ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

Happy日記0121

・今日のお散歩は動植物園前までの往復。歩けて良かった。
昨日の公園とは逆回りの山際なので、同じ時間なのに日のアタリがいまいち。
でも、桜の季節にはよさそうという発見あり。

・1時間ほどぶらぶら、座ったりして過ごせたので、心地は良かった。

・予想以上に散歩はアップダウンがあったからか疲れたようで、昼ごはん後爆睡。
いや、実はトロトロ寝で嫌な夢を見る。夢だとわかっていたからか、起きたくなるまで寝ていたからか、すっきりした。

・今日はご飯はほぼ一人で作った。ポトフだし。美味しくできる。
もっと手抜きしてもよい気がする。愛情は変わらないので。

・タマヤサンドイッチをお昼に買ってきていたら、お出かけの3人が帰ってきてスパゲティ食べるというのでご相伴にあずかる。作り方・やり方が私と違う。一応本当はこうという話をしていたのだけど納得しない夫。別にそれならそれでいいやと思う。危なくない方法を言ってるだけなので、そこは本人+こどもが自分で判断してそれを選択するならば問題ない。まあむっとしたけど、いいか。

・最近お薬を飲むことが随分へった。
飲み続ける方がいいこともあるのかなと思うが、忘れてしまうくらい痛みや不調がないのはいいことだろう。

・昨日ブログの件で褒められたが、自分ではいつもと変わらないので、何が違うのかもやもやする。

・お正月のやり直しをしたくなってきた。おせちとかお屠蘇とか。まだ呑めない気はするけど。





 

瀬戸内寂聴「いのち」を読了。

瀬戸内寂聴さんの最後の長編小説らしい「いのち」を読了した。

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本人もおっしゃっているけど、御年95歳。
ここまで長いものはもう書けないだろうと。
とはいえ、現在でも年間200万枚の原稿を書かれるというのは驚きだ。

現存されている方の名前は変えてあるが、私小説だ。
彼女自身が腰、胆のう、心臓を病み、闘病生活から生還するにあたり、いのち・生きる事死ぬことを考え、この95年の間に関わった作家たちの生きざま死にざまを思い出していく。後半は親交の深かった河野多恵子、大庭みな子と(そしてその夫たちと)の関わりが描かれている。描かれているのは本人が生きていたら「それはプライバシーの侵害でしょう」と言いそうなことも暴露してあるが、そういうことも含めてあるからこそ「いのち」って何だろう、生きるってなんだろうと考えさせられる一冊だった。

瀬戸内さんも含め河野さん、大庭さんは「性」を赤裸々に文学上に広げた方々だったようだ。瀬戸内さんが「花芯」で相当世間に叩かれたらしいというのはなぜか知っていた。女性がまず自分の性を文字ででも書くというのは、当時はタブー中のタブーだったかと思う。瀬戸内さん曰く、少し後に文学界に出られた大庭さんは性を扱われても評価されたらしい。
その他のお二人を「「性」を赤裸々に文学上に広げた方々だったようだ」と書いたのは、私が全く瀬戸内さん以外の方を存ぜず(文学少女ではなかったので^^;)、また私が本を読んでいたのは、この次の次の時代くらいだったから(と言い訳しておく)。
だって、新しい人として曽野綾子さん、佐藤愛子さんの名前がでているんだもの。彼女たちは私が高校生の時にはもう名の知れた作家だった。
山田詠美さん位になると、やっとわかるけれど。

いろんな方がいらっしゃる(というのも、この小説には多くの方々の名前が出てくる)が、皆時代を自分で切り開いてこられた方で、恐れ多いとすら思う人たちが、一人の人間としてきっと苦悩もしながら、生きてきたのだなというのがこの小説からはわかるわけで。

それだけに95歳という瀬戸内さんの人生は、51歳の私に比べてもとてもとても長い。あと44年も生きると、本人と周りの環境は随分と変わっていくのだろう。というくらいしか想像できない。

それでも、彼女の文章は、年齢差のある私にもよくわかる。
河野さん、大庭さんとのやりとりは20代の頃のものもあれば、80代90代の時のものもあるようだが、妙に新鮮に感じられる。

