査をしました。簡易ですけどね。

このところは、お休みも取れていなかったし、
朝起きるのは息子の弁当があるから仕方ないとしても、
二度寝ができない状況が続いていて、身体が悲鳴をあげていました。

今思えば、それが主原因で、バランスが崩れていた気がします。
今日、久しぶりにがっつり寝れたら、すっごいすっきりしてびっくりした!
こんなにすっきりしたのは、かなり久し振りなので。
みんな、こんな毎日を送ってるだなぁ、うらやましいなぁとマジで驚きました。
寝れば酸素は回復するのだろうか?その点はよくわからないけど、
今のところ、私の酸素不足は、寝ることで充電(?)されるようです。
眠りが浅いので、長く寝なきゃいけないってのもあるけども。


さて、忙しかった原因の一つ。また佐世保に行ってきました。日帰りだったんですが。
20日くらい前のことです。
朝早く起きるのは苦手なので、寝る前から緊張します。起きれるかなって思うから。
だから、起きるんだけど、どこかぼーっとしたまま、電車で向かいます。
行き返りで4時間あるので、いろいろやろうと思って荷物をがっつり持って行きました(笑)

さて、ついて。
用事だけでは面白くないので、早めに入ってお墓参り。
その後、初めての道を通って下に降りました。
実はコンビニに行きたくて、初めて行く道を降りてみたのでした。
出会ったのは、百合系のお花。

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丁度、カサブランカを入手したりして、百合に気持ちが行ってた時でした。
母にその話をしたら、元実家にはこの時期になると百合が咲いて、
母は叔母(母の妹)のところによくその切り花を持って行っていたそうです。
初めて聞いた話でしたが、確かに庭に大きな百合が咲いていたのを記憶しています。裏のところには黄色いのも咲いていたような。

上道から下のバイパスまでは結構勾配があり、くねくねと曲がりながら降りていく道。手すりはついているけど、日常的に使う人は少なそう。
なんかね、ジャングルみたい。
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でも、心が躍るのです。
私の中のきいろちゃんがめっちゃ喜んでるのが、すごくわかる。
お花や珍しい植物をみると、きゃーって言う。
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植物じゃないけど、これは私の原風景。
関係ないけど、この右下くらいで、大学生の時にバイクでクラッシュしました。
今回、そこも通って、その時の私に言いました。「もう終わったからね。あの時の私、成仏してね。」と。
いつまでも心を残しておくことは良くないなと思ったのです。
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柿の実が青い。
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宮地嶽さんに上る道。
まだつつじがぱあっと咲いていて、待っていてくれたように思いました。

「待っててくれたの?ありがとうね。」って声をかけます。
私、傍から見たら、やばい人だったかもしれない。
さっきの草むらでいっぱいおはなを見て興奮してしまったので、もう一気に夢の中にいるような感じです。
眠気は吹き飛んでいたと思うのですが、別の意味で夢の中にいるような気になります、ここに来ると。
夢というか、時間がいまなのかどうかわからない、そんな気になるのです。

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ちょうちょが飛んできました。ここでは、いろいろ飛んでたのだけど、この子は特にずっと近くを飛んでいて、蛾なのかな?と思いながらみていました。

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じーっとみていると、やっと止まって羽を広げてくれました~。
「綺麗~。ありがとう~」と又も声かけ。
調べてみたら、ムラサキシジミという蝶のようです。

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これも見たことのない果実?でした。
母に聞いてもわからなかったのですが、とにかくたくさんなってました。
画像検索でしらべてみるつもり。誰か知ってたら教えてください。
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これは元実家のアジサイとビワ。
母が福岡に来てから10年以上たつので、その分伸びまくってる感じ。
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あらごろさんの井戸も、お魚は元気でした。
お酒を入れても大丈夫だった。この日はお酒は入れず。おまいりだけしてきました。f:id:miww55:20190629002518j:image
ここでもシオカラトンボと出会いました。
ずっと周りをぶんぶん回ってた。
誰か縁の人なのかな~と思いながら、「ありがとう」と声をかけました。
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ニミッツパーク。実はちゃんと入ったのは初めてかも。
整備される前、まだ一般の人が入れない時に、米軍の方とのピクニックに行った思い出があります。おじいちゃんのお仕事が米軍の船のリペアのお仕事だったので、ご招待されていたのでした。
やっと来れた感。
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帰る頃には夕暮れ時。
愛宕山をみると心がぎゅっとなります。
これも原風景。
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佐世保に帰ると、文字通り「帰る」になります。
私はもう大きな大人ですが、子どもの自分も、大学生の時の自分もひっくるめて居るのが佐世保という町。私はそこに帰ると、いつも時間が巻き戻っているような気になります。今も、あの時も、実は同じく存在している。そんな気になります。

友人が「故郷があるっていいなぁ」と言っていました。
確かに。
私が私に「還れる」場所がここにはあるのでしょう。