ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

夏の余波 2019.0922

台風17号が去っていきました。
前回も体験したことのない風を感じたけど、今回はもっと大型でした。
怖かった。
それでも台風は、家の真ん中あたりでじっとしていれば過ぎ去っていってくれる。
今回は停電もなく、ありがたいなと思いました。
千葉の様子がまだまだ大変な中です。
今後台風は日本海を北上するようですので、千葉の方にはいかないと思いますが、
被災されている方のところに一日でも早く電気が復旧し、生活が安定しますようにと祈ります。

===
さて、あわただしい日々を過ごしていましたら、あっという間に2週間近く放置しておりました。

新しい仕事を始めたこともありますが、
その前に息子が再度東京に行くことがあって、そのことでごたごたし、ブログを書くところまでの集中ができない状態が起こっていたことが大きいのかな。
振り返るとなあんだ、なのですが、巣立とうとしている子に、ストップをかける形でなく、世間の危険さや本人の準備不足をわからせることができるのか。
これは私の親としてのちょっとしたプロジェクトのようなところがありました。

結果、危ないこともなく、こちらが知らせたいこと思ってほしいことは伝わったようなので、ほっとしています。

姉の時には、本人が結構失敗したし、そこでの学びが彼女にあったので、
結果オーライでしたが、私がぶちぎれたりもしましたので、今度はそうしないように、
頑張りました。忍耐です。

娘と息子の性格の違いもあって、
相手次第で対応を変えることも当たり前ですが必要で、ここがまた非常に難しい。
でも、私の気持ちも含めて、できるだけ穏やかに、
納得できる話し方を心掛け、紙に書きw、説明したりして。

とりあえずは、「毎日1回は連絡をよこすこと」を約束させました。

娘に事の次第を話すと「私の高校時代みたいやね~」って言います。
その通りです。
子も親も学ばせられてます。「子育て」という言葉は「親としての学び」とも言い換えられる言葉ですね。しみじみ。


その他、久しぶりのLSPのファシリテーター仕事も、
楽しい反面、一日中のワークはぐったり疲れて翌日まで抜けないことも。
乳がん検診にドキドキしてたり、(1年前にひっかかったからですね)
そうか、思い返すと結構メンタル的に緊張が続いていたみたい。
だからかけなかったのかな。
なんだか時間が取れなかったのです。
FBの投稿もあんまりしてなかったし。
見る時間も少なかったように思います。

センシティブな時には、FBやネットの情報の波にやられそうになります。
いろんな人の言葉は、その奥に多くの人の思考があって、
それらが波のように押し寄せてくる感じ。
なので自分でシャットアウトしないと、その波にもまれてしまい、
自分の軸がみえなくなってしまいがち。

新しい仕事もイベントは続くし、新しいことの波にもまれています。
それでも面白いのは、ものづくりがあること。
里山で伐採した木を利用してのクラフトづくり。
もりのえんぴつを作ります。

のこぎりで木を切り、ドリルで穴をあけ、芯を入れ、
削り馬に乗って、クラフトナイフでしゃっしゃっと木を削ります。
ハイジにでてくるおんじがやっているやつ。
それで鉛筆の形に切り出し、最後にのこぎりで長さを決めて切って、できあがり。

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事務所で留守番の時には、ひたすらそれを作っていました。
一人だと音楽が流せるので、スマホで音楽流しながら♪
この作業が非常に集中でき、癒されるのです。
黄色ちゃんがめっちゃ喜んでる気がする。
そして、おじいちゃんのことも思い出したりして。

私が小学校に上がるか上がらないかくらいの頃、
祖父にナイフで鉛筆を削ることを教わりました。私としては、叔父から当時は高級な電気鉛筆削りももらっていたし、ナイフでわざわざ削る必要もないよなと思っていたのですが、
祖父としてはちゃんと教えたかったのでしょう。
「今どきの子はナイフもよくつかえん」といろんな人から言われていましたが、
「だって別に使うシーンないし」とか思ってました。
「昔は竹ひごを使ってね、うんぬん」なんて聞いても「今はせんし」とか。
当時の「今どきのこども」でしたからね。

祖父は勉強家で倹約家。ちびた鉛筆をいっぱいストックしていました。
鉛筆はもちろん自分でナイフで削っていたようです。
私はいくらかそのちび鉛筆をもらい受け、自分で削って使っています。
硬筆をやっていた時にはナイフで削ったほうがいいので、やっていて、
ずいぶん上手にはなったと思います。
削る量は多いのですが^^;

そんなことを思い出しながら、削り馬で切り出していたら、
ちょっとばかり祖父の空気を感じることがありました。
すごくわかるわけでもないのですが。
「あ、もしかしておじいちゃんに守ってもらってる」そんな気がするだけですが。

そういえば、祖父の命日は9月4日だったのです。
私は4の数字は覚えていて、14日かと思って、調べてみたら4日。
ああ過ぎちゃってた、おじいちゃん、ごめんね。

大学の後期も始まりました。
最初の講義日。一緒にやってる先生がまさかの寝坊。
まあどうにかするしかないと、その時はあまり動じることもなくw
結果、ギリギリ間に合ったので、私の出番は想定通りなもので終わりましたが、
毎日、いろんなことがあるなぁと思いながら、生きています。

あわただしいけど、時間は意識して作らないとできないものだと
改めて思ってるところ。
いろんな役割を持つということは、ほんとに時間が必要で。

まだまだ8月のプロジェクトの残務もあって、
そっちの更新に時間がかかってしまってます。
この連休はいい骨休めと残務や気がかりだったことを処理する時間になってて、
ありがたい。
今日までは、11時就寝のおきては破ります。
明日からは、また11時を目指して!

まとまらない投稿でした。

 

自分の安全地帯 2019.09.09

自分の安全地帯。これは生きる上で結構大事なものだと感じています。
自分のアイデンティティが育まれる、自分らしく居られる場所、
自分は自分のままでいていいんだと思わせてもらえる場所。
人によってその場所がどこなのか、
リアルな場なのか精神的な場なのか、それぞれにいろいろあると思います。
私は、そこは自分の家族との会話の場かなと思っています。

==
先日の土曜日は、母の住む特養の納涼祭でした。

1年前の8月に入居した母がまもなく体験したお祭り。
近所の方々、こどもたちがダンスを披露したり、
太鼓の集団がパフォーマンスをしたり、
そんな中ほんとに久しぶりにビールを飲んで「おいしい!」と言ってる母を見て
ほっとしたものです。その時はビール飲んでる姿をみた後は、
そのまま施設の方にお任せして帰ったのでした。

今年は暑いので、9月実施になった模様。
施設から「ご家族の方は参加されますか?」と聞かれ、
去年のことを思い出しました。
お祭りって、知っている人と一緒に笑ったり、
おいしいねって言いあったりするのが楽しいんだよね。

ならば、今年は一緒に行ったほうがいいなと思って予定に入れました。
駐車場がステージになるので、その日の駐車ができず、
夫は送りだけの参加。
息子もぐじゃぐじゃ言ってましたが、
夫が説得してくれて、一緒に行くことに。

母は、お化粧して、少しドレスアップもして待っていて、
ああ、少しは楽しみにしてたのかなと思います。
お隣のおじさんも、いつもよりバリっとしたシャツでした
(この方はいつもきちんとした身なりをなさってる)。

この日は午前中風が強く、夕方一時的に大雨が降り、
夕方はからっと乾いて風も落ち着いたのだけど
残念ながらステージは中で。
となると、もうロビーはごった返し。
(イベントの現場をこなしている私からすると、
ブースの置き方や通路の設定が、、と、気になることが大有りだけど、
目をそらしてみないようにw)