実はこの本は、入院している母のために買ったものだった。
母が読み終え、2回目の途中の時に、私が読了した寂聴さんの秘書、瀬尾まなほさんの本と交換して読み始めた。
たまたま見かけた寂聴さんと瀬尾さんの掛け合いの記事が面白く、クリスマスに子どもたちへの本を買う際に一緒にこの2冊も求めたのだった。母は弟の趣味もあって時代劇ものばかり読んでいたので、たまにはと思って。

母も意外とハマったようで、他の書籍も読みたいという依頼がきたので、昨日アマゾンで文庫本を4,5冊注文した。

私はというと、この本を入手した際には、自分の病状がかなり重く、読めるのだろうかと思っていた。内容によっては読了難しいかもしれないと思っていた。あまりにも体がきつく、「いのち」とか「死」とかいう言葉に自分を重ねる時期が続いていたからだ。
実際、最初の方は、岡本太郎さんやパートナーのとし子さんやら亡くなっていった方の死の状態が描かれることが多かった。が、意外と読み進めていけた。

久しぶりに、次を次をと心をはやらせるよう読める小説だった。
何度も同じことが出てくるきらいはあるが、あれはわざとなのだろうか?

しばらくは瀬戸内作品にハマりそうだ。

やっぱり「花芯」も読まなくちゃだろうし、この際河野、大庭作品にも触れるのかな~とか思うこの頃。女性を生きる上では、性を外すことは逆に不自然だしなぁとか、つらつら考えている。




Happy日記0120

・お天気がとてもよかったので、家族がみな母の見舞いに行っている間に、近くの公園まで一人で散歩に行った。


・日の光に当たっているのが嬉しい、気持ちいい。


・草の表面を手で触るその感触がいい。


・見える景色が心に優しい。自然が空気がよい。


・自分が自由に動けるのがいい。座り込んだり、歩いたり。自分のペースで。


・水面が龍のうろこに見えた。たのしい。


・いっぱい写真を撮った。普通だと見えなかったものが見えるのが面白かった。

・体重少し戻った!ほっ。


・ぜんざい作った。まだ私は食べてないが家族が喜んでいる。明日の楽しみ。


・おなかがすく嬉しさ。


・寂聴さんの「いのち」読了。彼女の自分の生きてきた経験をネタにする力はすごい。読ませる力がすごい。


・晩御飯、メニューを考えるのが私、作るのは娘が定番になってきた。今日は一品だけ作った。毎回ある材料でメニューを考えて、作るって大変。考えるのは、以前からやってるテンプレート的に決め手書き留めておくのがよい。考えを頭に持ちすぎるとしんどくなる。書いて頭の中から忘れさせるのがいい。


・昨日から玄米茶が飲めるようになった。おいしい。


・体調悪い時には見れなかった精霊の守り人が、今日は見ることができた。嬉しい。


「なんで私が行かなきゃいけないの?」

昨日の弟とのやり取りが、意外と自分の中で根強いなと思ったので、書いてみる。

昨日Happy日記に書いたこれ。

 ・母の転院の件で、弟と話をしていて、弟が私が来なくてもいいので娘は絶対というのに驚く。彼曰く、「着替えは俺はわからん。女じゃないと。」。
「それは偏見で、わたしや娘も母の着替えを手伝うことはない。洋服を出して自分でやってもらう(その方が本人のやる気を引き出すことにもなる)。付き添いは一人だってできるのだ。」と伝える。
彼にやらせていなかったなと反省した。

類似の事項が今日あった。

今日は、娘息子夫が母の見舞いに行くという。
ここで私も行くと言えば、皆納得するのだろうなと思いつつ、
娘からも「みんな一緒だから一緒に行った方がよいのでは?」と言われたけれど。
逆に心がざわざわしたので、行かなかった。

顕在意識的に、”病院に見舞いに行くということ自体が私に負担がかかる”と認識していることもあるが、今回はどっちかというと、他者が私をどう見ているか、に私のフォーカスが当たっている。

「家族が私が母の病院に行くことで安心する(だろう)」
「母が安心する(だろう)」
「私が行くことで、家族が「私が行くことを当然だと思ってほしくない」」
「私が行くことを、母に当然だと思ってほしくない」

