ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

仏壇と結婚と病気。 2019.8.15

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お盆最終日。
朝は目が覚めるのだけど、起き上がれない。
首と肩が固まっていて、起き上がるまでに、じわじわっといたくないところを探しながらゆっくり移動して動かしていくので、それがしんどくて4回ほどあきらめて寝るw

まあ気分的に「休みだし起きたくない」というものがあるわけで。

さて、そんな感じだったので、今日は一日家にいようと思ったのだけども。

今日の3本です。
★仏壇を買いました
★娘の彼から、「娘さんと結婚させてください」
★病気のキャリアと向き合うために

最初から行きますと。
★仏壇を買いました

お盆初日に、夫から誘われて仏壇を見に行ったのです。
2軒回って、決めきれず、まあでもいくつかの候補に絞ってはいたんですが、
家に帰ると、もう今のままでよくない?と思ったりし。

今は、箪笥の上にお位牌3つ、先祖のわかるだけの方の名前を書いた色紙(30数名分)、お花、線香立て、ろうそく立て、おりん。
毎日そこにお茶とお水をあげています。

で、今日、夫がまた見に行こうというのです。台風も行っちゃったしと。
そこまで言うならと思って出かけました。

うちのはお位牌が大きくて。
実家は檀家で、それも取りまとめをしていたくらいだったから、
坊さんきっと張り切って、檀家の長の長男(私の父)の位牌だからって、多分少し大きめのやつになったのでしょう。
名前を彫ってない金額が7万いくらかでした。ひぃ~。
戒名つけてもらって何十万ですよね。ひゃ~。

で、その位牌が入るくらいは高さ欲しいし、でも圧迫感は嫌だし。
悩んでたけど、金額的にそう高いものじゃなくてもいい。合板じゃなければいいと思って、ウォールナッツ(くるみ)の茶系のやつにしました。
浄土宗のやつですよとか言われたけど、うちたくさんの家系が入ります、そこに。
夫のところが浄土宗なので、まあちょうどいい感じ。

仏壇屋さんが言われるには、お寺さんとの関りがあるなら、言われるかもしれないけれど、手元でご供養されるのならどんな宗派のものでも問題ないと。
実際そうだろうと思います。

自分の実家が曹洞宗で地味なので、浄土真宗系のきらびやかなやつをみると目がちかちかしますw
おそらくそれは慣れとかの問題もあるのでしょうね。
初めてじっくり中に入ってみる仏壇屋さんは、なかなかなワールド感があって、非常に興味深かった。
しかも金額が全く読めない。
今どきの仏具の方がお高いようです。
線香立てとろうそく立て、花瓶の細くてスタイリッシュなやつがあったので、
「ああ、このくらいのはいいなぁ」と思って値札をみたら8万弱。ひぃ~。
別のやつは2万台。8万のを見たら安く見えるけど、それでもそんだけかかるんですね。

中に入れるのは、阿弥陀様にして、それも何種類もあったのの中から気に入った方のを選び(それまた浄土宗のやつだった)過去帳と台も選んで総額〇〇万で、
お盆ですからねとお値引きいただき、〇万台にしていただきました。

帰りに夫に「なんで仏壇買おうと思ったん?」と聞くと、
「毎日、箪笥の上に拝んでるから、あった方がいいかなと思って」と。
あんまり意味がわからないのですが、あった方がいいと思ったというのが理由なのでしょう。
私は「囲いが歩かないかの違いやん」とずっと言ってたのですが。
(こだわらない)

まあでも、ちゃんと阿弥陀様を据えられたので、よしです。
そこがちょっと気になっていたので。
曹洞宗はお釈迦さま。
でも今は複合なので「南無阿弥陀仏」と唱えてますから、阿弥陀様が適当かなと勝手に判断しています。

ちょっと形式を整えたら、また毎日のおまいりが少し変わるのでしょうか。


★娘の彼から、「娘さんと結婚させてください」

先日、彼もいっしょに家族旅行したので、その時に何か話があるかなと思ったけど、そこまでには至らず、その後彼らも思うところがあり、具体的に結婚する話が出ていました。
この8月で付き合って6年だし、と彼は言ってましたが、
きっかけやら、ふんぎったのは、実はももクロのビデオレターがほしいからw
ももクロのライブで、カップルシートの特典は、1ケ月以内に入籍したら、直々のビデオレターがくるらしいんですよね笑
娘が引きずり込み、ふたりはももクロもののふさん。