入居者のほとんどが車いすなので、エレベーター前もごった返しです。
私たちは家族が付き添っているからか、優先していただき、
スムーズに乗り降りさせていただきました。職員さんたちはフル回転。

ロビーに机といすが置かれていて、飲食も可能でしたが、
音がうるさくて、雑然としているので、一度外にでてみました。
あら、こっちのほうが涼しい。
空気が流れているので、息苦しくなく。
母にしてみれば久しぶりの外の空気。
息子は「座るところないじゃん」と渋っていましたが、
「その辺散歩しよって」と送り出し、私は食券をビールと焼き鳥等々に替え、
彼らのもとに。
少し座れるところを見つけたよう。
私もそこで座り込んで、ビールをしゅばっと。
息子は飲めなかったコーラが最近飲めるようになったらしく、お披露目です( ´艸`)

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とりとめのない話が続きます。
何の話をしたのだっけ?
そうそう、息子の成績の話から。今日のテーマは、「子どもの勉強について」

息子は小学校の頃は全く勉強にやる気が起こらず、宿題もせず、
これをしないと夏休みに入れないというところまで追い込まれて、
夜中まで癇癪起こしながらやってた、という話を私が披露。
本人は覚えていないそうですが、私のFBには記録として残っているw

それが中2の時に同じクラスのFくんと一緒に勉強をすることになり、
彼のやり方でやってみたら、理解でき点数が上がったという成功体験。
それ以来「わかると嬉しい」という自覚ができたらしく、
徐々に成績が伸びていった。
数学の塾も、ずっと前から紹介されていたところにやっと行く気になり。
またその先生の教え方が上手で、どこでひっかかっているのかを確認して理解できるまで教えてくれるので、苦手だった数学は、クラスで1,2位を取るくらいまでに。

先日前期テストの結果が返ってきたのですが、
あんなに苦手だった暗記ものの日本史が100点。
数学系も95とか98.失敗した英語は80点台というので、まあ頑張っている模様。
日常的に勉強の時間を作ってやってるもんねぇ。それ以上に動画やアニメ見て笑ってる時間も多いけど。

そうそう。こういう話になぜなったのかというと、
息子がこの辺のことを思い出しながら「なんでおかあちゃんもうえちゃん(夫)も、僕に勉強しろって言わないの?」というからだった。

私は自分が結構言ってるつもりで、「言っちゃいけないな」と
思ってるので反省しているところ。本人にはそう聞こえてなかったんだな。
いいことだけど、聞こえてないのか~とも思ったり(笑)

私の答えは「やらされ感でやっても、面白くないし、
興味持てないものは好きじゃなくなるでしょ。
自分がしなきゃと思えるようになってじゃないと、身につかないから」。
本人納得しておりました。

そこで母がいいます。
「み。は言わなくても勉強してたからね。
K(弟)は全くしなかったし興味も持たなかった。」
うちの弟は、息子に輪をかけて偏屈なので、
しなさいと言われると絶対しないタイプ。
よく高校受験に受かったものだと思う。

弟に関しては、父も母もかなり手を焼いていた。
薄い問題集のセットがあり、私もそれをするのを手伝っていたこともあったが、
直ぐに音を上げた。やる気がないのだ。
やる気がない人に教えるのって手ごたえがないから、
教えるほうのモチベーションもダダ下がる。
ネガティブパワーがこちらにまで伝染するようで、やめてしまった記憶がある。

母が言う。
「あの子はIQ高いくせに、しないからもったいないって先生に言われてたんよね」
初耳である。
「え?IQって測ったことがあるの?」
そんな検査をあの弟が受けるわけがないとすら思えるほど、我が強い弟だ。
「学校の中で検査があったみたいで、先生は知っていたみたいよ。
いくつとは言わなかったけど。」
「それで、パパが教えていたの。」
ええっ!それも初耳だ。
「パパがKに勉強を教えていたの?」
「そうよ。学校の先生に電話して、これはどういう教え方をすればいいのかって根掘り葉掘りきいてね。理科だったかな。それでその通り教えたら、
その時理科の成績がグッと上がってね」
いや~、まったく知らないことだった。

「パパが忙しくなかったときだったからね」と母。

「いつ頃のこと?小4くらいかな。S先生はあんたの先生やったかね。
何先生だったかな~」
いきなり恩師のS先生の名前が出たことにも驚いた。覚えてるもんなのね。

「思うんだけど、私もKも納得しないと進めないタイプなんよね。
だから、学校で教えてもらったものは、わからんでもないけど、
なんでそうなるのかが自分の中ではっきりしないと受け入れられないんよ。
なんでこの公式を使うのか。覚えなさいって言われても、なんで?って。」

「あ、わかる~」と息子。
「でもさ、数学とか数こなしてわかっていくんよね」
おお、その言葉が君から出るとは思わなかったw

私も高校受験の時には、その方式でやらざるをえず、
できなかった問題を何度もやってわかっていった経験はある。
だから、まあその時間さえ自分で投入できれば、それは可能だというのもわかる。
が、とにかくボリュームが多すぎるので、そこに楽しみや出来る感が生み出され、モチベーションがあがらなければ、ひたすら苦手意識が勝ってしまうのも知っている。

国語の場合は、小さいころから物語に親しんでいた私なので、
国語で言われていることは感覚的にリズムで理解できるのだ。

そういう意味では、何の学問でも自分の中に慣れ感として入っているものがベースにあると、理解しやすい納得しやすいのだろうと思う。

「あ!もう抽選会が始まってる!」
息子が中からの声を聞いて反応する。「じゃ行っておいで」と送り出し、
再び母と話をする。

「おかあちゃんの子供のころは勉強ってどうだったの?」と聞いてみる。
母は数学が得意な人で、私の前でよくそろばんもはじいていた。
暗算も得意。
なんでこの数学出来る人から生まれた私なのに、数学出来ないのかなと思ったものだ。

「親は何にも言わなかったね。そういう時代でもなかったしね。
でも一度全優(今でいうオール5)を取った時に、自分には褒めはしなかったけど、
周りには「紀子が全優とったのよ」と嬉しそうに言いまわっていたから、そういうことはする人だったね」
と母。
「それっていつくらいの頃?」
「小4くらいかなぁ。まあ面高だったからね。」

面高というのは、母の母(祖母)の実家があるところで、疎開先だ。
確かに田舎だが、
相対評価であったとしても、できない子が全優はないだろう。疎開先は子供の数も多かったと聞いている。
うちの母は考え的にもクレバーな人だし、そもそも勉強好きなんだと思う。
保険資格の試験受けた時にも満点とってきてたし。
その分コミュニケーション下手なので、せっかくとった資格の知識は発揮できなかったけど。
それぞれ持ち分というものがあるのだろう。

「うちはお父さんも頭よかったしね。血よ」と母。
いやぁ、、、それなら私と弟には全く受け継がれていない。
確かに叔母のところは、長男が将棋のプロ棋士になり、次男は九大出て工学の仕事についている。
ん~、学び方の問題なのだろうか。
そういえば、母は器用出て仕事も何でもこなすが、私と弟はかなり不器用だ。
血はどこに流れているのだろうか?

