ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

もう一つの宮地嶽神社 2019.4.19

ぎっくり腰続報。
仕事の後に整骨院に行くと、
「腰の他はそうずれてもなかったし、後は適度にゆるく体を動かすこと」
と言われたので、座ったり立ったりする時には多少痛むけど、
できるだけ動くようにしている。
今日は整骨院は一旦お休みして、明日朝の外出前に行ければなと思っている。
今の調子ならば~。

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さて、これも続いている佐世保記。今日が最終になると思う。
一週間前のことになってしまった。思えばすごく前のことのようにも思う。
時間って不思議だ。

今日のBGMは米津くん♬

miww55.hatenablog.com
ひとつ前の投稿で、元実家とその周辺に行った話を書いた。
うちの裏のおうちが古民家カフェになっていて、当時「Fさんちのおばちゃん」と呼んでいた方の娘さんとお会いでき、昔の話ちょっと前の話などを聞いていた。
その話の中で「宮地嶽神社」が出てきた。
私が「朝から宮地嶽さんに行ってきました」という話をしたからだ。私が行った宮地嶽さんは街中の神社。
Fさんの娘さんは「ん?宮地嶽さんってそこの?」という反応をされた。
そういえば、近くに宮地嶽さんがあった。佐世保に行く前に地図検索をしている時に、この古民家を発見した時と同じ時に、墓の近くに「宮地嶽神社」と記載されている文字を発見していた。
でもこの時には「墓の近くにあったっけ?」くらいにしか思わなかった。

娘さん曰く「昔はこの辺はこどもたちも多くて、みんなで神社で遊んだりしていた」とのこと。
そんな話を聞きながら、私の頭は忙しく動き始める。
どこだっけ、、、と思い始めて割とすぐに「ああ!あそこだ!」と思い至った場所があった。
一度いった記憶がある。

帰りのバスまではまだ2時間ほどあった。
Fさんとこをおいとまして、近所を歩き、そのまま墓に向かった。

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墓に向かう道は、今はあまり使われていないよう。
写真のところは比較的まだ草も刈ってあったが、ここに至るまでの道は草が覆いかぶさっているところが多くて、道を見つけるのにちょっと手間取った。
となりのトトロで、メイちゃんが記憶をたどって道を探す、あんな感じがちょっとあった。

前の日に墓に行った時には線香をあげるのを忘れていた。
また今日行く理由は、それだけでもないけど。
「またきたよー」っていってお参りをした。
おじいちゃんおばあちゃんたちが居るのはここなんだろうから。
佐世保にいるうちなら、できる限り毎日行きたかった。
手をあわせ語り掛けるには、お墓やお位牌前はしっくりくる場だ。
お墓は、私の生まれ育った空気をそのままもってくれていて、
ここで参るのは私にとってはそれだけで癒しになる。
自分が生まれてきたことや生きていることを、そっくり肯定してくれる空気感がそこにはあった。

墓に行った後、足はその宮地嶽さんに向かう。
前は家があった、今は駐車場になっているその横を行き、急な階段が続く。看板や表示はない。

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階段を上っていくと、意外と大きな鳥居がある。
階段は途中から石の踏み石になり、手すりは綱になる。
歩きながら、「ここはおじいちゃんとも来たことがある」そんな記憶が頭にかすむ。
何のときだったのか、大きくなってからなのか、その辺は全く覚えていないが、ただおじいちゃんと一緒にこの景色を見たことがある気がするのみだ。
墓には何度も連れだって来たことがあるのに、ここにはなぜたまにしかこなかったのだろう。
こたえはもう得られない。

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登りきったところの正面に、お地蔵様がいらっしゃった。
育子さんの豆地蔵様を供えて、ご挨拶をする。
佐世保に又来ることができたことのお礼と、これからも見守っていただきたい旨をお伝えする。

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本宮は2つ御社がある。
熊野の大斎原を思い出す。

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右にいらっしゃる方

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左のお方。

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旅の終わりに、当初は想定していなかったここで、総括的なものをすることになった。

