ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

自己開示と信じること、覚悟 2023.2.11

10日(金)の日記:

最近、前の日のことを書くパターンになってきました。
毎日毎日に動きがありすぎて、時間が押してしまってこの形になってるのですが、
たまたま過去(1月)の日記を読み返すと、
1か月前のことなのに、ところどころのディテールを忘れてることに気づきます。

覚えているつもりでも、私たちは日々を積み重ねていて、
根雪のようになったものは、全部が残るわけではないのですね。
でもだからこそ、こうやって記録しておくと、
見返した時に、その時の状況やリアルな風景を思い返すことができるんです。
潜在意識には、忘れてしまったこともある程度は残ってるのでしょう。

誰のためでもなく自分のために、今はこうして毎日のことを残しておくことが
必要なのだなと思います。
毎日長い文章をなんで書くんだろうと思いながら書いていることもありますが、
これは私自身を大事にする一つの儀式なのだろうと思っています。

昨日(10日)は、
かねてから悩んでいたことにけじめをつけるためのことを一つ。
そしていよいよ、今まで観たくないと思っていたものを明らかにすることに着手。

こんな風に書くと、余計にわからないと思いますが、
まあ自分が見返してわかればよいし、ずーっと経ったら覚えてないかもしれないけど、
それはそれでよいのかなと思います。
全てを明らかにするのがいいとはおもっていないので。

ただ、明らかにしないと進んでいけないこともあるんですよね。
だから、今回の2つは次に進むためのステップなのだろうと思っています。

一つ目は人間関係が重めなこともあって、
友人たちに相談しながら進めていくことができました。
それが私にはとてもありがたかったことです。
今回の一連の事では、とにかく相談をするということを、私的にはいつもよりも30₋40%増しで頑張りました。
自分だけで、自分の頭だけで考えていても解決の道の選択肢は限られてしまい、
パターンも似たものしか浮かばない。でも誰かに相談することで、その幅が広がる。
自分で決断することの幅も結局広がるので、
それがいいのかどうかはケースバイケースであるとは思いますが、
今までのやり方じゃないことをするというチャレンジはできたかな。

誰かに相談する場合、自己開示が必要となります。
見せたくなかったことも見せないといけない。
見せてしまえばなんてないことも、相手がどう思うだろうって思うとしり込みします。
プライドが高いのかもしれません。
そのプライドは子育て期に随分へし折られてきたはずだけど、
逆に積もってきたものもあるんだろうなぁと。

そして、他者に自己開示することって、
自分に足りていなかったことなのだろうと思います。人には随分言ってるくせに。
私のバケツは結構頑丈なので、意識的にこぼすとかしないと、なみなみと増えていくみたい。量が多くなると外からの風の影響でざぶんざぶんと波を立ててこぼれそうになる。今回、それで初めて危機感を感じて、自分からこぼしに行った、そんな感じ。

二つ目も、基本的には同義。
どう共有して進んでいくのかかなぁ。自分一人で抱えるのはしんどいけど、
これまでそれを背負わせてきたのは私なのかもしれず、
そういうことも話をしていかねばならないのでしょう。
やっぱり問題のベースは人間関係にあるのかもしれませんね。
こちらも相談できる人がいたことが、私の中では大きかった。

私の中では結構重いモノたちに着手をし、動き出したので、
少しその部分ではすっきりしたところもあります。

これまでたくさん学んできたことが、
今やっと腑に落ちてきたところでもあります。
歳を重ねてきたからなのか、経験を重ねたからなのか、
どちらともにあるのかもしれません。

自分の中にある「大いなる何か」(潜在意識とか)、
宇宙を作っている「大いなる何か」を信じて投げてみることも、
何度も実験してきて、
ああ、やっぱりこれって本当だよなと思うことがあるんですよね。

主治医のF先生が昔から言ってくれてた
「なんとかなる!方法はそれだけとは限らない。絶対なんとかなる」。
その言葉をちゃんと信じよう。信じてきたつもりだったけど、
自分を信じることをしてきてなかった気がするんです。

でもこの辺のことを、ずーっと自分なりに学んできて、
最終的に、やっぱり「信じること」がそれからを切り開く力になるんだと、
確信しています。

その確信がどこからくるのかは、わからないんですが、
今回は、泣きそうになりながらも、
どこかなるようになると思っているところがあるんです。
やっとここまできた。
足りなかったところを加えたり、要らないものを外したり、修正したりしながら、
進む覚悟みたいなものが、今私にはある。

昨年11月頃からか、低飛行だった自分の体も随分おちついてきて、
必要な情報に出会ってきました。
山本文緒さんの本からは、人の、複雑さやどうしようもないような癖や、
逃げたり、やってしまったり、でも出会いもあったり、
そういうのが人間だし現世だし人間関係であり、
そういう中で私たちは学び成長していくのだということを
改めて学んでいる気がします。
彼女の最後の本からは、死生観も影響を受けています。
あの時期に読めていてよかった。何度も読みました。
これからも何度も読むと思います。彼女(の本)に出会えて本当によかった。
彼女は本の中で生き続け、私に人として生きる力を与えてくれます。

今は、昨日一昨日あたりに書いたかな、田坂広志さんの本も読んでいて、
今2冊目の「死は存在しない」を読んでいます。量子科学難しい。

科学的に証明されていることや、物質的にみえているものしか信じないということが、やっぱり自分の中にもあって、
そうしないと今の社会には認められないという思い込みが、
とても私には重かったんですよね。
私が必要としていたのは、ここのあたりのものの見方なのだと、思い知っています。
スピ的なものと科学との関係性とかも。

また、長くなってしまいました。
でもいつかは書きたいと思っていたことだったので、
ちょっと表面触っただけの書き方ですが、まあ今日はこんなところにしておきます。

今日の私を慰めてくれるのは、진 (Jin) くんの'The Astronaut' (with Coldplay

www.youtube.com

このステージのすべてが好きだけど、
ジンくんの「And I love you~」が一番好きかもしれない。