ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

さくら🌸咲いた 2019.3.28

昨日、息子が受けた編入学試験の合格発表。
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無事、希望のコースに合格できました!よかったー!


この数日、夫の体調が酷く悪く、
うち中が落ち着かないのでした。
夜も騒がしく、
私も眠りが浅い毎日。
彼が一番つらいと思う。私も辛い。

夫が送っていくと言っていた合格発表も、
彼のあまりの不調さに、
「私と息子でバスで行くから寝てなさい」と言い、
大慌てで出かけたので、
眠気覚ましのコーヒーも飲めず、ひたすら眠かったwww

そんな中、
サクラサク
は、励みになりました。
眠くても疲れても、前向きに居られるのは素敵ですね。

なにより、息子本人がホッとしていましたし。

今日は、夫の調子も幾分かは良い時があり、
ホッとします。

今日は、氏神様にお礼参りに行き、
お礼と再度お願いを。

今日はゆっくり寝たい。あ、これもお願いすればよかったw

明日から、平常運転できますように。

明日は今日よりもっといい日。
おやすみなさい。





自分分析 2019.3.25

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たくさんの情報が寄り集まってきて、
ああ、今まで探していたのはこれとこれだった。多分あれとそれはつながっている。
そんな風に感じている。
そして手探りで、それらの実態を把握してどうつながっているのか、
自分とどうかかわっているのかを理解しようとしている。

でも、それらは頭の中で行うことなので、
自分の知らなかった自分が明らかになるという嬉しい興奮もあるのだけど、
それ以上に疲労する。
言葉が多すぎる、と感じてしまう。
特にSNSはいろんな人の投稿が滝のように流れてくるので、
必要そうなものもたくさん目にするのだけど、
それらがざっぱんざっぱんと来るのが辛い。

そういう状況にいると、結局自分を痛めつけることになるので、
私の中から不調のサインが出てくる。
特段何かしている意識は私にはないので、
「なんでかなぁ」と思うのだけど、身体は正直なので、
不安信号をいっぱい出してくる。そうなってやっと自覚するのだ。無理してる。

私のからだは超素直なのだ。正直すぎるくらい正直だ。

さすが、Highly Sensitive Person。

自分をこういう名称で決めつけるのは、どうかと思うこともあるけれど、
私はこの言葉を知り、とっても気が楽になっている。
まだ、その手の本を読みかけていて、途中ではあるのだけど、
定義されているものには、何かしらの対処が打てる、と思うからだ。
変に怖がらなくてもよい。
「正体がわかれば怖くない」と、いだてんの四三さんもいっていた。

とはいえ、まだその対処法にもたどりついてもいないのと、
それを自分の体になじませるのには、また時間がかかるだろう。

いろいろやらねばならないことも他にもあるけど、
ひとつ気になり出したら、とことん気になってしまうので、
(おそらくこれもHSPの、敏感さという気質により後から生じたい脆弱さ)
そういう時には、時間を置くとか、寝るとか、頭を使わない何かをするとかでやっていくしかない。

昨日は、ドラマ「二つの祖国」の後編を見た。
山崎豊子さん原作のドラマは、見ごたえがあるので好きなのだが、心が揺さぶられる。
大河ドラマよりもかなり短かったのでさらっと流れるシーンも多いのだけど、
やっぱりテーマがヘビーで、かつ人が亡くなる、特に自然死でないものは、かなり響く。
あれはドラマなんだよ。物語なんだよ、と自分に言い聞かせても、
私はかなり同化してしまうからだろう、苦しくなってしまう。

浸って楽しむ分にはいいのだけど、
その重い悲しい部分を心に持って潜ってしまうので、
それが本心とつながりすぎてしまう。

私の中に、どこか共鳴する寂しさや哀しさがあるのだと思う。
同調するのはその性だと思うけど、どこかでこのベクトルを真逆に転換させたい。
過去はもうないのだと、
同じようなことがあったにせよ、今後それはないと思いたい。

