ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

頑張ったね、という言葉 2022.11.20


昨日、思い立ってリビングのカーテンを洗った。
洗うのは洗濯機がやってくれる。

カーテンを洗うのは、大体半年に1回くらい。

洗っている間に、カーテンレールを水拭きして、
窓枠やあれこれを磨く。

今回は冬前なので、上についているエアコンのフィルターもあけて掃除。
それなりに汚れている。
ランプがつかないうちはしないでいいという話もあるけど、
ランプがつくというのは「待ったなしですよ!」というサインなので、
出来ればその前が安全だと思って。

数か月前にエアコンの真下にTVを設置したので、
掃除がしにくくなった。足場の確保ができにくい。
今回テレビ台に乗ったけど、作りが張りぼてっぽくて怪しいなぁ。
「こうして高いところの掃除ができるのも、あと何年だろう?」
なんて考える。

埃を取って、部品を洗って、ベランダで干す。
その間に、レールの土ぼこりに着手することを思いついてしまった。

大掃除でもほぼ後回しになって、結局手がつかないココ。
古着を切ったウエスと捨てるばかりの箸を使って、ごりごりと土をかき出す。
綺麗になっていくと嬉しいもんだ。
思う以上にピカピカになったので、端っこの方がより気になり、
ますます磨く笑

カーテンが洗い終わり、濡れたままフックをつけてかける。
お天気の場合は、これで綺麗に乾く。
カーテンをしめないといけないけど。

息子の部屋のカーテンも洗おうかと思ったけど、
日が陰ってきたので、今日はおしまい。

夫が帰宅してカーテンをあけようとする。
「なんでエアコンのカバーがあいてんの?」というので、
カーテンを洗って干していること、まだ湿ってるので閉めたままにしてほしいこと、
ほこりがつくのでこの際エアコンのフィルターも掃除していることを伝える。
なぜか全然飲み込めないようだったけど、
しつこく言ったらわかったようだ(ほんとか?)
「わからん」と言ってたので本当はわかってないかもしれない。
わからなくても、私的には、カーテンを閉めて乾かせれば問題ない。

ほどなく息子が帰ってきたので、
一通り説明する。

「え~、カーテンの洗濯って大変じゃない?」と目を丸くしている。
「でも洗濯は洗濯機がやってくれるよ」
「でも金具を一つ一つ外して、また一つ一つかけなきゃいけないんでしょ?」
「そりゃそうだけど」

彼にとっては、それが大変なんだな。
昔からやってるので、あまり大変とは思えない。
なんなら昔は、生地を買ってカーテンテープとともに縫いこんで作って、
そこにフックをつけるというのは当たり前のことだった。
フックもテープも別売りで、それぞれ合わせて調達していたけど、
今はもうセットで売ってるからほんと便利になったよなと思う。

そういうのを知らない世代だからか、
カーテンレールにかけるだけでも億劫な気がするのかもしれないね。
私は埃や汚れが一掃されるので好きなんだけど。
(でも毎月やりたいとは思わないw)

で、ついでに「ほらほらみて!」と綺麗になった窓の桟を見てもらう。
「おお!すごい。よく頑張ったねぇ。」
・・・
なんか、すごくうれしいんだけど。

褒められるためにやってはないし、
褒められるためにやったことをアピールしているわけでもない。
でも、こういわれると、嬉しいんだなぁ。
それを感じて
今日一番、それが心に残った言葉だった。

彼にしてみれば、普通に思ったことを口にしたんだろうけど、
これ大事だなと思った。
私も、あまり人を褒めない人だからなんだけど、
だから、あえていいね、頑張ったね、素敵だね等々の言葉を口にすることって大事だなぁ。
そういう言葉を言われて育ってないという環境があるので、
意識しないとなかなか言葉に出ないことが多いけど、
この言葉を口にする時、誰かに対してというよりは、
自分に対しての効果がありそうな気がするんだよね。

(同じような環境に育ってる彼から、なんでこういう言葉が出てくるんだろうか?という疑問も出てきたりもするが。)

特に頑張ってるという自覚がないけど、頑張って疲弊してるのが私だと思うので、
この言葉を自分でかけてあげることが、自分に足りないことのように思う出来事だった。

ちなみに息子は
「僕の部屋のは、僕が居る時にしてね」といってた。
居る時でいいなら、巻き込んで一緒に掃除しちゃおう。
でも、結構渋りそうだな笑