数日前から、娘とは話をしてて。
今日、フェイスタイムで顔合わせてお話を聞きました。
せっかくならリアルに話が聞きたかったのだけども、
そしてお約束の「娘はやれん!」ってばーんとかするのやってみたかったのに笑
(基本父親がやるやつ)

私からは、二人で自活をすること(今は実家にごやっかいになっている)を条件にしました。

この辺は本人が決めることだけど、そして本人たちも決めていることだけど、覚悟を問う部分ですから。
人に誓えば、自分たちも意識しますから。
この辺は、自分の経験から。

で、この後は向こうのご両親に話をするとのこと。

入籍は今月末から来月頭になりそう。
いろんなことを決めるようになるんでしょう。

★病気のキャリアと向き合うために

さて、その決め事の前には、気になるのが病気のこと。
夫の病気は遺伝性のものなので、娘もキャリアです。多分。

彼女は検査を全くしていないのですが、
本人の発病の可能性もあるのです。
で、今後妊娠出産となれば、その子どもへの遺伝は1/2の確率であるので、
そのことを彼と彼の家族には伝えるべきだし、
検査もしておかねばというのが夫の意見。
まあいつかはと思っていたので、そのタイミングなのでしょうが、
相手がどう思うかは、難しいところです。

この件では患者の会の方に相談済み。
いろいろ動く必要も出てくるかもしれません。

考えても仕方のないこともあります。
でも、うまくいくことを願います。

さて、明日は早いのでした。寝ます。
肩が早く治りますように~。



母と暑気払い。記憶の妙。2019.8.14

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なかなか書けないでいる日記。
ちょこちょこFBには書いているので、
そのFBに書いたものをベースに加筆して載せておきます。

