ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

母の葬儀

こないだの日曜に、母の四十九日法要を行いました。

まだブログでは、お葬式のことも書けていないのに、
時はどんどん過ぎていきます。

まだ私は受け止めたくないのだと思います。
でも、どんどん記憶も薄れてくるので、
書いておかねば。

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5月21日。
朝は8時半に係りの方がコーヒーを入れ替えに来るというので、
それまでに身支度を整える。
朝が早い弟が、コンビニでご飯を買ってきてくれていた。

今日で見納めなので、母の顔をちょこちょこ見に行く。

11時過ぎに、娘と息子が病院経由で到着。
無事、医証をもらってきたので、係の人に渡し、焼き場に確認してもらう。
OKだったので、冷蔵庫から骨を出して棺の中に納めてもらった。

医証についての顛末は前記事をどうぞ↓

miww55.hatenablog.com



夫は透析日のため欠席。

佐世保から親族たち、熊本から幼馴染、長崎帰りの義弟が次々到着。
私は係の人に呼ばれ、電報披露の順番確認や、お坊さんへのご挨拶やらでせっかく来てくださった方々とゆっくり話す暇がない。
家族葬っていってもこんなもんなのね。
弟とこどもたちに相手を託す。

葬儀は12時から。
今日のお坊さんは、昨日きてくださったお坊さんの息子さん。
白木の位牌に戒名が書かれている。
私たちが希望した、母の名前の一文字「紀」に、「月」という文字も。
なかなかよい。

葬儀がはじまった。
葬儀のお経と初七日のお経とが唱えられる。
お坊さんのお話もなく、意外にさらっと終了。

お棺をあけて、母の周りにお花をいっぱい入れる。
おばちゃんたちが母のおでこを揺らして、「ここ動くのよ」なんてやってる。
「ねぇ、お姉さん、もう最後だもんね」と。おばちゃんなりの母との最期の触れあいなんだろう。

私は泣けなかった。
なんでだろう。
あれだけ病院で意識不明で横たわっている母の顔を見てきた。
だから、今更生き返るなんて思ってはいない。
でもなんだか夢の中にいるようで、信じられない気持ちの方がまだ強くて、
「また会おうね」とだけ声をかけつつ、花を入れた。

この言葉は、母が、叔母(母の妹)が亡くなった時に言っていた言葉だ。
もう何十年もなるのに、この言葉とシーンは覚えていて、
同じように私も声をかけた。

魂のグループみたいなものがあって、死んでも同じグループで役割を変えて生まれ変わるという説がある。
私も母も、父が亡くなってから、輪廻転生の本を読んで以来、頭の中にそれが入っている。そう信じることで、また来世で出会うことができるという思いから出てきた言葉なんだろうと思う。

焼き場の予約時間に間に合うためにと、ちょっとせかされて会場を出た。
参列してくださった方々とも余り話ができず、残念だったが仕方がない。
一人一人にお礼をいい、見送ってから、私たちも急ぎ葬祭場に向かう。

葬祭場は、入り口は変わっていなかったが、中は初めてな感じだった。
私のデータは父の時の40年前から更新されていないので、改装されて綺麗になっているということなのだろう。
焼き場の係りの方から札を渡される。棺桶の乗せられた台の番号と照合し、
確認したら台が焼却炉の中に進み、扉が閉められる。
この瞬間は毎回辛い。もう生身の身体とはさよならの時間だからだ。
こちらも切り替えねばならない。

2時間くらいの待ち時間がある。
一般の待機室で、お昼代わりのパンを食べて待つ。
話は、今後の手続きにいつどう行くかの相談。

福岡市では、亡くなった後の手続きの相談窓口が各区役所にあるので、
そこに電話をして、翌日の予約を取った。
葬儀屋さんからパンフレットをもらっていたので、それをみながら、必要な書類を確認。
とりあえずできることから早めにしていかねばという思いでいっぱいだった。
母の存在がなくなるようで、正直あまり気乗りするものではなかったが、
これらの処理は、わたしたち残されたものが、母の死を少しずつ認めていく作業にも重なる。

時間が来て、焼却炉に向かう。
骨になってしまった母をみると、やっぱりぐっとくるものがあった。

女性の担当の方が、ここは指、ここはのどぼとけと教えてくれる。
まんべんなく骨壺に入れていくのがコツだそうだ。(骨だけにw)
「女性でものどぼとけってあるんだなぁ」なんてことを思いながら、
箸で入れていく。
小さい骨壺を用意したので、すぐ満杯になった。
係りの方が最後に頭の骨を入れてくれる。

入り口の方も女性だった。葬祭場って意外に女性率高いのかな。単に当たった人2人がそうだったからなのかもしれないけど。
これまで親族の葬祭にも行ったけど、全部男性だった気がするので、
なんだかちょっと驚いただけの話。
機会均等の世の中、女性が葬祭場でお仕事するのも当たり前なはずなのに、昔の記憶からなかなかアップデートできないのも問題かもしれない。

母の死から葬祭場までの取りあえずの行事がここで終わった。
2日間、長かった。

弟を送って、帰宅。
もう夫は透析から帰ってきていたので、17時近かったのだろうか。
その日、その後のことは全く覚えていない。
骨壺を仏壇の横に置き、位牌を仏壇に設置したくらいか。
ご飯も作ったと思うけど、何を作ったのか、何をしたのか記憶がない。
多分娘と息子が今日の様子を夫に話してくれたのだろう。
そうそう、私は今日参列してくださった方やご連絡を頂いた方にお礼の連絡をするのに忙しかったのだった。
子らがいてくれてよかったなと思う。

翌日は役所行き。娘と弟と行くことになった。
娘も病気療養で帰ってきているのに、なかなか戦力になってくれている。
ありがたいことだ。