そのための対策は、今のところ毎日アファメイションするくらいしか思い浮かばない。
それと自分の身体の体感を思いっきり使うことくらい。

それから、自分を信じ、神や大いなる見えないものを信じること。

文字で書くと簡単だけど、これがまた。

が、頑張るけど頑張らないことやっていかねばなんだなぁ。

せめて楽しくやりたいものです。


とりあえず、モヤモヤながら、現状を文字にしてみた。
自己分析はもうしすぎるくらいしているので、そこをやっても仕方がない。
まあ、自分の位置とやるべきこをを確認する意味で。

さて具体的に何をやったらいいのかなぁ、と思いつつ、
今年は生まれ故郷に帰ってみようと思いました。
自分が思いつくことをやるしかない。
思いつくことって、自分や神様からの答えだと思うので。

叔父の施設の説明会があるので、一応それに出席する予定を組んでみました。
からだのことや家族の体調のことや、
不確定要素はたくさんありますが、
予定は決めなきゃ進まないので、まずは。

PS.後で思ったのだけど、敏感な私の癖に、私の本心はそれを許容しようとしない。
何かにこだわり過ぎたり、同化してしまいがちになるところに、警鐘を鳴らす。
思いっきりやりすぎると、体が持たないからなのか。
これは愛ゆえなのか?なんてことを思ったり。







神様からのお試し?

結局3日まいり。
最初からしようと思っていたわけじゃないけど、続けて行ってしまった。
続けておまいりに行くのは、久しぶり。
モヤモヤしている時には行くべきだなとは思った。
何を祈るというのもだけれど、まずは自分が身体を動かしてお参りに行くという動きを自分で作るというこの行動自体が、思いを形にする第一歩なのだと思う。

===

今日は、またもや矢が飛んできた。

Amazonで注文していた商品が、同じ番号で2つ届いた。
私はひとつしか注文していない。
全く同じものでもないようで、一つは大きめ、ひとつは小さい。
郵便やさんも同じ伝票番号なので、1つしか機械が読み込まないらしく、

会社に連絡して、受取先の私がいいならって、ことで2つ届けに来たらしい。

あけてしまうと、郵便屋さん的に戻しはできないというので、
「では私がアマゾンに連絡をします」と受け取ってはみたけど、
さてどうする。

Amazonを開いてみる。
念のため、自分の注文履歴をみてみる。
やっぱり一つしか注文していない。

カスタマーセンターに問い合わせをしてみるかと思うけど、
包みのカスタマーセンターには、郵便屋さんが電話したけど出なかったと言っていた。
ネット上ではカスタマーセンターらしきところが見つからず、
とりあえず買った商品のところから「商品の返品」をクリックしてみる。

この時点で、私はとてもめんどくさく思えて仕方がなくなってきた。
「私が欲しかったのは、一冊の本。その配達さえしてもらえればいいのに、
なんで私が返品なんかする時間と手間をかけなきゃいけないの?」という疑問と不満。

もう一つの包みをひらいてみる。
スマホのカバーだった。私のスマホとは全く違う大きさのもの。もちろん注文した覚えもないし、履歴もない。完璧な向こうのミスだろう。

「商品の返品」では、返品に関する指定がいっぱい書かれている。
以前商品を返品したことがあるので、集荷を依頼し、取りに来てもらい、返品するという流れはわかっている。
が、一つ一つが面倒だ。

「私のミスではないのに、、」やっぱり気持ちはもやもやする。

それで、先にお風呂に入ることにした。
湯船の中で、気持ちよい湯を浴びながら、改めて考えた。
なんに私はもやもやしているのか。

これは沖縄の時に私に飛んできた矢と同じ種別のものだ。
今回は、私の言葉に対してではないが、私が買った商品にくっついてきた、
とするならば同じ。
今回は直接的に責められはしていないが、
「商品を受け取ってしまい、返品をしないなんて」という自分の良心に責められるというパターンだ。

前回、私は私の「こうしたい」を救えなかった。
いろんな状態に屈することになり、帰ってきてまで随分とその思いを昇華できなかった。
「私はめんどくさいと思っている。」
「私は悪くないのに、なんで貧乏くじをひかなきゃならないの?」
「なんでみんな被害者の私に、返品しろとかいうの?」なんてことを思った。
最後の方は完全に被害者意識になってしまってる。
言い方はなんだけど、でも私にとっては、一番そこの気持ちが重要だった。
ミスったのはアマゾンさんで、私は単に受け取っただけ。
それ以上をするかしないかは、私が判断していいのではないか。