今日は、母を誘って居酒屋に。
~~~

思い立って、母を誘って居酒屋で暑気払い。
二人でこうして呑むのは、もしかして25年ぶり位かも。

今年は、お盆に長崎への帰省はなし。
先日義母プレゼンツで広島の旅をしたので、もう帰らないと夫が宣言。
義母はちょっと寂しそうだったけど。
私もプロジェクトがあっていて、やっと休める3日間なので、
正直なところ、帰省しないのはありがたい。

息子はというと、12日からともだちと東京でアニオタの旅をしているw
本来なら今日帰ってくるはずだったのだけど、
超大型台風のおかげで帰福予定の便が欠航の可能性が出て、
振り替え可能になって、まだまだ遊びたい彼らは2日延長したのだった。一緒に行った友人の友人のお宅にごやっかいになってるらしい。
振り替え手続きも自分でやってたし、
失敗したとしても経験になるからまあいいかなとは思ってる。

きっと、志望大学は東京に絞られるのだろうwww

明後日は無事に帰ってきますように。

===
先日ニュースを見ていて、あれっと思ったので、記憶をたどってみた。

日航機事故の時、私は実家の本家に居て、
親族たちも毎年のようにたくさん来ていた時に、テレビからのニュース。
「とんでも無いことが起こった」と思った記憶がある。

日航機事故は昭和60年。

父が亡くなったのは59年10 月。
だから、その時は初盆だったはずだ。

私がバイク事故で大腿骨骨折して手術したのが60年1月。
治りかけの6月に再度骨折して再手術した。
その時の入院は1ケ月半位だったから、8月のこのお盆の時期は、
やっと祖父母の家に帰って来てクタクタな時期だ。
あの夏は体力が落ちてしまっていて、
食べられずきつくてずっと寝ていた記憶がある。
確か8キロくらい痩せて、9月に大学に行った時にみんなにびっくりされた記憶もある。

でも、私にとって大きなこれらの出来事が、
同じ時期なのに関わらず、私の中でリンクされてないことに気づいて、
ちょっと驚いている。

私が日航機の事故をテレビで見た、あのシーンは、そこだけが強烈に切り取られている。その右側の奥の仏壇の横には、回り灯篭や、お盆の長い提灯が書けられていたはずだし、そこには父の遺影もあったはずなのだ。

そして私自身の身体は、当時はまだ松葉杖だったはずで、ぎこちなさ不自由さを強く感じていたはずなのだ。でもそのことは全くそのシーンとは連動していない。

ほんとに、衝撃的なニュースが流れるあのテレビの画面を、少し遠くの座敷からみている、その状況の切り取りだけが記憶としてある。。数秒間の動画的な記憶。

それを昨日考えていた。

私は結構昔から記憶力が良い方で、
それを自他共に認めてたのだけど、記憶ってあてにならないものなのかも。
そういえば、ちょっと前に記憶がないことに衝撃を受けた投稿をブログでしたなぁ。

で、暑気払い。私は小さいビールで、母は日本酒。
お刺身や焼き鳥をいただく。

母と飲みながら、さっきの記憶の数々を母に確認するも、
母も、佐世保に来ていたはずなのに「福岡でテレビを見たと思ってた」とかいうから、
二人で「記憶ってあてにならんね」ということで話は収束した。

そういうことで、記憶ってかなりあいまいで、
昔のことになればなるほど、時間軸はあいまいになっていきます。
そういうことが増えてきました。はい。

まあ、母とこういう話が出来るのは、一緒に生きてきたからなので、
ありがたいこと。
お盆に、そういう話が出来るというのは、
向こう岸に早く渡ってしまった父の計らいなのかも。

母も少しお洒落をしてた。
娘がプレゼントしたシャネルの5番の香りがふわっとする。
「やっぱりいい香りだね」っていうと「あ、香る?」と嬉しそう。

母も随分元気になって、施設では車いすだけど、
外に行く時には杖で私が手を添えれば随分歩けるようになった。
今日もいい感じだったので、
「この感じならバスにも乗れるかもね」というと「うん、そうかもね」という。
会話も前向きになってきて、嬉しい限りだ。

今日は息子も夫も不在だったから、ある意味タイミングが良かった。

近況。 2019.8.6

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水神公園の流れ。見てるだけで気持ちいい。


2週間以上のご無沙汰でした。
とにかく、時間がないというか、いろんな準備やらなんやらと、
怪我の治りが悪くて(というかその余波で肩が固まって)痛くて、ってのもあり。
家族旅行の準備、プロジェクトのもろもろ、ああ、誕生日祝いやら、うなぎの日なんかもありました。
新しい仕事の話やら、関わっているNPOに顔出したりもあり。
このあたりまでは元気だった。矯正の調整日もクリアし、
息子と天気の子を見に行ったりもし。
そして先日は学生と下見旅行に山口県美祢市に行ったら、いや~もう消耗。
軽い熱中症なのではないかと思うくらいにしんどくなっちゃって。
ここいらから、ちょっと体が悲鳴を上げ始めたので、
おうち作業に切り替えて、今日は一日おこもりデーでした。
