もう大丈夫、と普通にしていても、
昨日は便秘気味でおなかの調子が悪い時だった。
そういう条件がある時は「ああ、今私はおなかが痛くて、
理由がわからないことも多々ある。
特に自分が好きなことをやっている時に襲ってくることが
好きなことをしているのに、なんでなんだろう?
とも子先生が「思い通りにならない現実から抜け出す。」という記事を書いてあった。
記事を読んでまず納得したのは、
人の行動の動機には2つしかありません。 ①快楽の追求 ②苦痛の回避 このどちらかなのです。
だった。
そして今私は例外なく② 苦痛の回避を動機にして動いている。
やりたいことがあっても、それをやることで 「何かが変わる、という苦痛を味わうかもしれない」 という「恐れ」を回避するために、 「行動しない」という行動を選択するのです。
今、ここをどうにかしようとしているために、「
「変わりたい」ときに変われなかったり、 あなたがやりたいことに、踏み出せないのは こういう「おなじみの自分」の 自動反応が起こっていることが原因で、 あなたの意志の強さに関係ありません。
ここは、とても救い。私の意志が弱いからか~
真実は真実だ。でもそれは自分も痛いほど感じているから、受け入れるのがつらいこともある。真実だから受け入れられるかというと、そうでもない。甘いと言われればそれまでだけど、だって人間だもん。ものには順序だったりタイミングだったりも必要なのよ。急がば回れという言葉だってある。
…書けば書くほど言い訳ばっかりしているような感じになるので先に行こう。
変化する自分を恐れる ⇩ 変化することで自分の成長という快楽を得る に、フォーカスが当てられるようになるのです。
変化する自分は、揺れて不安定になるわけじゃなくて、
「自分が何を恐れるのか?」を知ることです。
コンプレックス表を見返してみたけど、多い。。。
でもとも子先生は100って言われていた。
もっと細かくみてみる必要があるのかも。
…ああ、思いつくものが日常生活にもたくさんある。
コンプレックスは「○○ができない私はだめだ、いやだ」だけど、
「こうあらねば」がまたもっとたくさんある。
「こうあらねば」と 「○○ができない私はだめだ、いやだ」
どっちが先なのかわからないほどループになっている感じ。
この「こうあらねば」
「こうあらねば」が「こうじゃなくてもいいんじゃない?
あれ?違う?
恐れとともに行動ならば、
それができるならOK.
出来ない場合が多いので恐れとともに行動する、なのかな?
①恐れに気づくために現実を見る
そしてその中にネガティブな感情をみつける。
どうしてその感情になるのか、を考える。
今私がもやもや不安に思っているのは、
「出費は多いのに収入がない」 です。
特に今は腹痛や全身の状態がひどかったので、
春までは仕事を入れないとし、自分を変える期間に充てている。
すると収入がなく、
そろそろ底をつきそうという現実をみます。
どう感じているのか。
「おかねがなくなりそう。」
「どうしよう。」
「娘も帰って来てて、食費がどんどん増えていく。」
「買い物の頻度もすごい。」
「米は1週間で5キロがなくなる勢い。」
「通帳残高が。。。」
ネガティブばっかりだ。
過去の環境のこと。
学生の頃、うちは父が自分で自営を立ち上げていたが、
連鎖倒産にあい、父は無職になった。夜逃げしないだけでもよかったと言われていた。
家族で泊まりに行こうということになった時、一家心中するのではないかと心配したこともある。母が中心となって箱作りの内職を全員でやり、
どうにか家族がやりくり生きていけていた。
お金がない苦労、稼がないと入ってこないことを実際みてきているため、
「あの思いはもうしたくない」と思う気持ちも強く持っている。
私の性質のこと。
私は長く仕事が続けられない(自身の健康、こどもや家庭の状況)
ビジネス社会においては、
「毎日決まった時間に仕事に行くことができない自分は、 お金を稼ぐことができない。」
某所の非常勤とプログラム企画で仕事をすることでつなげている。