「私が行く(動くこと)を、家族・母に当然と思ってほしくない!」
その奥には「感謝されたい?」

はっきりすっきりはしないがどうもそのようだ。

ちょうど、叔父の施設からの封書も来ていた。私が叔父の後見人をやっているからだ。
これをみてもざわざわする。
母の荷が軽くなるようにと、いろいろすったもんだあって罵倒されて病みそうになってでも頑張った母の弟関係の騒動。
母が見ないようにし始めたので、私が弟と一緒に動き、彼の身辺の整理を全部行った。大変だったが、そうしないとどうしようもなかった。
知的障害と身体の障害のある叔父。現在叔父は施設で穏やかに暮らしている。
お金の管理もしてもらえるし、彼の年金の中で暮らせている。昨年から施設も建て替わり、新しいお部屋で快適さは以前より増しているはずだと思っている。
母が入院するちょっと前、朝倉が大水になった時に、「福岡が大変だって」と母に叔父から連絡があったと母が言っていた。
そのくらいの元気もあるようだ。

2ケ月に1回の、通帳のコピー及び現金出納の確認書にサインをして送り返す。
今の私の作業はこのくらいなので、さして重いわけでもない。

が、弟や母、家族の私を見る目と、いろんな家族のこざこざを一手に引き受けてきたという自負の私が今葛藤しているらしい。

「私がやってきたことをちゃんと認めてよ」
「大変だったことをわかってよ」
「誰のおかげで今こうみんな落ち着けてるんだよ!」
「なんでわたしばかりしなきゃいけないの?」

そういう私の叫びが出てきた。

私は、自分ができることならと、つい手を伸ばしてしまう癖がある。
できると思っているし、さっとやってしまえば簡単に終わるじゃんと思っているから、
ごちゃごちゃしたくない。さっと終わらせられるなら、もうやっちゃおうと思う。その方がみんな幸せだと思っている。

本当にそうなのだろうか?
母は、このことに感謝しているのだろうか?
私は、勝手に彼女から問題を奪い去っただけなのじゃないのか?
母の問題でもなかったが、私の問題でもなかった。

一方で「私がすべきって決まってるわけでもない」とも実は思ってるから、
「褒めてほしい」
「感謝してほしい」という気持ちも湧く。

めんどくさいな~、私。

これからは、自分が本当にしたいと思わないことはしないでおこう。
そうすれば、こんな風に思わなくても済む。
せざるを得ないことは、粛々とやって、「認めてほしい感謝してほしい」が出てきたら、それを言おう。
もしくは「やりたくない」と言おう。


その方が私の心的にはすっきりしそうだ。

===

まだモヤモヤしているので追記。

認めてほしい、感謝してほしい、感謝されるべきだ!
という声は、正直恥ずかしい。
そのドヤさはなんなの?

ジャッジしている私が居る。
そして、他者に関与されないと自分が納得しない自分が居る。

ジャッジする自分については、
前言通り、自分が本当にしたい、納得してそう思うものしかしない、という形なら、自分の気持ちはすっきりするだろう。

「やってもいいしできる」というのが一番やっかいそう。
で「自分がやったほうが状況が丸く収まりそう」というのが、
今まで私が踏んできたわだちだ。
実際丸く収まってきたものもある。でも私の中でわだかまりがあるものも多い。
子ども会とか自治会とかPTAとか、
やってわかったことも多いけど、すっきりしていないのは「なんで私なの?」が根本的にある。
この気持ちはどうすれば成仏するのだろう?

そういうことは、捨ててやらないでおければ一番ベストだ。
で、良ければ一番よいけれど、私がいつもの義侠心を出さないとしても、
例えば母の転院のための説明には、弟か私が行かなくてはいけない場合がどうしてもある。この件では私が出る場合がほとんどだったので、今回の数回分くらい弟に行かせても罰は当たらん、くらいに思っているが、それが回数を経て逆転したとしても「私は行きたくないから行きません」と言い切っていかないことができるのか?

そういうの無駄な労力のような気がして。
さっくり行って、サクッと終わらせて、おしまい。にする方が絶対楽そう。
そこに、他者(母や弟)に対し、恩を着せずにすんなりできる私になれるのか?