もしも、北商品が相当に高いもので、相手さんも困っているのであれば、
また違ったかもしれない。
まあでもそれであってもなくても、私はまず「ごめんなさい」と言ってほしかったのだと思う。

それで、生身の相手とちゃんと話をして、私の気持ちを伝えようと思い、
Amazonで、ヘルプ&カスタマーサービスを探し出し、チャットを申し込んだ。

チャットサービスは便利だ。
すぐに相手から連絡が来る。
私は「返品手続きがめんどうです。返品の必要はありますか?」とタイプした。
相手さんは商品を返品してほしいと言ってきた。
私はそこですぐに返事をすることができなかった。
しばらくタイプできず、ちょっとトイレに立った。
帰ってきたら、
その間に先方から、「こちらのミスで配送したので、
返品の手間や時間をおかけすることになると思いますので、返品は結構です。
商品は廃棄ください。」と返事があった。
「了解いたしました。」と返事をした。

私が間を置いたので、の処置なのかどうかはわからない。
が、問題は解決した。
Amazonのカスタマーサポートさんは優秀だ。
気持ちを汲んでくださって、ありがとうございます。

私は、今回は私を優先させて良かったと思っている。
自分の考えが社会的にいいかどうかは別だ。
私は、これまで社会的にどうかという判断で、
無理をしても自分の気持ちとは違っても世間に合わせてきた。
でも、それで私の体と心は悲鳴をあげてしまったので、
今回は、自分の思いに行動をあわせることを頑張ってみた。

大人げないことだろうと思う。
そのくらいやってあげればいいのにと思う気持ちもある。
商品には申し訳ないけど、廃棄させてもらった。

私の中の小さな私を納得させることを優先した。
これは私の中では改革だ!

試されてるなって気がする。
でも、同じわだちはもう踏まない。
沖縄で、もう終わりだ。
私は私を優先する。大事にする。

「私は私を信用したい。信じ切りたい。私は私と開き直って生きていきたい。安心して生きたい。ご縁をお繋ぎください」と神様にお願いした。
お試しというよりは、自分を信用するかどうかを自分で決める出来事だったということかもしれない。
「そうはお願いしてるけど、ほんとにそうするの?」って。

社会との誓約よりも自分との誓約。

人道的に間違っていることはしませんが。



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終わった~!

f:id:miww55:20190322171039j:image終わった~。
私じゃないけど。

息子の高校編入試験が、本日終わりました。
以下、本人の自己申告。

国語 普通に難しかった。漢字4問中2問しかわからんかった。
英語 かなり難しかった。みんな難しかったっていいよった。
数学 多分100点取れたかも。↼日本語間違ってるw
面接 多分大丈夫じゃね?

51人定員に84人。1.64倍。
まあ、そこそこ一般入試レベルかな。

送り出してから、母のところに行くと、
「今日よね」と。憶えていたようです。
心配しても仕方ないけど、気にしていてくれた様子。
なので、この一週間の彼の様子をいろいろ伝えて笑っておりました。

彼は、お弁当を半分残すくらい、かなり珍しく緊張していたようでした。
というか、おなかは正直で、いつものペースで1時間目終わったらおなかがすいてきたけど、食べるわけにもいかず。
その流れで3時間目まで受けたけど、お弁当の後は面接なので、緊張して入らなかったそう。これまでの受験ではそういうことなかったのに。
やっぱりプレッシャーは大きいみたい。


帰って来てから、ひとしきりわーっとしゃべった後、
「あ~、おなかすいた。お弁当半分しかはいらんかったけん。
今食べようかな。でも冷蔵庫に入れといていい?帰ってから食べる。
今から、ボール蹴りに行ってくる!」

同級生はみんな春休みに入ってて、息子の受験が終わるのを待っててくれたようです。
この半月、頑張って机にかじりついてたから、
いっぱい体を動かして発散してらっしゃいませ。

さて、私はお礼参りに行ってこようかな。

桜が咲くといいな~。

写真は、今日出会った桜🌸

昨日開花宣言したばかりなのに、この桜は満開に近く咲いていました。

行けるかな?笑
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つれづれなる春の日

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昨日は、大学の卒業式。毎年3月19日には学生を送り出します。
と言っても、私は何をすることもなく、
プロジェクトで関わった子たちを研究室で出迎え、
食べ飲みしながら数時間語ったり写真撮ったりするくらいですが。

