ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その⑤3日目後半は、先祖供養の集大成とむすび。

セミナーに確定申告に振り返りワークとを終えて、やっと一息。
熊野レポの最終日後半をやっと書けると思い、久しぶりに写真をみていますが、記憶って本当にすぐなくなるのね。スポットスポットは覚えているのだけど、前後やどっちに先に行ったとかそういうのが薄れてて、思い出すのに時間がかかっています。
でも、人間忘れるから日々を過ごせるのだろうなぁ。。。リアルに覚えたままだったら、その後の色々を受け止められなかったかもしれない。

その①はこちら↓3日目の私の中でのトピックを書いてます。

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その①衝撃の那智のお滝 - ほほーんと暮らしたい(再)

その②はこちら↓1日目の神倉神社前までです。

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その②初日は魂の細分化がテーマ - ほほーんと暮らしたい(再)


その③はこちら↓1日目の後半、神倉神社についてです。

巡禮記 熊野三山ツアーにいってきた その③ロッククライミングな神倉神社 - ほほーんと暮らしたい(再)


その④はこちら↓2日目です。

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さて、その⑤です。最終話。
3日目は、「むすび」の日。
開いて細分化して、流れを整えて、そして再結合。再生の日です。
午前中はその①に書いたように、どかんと私のあちこちが壊れ、
遅く来た反抗期みたいな状態からのスタートでした。

まあ、父ですね、父。
この後の青岸渡寺では、先祖供養でしたから、そういう流れだったのかもしれません。
で、青岸渡寺熊野那智大社との順番があやふやなので、ここいら箇条書きにします。
なんで覚えてないのかな~。やっぱりショックが強かったのかも。

青岸渡寺

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天台宗のお寺です。
明治期の神仏習合廃止で、熊野那智大社から分離しても残ったのは、余りにも大きな信仰の対象となっていたからだそう。
こちらのご本尊様は、如意輪観音さま。
如意輪さまは、意のままに意のあるごとく、当たり前のことを当たり前に在れと言われる仏様。
自分が自分として生まれてきたのは、父と母がいたからで、その父と母が生まれてきたのはその父と母がいたからで。当たり前のことだけど、それがなければここにこうしていないことを受け止めるということなのでしょう。

熊野ツアーに参加したいくつかの理由の中で、こちらで先祖供養をするというのがありました。自分が命をつないでここにいるということと、先祖を供養することがやっと自然に一つで考えられた時間でした。生まれてきたことに感謝をするって、正直なところあまり実感がなくて。実感がないことはしたくなくて、「感謝」という言葉を軽く使うことが苦手で、使えなかったその「感謝」を素直に口にできた。捕陀落山寺で千手観音さまの前に立った時もそうでした。やっと感謝という言葉が自分の感覚とぴったりした今回でした。
寺内には役小角・(行者)さまもいらっしゃったので、またよくよくご挨拶を。

別所に水子地蔵さまがいらっしゃって、ここでも護摩札が扱われていました。
想定していなかったので動揺。実は地元のお地蔵様には、私の3番目になるはずだった子のことをお尋ねしていたのです。「なぜあの子は私のところに来たのか」「どんなミッションがあったのか」「なぜいなくなってしまったのか」。まだ答えはいただけていませんでした。そのお地蔵様にも熊野行きはお伝えしていたので、お地蔵様ネットワークがつながっていたのだと解釈しました。
思い出せば胸が苦しくなるので、思い出さないようにしていたのですが、そのことに対してまた産んであげられなかったことに対して、あの子にはとても思いがあって。なぜ来たのかには理由がないのかもしれません。でもなんらかの意味があるような気がして。それを無視して生きているのはなにか、、。そんな思いを胸にお札を収めました。名前を付けてあげればよかった。今世ほんのちょっとだけの関係だったのが切ない。
でも、思い出していいんだよねって、ちょっと勇気は出ました。

熊野那智大社
さて、熊野三山の最後の大社。

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主祭神は熊野夫須美大神さま(イザナミさま)。
他の熊野権現と同じく12殿+のこちらは那智のお滝も神柱とされているので13殿かな。
これまでと同じ願いをお伝えします。
毎日何度も何度も神仏に向かっていると、思いがぎゅーっと凝縮するような感じになります。すべての中でオンリーである必要はなくて、私がそれを本当に願うかどうか、嘘偽りがないものであるかどうか自分の中で本当に腑に落ちるものであるかどうか。

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境内に大きなクスノキがあって、その中の空洞を護摩木を持ってくぐります。胎内くぐり。産まれ直しです。

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「こわいよ~」って言ってたら、須佐のおっちゃんに巡禮ガールズまやこさまが降臨!
「怖くないわよ!」「行くわよ」「私でも通れるわよ!」と一言一言に大笑いさせてもらいながら、くぐってきました。笑いは深呼吸と同じく横隔膜をひらくのでいいらしい。育子さんがお滝と水子地蔵のところとまたここでもサポートしてくださいます。