めんどくさいことはしたくないので、そうなれるに越したことはない。

そこが割り切れると生きやすいんだろうなぁと思う。
何にこだわっているのだ、私は。
誰に賞賛してもらいたいの?私は。




Happy日記0119

・久しぶりの整骨院、調整してもらってほっとした。気持ちがよかった。


・久しぶりのヨガ。体を伸ばすって気持ちよい。呼吸をしながらがまたよい。


・お野菜安くていっぱい買っちゃった。嬉しい。


・今日は動いておなかがすいた。こういうリズムは身体が心地よい。


・疲れて眠くてたまらない自分が昨日今日と続く。思うより疲れるからだなのだとびっくりというか発見。


・娘も息子もなんだかだ言ってくるのが煩わしいと思う自分に驚き。それよりも何よりもきつく眠いのを優先する自分。時間を見てお話はした。彼らの「その時」に答えずとも好いのだと思う。


・母の転院の件で、弟と話をしていて、弟が私が来なくてもいいので娘は絶対というのに驚く。彼曰く、「着替えは俺はわからん。女じゃないと。」。
「それは偏見で、わたしや娘も母の着替えを手伝うことはない。洋服を出して自分でやってもらう(その方が本人のやる気を引き出すことにもなる)。付き添いは一人だってできるのだ。」と伝える。
彼にやらせていなかったなと反省した。


・娘の作ったロールキャベツが美味しかった。幸せ。

・寂聴さんの「いのち」がやはり面白い。あと少しで終わる。

 

疲れている。

今日は久しぶりに、ヨガ再開。
その前に併設の整骨院にも。腰に不安があったので。
担当してくださった方曰く「運動すればまたずれるけど、しなくて筋肉が縮こまって跳ねないよりは、動かした方が絶対いいから」と安心していいかどうか微妙な意見をいただきつつ、ヨガへ。

ヨガは今日は動作をゆーっくりする先生だったので、
再開の初日としては、最適だった。
1時間ついて行けた。

昨日、娘と家周辺から氏神様、お地蔵様とお詣りし、ぐるりと回って帰宅したら、
やたらと疲れてしまった。
それで、今日は行きの1区間をバスに乗り、疲労軽減作戦をはかってみた。

帰りはお野菜やさんやスーパーに寄って、両手いっぱいのお野菜を買って帰ったので、なかなかにしんどい。

帰宅後、昼ごはん作って、食べて小休止。

私が少し動けるようになっているからか、
家族の手抜き度がみえてきた。。。
私がしないと何も動かないような状態が起こる。
食事や洗濯や片づけや。

いらっとするが、私もきついのできつい時は寝る。

母親の転院先についての話を、昨日はケアマネさん、今日は現在入院している病院とやりとりする。それを弟に連絡。
娘から健保の相談がある。
息子から高校への不安や悩みを打ち明けられる。

正直どれもどうでもいい(--;
が、自分が思っていることを素直に言うしかない。
それをするかどうかは他人だからしらない。

疲れて眠いのだ私。

昨日は疲れすぎていたのに、いろいろあって寝るのも遅れ、
寝ても深く眠れなかった。

今夜は寝る。
既に眠い。







Happy日記0118

・いっぱい寝た!

・食欲少し復活した。嬉しい。

・おなか、痛みが薄らいでる。嬉しい。

・お散歩から足を延ばし、氏神さまに初詣&お地蔵様に初参りwith娘。楽しくほっとした。

・お散歩に疲れ、夕方ゴロン。気持ちよく。

・母のケアマネさんに電話。今後の方針相談。ほっとした。

・今日の晩御飯は娘が全部作ってくれた。ありがたい。

・お風呂が気持ちよい。

・ご飯3食どれもおいしい。

・息子がおはぎを買ってきてくれた。一口サイズがちょうどよく美味しい。

・「自分を信用・信頼するってどういうこと?」の問いに「思ったことを言う。」「言ったこと(思ったこと)をする」という回答が。なるほど。わかりやすい。

・友人とひょんなことでつながっていることがわかる。ご縁を感じる。面白い。

・息子がお風呂でシャウトしているのを聞くのが楽しい。