しかし、やっとこういう話がきけるようになったなと思った。

母が一人暮らしをしているときは、私が忙しかったということもあるけれど、
行っても「最近どう?」という話から、家族の出来事を私が一方的にしゃべるような形が続いていて、ゆっくり「そういえばさぁ」みたいな話をする機会って少なかったように思うのだ。

日常の中の非日常で、ふっと話が出る。
そんな機会って、結構必要なんだろうなと思う。
母にとっても私にとっても、そして息子にとっても。

同じ時を過ごしてきても、親がこういう風にみていたことや、
当時は幼くて気づけなかったことを、今聞くとなるほどなと思うこともあります。

何気なすぎる会話だったし、書き留める必要もないのかもしれないけど、
こういうのこそ、写真と同じように、書いておくと後で見返すと、
私たちが生きてきた記録になる。

たとえばこういうくだらないものもw
まあ後から見るといとおしいものとなる。

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なので、今回新しく「先祖や家族のこと」というカテゴリを作ってみた。
そもそもこのブログは、自分が書きたいことを書きたいように書くためのものとして設定したので、そういうことを丁寧に残しておくことが
自分の安全地帯を作るってことになるのかなと思っている。

 

宮島・広島の旅回顧~広島 2019.0908

さて、夏の振り返りにもなりつつある、旅行記も最後(のはず)。
呉から移動して広島に戻りました。(7月28日の回顧録です)

今回の宿は、駅から徒歩10分ほどのホテル。
6人だととれるところが少なくて、
エクスペディアでかろうじてひとつあったので、とってみました。
洋和室でベッド2つに和室なのですが、
おそらくつくり的には4~5人部屋なので、かなりぎちぎちです。

エクスペディアは、なぜか子供を~17歳で設定してあるので、
息子が子供扱いされている模様。
料金はしっかり大人分なのにね。
まあ、おかげさまで、6人が一つの部屋に泊まることができ、ありがたいです。
宮島なんかは和室でゆっくりという温泉宿風なしつらえが普通ですが、
街中のホテルはそうはいきませんから。
家族旅なので、ぎゅうぎゅうなのも楽しいものです。

晩御飯は、お好み焼き屋さんへ。
島風お好み焼きが得意ではない夫が不満そうですが、
お好み焼きじゃないのもあるよ、きっと!」とねじ伏せ、
お好み焼きチョイス一本( ´艸`)

「だって、広島に来たんですよ?
このシーズンカキはないんですよ?
あなごは宮島でたーんと食べてきたんですよ?
今日広島で、広島風お好み焼きを食べずして何を食べるっていうんですか?」

以上、心の声( ´艸`)

案の定、鉄板居酒屋みたいな感じで、お好み焼き以外にもいろんなメニューがありまして。
締めにお好み焼きを持ってきて、その前にエリンギ炒めとか、チーズタッカルビとか、ほぼ娘の好みで決めていきます。そしてガンガン食べるふくふくペア。さすがです。
義母の隣に座った娘の彼は、ほぼ義母からのパスを受けておいしそうに食べ進めます。偉いわ。若いわ。
しかも毎回「ありがとうございます」っていうのよね、この子。
偉いわ。

従業員の女の子に愛想がなくて、私と娘は若干イラっとしていたものの、
気にしないようにして、梅酒を飲んでおりました。

今日のご飯セレクトは、「近場」「お好み焼き」「お好み焼き以外にもみんなが満足できるおかずがある」という限定なので、多少のことには目をつむらないといけません。

「家族みんなが楽しくご飯を食べれること」が目的なので、目的遂行のために頑張ります。

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広島のまち。左奥が広島駅。

さっくりご飯を食べて、ホテルの部屋に戻ります。
若者たちは、コンビニでアイス買ってた。若いな~。

早いもので、もう2日目の夜です。
娘がお風呂に入っている間に、彼と少し話をしました。

彼と娘はもう6年のお付き合い。
娘が高校を卒業して数か月後に、彼のところに転がり込んで6年目。

結婚の話も出てはいるものの、そこはこちらから聞くと問い詰めることになりそうなので、あえて聞かず、「あなた自身の仕事については、今どうなん?」ときいてみました。どんなことをしているかを少し細かく聞いてみます。
彼も務めて1年半ほど。入る前はいいところだと聞いていたけど、落ち着くのかどうなのか。
「ひたすらつらいです」と真面目に答える彼。
緻密さが求められる仕事なので、緊張が続くことと、3交代制で回る仕事なので、体調管理が難しいことがあるよう。
彼としては、娘を呼んでしまった以上責任があると感じていて、だから娘が今の仕事に満足してやりがいを持って取り組めていることはとてもうれしくほっとしているのだそう。
対して自分は、「25にもなって、やりたいことがみつからない」といいます。

やりたいことが見つかるのは、人によってさまざまだし、そもそもやりたいことが仕事に限定されるかなんてもはっきりしないわけで、
そこに負い目を感じることはないんですよね。

本人曰く、今の仕事の前の仕事が一番性にあっていたのだけど、とのこと。
会社がブラックで、戦っちゃって、やめたんですよね。
やりたいことややってて楽しいことを続けるには、環境も大きな要素です。
仕事選びってホントに難しい。
それは私も何度も苦渋をなめてきたので、わかるつもり。

彼曰く、娘は今仕事が楽しいし、大変だけど認められてもいて、重要なポストも新入なのに任されている。それを尊重したい。将来転勤があったら、それに合わせていこうと思っている。なんて殊勝なことも言います。

ありがたいけど、自分の好きなことをやったらいいよ、と言いました。
彼も我慢しているつもりはないのでしょうが、優先順位が娘が一番なんですよね。
それはほんとにありがたいのだけど、「それでも自分の好きをできるだけ仕事の中にみつけるようにしたがいいよ~」と。

お父さんの話をしてくれました。
彼のお父さんも転職して前職全く違う道を今歩んでいるそうで、
充実しているそうです。
そんな姿をみているせいか、そういう可能性はきっとあるとは感じているみたい。

長い目でみつつ、自分の人生をクリエイトできる。それにこしたことはないですね。

その後テレビで初めてまともにみた「あなたの番です」。にみな夢中。
誰もあ真理詳しくない中で、知ってる範囲で情報を共有しながらみておりました。よくわからな過ぎて謎すぎて面白い。
この手のドラマは、「こうじゃない?」「あれがあやしい」とか言いながら見るのが楽しいよね。
そういうことができるのは家族のありがたいところかもしれません。

そんなこんなで、夜更かしになりながら、明日のことを考えて12時目指して就寝。

翌朝は、バイキングの朝食。
娘の彼Tくんが「朝ごはん大好きなんです。ホテルや旅館に泊まった時の朝ごはんが大好き」と嬉しそうにご飯をお替りする姿がかわいい。
息子が「負けた。」という(笑)

さて、意外と時間がない。
新幹線は12時前。駅のコインロッカーに荷物を入れ、
タクシーで、広島城に向かいます。

あまり調べてなかったのもなんだけど、広島城はエレベーターがない。
なので、夫と義母は日陰で休憩。私たちはうえまで上がってみる。

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普段、あまり興味を示さない息子が、「これ着てみたい」と鎧をつけだす。手伝うTくん。

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偉そうな人。

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下からの図。

広島城は、木造の控えめな感じのお城でした。もっとでーんとした白っぽいやつかと思ってた。
実際は、原爆で焼けて、復元されたものですが。
浅野氏入場400年記念だそうです。

城は好きです。
なんでだろう。親によく連れまわされたからなのかわからないけど、
外から見るのも好きだし中を見るのも好き。

時間がないので、今回はさらりとでしたが。

降りて、お茶屋さんで飲み物を。とにかく暑くてなんか飲まないとばてそう。
とはいえ、冷たすぎるのもおなかに厳しいので、クーラーのきいたところでお抹茶をいただきました。もみじ饅頭がおともです。

さて、これからどうしたものかと思っていたら、目の前に大型タクシーが。
これだと全員乗れます。
広島駅に向かってもらうのに、「原爆ドームって途中見えますか?」と聞いてみる。
「ちょっと逆だけど、回ってみますか?」と言われ、お願いしました。せっかくだしね。タクシーの中から見るだけでも。
運転手さんは、さすが慣れていらっしゃるのか、いろんなことを教えてくれます。
原爆ドームがあるところの手前にT字路があるのですが、爆撃機はそこを目印に原爆を投下したそう。

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当時でも、かなり誤差がなく爆撃されていることがわかるエピソード。

平和公園が見えるようにぐるっと回っていただきました。
弥山の消えずの火がともる平和の灯のところがあそこらへんというのも教えてもらいながら、
そしていつもテレビで見る、式典のあるあのアーチ状の献花台のところも見えました。
息子たちも反応。

原爆ドームも、公園も、リアルで見ると、やっぱり感じるものが違います。
なんでしょうね。空気なのかな。

写真はどうしても切り取りだから?

