今日は母の術後4年目診察の付き添いでした。
大腸がんの再発はなし。来年の受診を終えれば経過観察5年は終わります。
とはいえ、高齢者はこの5年の中で、別のところに問題が起こることも多いそうで、
健診を勧められました。
私たちにすれば、ここでちゃんと診てもらえているからと思っていたのですが、
先生曰く、即生死にかかわるものを切っただけなので、
こまかく奥までチェックできているわけではないとのこと。
なるほど、症状の原因と思われるものをみつけ対処することが、
生命を救う第一歩なので、大きな病院の使命としてはそこをやったけど、
大病になるかもしれないものについてはチェックができていないということなのでしょう。
先生が言われるには、高齢者は大腸検査は下剤を飲んだり大変で疲れてしまうから、
大腸検査をしなさいとはいいにくいそう。
実際、若い人なら大腸検査時にポリープが見つかれば、
小さいものならそこで取ってしまうこともできるけれど、
高齢者の場合はそのこと自体がリスクになるので、
日を改めて手術することになるとか。
年を重ねるということは、それまでよりももっと注意が必要になるということですね。
当たり前ではあるけれど、自分たちが重ねてきた当たり前の概念を変える対象に親がなる、自分たちも近いうちになる、ということは、いつも考えておかねばならないことなのでしょう。つい忘れがちになります。
今日は、待ち時間も長かったので、母といろいろ話しました。
明日は父の命日、前後に母の父の命日、娘・息子の誕生日、祖母の命日と
10月は私たち家族にとって、生き死にを考える月間です。
母は高校生の時に母、父を続けて亡くしています。
その時のことは、ここ数年少しずつ母から聞けるようになってきました。
母はあまり自分からそういうことを言いださないので、
私が聞けば言うという感じです。
これまで聞けていなかったことを少しずつ聞いています。
私は父を大学生の時に亡くしました。
大人になってからの親子関係がないというのは、
なにかひとつ欠けている感じが自分の中にあります。
母が同じであるかどうかはわかりませんが、
想像するに、まだ子供である高校生時に親が次々に亡くなり、
兄弟たちを守って生きていかねばならなかった母の人生を思うと、
たまらないものがあったのではないかと思うのです。
母は「とにかく突然だった」と今日教えてくれました。
母の母は喘息もちで気管支が弱いことは知っていた。
でも、それまでも和裁をしていたし(和裁の先生だったそう)、
そんなにひどいとは思わなかった。
なくなった知らせは、学校に入ってきたそうで、
死に目にはあっていない、と。
母の父は、その約10か月後、出稼ぎの地で亡くなったので、
母にとって両親の死は謎に包まれています。
ただ、母は言いました。
「段々弱っていく姿や苦しむ姿を見なくてよかったと思ってる」と。
「死ぬ瞬間はそれどころじゃなくて、遺言をなんていう余裕はなかったんじゃないか」とも言っていました。
そうかもしれないけど、自分が親なら、あっという間に自分は死んでしまって、
子どもたちを残してしまったら、心が残るのではないかと思うんです。
どうしようもないことだけれど。
それを考えたところで、何がどうなるわけでもなく、
受け入れるしかない中、母はどんな思いで生きてきたのだろう。
心の傷を掘ってしまうことになるかもしれないので、あまりそこは聞けてきませんでした。どこまで聞くのがいいのだろうと思いながら、
ただ、このままもし母が死んでしまえば、意思疎通ができなくなってしまえば、
わからなくなってしまうことでもあります。
父がいない今、母とは子という立場というよりも、同じ大人の女性として母の生き方に寄り添ってみたい気がしています。
コロナ禍が手伝って、そんな話がじっくりできるような時間も場もまだまだ取れそうにありませんが、その時々をどんな思いで過ごしてきたのかは、
ちょこちょこ聞いていきたいと思っています。
これは私の欲なのかもしれません。
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【一日1BTS】5 Life Goes On
「Life Goes On」とは直訳すれば「人生は続く」。
ただ単に時間が過ぎるというよりももっと、「(いろいろ辛いこともあるけれど)それでも前を向いて日々を生きていく」的な意味があるよう。
オフィシャルMV
2020年11月の曲なので、コロナ禍。
