ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

歴史はロマン 2019.4.22

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連日の整骨院通いは、土曜日で終了。
先生から「もう、この状態まで戻ったら、ぎっくり腰がおこることはないでしょう」とお墨付きを頂いたので(^^)
とはいえ、身体を保つための呼吸法だとか、運動だとかはしなくちゃね。
自分を大事にするって、こういうところからなんだろうと思うけど、身体の管理がこと難しい。

===
昨日、母のところに行く。
佐世保から帰ったらすぐに行くつもりが、
ぎっくり腰で1週間延期したので、2週間ぶり。
行けないことは電話で伝えたが、電話の声は補聴器では聞き取りにくいようで、なかなか伝わりにくい。
電話は、最低限の用事でしか使えないなぁと思った。

2週間ぶりの母は、かなり暇そうだが元気そう。
いつも通りに近くのセブンでコーヒーを2杯買っていった。

スマホの写真をみせながら、報告。

叔父の写真、彼の部屋の写真、彼の様子、
見つけた神社の話、佐世保のまちや九十九島の風景のこと、
友人が付き合ってくれた話、元実家あたりの写真、
裏のFさんちが古民家カフェになった話、
Fさんの娘さんとの話、そこから聞いたご近所さんたちの話、
叔母との話、家系図の話、宮地嶽さんの話、亡くなった叔母のお店あたりの話、
その他。

話しがひと段落ついて、母が「盛りだくさんな旅だったね」という。
ほんとにそうだと思う。

家系図の話で、
母が覚えている話で私が知らないことがいくつかあった。

私の曽々祖父にあたる宇助さんと言う人は、
今のうちの墓の上の方に土葬されていたらしかった。
母と父は誰からかそういう情報を聞き、探しにいったが、そのものはわからなかったとか。

うちあたりに移住してきたのはこの宇助さんの子、兼太郎さん(私の曽祖父)の時なはずなのだが、家督を引き継ぐのをなくなる結構前にされてるので、その関係なのだろうか?そもそもなぜ早めに家督相続したのだろう?
そういうところの謎がまたそそるw
戸籍謄本の写しをまたじっくりみて、仮説を立ててみたい^^

母がぽつりという。
「あの家系図は、どこにいったんだろうね」
私は現物を見た記憶がないのだが、母が覚えているのは、「一番上になんとか井手の守と言う人から始まっていた」ということ。
井手というのは私の旧姓だ。

その話を聞いて、私の古い記憶が反応した。
うちの一族の最初は、佐世保から平戸へ行く途中の地域を治めていたところの家臣で、参勤交代の時のその地域の警護に当たっていた、という話の記憶。
母は「松浦藩やろうねぇ」と言っていた。

他にも城を持っていたとか、炭鉱をやったとかいろんな話が先祖にはあるのだけど、それがいつの時代に誰がというのがいまいちはっきりしない。兼太郎さんは炭鉱をやってつぶしたらしい。

母とのそんな話が気になって、それでなんとなく検索をかけてみたら、
松浦藩に、井手大和守という方が実際にいらっしゃった。
宗家家臣と書いてある。

sasebosengoku.com

出展はこちら:

sasebosengoku.com


1513年に殿様についてきたらしいので、500年前くらいの方。
井手姓は、長崎佐賀福岡に多いので、ここが始まりなのかもしれない。
でもそこからひも解くのは難しそうだなぁと思いつつ、
佐世保松浦関係の郷土史にはあるのだろうか、なんても思いを馳せたりする。

昨夜はこれでワクワクしていた。
先祖供養云々というのもないこともないけど、
単純にすごく惹かれるのだ。
知らないことを知りたいというのは私の根本的な原動力のひとつだけど、
ことこの手の歴史的なものにはとても思いを引っ張られる。
一言でいうと「ロマン」だ。

小学5年生の時に、邪馬台国卑弥呼の本に出会い、
めちゃくちゃワクワクした、あの思いと同じだ。
これも邪馬台国が九州にある説があったから、
身近に感じて遠い弥生時代に思いを馳せたのだった。
グループワーク発表の時に、私はこのテーマで一人で発表した記憶があるけど、
興味があることについては、一人ででも走るのが私で、
それは変わっていないんだなと思う。

とはいえ、これ以上は時間と労力をかけないと、調べられそうにない。
ただ、先祖の話は大方がなくなってしまって、
一番知っているのが母くらいのもんだから、
それ以上は探しようがないけれど、
この歴史上に名が残っている人についてはもしかしたら文献があるかもしれず。
探そうと思えば探せるかもというところにロマンがあるわけで。

繋がると面白いんだけどな~。

しかし、あの家系図、どこにいったんでしょうね。とまたここに戻る。
それさえあれば、一目瞭然なのに。
なくなったのは、苦労して探せということなのか?
性格が性格なので、あまり深入りせずに、つながるといいなくらいで、
思っていようとは思う。

ちなみに、佐世保市周辺には当時炭鉱がかなりの数あったらしいので、
炭鉱 曽祖父名で検索かけてみたが、ひっかからなかった。
ここ100年くらいのことだけどネット上では難しいみたいですね。

こうして時間が過ぎていくのは、いかんいかん。