ほんとは、一日何にも予定のない日がほしいところだけど、
今はそんなこといってらんないのです~。

お盆はそうしよう。

==
少しずつ振り返り。

うちの今年のうなぎの日は、7/26でした。
今年の丑の日は7/27だったんですよね。多分。
でも、27~29は家族旅行の予定が入っていたので、
26日に。
わが弟がスーパーのデリカ部門にいるもので、
まあ少しでも注文してお手伝い。
今年は昨年ほどの高値ではないというものの、
そこそこ量買うと、いいお値段いたします。
そこは、わが弟のために、姉は頑張りました。

夫の誕生日でもありましたので、うなぎとケーキ。
当の夫は、まだまだ不調。
大丈夫か?旅行行けるのか?という感じでしたが、
彼が食べられない分は、息子が頑張りますw

同級生の3人でやってるメッセージグループがあるのですが、
そのうちの一人の誕生日が7/26。
夫と同じ誕生日なわけです。
そしてもう一人の子の夫君の誕生日も、これまた7/26なわけです。
「笑うよね~」って毎年言ってますwww

私の近しい人にもこの誕生日の人がいて、
親しい学生のお父様もこの日で。

生まれすぎじゃない?7/26.

今年の7/26は、旅行前日だったので、自分の準備に、夫の体調に、山形から飛んでくる娘と彼氏との連絡にと、やたらと気ぜわしい一日でした。

そして、旅行では広島の宮島に行くので、
そのための準備も。

宮島は祈りの島です。
その前は2017年の1月に行きました。
2年半後の再訪は、どう祈ろうか、なかなか落ち着いて考える余裕が取れなくて少し焦っていました。

行く前の週に、母のところの近くのお地蔵様と、氏神様とその下の福徳延命地蔵菩薩さまにご挨拶。そこで、「今回はこれを祈ろう」というのが絞れてきた感があります。

前回は巡禮記で行ったので、
先達の育子さんにご相談。丁度お盆のご相談会の時だったので、
急ぎ対応していただきまして、祈りのポイントを確認しながら、

とはいえ家族旅行なので、もろもろ気を使いながら、お参りしてきました。
どうにか2日間で祈りコンプリート!

これは今後の振り返りのためにも残しておかないといけないので、
次回からゆっくり家族旅行記、書いていこうと思います。

時間が取れるのかどうかが問題ですが、、、。

「自分の体を一番大切にする」って口では言えるけど、なかなか難しい。
仕事や約束や、私がやらないと動かないこともある。
でも、それでも体を休ませることを優先することは、やっぱりすべきことだと思う。
完全休業じゃなくても、家でできることをする。
それがいいのかどうかはわからないけど、
今日は家で仕事がはかどった。
大学に行ってMTGに参加しながらだとできなかったことだ。
(私はマルチ作業が不得意なので)

久しぶりなので、いつも以上に散文。

明日も自宅だけど、いろいろ用事があって、休めなそうだから、しっかり寝ないとなぁ。と言いつつもう1時過ぎ。
おやすみなさい。
明日は今日よりもっといい日。

初めてのデート 2019.7.23

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夫の不調は相変わらずだし、私の肩もまだ治らないし、
落ち着かない毎日ですが、それでも日は登り沈みますね。
毎日、朝晩と神様仏様にお参りをするのですが、
夜は「今日一日、私と私の家族が健やかに暮らせましたこと、ありがとうございました」という時に、
「ああ、そうだ。健やかかは置いておいたとしても、どうにか暮らせたな」と改めて思うのです。

私は多分Xデーが怖いのです。
だけど、生きていくうえで、Xデーはどうやっても来る。
いろんな人と関わっていると、その数の分だけXデーを味わうことになる。
死を恐れてばかりいると、生きることに目が行きにくい。
痛みを恐れてばかりいると、そのもとになっている怒りや悲しみなどの感情に目が行き難い。
目の前のことに囚われていると、本質に気づきにくい。

どれも同じだなと思います。
人生ってほんとに学びですね。

===

さて、いろいろあっておりますが、
うちの息子も夏休みに入りました。
弁当生活が中断したので、グレ母の起床時間が遅くなっております。
アラームが3回鳴っても、起き上がりません笑
おかげで、自分のタイミングで起きることができて、ありがたいものです。

横向き寝の効果があっているのかどうかはわかりませんが、
昼の眠気はぐっと減りました。

横向き寝と同時に今、頑張っているのが、
朝起きてからと、夜寝る時の深呼吸。
腹式→肺の後ろに呼吸を入れるピラティス風→吐く時におなかを凹ませて意識を足の方に向けていく呼吸。というのをやっています。
悪くないみたい。

今日は、久しぶりにヨガに行きました。
整骨院が混んでいたので、ちょっと遅れての参加で、
40分くらい。
もちろんまだ右腕は使い物になりませんが、
他のところを伸ばしたり動かすのはとても気持ちがよく。

一カ所がダメになると、ほかのところも一緒に固まってしまいがちなので、