企画で仕事をすることは自分の性にはあっていて、無理はない。
とはいえ、これまでは足りない分はたくわえを削ってきたため、もっと収入の口を作っていくことを考えねばと思っていた。
この頃の出来事。
一緒に仕事をしていて、
私、ものすごく抵抗。
夫は病気を複数抱えていて、現在いくつか請負をしながら 自営で仕事をしている。
通院も多く、私と同じく「毎日
身体の調子も「いいとはいえない」(本人談)なので、
でも、私自身も今の状態では仕事を再開し、
どうなるにしろ、まずは「私の今の状態を彼に伝え、
これがとも子先生が言われる①の恐れに気づくために現実を見る で、
恐れに気がつくためには、 他人に「自己開示」すること、 そこからフィードバックをもらうこと。 それを聞くことで、自分を見て 知ることが容易になります。
ということだったのかなと思う。
②恐れを抱いた自分を認めましょう
お金を得ることに対する私の苦手感は大いにある。
いつからかわからないのだけど、私には「
外に対しても「価値を与える」
外に対してはともかく、
「価値がないと思われたくない」 というプライドはコンプレックスでもある。
自分がつけているレッテル「私には価値がない」「
そしてそれを隠している。
だから見たくない。
③恐れに向き合う 恐れをポジティブに書き換えようとしないことです。 ネガティブに目を向けることが大切です。
現在、これをじっと見ている状態が今だと思う。
④恐れに飲み込まれそうになったら 「恐れ」と向き合うときに ドキドキしたり、 不安が襲ってくることもあるでしょう
今日のいきなりの不安はこれだったのかもしれない。
深呼吸してみた。
そして今日は薬も飲んだ。
⑤恐れを描写します 自分が思っていた「恐れ」と向き合うことで、 その姿が見えてきました。 さあ、その「恐れ」が本当はどんなものなのか 客観的に描写します。
ここ、もう少しやってみてから、夫と話をしてみようと思う。
夫の調子のいい時を見ながら、、になると思いますが、
この話を夫にしたところで、私が何かを失うわけではない。
むしろ多分私は一人で抱え込んでいるので深刻化している可能性はあり
ただし、夫もそうかもしれないと思ってしまう。
でも言ってみないとわからないことを考えても仕方はないとは思う。
本当にそれほどのことなのか?
視野が狭すぎるのではないか? もっと広い世界でみてみよう。そうやって、自分の恐れを書き出して 視野をひろげて 人生におけるその恐れはどの程度のレベルなのか?を もう一度見直してみましょう。
わかったようなわからないような。。。
ついつい、解決したいとポジティブにすぐ変換しがちなのは、見たくないからだろうな。②恐れを抱いた自分を認める。と③恐れに向き合う。が弱いな~。
心が揺れるのが嫌なんだよな。苦手なんだよな。
大丈夫と思うしかない~。
とにかく、
「恐れを抱えたまま、成功する行動をとること」
これこそが、思い通りの現実をつくりだすための
第一歩になるのです。
失敗する行動とどう違うの?
客観的に状況を見て、深刻になりすぎない。深刻になり渦の中にいると問題をややこしくして、打つべき対策にちゃんと打つ手ができないかもってのはよくわかる。しかしだよ、自分が客観的に見れてるのかどうか、よくわかんないんだよなぁ。
【まとめ】
恐れとの付き合い方は、恐れとともに行動すること。
具体的には、
①恐れに気づくために現実を見る。どう感じているのかを先ず体感し、ネガティブな感情をみつめる。それがどうして起こってきたのか。
②恐れを抱いた自分を認める。
③恐れに向き合う。恐れをポジティブに書き換えようとしないこと。 ネガティブに目を向けることが大切。
④恐れに飲み込まれそうになったら。 「恐れ」と向き合うときに ドキドキしたり、 不安が襲ってくることもある。深呼吸して 落ち着いたら、改めて恐れと向き合う。
「自分恐れていることが人生の中でどの程度の出来事なのか?」という、大きな目線で描写する。自分の恐れを書き出して視野をひろげて人生におけるその恐れはどの程度のレベルなのか?を
もう一度見直してみる。