冒頭で運転中のテテがマスクを外す姿に、なぜかほっとしちゃいます。
家の中から窓ガラス越しに外を見るググ。
寝起きで歯磨きしながら、ググに外に行こうという感じの手ぶりをするジミン。
テラスではナムさんが自転車のサドルに積もったほこりをすくってふっと吹き飛ばします。長い間自転車で外を走っていないということなのでしょうか。
このあたりも、コロナの影響を感じさせます。
家の中でゲームをしたりピザを食べたりして楽しむメンバーたち。
すぐに飽きちゃう人達。
場面はまたテテが運転する車の中。トンネルから出口に向かう。
歌詞は「出口はあるのかな」と歌っているのに。
でもこれは希望に見えます。トンネルには出口があるんだって。
テテの隣にはジン。後ろのメンバーたちは楽し気に歌っている。
その彼らをバックミラーで見るテテとジンの顔に笑顔はない。
メンバーたちの空元気を気遣っているのでしょうか。
場面はまた家に戻り、昔の外で遊んでいた様子のVを頬杖をつきながら、
くっつきながら見るメンバーたち。
ベッドルームでくつろぎながら歌う彼ら。
場面は車中。運転しながらテテが見るのは、スタジアム。
ここでしたコンサートを思い出しながら、またARMYと再会できる未来をみてるのでしょうか。
家の中。メンバーたちが寝てしまっている中、ジン君だけが起きている。
そこから先はジン君の妄想なのか、未来への希望なのか。
モノクロの世界の中で、メンバーが横位置に座って歌うLife Goes On。
いろんな想像ができてしまうMVです。
こんな記事をみつけました。吉崎エイジーニョさんが書かれたもの。
news.yahoo.co.jp
中で引用されている「事務所側が韓国メディアに配布する、公式な曲説明資料」からの情報を張っておきます。備忘録も込めてます。
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前作よりも「悲しみ」を強調しつつ、あたたかみのある作品
資料がまず説明するのが、前作からの連続性だ。世界的にヒットした<Dynamite>に続くストーリーがあるとしている。
前作よりもより”悲しみ”に踏み込んだ作品、という意味だ。いっぽう事務所側はこの点の表現方法についても言及している。
ちなみに「Life Goes On」の”Life”は、”人生”という重い言葉にも訳せるが、事務所側の資料には韓国語で「インセン(人生の韓国語読み)」ではなく、「サルム」とある。生きる、暮らすを意味する動詞「サルダ」の名詞形。「暮らし」あるいは「日々」というニュアンスだ。
事務所側の資料はさらに、ミュージックビデオの説明へと続いていく。
歌詞の内容は前回作よりも「悲しみ」に寄ったものだが、映像には「あたたかみ」を織り込んだ。その調和もポイントとして挙がっているのだ。公式MV公開後、「朝鮮日報」は映像をこう評した。
「特に過去に公演したチャムシルオリンピック競技場周辺が車の窓から通り過ぎるシーンと、ガランとした客席を背景にメンバーが歌う姿が印象深いシーンとして挙げられる」
資料は最後に、「Life Goes On」の収録されたアルバム「BE」のトラックの紹介へと続いた。ここでも制作者側の意図が説明されている。
悲しみとあたたかみの調和。これらを中低音の声やアコースティックギターサウンドで表現。こういった点が伝えたいポイントではないか。
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前作ダイナマイトもコロナ禍だから発表された楽曲、それよりも悲しみに寄り添った形の曲。MVは日常感のある温かみをあえて意識した慰めになっていると言われれば、そういう気もします。
コロナ禍にできた曲なので、コンサートではまだお披露目されていません。
MTVのアンプラグドは、この曲のイメージにあったステージ。
衣装がとっても好みです。調べたらラルフローレンでした。だから胸のマークは「R」なのね。
生きると死ぬを考える中に、日常が常にあります。
日常というと変わらないイメージですが、
毎日毎日が生きる場であり、死ぬ場でもあり、やり直す場であるように思います。
そこにどんな絶望や希望を抱えて、悲しみや温かみを感じながら、
出口を探して生きていく、それが日々であり日常だと私は思います。
今日は、この曲のタイトルと楽曲のイメージの癒しが、今日のテーマだなと思ったのでこのセレクトにしました。
さて、今から娘と電話です。久しぶりに。
では、おやすみなさい。