動かした方がよいなとこれも改めて思いました。
響く時があるのでそういう時はちょっとつらいのですけどね。

さてさて、標題の件。
うちの16歳息子です。

息子の秘密をさらすのってどうよとも思いますが、
まあ本人がペラペラしゃべるので、よいという判断です笑

というか、まだまだ恋愛のれの字も始まっておらず、
デートというよりも「初めての、異性と二人っきりでのおでかけ」でした。今日。

お出かけが決まったのは、3週間ほど前だったでしょうか。
娘と電話で話をしていた時、(うちではスピーカーホンでみんなで話します)
息子が突然やってきて「ぼく、デートがきまったけん!」っていうのです。
みんなで「は?」「誰?」「いつ?」「どこにいくん?」と質問しまくりw

高校が変わったので、新しく友だちになった子なのかなと思ったのですが、
聞けば小学校から一緒の子らしく、どこからつながったのかよくわからないのですが、
まあLINEで良くしゃべってる子らしい。
(今日のリサーチによると、小6の時に同じクラスだったらしいので、後でアルバムをみてみようかとw)

それにしても、最近の子はこういうことを家族に話するのって、普通なんでしょうか?
私はありえませんでした。
うちの父は、男友達から電話が合ったら、ガチャンと切る人だったので( ´艸`)

今日行くことが確定してからは、
息子は髪を切りに行き、眉カットもし、
昨日は三者面談の帰りに、一緒に街に出てお洋服を買い(私は財布役)、
コーディネートは万全。

一昨日、息子から「デート代を頼めないでしょうか、お母さま」というメッセージが来てびっくり。
「女の子からすれば、デート代を親に出してもらう男って引くよ?」
というと「墓場まで持って行きますので大丈夫です」という(--;
とりあえず、「貸し」ということにしました。

今日は、二人で公園のヨーグルトスムージーやさんに行ったそう。

「緊張した~!」と電話がありました( ´∀` )

とはいえ、まだまだ恋仲というわけでもなく、
さてその後があるのでしょうか。
本人は、何度か誘いたいみたいなんですが。

頑張れ~。

こういうので楽しませていただいてます、人生。
捨てたもんじゃないです、人生。

という、今日は軽めの話題でした(^^)

昨日今日のこと 2019.7.19

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外からの刺激にとっても弱い私である。

痛みについては、自分が抑圧した感情が引き起こしていることについて、
頭では理解した。
が、納得はしていない。
なんでそうなるんだろうというのがわからない。

自分のことなら、まあそうかもなと思い当たるものもある。
がそれも、全部が自己責任であるわけでもなさそうなので、
それに対しての心持をどう置けばいいのか、考えあぐねる。

あたまでは、魂が仕組んだゲームであるとか、神様の掌の上で人生を学んでいるとかいうことは言われればそうかと思う。
でも、生身の人間としての感情は、そう簡単に処理できない。

だから私は、おそらくそれを痛みとして感じることで、「生きてること」を実感しているのだろうとは思う。

でも、それを、実際痛んでいる人に「その痛みは自分の怒りが引き起こしているものだよ」だとか「魂がね」とかは言えない。

言えないほど苦しんでいる人を前にすると、
自分が痛みに対してやっとたどりついたその理論でさえ、
きれいごとに思えてしまうのだ。

===

このところ、夫の調子がまた悪くなっている。

難病2つに、原因不明のあちこちの痛み苦しみが出てくる夫をずっとみていると、
感受性の強い私はかなり影響を受けてしまう。

3年前に夫と母のダブル入院手術という状況にあい、
そのダメージのあおりで自分も身を崩したので、その教訓から、以来自分と他者の線を引くことを頑張ってきた。

2つの理由による大きな波は、現代医学によりその原因に対する対処が行われ、消去法により、随分落ち着いた波になった。
私は私で、現代医学の手も借りながら、自分に向き合うことで少しずつ自分理解をしている。
自分が、自分という肉体と意識体から成り立っていること。意識体は顕在意識と潜在意識とがあり、潜在意識のことはどうやら魂と呼ぶのが適当だろうということを認識した。
頭からのインプットからの理解と、身体の感覚、体感から納得する理解で、必死に「生きるとは」「命とは」「魂を磨くとは」等々を理解しようとしてる。

波は穏やかになったかと思えば、また寄せてくる。
いろんな波がやってくることを、私はまだよしとしていない。
いつか波乗りを楽しいと思えるといいなと思いつつ、
「どうしたら波がこないようにできるだろう」なんて、非科学的な、考えても仕方のないような壮大なことを考えてしまう。

夫の現状はというと、頭痛とめまいが主訴だ。
夫は症状がひどく出る人であることは間違いがない。
持病の一つが、痛みを激しく感じるという特性のものなので、それが関与しているのかもしれないが、今回は特にひどい。