運転手さんが言います。この辺は爆心だから亡くなった方々は一瞬でなくなっている。
水を求めて川に降りたという話は、この川じゃなくて、駅前の大きな川の方。

そう、私たちが泊まったホテルの前の大きな川がその川なのだそう。
なんだか気になっていたけど、ああそうかという感じでした。

原爆がこの上で破裂したという病院のところを通り、駅に向かいます。
広島の駅は、町と離れたところに存在していて、珍しいのだそう。
何か理由があるのでしょうね。

普通は駅があれば周りが発展していくのに。そういえば、駅の裏手なんかも山ですしね。

そんな話を聞きながら、駅に着きました。
娘たちの新幹線の時間が結構近づいています。

お土産をバタバタとかって、別れを惜しむ時間もなく、彼らは行ってしまいました。
寂しい。。。。

私たちはまだ30分ほど時間があるので、もみじ饅頭をたくさん買って(笑)

「乗ったよ~」「発車遅れてる」等々娘からのメッセージに応答しながら、彼らは東へへ、われらは西へ。

広島ー博多は、1時間ちょっとなので、ほんとに近いのです。

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「又そんなものかって!」と息子に言われる私。
いいじゃんよ。買いたかったんだから。行きましたっていうお土産ってほしくなるんです。宮島の大鳥居希望だったんですが、お好み焼きでした。


博多で義母と別れ、義母は長崎までまたちょっとの旅。
私たちはタクシーで帰宅。その時点で、娘たちはやっと大阪くらい。新大阪まで新幹線で、それから仙台まで飛行機。車を仙台空港に停めているのでそこから帰宅。
の予定が、「飛行機ついたよ」の後が「最悪の事態が。。。車の鍵が送った荷物の中」!

最後の最後で、しくった人たち。
結局、電車とバスを乗り継いで帰ったようで、
数日後の休みに、娘がバスに乗って車を迎えに行ったのでした。

最後にオチがあるところが、彼ららしい。

そんなこんなで、旅は終わりました。
充実してました。
行くと決めて計画立てていく。これ重要。
じゃないと、なかなか行けない。

さて、この旅が終わってまだ1か月半もたっていませんが、
いろいろ動きがありました。

娘たちは、その後入籍を決め、お盆にFACETIMEで正式にご報告がありました。
入籍は31日。その間にサプライズのプロポーズやら、指輪プレゼントやらあったそうです。

うちはお盆に仏壇を買いました。

そして、新しい仕事が決まり、8月末からちょこちょこ行くようになりました。
基本フリーランスは変わらず、お試しでいくつかの事業を担当させてもらえることに。
街なかの森を保全する支援をするお仕事です。
私がキーワードとして持っていた「自然」と、
私らしいエッセンスの一つである「npo」的お仕事。
面白いもんだなぁと思ってみています。

なつはまだまだ続きますが、私的には、8月いっぱいで締まったなという感じがしています。
動きはまだまだいろいろ続くんでしょうけどね。

宮島・広島の旅回顧記はこれにておしまいです。
読んでくださった方、ありがとうございます。

宮島・広島の旅回顧~呉へ 大和ミュージアムとてつのくじら 2019.09.08

タイトルとは全く関係ないのですが、最近たくさん夢を見ます。
ここ最近までは、親類たちがたくさん出てくる夢でしたが、
今日は、仕事上の関係者たちが出てくる話。

夢の中で私はプロジェクトをやっているのですが、
一緒にやっている方から会話もまともにしてもらえず、ある指示を出されます。
まだ時間があるから、島の向こう側をぐるっと回ってくることみたいな。
結構過酷なんです。

途中で、「これやってると、絶対本番の時間に間に合わない」と思うのですが、
本番の会場までの道筋が教えてもらえない。
連絡を取ろうにもスマホも荷物も置いてから行くように言われていたので、できず。
途中で、知り合いの方のところで休ませていただき、
私が恐らくそうだろうと思っていることを伝えると、
その知り合いの方は状況を理解されていたらしく、
うむうむときいてくださいました。

そこで私は、自分の思っていたことが当たっていたことを知ります。
要は、外されていたわけです。戦力外通告を言葉でなく事実上の更迭事実で。
私だけではなく、数名同じような感じで。
そこからは、夢の中なのに感情が湧き出て、もろもろ暴言吐きまくっておりました。
で、訴えるための動きに出ようとしました。失ったものは元には戻りません。
気持ちはお金で賠償してもらうしかない。。。。

その夢の中で思ったのは、「聞いてくれる人がいてよかった」でした。
思うことを聞いてもらい、聞いてもらえる安心感があるから、
吐き出すことに罪悪感を感じずに素直に吐き出せる。これって重要だなと。

====

似たような現実は、この1年間私の身にもあっていて。
ああ、私はこの怒りや悲しみを消化できていないんだなと、
改めて実感したところです。
現実的に賠償金を請求しようとは思いませんし(そんな話でもない)、でも
話はかみ合わないし。聞いても返事してもらえないんですよね。
それって自尊心をばっさりやられてしまうので、私も聞かなくなってしまう。
なんというか、スタンスの違いや動き方の違いがある人と行動するのって
とても難しいよねというお話。

私は人間関係においては立場の違いはあっても、
できるだけ平等に付き合いたいと思ってるので、
直接言ってくれたほうがその時はショックを受けても、
次に向かうステップが踏めるのでいいとおもうのですが、
自分からは絶対言わずに仕向けるタイプの人がいて。
なんだかそれって私から見ると卑怯に見えてしまう。
それでいて、あとで「そんなことはしたくなかった」みたいなのって、
昔の任侠の世界じゃあるまいし、ですよ。

まあ、でもそういう世界が好きで生きている人がいるから、
それはそういう人同士でやってもらえればいいかなと思うわけで。

性格的にビジネスライクができなかったのですが、
自分が思い描くことをするためには、
ビジネスライクも必要なのだろうなと思います。

私はうそをつくのが嫌いです。
だからビジネスライクって、自分の心にうそをついているようで、
ずっと避けてきたんだけど、そういうこともしないといけないのかなぁ。
と、50過ぎてやっとこんなことを言ってる私。

20代からビジネスライクに割り切っていることができたならば、
私の人生は今のようではなかったはずだから、、
どっちが生きやすいのかは、おそらくビジネスライクなのだろうけれど、
そこに納得できるかどうかが問題です。

辻仁成さんのツイッターにあったもの。

ほんとそう思う。いちいち反応しないことが原則なんだけど、自分の意に反したり、
むかついた場合は、ちゃんとその日のうちに気持ちを処理しないとな。
相手は関係なく、自分の中で自分の気持ちの処理をすることって大事だ。