昨年は、外に出歩けない状態だったので、ここにもこれず、送り出せもできず。
なので、今年はまた同じように送り出すことができ、
嬉しくありがたく思いました。

私が気合いを入れてやっていたプログラムの最後の子たちが卒業です。
昨日、その話にもなって。
2年前のことなのにみんなよく覚えているんですね。
そして私も、よく覚えているw

そういう仲間を作れたことが、きっと彼らの財産になると信じています。
もちろんプログラムの内容も。
こっちはちょっと不確からしいと、彼らから自己申告がありましたが><
きっと社会に出て、ああ、あれはこういうことだったんだと
理解する機会があるのでしょう。

夜の部も、場所を変えてあったのですが、
体調の心配もあって、欠席にしました。
結果的には、それが正解でした。
帰ってから、どっぷり疲れてる自分を自覚。
慣れない靴を履いたこともあったのかもしれません。

久々に「くたくただぁ」と感じて、でもいろいろ頭の中では思考が回るので、
お酒を飲んでクールダウン。
そういえば昼はお酒もあったけど、なぜかソフトドリンクで通したのでした。
あったかいの飲めばよかったのかも。

お酒を飲んでほわーんと自律神経のピリピリも和んだところで、
チョコが止まらない。
板チョコをバリバリ食べて、やっと落ち着き。

で、早く寝たのですが、今度は肩が痛くて起きてしまいます。
寝る前にシップも貼ってたのに。
仕方がないので、痛み止めを飲んで、ヤクルトを2本飲んで。
しばらくしたら痛みも落ち着いてきて、やっと寝れました。

今日、整骨院でその肩と腰を調整していただき、
ヨガであちこちを伸ばして、やっとからだが落ち着いてきました。
家で縮こまってると、やっぱりよくないみたい。

整骨院&ヨガの後は、息が深く吸えるのです。
毎日、ほぐしているつもりだけど、やっぱり自分じゃなかなかできないところ。
ポールで寝る時間作れば少しはましなのか?等々考えます。

整骨院のHさんが診療後、「実は私3月末で。。」と言われてびっくり。
全く違う仕事をしてみたいそうです。
それもいいかも、と思う私。
おそらく学校を出てそのまま入った場所でやってきて。
でも個人の小さな診療所では、視野がなかなか広がらないことも事実で。
若いうちはもっといろんな場を見て体験してもいいんじゃないかな。
ちいさいところだと、即戦力だし、休みも限定されるし。
Hさんのこれからを祈念します。

帰って、面接と学科3つの試験を控えた息子と、
面接の練習。

練習兼ねて、彼を掘っていきます。
「中学の時にクラブチームをやめて部活に入り直したのも、
高校になってサッカー部に体験入部したけど、なんか違うと思って陸上部を選んだのも、
今回、高校辞めて今度の新しい高校を選ぶのも、
あなたの、「楽しく、ある程度のんびりした雰囲気の中で生きることを大切にしたい」という思いとしては同じことだよね。」というと、本人びっくり。
「ああ、そうだよね!」と嬉しそうでした。

自分じゃ気づかないことでも、人から見るとそうだよねってこと、ありますよね。

そういうのに気づくのを見るのが好きです。
自分らしさに気づく瞬間、その横にいることができるしあわせ。

季節の移り変わり、人の区切りのタイミング、発見の瞬間。
そんな春らしい一日でした。

外は暖かいけど、春の嵐

今日はゆっくり寝られますように。

おやすみなさい。





メッセージ 2019.3.18

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不安定な季節です。
春はそもそもそういう季節らしいですね。

私はご多分に漏れずで、これがその春のせいなのか、
身体のせいなのか、精神的なものなのかよくわかりませんが、
それをはっきりさせるためにあまりにも時間を使いすぎ、
しかも結果わからないので、
原因探しをやめました。

HSPであると認識したら、随分とすっきりした感はあります。

おそらく、今の状態はどれも混合しているのでしょう。
敏感な私は、痛みも違和感も人一倍強い、、(人と比べることができないので、「人一倍」という言葉を使うけど、「=自分でコントロールできないくらいの感覚」を感じているということでしょうか。