昨日は息子と食事、買い物に行った先で動けなくなり、息子から私に電話があった。
車で行ってるものだから、落ち着くまで様子をみるしかなく、息子は仕方なく店で落ち着くのを待っていたようだった。
息子から電話があったのだが、私が行ってもどうにもなりそうにないと判断し、
店の人にお願いして、少し休ませてもらうようにお願いすることと、
様子をみて動けそうならタクシーで帰ってくること、その際お店の人には車を置かせてもらうことをお願いすることを伝えて電話を切った。

ほどなくして、2人が帰還。
ふっと動けるようになった瞬間があったらしく、車で帰ってきたと言っていた。

そんな状態ではもう車を運転させるのも怖い。

その辺は本人もわかっているようで、タクシーで動くことも多くなってきているが、
症状がいつ襲ってくるかわからないので、怖い。

息子からは「おかあちゃんが、ペーパーじゃなかったらなぁ」と責められるが、どうしようもない。

夫はこの3年で体調が著しく不安定になり、体力もなくなってきたので、足腰の筋肉も衰えている故、ふらふらすると余計に危ない。
バランスがとれないので家でもよく倒れるようになっている。

現時点で、本人は寝ていればどうにか落ち着くようだったので、
昨日は夜に3人で出かける用事があったが、とりあえず寝せて息子と二人で出かけた。
お芝居を見るためだ。

お芝居は楽しかった。
大好きなかぶり物劇団のお芝居。

息子とでなければキャンセルしていたかもしれないが、とりあえず出かけた。
何も考えず舞台をみることに集中する。笑う。しんみりする。
そういう時間がありがたかった。

介護、というほど何かをしているわけではないが、
病気の家族を持つと息が詰まるような状態が日常的にある。
私の無呼吸も、そういうところから起こっているのかもなと思うところもある。
意識からそういう不安やモヤモヤを外す機会を作らないと、
自分が保てなくなる。

息子が一緒に居てくれることは、とても心強い。

帰ると、夫は起きて風呂に入った後だった。
少しきつそうだったが、風呂には入れる。
食事は、作っていったマーボー豆腐は食べれず、雑炊を食べていた。

そして翌日、朝は寝ていたので、静かだった。
寝れるというのはいいことだと思う。
私はMTGがあったが、気になるので欠席させてもらった。
寝ている間ならとも思ったが、昨日あれだけ酷かったのでちょっと心配だった。
必要なら病院に同行することもあるかと思っていた。

11時過ぎくらいに、夫が起き出してきた。
痛みはしていないが不安定な様子。
そのうち痛みが出てきて激しくなってきた。
小言も増えている。
おなかもすくようだが、食べられない。
「何か作ろうか?食べられそうなものある?」と聞くも「考えられない」という。
とりあえずポタージュスープは作ってみたが、却下された。


夫は週3で透析に行っているので、基礎バイタルはチェックしてもらえている。
ちょっとした風邪のようなものであればそこで対応してもらえるようだが、
直接的に腎臓に関係ないものは、個別に専門医に受診することを勧められる。

夫は1ケ月近く前に、近くの脳外科に診ていただいた。
そこは割と評判のいい脳外科だ。(というか、悪い噂を聞かない。ネットでも評判がいい)
そこでの受診結果は、脳CTには異常がなく、脳血栓もない。
肩こりが原因だろうということで、漢方薬をもらって飲んでいたようだった。

昨日、「思えばそれが効いていたのかもしれない。しばらく頭痛も落ち着いてたから、そのまま放置してたんだけど」という。
「ならば、その病院に行き、再診してもらい、必要ならばその薬をもらえばいいではないか」と伝えるも、なぜかすぐにはうごかない。
痛みに耐え、「どうすればいいんだー」と言っている。

今日は夕方から透析がある。

私は病院を検索し、昼からの受診時間を確認してみる。
14時30分から午後の受診が始まり、その時は丁度その時間を回ったすぐだった。

夫から「タクシー呼んで」と言われ、タクシー会社に電話をかける。
服を着るのもすぐには着れず、靴も履けないので、付き添う。
病院への付き添いは固辞された。
とりあえず玄関から、階段を降りるところまでを見送り、
タクシーに乗り込んだのを確かめて、病院に電話をし、事情を説明した。

受付の方は、すぐにカルテを確認してくださったようで、
現在の状況と前回の受診状況、透析医の確認をしてくださった。
テキパキされていてありがたい。
前回、夫を診て下さった先生は、今日は居られず別の先生になるとのこと。
患者さんが多く、待つことになることを伝えられる。

私からは、とりあえず先ほどタクシーに乗って行ったこと、
本人かなりつらくて話ができるかわからないので、とりあえず事情説明の連絡をしたこと、
今日はこの後透析予定であることを伝えた。
「あっ、今到着されたかもです」と言われ、そのままお願いすることにした。

===
なにをどうすればいいのかというのは、正直私にもわからない。
本人の意思が強いので、本人が動くと言わないと動けないのだが、