人間関係って、実はいいとか悪いとかの話ではない場合が多い気がする。
あの人にああされた、こうされたと思いがちだし、
実際そういうことは多くあるのだけど、自分主体でものをみてしまうわけだから、
完全に客観的に状態を見ることって、
実は人間はできないのではないかと思う。
そんなこと言ってるとらちがあかないから、法律があるのだけど。

そこまでいかない人間関係でいけば、どんな見方をしたとしても、
いわゆる合致点というのはすごく希少で、だからこそ人は、
言葉でコミュニケーションしないとその合致を確認できないのだよね。
で、言葉でコミュニケーションの前に、
お互いが自分主体でものを見ているという前提をもっていること、
相手が見ているものは自分が見ているものとは違うのだとしっかり把握していることは、とても大事なことだと思うわけで。

私もなかなかそれができなかったのだけど、12月に沖縄に行き、
いろいろあってその後から何度となく考えていることだった。
私にしては、ずいぶんとこの辺の見え方が変わってきたように思う。

前置きが長くて、もうここでこの投稿終えてもいいんじゃないかと思うけど、
愚痴で終わるのは嫌なので、宮島・広島の旅回顧、呉編に。
今回から、宮島は離れるので「宮島・広島の旅回顧」にタイトル変えました。

~~~~~~
(この旅行記は、7月28日のものです)

朝からお参りコンプリートし、気持ちよくホテルに戻り朝ごはんを食べ、
準備をして、ホテルを出ます。
ホテルから船着き場までホテルの車で送っていただいたのですが、
車はずっと裏道を通ってくれて、宮島の人々の暮らしぶりが垣間見れた気がしました。
京都ともちょっと違うけど、昔の街道沿いの道のような。
今度来ることがあればこの辺もそぞろ歩きしてみたいなぁという感じ。

船で宮島口まで戻り、JRの駅までまた地下に降りて上がって、歩いて、
JRの駅からは、まず山陽線で広島まで戻ります。約30分。
駅のコインロッカーに荷物を預け、身軽になって、呉線で呉まで。これも約30分。

呉は軍港の町というイメージしかなく、
軍港の町といえば自分の生まれ故郷の佐世保
先日話題になった「この世界の片隅に」の舞台でもあるので、場所的なイメージはありますが、具体的に何があるのかはあまり調べておらず(宮島の方に注力していたので💦)

まあ、下調べしないものもあっていいのかなと思っていたし、
呉に行きたいプランは夫が出していたので、お任せです。

海岸沿いを走る呉線。海がきれい。
かと思うとかなり古びた工場が立ち並ぶ地帯もあり。

呉につくと、まず観光案内所に。そこで地図とおすすめを聞きました。
お昼時なので、まずは海軍カレーを所望。
知らない人のために書いておくと、海軍カレーとは、海軍や自衛隊の艦艇、潜水艦では曜日感覚がなくなるため、金曜日にはカレーと決めているそうで、カレーはみんな大好きなので、作るコックさんたちも力が入るそう。
船ごとにレシピがあるそうです。
(私が見たテレビでは、コックさんごとに味が違うと言っていたような。その船のコックさんということだったのかな)
「ハイカラ食堂」をお勧めされ、行ってみましたが、
団体客も多いのか、片付けに人が足りてない感じで、まったく時間が読めず。

なので下の休憩所で海軍風カレーをいただきました。まあ、カレーはどこで食べてもそんなに違わないよね、、って思う(^^;

呉のカレーは、潜水艦ごとにレシピが違うようで、
イカラ食堂さんでは、「そうりゅう」のカレーが味わえるそう。
セットにはクジラかつとかポテサラがついていたみたいだけど、待ってる時点で完売していました。

さて、気を取り直して大和ミュージアムへ。
呉といえばここでしょうか。正式名称は呉市海事歴史科学館というらしい。

戦艦大和はここで作られたそう。
日本一の海軍工廠のまち。
海軍工廠(かいぐんこうしょう)とは、艦船、航空機、各種兵器、弾薬などを開発・製造する海軍直営の軍需工場(工廠)のことである。

私の二人の祖父は、どちらも佐世保海軍工廠出である。
私が当時聞かされていたのは、海軍工廠には、優れた人しか入れないので、
海軍工廠出というとそれだけで、素晴らしい、認められた人だということだった。
父と母が結婚した際、もう母の父(祖父)は亡くなっていたのだけど、
海軍工廠出」ということで認められたという話を聞いた。当時は親がいないというのは、結婚するにものすごくハンデだったそうで、祖父のことを知っている人が親類にいて、どうにかとりなしてもらえたそうだった。そういう時代だったんだよね。

先日母に聞いたところ、海軍工廠には勤め先からの出向的な感じで派遣されていたそうだ。なるほど。二人の祖父はかたや造船会社、かたや米軍のShip repairに勤めていた。

呉に話を戻すと、戦後は最大級のタンカーを造船するまちに。
長崎でも佐世保でも見たことのない大きい(長い)タンカーが!

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現在大和ミュージアムでは、2020年1月26日まで、「海底に眠る軍艦」という企画展があっている。
戦艦が多く海に沈んでいるのは、多くの人が知っている事実だが、引き上げられたものはとても少ないそうだ。
お金もかかるし、何より深いところに沈んだものを引き上げること自体、難しいのだろう。
近年潜水調査の進展により、日本海軍艦艇について、新たな発見がされているという。
平成27年には民間調査により「戦艦武蔵」が発見され、
平成28年には呉市戦艦大和の潜水調査を実施(えらい!)、大和と第二艦隊駆逐艦「礒風」が発見されたという。

企画展では、太平洋戦争の経過がパネル展示され、撮影された海の中の戦艦の様子や引き上げられたものをみていきました。

戦争の様子を紹介するパネルからは、
日本が良かったのは最初だけで、どんどん悪くなっていくのがわかります。
わかっていても、
誰もどうすることもできなかったんだろうな、、。

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1/10サイズらしい。

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私の世代は、大和といえば「宇宙戦艦ヤマト」。息子もどっちかというと宇宙戦艦の方は知っている。「波動砲は?」とか言っている。波動砲は、本家にはありません。

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近くで見るご一同様。
この10倍と言われても、いまいちピンときませんね。

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このジオラマには大きさがわかるように、人がちょこちょこいるのですが、見えるかな?

この後、常設展も見ました。
人間魚雷「回天」の展示もあり、回天に乗った方の遺書(と肉声テープ)が流されていて、ちょっと直視できませんでした。

詳細はこちらにあります。↓
22歳の海軍大将 塚本太郎氏のものだそう。たまらない思いです。

sakamaki-yuri.jugem.jp


この人間魚雷、上からの指示で作られたのではなく、現場の兵隊さんの要望だったとか。
戦地で戦っていれば、自分たちが不利なことは重々承知なのでしょう。
人間魚雷ということまでやらなければ、逆転できない。
そう思い上に願い出ていたのですが、さすがの上もずっと却下していたものの、4度目くらいで、OKを出してしまったそう。

あの状況下で何が正しいのかを判断するのは、誰にしても難しかったのでしょうが、
せめて決定権のある人は希望的観測ではない判断をしてほしかった。

でもこういうのは、その時代にいないから言えるのかもしれません。

さて次は、大和ミュージアムのお向かいにある「てつのくじら」館へ。海上自衛隊呉資料館が正式名称。
これ本物の潜水艦です。でかい。

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潜水艦の中に入ってみました。
外から見るととてつもなくでかいのですが、中は非常に狭く、寝床も昔の寝台列車のような三段式で、それも座れるようなスペースはギリあるかどうか。
娘の彼が「わ~、精神的に耐えられそうにない」。その通りだと思う。

結構見るのに疲れてしまったので、カフェで一休み。
映えるドリンクなのですが、うまく撮れませんでした。右はみっくすじゅーちゅ。
なにがミックスされてるのかよくわからなかったけど、一息付けました。

左はなんだっけ?

「呉くん」のクッキーが載ってます。

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あっという間に夕方になってきたので、広島に移動します。

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呉の町。こうしてみるとやっぱり佐世保に似ている気がします。