ここ数日は、「言葉」が非常にきつく、
コップから水があふれる感じで、
気持ちよく面白く夢中で本を読んでいたのですが、
その手を止めてPCでSNSを見ていたら、もういっぱいいっぱいな感じで。

SNSは言葉の羅列ですから、その言葉にのった人々の恣意を感じちゃうのかもしれません。

そういうこともあって、
昨日はまたブログを書くのを止めたり。

自分の身体の状態に沿ってやればいいので、
毎日書くことを自分に課しているわけではないのですが、
毎日書くのがもうルーチンではあるので、少し気持ちが悪い部分もあります。

そういう状態なので、外にもあまり出ず、今日は数日ぶりに出た次第。

こういう状態は、自分の中でも気持ちが落ち着かないし、よくないものも引っ張ってくるので、断ち切りたいなと思っていて、
昨日の夜、お参りの時に、父の位牌が目に入ったので、
「パパ、私に力を貸して。私は、開き直って生きていきたい。」と祈りました。
すると、目の中?頭の中?に青白い小さな光がぴかっと差したように感じたんです。

父からの了解の合図だと思いました。
「パパ。ありがとう。」と言ってお参りを終えました。

そして夜、夢をみました。
海辺にいます。岩がごつごつしているところ。
水はきれいで中までよくみえます。
いっぱい白い蛇がいるんです。
動いてるのもいるし、岩と同化して化石みたいになってるのもいる。
うみへびなのかな。
色は3種。

実際の私は蛇は大の苦手です。
でも、気持ち悪くも怖くもなかった。夢の中では。

実は私の父は、白蛇さんにご縁があるのです。

夢から覚めてぼーっと考えていたのですが、
あれは、父からのメッセージだったのではないかと、ふと思いました。
ちゃんとそばにいるから大丈夫ということではないかと。

気になったので夢占いでもみてみたのですが、
悪い夢ではなさそうです。逆にいいことがいっぱい書いてありました。
夢で一番うれしかったのが、
蛇が出てきても気持ち悪くなかったこと。
これがとても不思議でした。

気持ち悪い夢は、後味が悪いですからね。

夢の続きでは、なぜかユーミンとセッションかなんかの打合せをすることになってw
ユーミンに話しかけてるんですけど、「ユーミン」といいかけて、「あ、ちゃんと“さん”をつけなきゃ、失礼だわ」と思い、「ユーミンさん」と話をしているの。

この夢は一体。。。

まあ、結局は自分の解釈なんですけど、
正しいのか正しくないのかは、誰にもわからないし、
信じるか信じないかは自由なので、
私は私の身に起こったこととして、信じることを選ぶわけです。

やっとそういう時期が来ました。
父は亡くなってからどうも遠くにいて、
なかなか近くに居る感じがなくて。
近くに来れない事情があるんだろうなと思っていました。

なので、今回意思表示みたいなメッセージを感じることができて、
嬉しいのです。

これも事実はわかりませんが。
自分がそう感じて、きもちがいいわけなので、
採用です^^

妄想かもしれないけど、それでご機嫌でいられるのならいいですよね。

やっと気分が切り替えられました。

そろそろ朝起きも頑張らなくては。
というそばから夜更かししていますが、
これは今日のうちに書いておきたかったので^^;

おやすみなさい。
明日は今日よりもっといい日。





ひと一倍敏感な子 2019.3.16

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昨日はブログを書くのをお休みしました。

このところここでも辛い辛いと書いておりましたが、
歯科矯正の調整後は食べれない痛いの他にも、
力が入っているためか肩や首のコリが酷くて体が疲れるようです。
朝は今は起きなくてもよいので昼前に起き、朝昼兼のご飯を食べ、
仕事や家事をしていたら夜にはもう体がダウン。痛みも増すという日々でした。

今日は、昼は本を集中して読むことができたので、
少しはいいみたいです。
昨日歯医者で口内炎のお薬を塗ってもらって、気分1/10くらい痛みが消えましたw

体が反応する時には、もう降参ですね。
私はおそらくHSCHighly Sensitive Child(=人一倍敏感な子)なのだと思います。
あ、大人なのでHSPかな。
これは病気ではなくそういう個性の性質なので、
受け入れるしかないのですが、辛いことも受け入れなきゃいけないのがまたきつい。
敏感力という能力でもあるので、使いこなせるといいのですが。