それが命取りになることは避けたい。

母の時も夫の時も、そういうことばかりである。
私はいつも判断を迫られる。
本人の記憶や意識がないと、判断は楽だ。

が、私はどうやっても第三者であり、
それを決める第一の人間は本人だ。
その本人に代わり、判断をするべきタイミングはいつなのか。
その機会をちゃんと私はつかめるのだろうか。
その不安は常に付きまとう。

今までは、振り返ると結構ベスト、いや本人を説得してしまくって、ギリギリのところで本人が折れて搬送してきた。
この作業が結構骨が折れて、大変だ。近くにいる宿命だから仕方ないのだろうが、
ほんとに粘る人たちだ。
私は彼らに何をみせられているのだろう?

何度もこれを繰り返しやっているのは、どんな学びをしろということなのだろう?

私自身は、ダメだと思ったらすぐに専門家にお願いしようと思う方なので、
彼らの気持ちがさっぱりわからない。
看る方の気持ちにもなってよと思ったりもするのだが、
看る方は痛まない分絶対楽なんだよね。


彼らの苦しみを私が勝手に感じてはいけないと思っている。
そばに居るのが役目なのであれば、
その役目を全うすべく、じゃあどうすればベストなのだろうか、
それを頭で考えるのではなく、
つど自分の感覚で判断できるようになりたいものだと思う。

自分の判断は絶対間違いがないと、
それを信じられる自分になりたい。
不安や抑圧におしつぶされないように。

今は、ひたすら眠い。

しばらく横向き寝が随分と定着しつつあったのに、
痛みや酸素不足が続くようになっている。
これは、現実をみたくない私の逃げなのだと思う。
心が受け止めるのを拒否ってる気がする。
TMS的に考えるとものすごくあてはまる。

考えても仕方ないことなのだから、
頭も休息を取り、心の問題として
「すべてうまくいっている」と、
見えないものを信じる心持になるしかないのだろうなーとぼんやり考えている。

あったことを全部書きだしてみた。
その時の私の心情も書いた。
こうして出してしまえば、そのことはもう考えずに済む。
頭と心の中の余白を持たないと、
安心もできないし、いいアイデアも出てこないから、
まずは書いてみた。

かいてみれば、なんてことはなく、
ちょっと夫の病気が重くなっただけの話で、
私がいかにナイーブかだけが浮き彫りになって、
なんだかえげつないというかきついもの見せられるなと思うけど、
そんな自分をみて折り合いつけろということでもあるのかなーとも思う。
うう、もうよくわからない。

しばらく自己逃避しよう。

ご飯作ってきます。

母への告白 2019.7.16

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■母からの突然の言葉

弟から電話があった。
私が母のところに行った翌日だったかと思う。
「母の家から香水を持ってきてって言ってたよ。」

母の家はもうない。
1年2ケ月前に、母が痴呆を患っている時に、処分したのだ。
苦渋の選択だった。
それしかその時には選択肢がなく、弟も私も同意で決めていった。

この作業はかなり私の精神には辛い作業だった。
母はまだ生きているのに、ほぼ意思疎通ができず、
私はそのことにショックを受け、また母宅をかたづけながら、ものたちひとつひとつからの思い出を処分しなければならない現実に押しつぶされそうになりながら、やっとの思いで立っていた。
娘に随分手伝ってもらい、最終的には片づけやさんに入っていただき、処分した。

弟は忙しさを理由に出てこなかった。
彼の中で、これは私がするものだと決めているようだった。
彼は余裕がなくなるとよくこうなる。

だからなのかよくわからないが、またもや彼は自分で言わずに、私にそのことを振ってきた。
怒る私。
が、私が怒れば、その痛みは私に出てくる。

痛んでいるうちは、その怒りをノートに書きだしたり、TMS対処の方法でしのいだ。
怒りを乗り越えないと次にあたれない。
まああいつはそういうやつだから仕方ないという、私のあきらめもどこかにある。
(仲はいいんですが)
あいつにいったところで、何も進まないからこれ以上は言わないだけだ。

それよりも、母にどう言おうかが問題だった。

私はうそをつきたくない。
嘘が嫌いだ。
それを自分の中にためておくことは、あまり好きではない。というか、かなり苦痛だ。

ただ、今回は母のためには「今は言わないでおいたほうがいい」という、
判断をし、とどめておいたものだった。

■リハビリ病院から、老健、特養に移った経緯

母は、家を処分するちょっと前にリハビリ病院から老健に転院した。
リハビリ病院では、みるみるうちに痴呆になってしまい、要介護3のランクもついた。
私と弟はかろうじて認識しているが、ドクターとスタッフの方を敵だと思い込み、ハンストする。薬も飲まないので、その度に私は呼び出されていた。
家に帰るといい、ベッドを降りるので、半拘束的な処置を取られたこともある。

老健にうつると、リハビリ病院より、幾分元気な方々が周りをうろうろされている。