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手に持っていた護摩は、今回おっちゃんの案で護摩焚きに。

悲しみや怖さ、無念の思いはすべて護摩と一緒に焼き尽くしてしまえ。

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 さて、旅のラストは、阿弥陀寺へ。
(阿弥陀寺の駐車場から見た風景。標高高い。別世界という感じ。)

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ここで、日秀さま先達で極楽浄土下見ツアーに行ってた先祖の方々と合流する。
ツアーに送り出して以来、肩が軽ーくすっきりした状態だったので、お迎えするのがちょっと怖い気もする。おっちゃんからは大丈夫と言われていたけど、なんだか気分が重く、また石段だったので、足取りが鈍い。
(みんなさっさか上がってるという写真)

ため息をつきながら上がってると、そうこちゃんが「曹洞宗のおねえさま💕がんばれー」って手を握ってくれる。ありがとうありがとう。

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燃えてしまうと南無阿弥陀佛という文字と阿弥陀様が浮き出てくる線香。

こちらは真言宗のお寺。名の通りご本尊は阿弥陀如来さま。
南無阿弥陀仏を唱え、先祖の皆様のお戻りのお礼を言いました。

南無阿弥陀仏で、ちょっと思ったことがありました。
前日の一遍上人様のところでも思ったのだけど、
私は先ほど書いたように禅宗曹洞宗の家で育ったので、
”なむしゃかむにぶつ(「南無釈迦牟尼仏」)”なのです。
こちらのお寺さんは「阿弥陀寺」なので阿弥陀様にはもちろん南無阿弥陀仏なのでしょうが、他のところでもなんでも南無釈迦牟尼仏のところってあまりなくて、なんか釈然としないところがあったんです。南無釈迦牟尼仏の方が私にはデフォルトだったからだと思うんですが。

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そんなことを思いながら、亡者のひとつ鐘を撞きます。

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最近亡くなったあの方々が心を残さずあの世に行けますように、先祖の方々が安らかに成仏への道を進めますように。
そして、血脈というお守りを頂きました。
おっちゃんからは「みわこさまは、このお守りを身につけておくとよいよ」と言われました。なんでやろ。
こちらでは、自分のために一つまたお守りを買いました。
たいがいお守り買ったけど、自分のものって初めて!

後から、血脈を開いてみました。

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はい。阿弥陀如来と並列に釈迦牟尼仏とありましてね。
「心配しなくてもつながっとるのだよ」とぽんぽんと頭を撫でられたような気がしましたw
弘法大師様ともつながってるし。

いや~、仏様ってお見通しなのだわ。
すんなり私、結びを受け入れる事ができたように思います。
ここが旅の最後でよかった。

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駐車場に戻ったら、美子ちゃんがいて、もーいきなりハグしたくなってぎゅー。
美子ちゃんはいろいろ見ていてくれたようで、なんかちょっとほっとした。絶景の中のハグは気持ちよかった。

今回の旅で、思ったことのひとつは、願いは一つじゃなくてもよく、自分の中をいかに神仏の前でさらけ出せるかということ。
一緒に行ったメンバーの祈り方をみたことも大きな刺激だったし、自分と神仏との向き合いは誰にも遠慮することはいらないことがわかりました。
私の願いも徐々に変わっていったけど、最初の願いは叶ったものもあります。
それはきっと私自身が3日間の願い・祈りの中で、体感出来ていったから。
「あ、こういう答えなのね」とか「答えがないってことは、、」と自分でこたえを出してもいいものもあり、そういうのが自分でわかる、判断できるってわかったことも大きな収穫。

心の中の願いや思いは、私自身の思いようや考えが変わることで叶っていきます。
さて、物理的な祈りをこれから本格的にできるようになりたいなと。
熊野行きのタイミングは絶妙でした。これもうまくできてるのだろうな。
うまくできてるといえば、この後大阪から福岡へ戻る新幹線の中で、母の連絡がケアマネさんから入ったのも絶妙すぎました。私は重い荷物を持ったまま、母宅に行き、救急病院に行き、、、と動きが始まるのも早いけど、あのタイミングだったからうまくキャッチアップできました。この後は難関ですが、心を強く持っていきます。

一緒に行ったメンバーは、干渉せず、でもなにかあったらそっと手を差し伸べてくれる方もいて、またそれはせずともみまもっていてくれたりして、なんかもう本当にありがたくて。
素敵な3日間でした。

先達の須佐さん、育子さん、今回ご一緒させていただいたみなさま、ありがとうございました。これをご縁にまたどこかでご一緒できたら。幸せな時間をありがとう。

おまけ。新宮から新大阪まで4時間ちょっと。コンビニ弁当じゃないのが食べたくて、駅前に行ったらお寿司屋さんのテイクアウトでさんま姿寿司が!
ヤッホーさんの不思議なビールとともにいただきました。一人旅って(行くまでだけど)楽しい。自由はいい。また行きたいなー。

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あ~、やっと書き上げた。
このブログを長く読んでくださったみなさまにも、感謝申し上げます。
ありがとうございました。(あ、この感謝、本物ですw)