ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

母との時間

今日は、整骨院&ピラティスに行き、自分もゆるゆる緩めてきた。
行く前は身体が痛くて、億劫だったんだけど、
さすがに2日も籠っていること自体は、
身体にあまりほめられたことではないので、頑張りました。

口の中の違和感は、ほんとにやる気をなくします。
肩こりもそこから来ている可能性もある。
でも言っても仕方ない。(でも言っちゃうんだけど。辛いから)

で、整骨院で調整してもらって、
ピラティスで体を緩めて(先生から本来のピラティスは鍛えるものなのよーと檄が入りそうだけどw)、呼吸もいっぱい気をつけてやったので、
身体に納得感がとてもあり。今日は満足。

いい気持ちで、母のところに行ってきました。

まずは、祖母の指輪の報告を。

祖母の指輪を叔母から譲り受けたんです。
10月の祖母の命日に、叔母にメッセを送っていたんですよね。
そこで少し会話をしてたら、
叔母がなぜか指輪のことを思い出し、私に譲ろうと思ったそうで。
叔母のところは子どもが二人とも男の子だし、

指輪を託すにはと考えたら私だったそう。
私は、大学を祖父母のうちに居候して通ったりもしていて、
祖母と私は確かに距離感が近いのでした。
ということで、叔母のおさがりのお洋服とともに、その指輪はやってきました。

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母にとっては義母なのだけど、看取りもし、母にとってはかけがえのない存在の祖母。
指輪を手に取って、よしよししていました ( *´艸`) 可愛らしかった。

「おばあちゃん、指輪が好きだったものね」と母がいいます。
「え?そうなの?」と私。
洋服も派手なものはあまり好きではない祖母の、意外な部分。
「よく、宝石売りの人が来ていたから、目をキラキラさせて見ていたよ。私もトルコ石かなんか青い石のを買ってもらった。」
そうだったんだ!初耳です。
トルコ石の指輪は、先ほど母のジュエリーボックスに入ってるのを発見!)

その頃のものよりこの指輪はもっと古くて、短く見積もっても75年以上は経っています。
宝石って年を取らないのね。というか、石にとって75年なんていうのは一瞬なんでしょうね。もっと何千何万年という年を経てきたのが石なのだろうから。

さて、今日は母の足をマッサージしてみました。
病院に居た頃は、行く度に薬を塗っていたのですが、
施設に入ってからはご無沙汰していました。
足の指を切断してからというもの、本人が自分から脱がないと遠慮してたんですが、
靴下の上からだとどうも状況がわからないので、「脱がしていい?」と一応お断りを入れてから靴下を取り、お薬を塗りながらマッサージ。

しびれの来る左足は、いい方の右足と比べやはり血行はよくなく、
指先も固くなっていました。それをほぐすことはできなかったけど、
一本一本をさすって、交互に動かしてみました。
少しでも刺激を与えることが必要かなくらいに思って。
足の裏ももみもみ。
それをすると、自分から歩こうと思ったようです。靴を履き始めました。

いつものように、私が左手を取り、母は右手に杖をつき、ゆっくり歩きます。
ベッドわきから、部屋のドアまで、そして部屋から出て、ユニット内を歩き、入り口の方に。今日は前よりかなりスムーズ。
ユニットの方も見守ってくださいます。

ユニット入り口近くにあるソファーで一休み。
「スムーズに歩けてるじゃない」というと、「足をもんでもらったから随分歩きやすい。」とのこと。
そういう意図じゃなかったけど、準備運動としてはよかったのかも。

ソファーでは、年明けに行く温泉の話をして、
「そこは少し歩かなきゃだから、今のうち少し頑張って歩いとこうね」と念押し。
「そうね」と母。

そして、部屋のベッドまで頑張りました。
まだまだ息が切れちゃう母です。運動という運動がないからね、特養って。
歯磨きの時でも、頑張って杖で歩くくらい出来るといいんだけどな。
週に1回、私が行く時くらいの運動でもしないよりまし。
今から、寒い季節になっていくので、足はもっと冷えていくでしょうから、
足湯でもできるといいんだけどなー。

この後、リュウジュで背中をコロコロしてメンテナンス終了。

今日は自分的にミッションを持っていっていたので、母に「ちょっと突然なのだけど」と話しかけました。

母に、私を身ごもった当たりのことを聞いてみたのです。辛くなかったかと。
すると母は、身体のことだと思ったらしく、
「おなかが小さくて、冬だったからコート着てたらわからなかったんだよ」とか
「おばあちゃんから、あまりに痛がるからこらえ性がないって叱られた」とか(母は、早くに母をなくしているので、私が生まれる時は祖母が付き添ったらしい)。

「辛くなかったの?」と聞くと、「それでもまた産もうと思うんだから忘れるんだよね。」と。まあそれは私にもわかります。
まあ私が聞こうとしていたこととは違うんだけども。
でも、まあいいかと思いました。

私は、母の胎内に宿ったあたりから、「ここに本当にいていいんだろうか」とか「うまれてもいいの?」みたいなことを思っていた気がするのです。
だから、そのことを確かめたかったわけで。
確かめても仕方ない気もしたんです。
でも、今目の前に母がいて、確認できる状態であるのなら、聞いてみてもいいと思ったんですよね。ぼけてしまって意思疎通できなくなった、あの記憶があるから。

「いろんなことを、忘れるのよ。忘れるから生きていけるのよ」
そんな感じのことを母が言います。
それは、直接的に私の問いと符合しているわけではないかもしれなかったのですが、
真理だと感じました。

昔はそうだったかもしれない。
でも今は、そうではない。だから手放してもいいのでしょう。
その昔の思いに、引きずられなくてもいいのですよね。
だって現に私は愛されて、今ここにいる。
母にも祖母にも叔母にも愛されてきた。それは事実です。
そして私も彼女たちを愛してきた。
ありがたい営みがあり、私はそのおかげでここにいる。

素直な自分を取り戻す。
これをやっぱり腹を据えてやらねばならないんだなと、
ここ数日思っています。
祖母の指輪は、そのための応援団としてやってきてくれたような気がしています。