HSCとは。こちらにテスト項目があります。

hspjk.life.coocan.jp


私はほぼ当てはまります。
サプライズは喜ぶけど、基本気づきます(^^;ので、感動して泣くなんてことはありません。かわいくないんだなぁ。

HSCについての記事。わかりやすいのが前編、後編とあります。

ddnavi.com

ddnavi.com


 

HSC(P)の特徴に、

*DOES :D=深く考える O=過剰に刺激を受けやすい E=共感力が高く、感情の反応が強い S=ささいな刺激を察知する


とあるけど、丸当てはまりで笑いすら出ます。


5人に1人とも言われるHSC(P)ですが、ちっともわかってもらえないんですよね。世の中では。

明橋:もって生まれた特性ですので、我々のDNAの中に一定の割合で敏感な人が生まれるようにプログラムされているということだと思います。生き物としての長い歴史の中で、こうした「敏感さ」が、生存戦略として必要だからDNAとして残されたということでしょう。

 

と言われているくらいなので、もっと認知されてもいい気がします。

それも含めて、自分が自分をわかってあげられるといいなぁと思って書籍ぽち。

 

ひといちばい敏感な子

ひといちばい敏感な子

 

 丁度今日自分の性格について考えていたところでした。

障害や難病、介護等に共感し、理解したいと思ってしまう自分の性格。


寄り添いたいと思う自分の心自体は本心だと思うけど、
その奥底にはどこか、自分に対しての不安があるのかもしれません。
自分は、そういう状態になったら抱えきれないという不安感。
だから、いっぱいケースを知ること、その人になりきるくらいの臨場感を持って考えることができれば、どんなことでも乗り切れるのではないかと、
どこかで思っている自分が居るような気がします。

ただ、そういうシンパシーは、敏感な私には自分の身体でその痛みをより感じさせてしまうところがあって、人の痛みまで勝手に背負ってしまう。これも性格。

それは、自分でNOと意思表示しないといけないなと思うんです。
この修道女的?自分を痛めてしまう根本には、自己肯定感の低さがある。
自己肯定感は高めなくていいという方もいるけど、
低い人はやっぱり高めた方がいい。とにかく生きやすくするのが一番なので。
それは他人から与えてもらうものよりも、
自分が納得する自分を見つけ認めてあげるのが一番なのですよね。

私が感覚や五感に熱心になるのは、
ここが一番の自分を感じ信じる源泉となりうるからなのです。

書いたら少しすっきり。
私にもできることがある。というか、こういう私だからこそ、できることがあると思えてきた。
今の私の方向性で間違いないなと思う。
ただ私はどうやっても参謀タイプなので、誰かとセットで力が発揮できるタイプだと思うのです。誰と組むか、どんな人と一緒にチームを作るかって結構大きいんだな。
そのためには、私が意思表示をしないといけないというのもある。

写真は、4年前に息子が作った「キラキラした理想の中学生の自分」。
意味づけがすごく素敵だった。
今年も面接前にやればと言ったんだけど、今頭でっかちになってるみたいで、「試験後にね」って。
自分の言語化できていない部分が見えるからレゴシリアスプレイはいいのにね。
まだそこまではわかってないらしい。

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今日は、自分を認知出来て、安心しました。
少なくとも、こうしてあてはまるものがあり、そういう性質なのだと。個人のパーソナリティを否定されているのではないと思わせてもらえるものは、ありがたいことです。


>生き物としての長い歴史の中で、こうした「敏感さ」が、生存戦略として必要だからDNAとして残されたということでしょう。

ということは、必要だから生まれてきたということですよね。
そんなことすら、肯定できないくらいの思いをずっと抱いてきたので、、、
そうでない方には全く理解できないと思いますが、「ああもう逃げなくていいんだ。隠さなくていいんだ」とほっとする感じです。

社会においては、マイノリティな部分を出すとかなり攻撃されますから、怖いんですけどね。ほんっと盾がほしい。盾募集。

開き直れた一日でした💓