朝の街中の宮地嶽さんでは感じられなかった、地元での思いがあふれてきた。
いろんなことがつながって、今ここにきているのだと思った。来れていてこうしてつながりを感じさせていただいているのだと感じた。

佐世保に行きますよと氏神様やお地蔵様にご報告をし、ご縁をつないでくださいとお願いをしていた。
自分の産土神さまはまちなかの宮地嶽神社さんだと思ってはいたが、
そこに参ることをどう自分の中で解釈すればいいのかを考えあぐねていた。
この2日間、佐世保をぐるぐる回り、この土地の空気をからだじゅうで感じ、
叔母と話して、自分の6代前までの先祖のことがわかって、自分の今の命のルーツ、流れを実感することができた。みえなかったものが、名前がわかること続柄がわかることで、ちょっとだけ今までよりリアル感をもって存在を感じる。見えないものはないものではない。在っても見えないだけなのだ。

過去は時間の経過としてはなくなったものだけど、それは現世的にないだけで、
実は時間の概念は現世にしかなく、記憶の中に生きている。
今回私の記憶はここを訪れたことで、色鮮やかになった。
昔の記憶も、今現在のちょっとさびれた場になっていることも記憶としてインプットされた。
それらはメビウスの輪のように、私の中にある。
そして亡くなった方々もそこにいて私を見守ってくれている。

勝手な妄想といわれればそうかもしれない。
ただ、パラレルワールドのようなものはありそうな気がする。
「君の名は」のような世界は存在しないとはいいきれない。
まああんなスペクタクルなことは、その任を負う運命であればあそこまでいくのだろうが、凡人には起こらないと思う。
でもスペクタクルでなくとも、
自分の生や命や魂がどこからきてどうなっているのかは、
今の私にはとても興味があることだ。

私がどう生きるのか、
そのミッションはなにか、
この人生で魂をどう輝かせるのか、
私の魂と先祖の方々やこの地域との関わりとはなにか。
それらを、単純に知りたいことと、
知って納得することで、自分の在り方の見方が変わることを望んでいるからだ。
新しい見方をしてみたい。したらどう変わるのかをみてみたい。
過去や今や未来を通しての自分を俯瞰してみたい。
自分の人生は自分でクリエイトできることを体感したい。

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ここまで書いて、小池一夫先生の訃報を知る。
私の昨年の闘病中に、心のよりどころになってくださった先生のツイートが読めなくなるのはとても寂しい。
苦しいながらも、明るくツイートを続けられた先生に、
追悼の意を表します。まずは現世のお疲れを取り、食事制限のない世界を楽しんでくださいね。

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神社のあがりふちから臨む。

神社では、言葉にならない思いもあった。そんな時にはじっと手をあわせるだけにした。
思いつくままをお話しし、私の思いや願いも口にした。

神社を後にし、駅方面に向かうバス停のところで座って墓と神社を見ていたら、涙があふれてきた。
墓も神社も、私が生まれる前からそこにある。
曾祖父母からこの土地に移り、住んできたと聞く。
私はずっと見守られてきたのだ。そのことに気づかなかっただけなのだ。
そこにあったのだ。私が受け取れていなかっただけなのだった。

なあんだ。

気が抜けたと同時に、これまで気を張って頑張ってきた私の孤独感はすっと薄れて行った。必要だから居てくれた私の孤独感。でももういなくなってもいいよ。
私は、愛されて護られてきたんだ。
それで十分じゃないか。

故郷への旅は、こうして終わった。
やはり体感の旅だった。

起こるべきして物事は起こり、必要な順序で進んでいく。
自分が自分に素直になり、その時に出来ることをやる。感じる体と心を健やかに保ち、自分の中の声に耳を済ませて行けば、たいがいのことは何とかなる。

今の私は、そう思う。

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福岡に戻り、あれ?
育子さんのお地蔵さまがない。。。
もしかして、ご奉納しちゃったー?
写真を見返して、、そうみたい。
左の方のところに違和感なくお座りいただいて、そのままで。
ワンカップを供え、周りに撒きお清めさせてもいただいたし、
怒られることはないよね、、と思う小心者。

きっと置いてくることでご縁がつながったのだ、と思いたいヽ(´Д`