今度は40分くらいかけて広島駅へ。
荷物を取って、歩いてホテルに向かいました。

今回はここまで。
次回できっとラストです。きっと。

宮島の旅回顧~夜の厳島・朝の厳島 2019.9.02

宮島だけで何本書いてるんだ、ブログ!笑

趣味ですので、ご興味のある方だけ、お目に留めてくださいね^^

さて、今日はどこまで進むかな。
(本記事は、2019.7.27日の記録です)
===
帰りのロープウエイにも乗れて、夕暮れの空や海を見つつ平地に戻ってきました。

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降りていくとちょっと高台の公園に、鹿たちがたむろしている!(この写真にはうつってません)
公園に、私たち4人よりも鹿の方が多い状態。ここが寝床なのかもしれません。
鹿が普通にいる島です。毎回驚く。

さてホテルに戻ると、入り口に足湯ならぬ、足水があったので、娘と浸かります。男子チームはさっさと行ってしまいましたが、楽しめるものは楽しみたい我々。

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大きなお風呂に入って、ご飯を食べて、さてどうしようかというと娘が「夜の厳島神社に行きたい!」といいます。
夜にあの神社の舞台のようなところにいってみたいと。
調べてみると、夜はさすがにあいていない(危ないからかも)

なんでも、満潮の状態がみてみたいそうなんです。
昼は、潮が引いていたしね。
それで、大願寺や清盛神社の近くの州の方にいってみるかと、子どもらとでかけてみました。

ライトアップされた大鳥居も美しい。

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満潮は朝かな。それでも随分水が満ちてきています。

動画が上がらないのが残念。

空を見上げると、星がいっぱい。ライトアップされていることもあって、まっくらではないものの、空が広くて星もたくさん見えます。
こんな時間がとても贅沢な気がする。
どこに行くかも重要だけど、誰と行くかもまたとても重要。
心が随分と満たされた気がしました。

体調はすこぶる良いので、早寝して翌朝から厳島神社に行くことにしました。
翌日は、もう昼前にはここを発つのです。
調べてみると厳島神社は6時から開いているそう。
それで、朝6時に起きて、6時半に出ることにしました。
娘も行くといいます。

朝が起きれない私が、


、、、でもできそうな気がします。

運を天に任せて寝ることに。
まだ祈りの半分もコンプリート出来ていません。

起きれた!さっと用意をして軽く化粧もしwでかけます。

いよいよ、本陣に!

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厳島神社での順番の一番最初は、五人囃子様たち。
客(まろうど)神社です。

ご祭神の三女神を三人官女とみれば、こちらは五人囃子。
三人官女ばかりを祀らずに、誓約によって生み出された神々をまんべんなく祀るのが、厳島神社の本願だといいます。書いてある文字から見るに、こちらでは「日本書紀」の記述に即しているようです。
※アマテラスとスサノオの誓約とはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%81%AE%E8%AA%93%E7%B4%84
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まずは、この5人の神様たちに、「人の縁がらみの悩み」を聞いていただきました。
私の中には大きく2つほど悩みがあり、ある悩みとない悩み、どっちも聞いていただきました。

それから、桟橋に向かって鳥居を見ます。

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そして鳥居に背を向け、鳥居の真ん中、海の方から本殿に向かい入場したようにイメージします。
そこからが、正式な参拝ルートだそう。
鳥居を入ってきたようにイメージして入場します。

こんな感じに見えます。↓

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前回撮ったので今回は撮りませんでしたが、
この写真の右左には随身様がいらっしゃいますので、この二つにもご挨拶。
宗像の三女神にたずねたきことがありますので、お繋ぎくださいと願いました

 




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楽殿

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さて本殿に入ります。

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今後の行く先の祓い清め、
人間関係、仕事関係がどのようになれば自分の魂は豊かになれるのか教えてくださいと祈りました。
私はこういうことを思っていて、こういうことをやっている。
私自身はこう願っている。
私の魂が豊かに実っていくよう、
私自身が自分を認め、信じ、私の魂からの発露をしっかりとつかみ進んでいけますようにともお願いしました。

いつものおまいりと結局おなじことではあります。

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ここでは買い物をしました。
おうちに置くお札と、神衣で作ったお守り。母と弟にお土産です。弟には前回も買っていきました。前回も2つ買ってもうひとつはSさんに。「私の大好きな神様」っていって、その白いお守りをぎゅっと胸に抱かれていたのを今も覚えています。

次は大国主命様のところ。
大黒様なので、あらゆる地ならしを祈願しました。

私が活躍できる土壌をつくるための地ならし、
私自身の固定観念や弱い心をつぶすための小づちを振れるようにとお願いします。
ココも前撮ったので、写真なし。

じっくり拝んでいると、息子が遠くから「またやってる」って感じで見てます。
そのために来たんだからいいんだってば。

さて天神様。
道真さまのところは、氏神様にもあるので、毎回お願いしているような気がしますが、ここでもおまいり。
息子にはやっと「ほらほら、受験と勉強のお願いは?」とお参りを催促できますw

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と言いながら、結構ちゃんと祈ります。
私は教育の仕事をしているので、毎回思うことは子どもたちや私が対象とする人たちにとって善きことをということ。

人に善きことを教える人としての心構えはできているつもりだけど、
その形や場を創っていきたいが、なかなか私の良さを活かして発揮できる場がないのが悩みです。
善きように取り計らっていただけるよう、お願いしました。

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ここは能楽堂でしょうか。こちらには入れません。

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勅使が通ったとされる橋。すごく反ってるので、先ず普通に通ることは難しいと思う。

こちらで、厳島神社部分は終了。

次はお隣の仏閣部分、大願寺で納めです。もう一息!

宜しくお願いします!

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まずお地蔵様を、ということで探し回りましたが、水子地蔵さましかみあたらず。

もちろん水子地蔵様にもご挨拶。

きっとここかなと観音様のところに。
観音様の下にお地蔵様もいらっしゃいます。

「先ほど厳島神社で、五人囃子様、三人官女様に申し上げたことを、
弁天様にも聞いていただきたいので、お通しください」とお願いします。

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弁天様には、「人をして、物をして、弁財天女さまのお知恵、くださりますように」と声に出してお願いしてきました。

大願寺は、早朝入ることはできるものの、まだ扉が閉まったところも多く、
弁財天さま、弘法大師さま等々のところも閉じてありました。
なので、写真を撮るのもなと思い、この物珍しい部分の写真を撮りました。

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誰も使っていない、朝一番の特権、まっさらな香炉。初めてみました。
ろうそく立ても出てないので、自分が使うこともできませんでしたが。祈りだけはしっかりと。

最後は龍神さまのところです。
ここ大好き。
