ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

言葉と思いと行動のねじれ現象。

結局頭で考えたところで、自分のセンサーがしっかり働く状態じゃないと
自分の魂や心・体のメッセージは受け取りにくいのだなと
今更ながらに思っています。

ネガティブが出てきたら、そう思ってるんだなと受け流し、
ポジティブなイメージを待つ。
自分からイメージしてみる。
そういうことが、やっとできるようになってきました。

しかし!おなかが痛くなったり症状がでてきたら、そっちに気持ちも体力もいってしまうので、
体調が悪くない時に、若干びくびくしながらの自分も認めつつ(まだ大丈夫という成功体験がないので><)
薬コントロールもしながら、自分を痛めつけない=大切にする、
をできるだけ念頭において、上記のことをしています。

だけど、
「自分を痛めつけない=大切にする」

ここがどうも抜け落ちやすいみたいなんです。

自分を痛めつけることで私は私の生を実感しているのかなあとも思いますが、
もうこの方法は嫌です!辛すぎる。そして誰も幸せにしない。

「自分を楽にする、幸せにする、健康にする」
今はこの3本柱が基本です。

でもなんだかそれは本音なの?ということが自分の中にはあって。
上記3本柱は本音です。
(というか、今日これも絞って、「気楽に楽しく生きる」にしました。これで全部言えるかなと。以降「気楽に楽しく生きる」に統一っ!)

なんでしょう。
いい子な私がすぐ出てくるんです。聞き分けのいい子。
頭ではわかるし、そうなればみんなうまくいくし、美しいよねって思っちゃうんです。

こう書いていると、こうやればうまくいくじゃんというのはわかるのです。
頭ではわかるのです。素直にそうですよねといったんは理解するのです。
でもそれを体や心に落とし込もうとすると、矛盾が起こります。
だから、結果的に自分の書いた言葉が「美文」になってしまい、
行動と一致していないことはないのですが、なんだか乖離間を感じることがありました。
「なんだかかっこつけてるんじゃない?私」って。
最近その違和感が強くなって来てて。本当はどろどろの欲が満載なのに。
やりたくない変わりたくない抵抗が、行動を阻止するように動きます。
結果的に、言葉と(思い)と行動のねじれが起こる。


私は、体調を抜きにすれば、
子どもたちに自己肯定の場を作りたいというのが自分のやりたいことであり志です。
それはそれで本心です。
でも、私の 「気楽に楽しく生きる」が成就しないのであれば、
いくら他者に自己肯定の場を与え場づくりをしたって、
ものすごく遠回りで、そしてどこかで私自身がおいてけぼりになってしまう。
それがこれまででした。
だから、まずは言葉がイメージに近いのでぼんやりはしていますが、
「気楽に楽しく生きる」
とサンカルパ(とインドの言葉でいうそうです。「ねたまんまヨガ」の瞑想の中で出てくる決意や目標を設定する時の言葉です)
を唱えています。
※瞑想とイメージングをナビゲートしてもらえるので、このアプリには救われています。


自分の中にある力を信用できないことが続いていましたが、
20分ほどこのアプリの誘導でやっていくと、
自分の中から湧き出てくるポジティブな力を感じることもできます。
こういう、自覚できるものが、私が信用できるものなんですよね。
今おなかが痛くて固形物が入らない状態なので「食欲」という大きな五感がダウン中。
かつ寒気もひどいのですが、冷えている部分(恥骨、股、おなか)にカイロを張り、温めています。
ここが冷えているということは、私の生来の「愛されたい」「愛したい」がものすごく飢餓しているのかなと。

でも今はここまでやるので必死です 。胃腸が痛いんだもん。
全然気楽に生きれてない。。。
肩の荷を下ろすことをとにかくやってます。
(息子に、「苦労は半分背負わせろ、その分僕の幸せを半分背負え」と言われました。漫画であったのかもしれませんがw彼からのはっとさせられる言葉には救われます)

ということで、

脳は素直です。
口にした通りに、つじつまを合わせてくれます。
脳がそう感じたことを、人は行動します。
行動すれば、現実はそのようになります。
だからこそ、口にする言葉は私はとても大事にしています。

 

と、とも子先生がメルマガに書かれていた言葉。これいろんな方も言われているけど、
言葉だけではねじれるので、言葉=脳が思い感じたこと=行動となると通りがよいはず。

言葉「気楽に楽しく生きる」
行動「五感を感じられる、運動する、散歩する、瞑想する。気持ちのいいことをする。タブーを越える。自分を許す。いやなものはしない。考えない。」
目的「自分を信じる信頼する、自分に優しくなる、自分を愛する」

言葉と目的はごっちゃ感あるけど、
言葉には、切実に今こうなりたいと思うことを設定しました。
目的に書いたことは、言葉ではわかるけど、どうすればそうなれるのかわからないことを書いています。
行動をしているうちに、わかってきたり、変わってきたりするのかなと期待。


やれることはそんなに多くないのですが、
今日は母の見舞いにいかない選択をしました。家族に委ねます。タブーを越えるひとつです。
そんな自分を責めない。自分を愛する大切にするためのひとつです。母に会えば私はまた抱え込むから。
と言いつつ胸が痛いんですが。

(母はとっても調子がよく元気だったそう。よかった。)

そして、今日は上でも書いた「ねたまんまヨガ」のアプリで2時間以上の瞑想を。
普通に呼吸法だと以前書いたようにへぼい集中しかできない私でも、アプリでヨガのインストラクチャーさんからナビしてもらうと、体の緊張がほぐれ、イメージングができるのです。
今日は無料アプリを2つやった後に、
課金の43分くらいのものをDLしてやってみました。これがよかった。1回目は途中でうとうとしたので(睡眠アプリとしてとっても有名なだけある。みんな最後までたどり着けないらしいw)
2回目にトライしたけど、ちょっと感動。
安心感と幸せ感に包まれました。
そしてすっきり。

お腹はまだ痛いけど、しこりもぐりぐり動くけど、
頑張っておかゆと野菜スープを1杯ずつ食べました。
かぼちゃと新玉ねぎのトロトロスープを娘が作ってくれて。美味しかった。
行動(母の見舞いに行かない)=考えない・委ねる→無責任でいいじゃんまかせてもいいじゃんと脳が思う=気楽で楽しい
行動(美味しいものを食べる)=美味しい!幸せ!と脳が思う=気楽で楽しい

行動(瞑想をする)=からだの緊張がほぐれる、脳がお?体が楽だぞと思う=気楽で楽しい

で、ねじれてないよね?
脳が「思う」だけでなくて、「納得する」ってのもあるのかな。

※最近書き記すことが多いので、ハッピー日記はそれがない時にということで。