水の流れるとこは、親和性を感じます。
私は水系、龍系なんだなーと思います。
はは、なんだかポケモンみたいですね。

厳島神社と私自身とのご縁をつないでください。深く速くつないでくださいとお願いしました。

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左だけに垂れる感じのしめ縄が独特。右は裏から見るとこんな感じって写真。

大きな不動明王さまもいらっしゃるのですが、まだ扉が閉まっていましたので、外からご挨拶。
私の弱い心を焼き尽くしてくださいとお願い。

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さて、これで、お参り終了です!おまいりコンプリートできました!
1時間ほどかかりました。

連れが居るのに、この時間で回れて、満足。

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夜と同じところで撮影。

義母と夫も後からのんびり来たようです。

ご一同様。

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全員写真は、自撮りが上手な彼にお願いしました。
得意でもないのだろうけど、リーチが長いといいねぇ。うらやま。

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さて、宮島部分はこれで終了です。

これから、この日は呉に向かいました。

宮島の旅回顧~弥山 2019.9.01

あれ?もう前の投稿から4日も経っていますね。
あっという間に9月1日です。

昨日、娘が入籍いたしました。
仕事が終わってから彼と二人で役所の時間外でうけつけしてもらったようで、
その時に受付の方に撮ってもらった写真が届きました(が、「上げないでね」と言われたので親類関係のみに回覧)。
今どきのお役所は、それもサービスなんでしょうね。
写真撮りますか?と聞かれて、いやいいです~と言ったけど、
「撮った方がいいと思います!」と言われて撮ってもらったそう。
まあ記念になるし、いいと思います。
「あなた方を夫婦と認めます証」が出るわけでもないですしね笑

さて、私はというと、雨が続いて体調も不良でした。
眠くて眠くて仕方なくて、まったく効率があがらない。
夕方には落ち着いてくるのですが、そこからいろんなことをやってるとすぐ夜の1時2時になって、また朝起きれないというジレンマ。(朝は起きるのですが、その後眠くて眠くてたまらなくて)
なので、11時には寝ましょうと主治医の先生に言われました。
実は先日の検診では、数値が悪かったんですよね。
原因はよくわかってないんですが、考えられるのはやはり無呼吸による酸素不足な気がします。
いろいろ試してはいますが、まあ寝る時間を少しでも確保するのが一番だろうということで。

新しい仕事も始めたし、娘のこともあったり、何かと夜中までやり取りすることが多かったのですが、「11時にベッドに入る!」を目標に、頑張ろうと思います。
わ、もう10時!

急いで続きを書きます。

====
宮島1日目は、夫の熱中症でまた時間通りにはいかず。
動けなくなった夫はホテルに車で運んでもらい、クーラーの効いた部屋で休むことで落ち着きました。

で、我々もチェックインし、さてどうするかを考えます。
私には行きたいところがたくさんあるし、どうプランすべきか。
義母も少し疲れたようで、夫のことが気にもなるのでしょう。
「私はホテルで見てるから、行っておいで」と言われて、
では、と娘たちふくふくぺあと息子と4人で、弥山(みせん)にのぼることにしました。
時間はもうすぐ15時半というところ。
まだ大丈夫だろうと思っていたら、行きのロープウエイの最終は16時半とか。急いでロープウエイ乗り場に向かいますが、これが意外と遠い。
ホテルから公園を抜けて山を登っていきます。10分以上かかった気がする。知らない土地はきょろきょろしながらこっちかなどうかなと気にしながら行くので、時間がとてもかかってる気がします。

どうにか乗り場到着。
ロープウエイは紅葉谷駅からゴンドラみたいなのに乗って10分。結構勾配のある斜面を行きます。
下見るの結構怖いので写真はこの左の1枚だけw 

慣れてきた位に中間の駅に着き、それから今度はまた違うのにのって獅子岩駅まで。10分弱かな。

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展望台につき、一番高いところに上ります。
瀬戸内海が美しい。

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逆光でまぶしい人たち。

さて、この時点で16時35分。
一番上まで登ると、360度ビューの景色が素晴らしいそう。
でも、帰りの最終ロープウエイの時間は17時30分。
とりあえず、「弥山本堂」と「きえずの火」のところを目指します。
これからは、ホントに山登り。それもタイムトライアル。
30分でいき、20分弱で帰ってくるペースが求められます。

でも、まあ大丈夫な自信はありました。
病気の時以外は、私は意外と歩けたり走れたりするのです。
どっちかというと、足よりも息があがるのが問題なのかもですが、
まあどうにかついて行けました、若者たちに。

行きは、娘の彼が先導します。体力あるわ~。さすがさっさと上がっていきます。次に息子が続きます。
で、私と娘。娘は意外とすぐ弱音を吐く笑
私は、しっかりゆっくり確実にw

鶯が「ホーホケキョ」と美しい声を聞かせてくれます。練習中の子もいました(笑)
空気はさすがにすがすがしい。でも、暑い。汗だくです。
走ってるからです。
水が途中流れ出るところでは、つい触って遊びたくなってしまうんですが我慢。。。
娘にたしなめられます。まにあわんよ!って。はい。

1,2キロほどでしょうか。どうにか到着!
みんな自販機で飲み物買ってがぶがぶ飲んでます。水必要。
そしてまずは、霊火堂(きえずの火)のところへ。
この火は1200年燃え続けているそう。
広島の平和記念公園の「平和の灯火」で燃え続けている火はこちらから持って行ったものだそうです。
弘法大師さまが大聖院を開かれた時に焚かれてからずっと燃え続けているという火。
そこから火を頂いて、ろうそくをともし、お線香に火をつけて拝みました。
写真がないのでこちらで↓

奇跡の験 弥山の古刹 | 宮島ロープウェー


霊火堂のお向かいは、弥山本堂。
弘法大師様が開かれたそうで、本尊様は虚空蔵菩薩さま。脇に不動明王毘沙門天さま。いつもの感じでおまいりしていると、息子たちがせっついてきます。
でもね~、せっかく来たんだからさ、ここまでしかこれないんだからさ、、、。
この上にはもっといろんな祈りスポットがあるのになぁと後ろ髪をひかれながら、、、
娘が写真を撮ってくれたはずなんだけど、送ってこないなぁ。。。

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こんくらいは撮ろうと思って、降り口でぱちり。

さて、また弾丸で降ります。
今度は娘が早い!重力なのだろうか?笑

今度は息子が後ろを気にしながら待っててくれます。
時間を見ながらだけど、まあ大丈夫。

でも、今度はこちらの時間がない!もうすぐ11時~。
思い出しながら、調べながら書いてると時間がかかりますね。

ということで、今日はここまで。
また明日!

宮島の旅回顧~宮島1日目 2019.8.28

「経験したことのない大雨」というフレーズが、盛んにテレビから流れています。

昨夜は「明日は学校あります」と息子の高校からメールが来たのですが、
朝起きて、雨の降り方をみて「どうやってもこれはやばいだろう」と思い、
高校のHPを確認。
一応昨夜のうちにも見ていたのですが、
「朝6時の段階で、警報が出ていたら、自宅待機。
警報が解除されたら、速やかに登校」となっています。

台風でも大雨でも、福岡市内は意外と普通に動けます。(20年くらい前の豪雨では、ひざ下くらいまで浸かって歩いて会社に行った記憶ありますが、これが近々。)
テレビでも、佐賀あたりでは車が水に浸かってる映像がバンバン流れているのに、
福岡の街中では普通に通勤している人の姿と普通に動いている西鉄バス
西鉄バスと地下鉄、最強です。

福岡南部の被害が大きそうで、(このところ、雨の場合はいつも南部が大変。。。)
西鉄大牟田線は、南部が一部運休。

結局、警報の解除の兆しがなく、息子の学校は先生からお電話があり、休校となりました。
息子の学校は、県下中から登校してくるので、来れない子も多そうだし。
行けても帰れる保証がない。

明日から定期試験が始まるので、学校としても悩ましいところだと思います。

あ、先ほど洪水警報は解除され、注意報になったようです。

夫は、雨の中病院に。行かないと命にかかわりますからね。
災害の時に大変なのは、こういう、ライフライン以外のラインの保持も必要で。
先生方、医療スタッフの方々は頑張って出勤なさってるのでしょう。
ありがたいことです。
====

近況が長くなったところで、
宮島の旅回顧パート③、宮島上陸編を書きます。

宮島に上陸。
ホテルの方に波止場までお迎えに来ていただき、荷物だけ預け、私たちは参道を歩いていきます。
厳島神社までの参道は結構距離があるのですが、お土産物屋さんも充実していて楽しい。ゆっくりあちこち見ていきたいけど、暑さに弱い人たちがいるので、足早に。

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まだ元気なご一行。

鹿、鹿、鹿。でも、鹿の皆さんもこの暑さで涼を求めて、日陰にいらっしゃいます。

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お昼時だったので、先ずは名物のアナゴを頂きたい。
ホテルの方におすすめを聞いておいたので、探しながら参道を歩きます。
一番人気だろうというお店は、厳島神社の先にあり、かなり行列だろうということで、2番手と言われるお店に。席は離れましたが、1階のお席に座れました。
最初は2階席と言われたのですが、足が悪いので、、と交渉。まだ13時前だったので、交渉がうまくいったようです。(出る時には長蛇の列になっていました)

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私と息子はアナゴそば。その他4人はアナゴ飯。
アナゴ飯もそそるけど、量いけないだろうなと思い、おそばに。
アナゴもお蕎麦も美味しかった。

そもそも食の細い義母と夫はアナゴ飯。
完食できるはずもなく、息子にお鉢が回ってきます。
「来るとは思っていたけど、二人分は無理~」とふくふくした二人組にパス!
ふくふくペアは、そもそもしっかり自分たちのをたいらげ「おいしいおいしい!」を連発しながら、パスされたアナゴ飯も完食。さすがです。
若い!元気な胃袋!すばらしい!
息子は毎回回収係なので、「今回は、もうほんとに心強い!」と感激しています笑

私も宮島3回目にしてやっと本場のアナゴを頂くことができました。
前回は、ほんとに食べれなくて牡蠣もアナゴも食べきれず、うどんをちょっと食べたくらいだったような。あの頃からすると、今年はホントに体調が戻ってありがたい。

さて、腹ごしらえの後は、一路厳島神社を目指します。
この鳥居までくると、「いよいよ来た」という感じ。

右はふくふくペア。

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バテつつマイペースを保ち頑張る人たち。
大鳥居が見えると、カメラを向ける息子。

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改めて、大鳥居。
やっぱり見れてよかったなぁと思うのです。
鳥居自体は神様でもなんでもないのだけど、この堂々とした姿は、神々しい。
鳥居は、砂に埋まっているのではなく、浮いています。
両方の足の部分は、クスの自然樹。これらが海の中で立つのも大変だろうに。
自分の重みだけで立っているといいます。
中には錘、6本の柱で重みをうまく調整しているらしい。これが何百年もの昔に建てられているのですから、その技術たるや。厳島神社ではこの鳥居をはじめ、本殿各所でも平安時代に作られたというそのすご技が見れます。

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さて、写真ばかりが続いたので、祈りの旅計画の話を。

昨日の投稿では、巡禮記先達さんからの「内面編」と私が考えた祈りについて書きました。
さて、今度は「実践行動編」です。
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物事には事の起こり、運び、その原因や理由、顛末の受け止め方、消化の仕方等々それぞれに順番があるもので、それらが理路整然としていると、その流れがうまくいくといいます。

厳島神社でいえば、平清盛さまが発願となりたてられた神社。
平安の昔から今まで1400年、人のご縁を取り持ってきた順番が残っている場であり、それを伝えようとされているといいます。

ということで、清盛神社へのおまいりがまず一番初め。

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宮島に行ったことがある方はお分かりだと思いますが、
波止場から参道を歩き、厳島神社の入り口にたどり着くまでも結構あります。
そして清盛神社は、厳島神社を越え、その出口の先の州の先にあります。
(清盛神社へは厳島神社の外から周り行くことができます)

私自身は、せっかく来ているし、自分の祈りとして順番で回りたい。
ですが、家族旅。しかも、かなりへたばっている人たちと一緒です。
ううむ。

まあ、私は一人でもいいし、大勢なら大丈夫だろうと、
私は「清盛さまがここを作られた方だからそっちからお詣りしたいのよ」と彼らに伝え、別行動でいいか確認。
息子が気遣ってくれて、一緒に行くと言ってくれたので、2対4に分かれ、出口で会おうということになりました。

こういうところは、息子は優しい。

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「まだつかないの?」「遠っ!」と文句ばかりたれられながら(苦笑)、
とりあえず「おかーちゃんは、神様にお話ししてお詣りするから、長くなる。でもそれをあれこれ言わないでほしい。」と念押し。
氏神様に連れて行っても、「長すぎ」といつもぶーたれられます。
彼はおそらく人目を気にするんですよね。
宗教にかぶれているみたいに思われたくないみたいです。

私は、自分の人生なので、人目が気にならないわけでもないけれど、せっかく来て自分の言葉でそこに居る神様と対話したい。
神様がそこにどんな形で座ってらっしゃるかわからないけれど、そして声を聞きとれるわけでもないけれど、神様に願いを言葉にしてお話しすることで、自分との対話にもなる。そこで答えが出ることや気づくことも多いのです。

息子は「僕、言わないよ、そんなこと」と今日はしおらしく。
付き合ってくれるだけでもありがたいです。でも待たせてることを気にせずにいのろうとおもいました。
一応彼にも、清盛神社で何を祈るのか「自分がなにをがんばるかをいのったらいいらしいよ。そしてそれを頑張るから応援してくださいって、祈ってごらん」と伝えました。

おまいりの後、清盛神社をバックに写真を撮ってもらいました^^
そして、大鳥居を見つめる息子を撮る私。私が激写することもあまり好まない彼です。「僕を撮りよろ?」と言われましたが、「君と大鳥居」と答える私w

さて、厳島神社の出口付近に到着しましたが、もうおそらく彼らは出ているかそろそろ出てくるか位だと思われたので、その辺で待とうとしたのですが、とにかく暑い。
川で足をつけている人たちが居たので、川に入って待とう!と、息子と川に降りました。

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つめたーい!きもちいい~!
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自撮りどへたな私の練習中。(ホントはもっとある)
日陰を探して潜り込んでます。

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さて、娘に連絡すると、茶屋で休んでいるらしい。
既に夫がばてているという報告。かき氷で中から。冷やしているそう
彼は、持病で熱が体にこもりやすい症状があるので、「なら川に足をつけた方がいいかも」と、合流して、川大作戦を決行。

まず石段を降りるところから、息子が頑張ります。足をつけてしばらく。うーん、なかなか調子が戻りません。熱中症的症状のよう。冷やすしかないのですが、もうこの状態だとホテルに帰って冷房で冷やすしかない。

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今更ですが近景なので、お顔を隠しました。

 

私たちは、彼のこのような状況は慣れていて、むしろ先日までのお腹苦しいい〜、オエオエみたいな症状でなくてよかったねと、息子と話していたのでした。

 

とりあえず動けないので、ホテルにお願いして車でお迎えしていただき、無事部屋でお休み状態に。

意識もあるし、まあ大丈夫。


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いろいろやりながら、書いてたので、すっかり夜になってしまいました~

家事に入りますんで、この辺で。

次は弥山に登ります。

ホンっと長くてすみません。