スタッフの方も多く、よく声をかけてくださるので、無表情だった母の顔に表情が戻った。この頃から少しずつ痴呆がほぐれてきて(という言葉も変だけど)、ついに常時覚醒した。
本を読むのも再開、よくしゃべるようになり、ご飯が美味しいとばくばくたべるようにもなった。老健を出るころには、要介護は2になった。
ここまで変わるとは。

リハビリ病院では、脳のCTで脳の萎縮もみられ、脳梗塞の後もあるし、もう元にはもどらないでしょうといわれていたのに。
この言葉に後押しされたから、家を処分できたので、まあ私たちにとっては必要なことばだったのだが、母が元に戻るということを想定してはいなかったので、母の帰り先をなくしてしまったというのは、私の中に残った。

当時、恒例の一人暮らしの方を看取る仕事をしている友人に、話を聞いてもらったことがある。
「もしも、おかあさまが元気になられて、施設を出てまたアパートを借りることになるくらい快復したなら、それはその時に考えればいいじゃない。お母様にもそういえばいいじゃない。」と言われて、そうかと気が楽になった。


母が気に入っていた老健だが、そもそもそこに居れるのは3か月が基本限度で、その先はそれぞれ行く先を探すことになる。そういう決まりがある。
うちも2か月目にはいくつか近くの特養を回り、2ヶ所に申し込みをした。
ピーク時には100人待ちのような状態もあったそうだが、
うちの場合、母は一人暮らしで、その家に戻ること自体が難しい状況だったので、
施設によって頻度は違うそうだが、空きが出た際の受け入れ会議の優先順位は高いとのことだった。
7ケ月目に今の特養から連絡が入り、8ケ月目には申し込んでおいた特養に移動することになった。


特養に入るには、収入を開示し、本人の年金の払える額の中で生活を営むことになる。
なので、どちらにしても住居を処分する必要があった。特養に入りながら、住居を保っておくことは金銭的にできなかった。

私たちには選択肢はなかった。
当時もそう思っていたし、今もそう思う。
あの時母の意識がしっかりしていれば、母に確認しただろう。
が、当時はそれもできない状況だった。
(リハビリ病院の先生に相談した際は、痴呆の状態では老健に行くことと家を処分することの2つは、本人にとっては頭の中で処理ができないと言われた。
それはとても納得したので、老健に行く話だけを本人に了解してもらって、転院したのだった。)

どうしようもなかった、、と思えば思うほど、
体の中のどこかの片隅で「でも本当にそうなの?」と思う自分もいる。
第3の道はあったかもしれなかった。
私に余力があれば、それをさがしていたかもしれない。
でも、それは当時できなかった。
体力気力共に、私ができるだけのことが、今の現状にある。

母がいまの特養にいいタイミングで入れたのは、それもまた確率的にはラッキーな話だった。
老健に入った母は、みるみるうちに回復し、痴呆だったなんて嘘でしょ?って感じになった。ありがたくも老健から特養に移った時も発症せず、落ち着いてくれている。

特養は、実は要介護3以上じゃないと受け入れてくれないという話だった。
申込時は3だったが、よくなって受け入れ時には2になった。
それでも、特養が受け入れてくれたので、救われている。

母は、実はラッキーな人であると思う。
何やかや大変な人生を送ってきているが、危機に陥った時にも、なぜか救いの手が入る。そうやってギリギリのところでV字回復するので、
まだまだお役目があるのだろうと思わせられる。

■いつ言うか、どう言うか

さて、そんな感じで特養に入り、おちつきかけた11ケ月目に、
いきなり告知のタイミングがやってきた。

特養に移ってから、いつこの話をしようかというのは、ずっと私の中にはあった。
が、本人から言われるまではやめておこうと思っていた。
理由がなにかあったわけではないが、まずは特養の部屋を整え、毎日を過ごしやすくすることに腐心しようと思った。
場所はどこであれ、ベストな状態をつくってやりたかった。

そんな時に、
「母の家から香水を持ってきてって言ってたよ。」という言葉が降ってきたのだった。

当時、部屋の片づけを手伝ってくれた娘に言うと、
「なかったって言えばいいんじゃない?わざわざ家を処分したって言わなくても。」
という。
なるほど。そういう考え方もある。

が、嘘はぼろが出る。
母には真実を受け入れてほしいという私の思いもある。
重病でも痴呆でもない状態だから、こそだ。

夫にも言ってみたが、「そうねぇ」で終わった。
親のことは「子」が関わりを持つのは当然なので、私自身も夫に期待をしているわけではない。アドバイスをもらえるなら、なんだけど、ないならないで構わない。

ここは私の思いを通させてもらおうと決めた。

とはいえ、ベストはどのタイミングでどんないい方がいいのかは、悩むところだった。
しかも、その香水についての情報がない。
母の部屋の引き出しにあったような気は確かにする。
でも、母からその由来について聞いたことはなかったと思うし、
今回母がどんな気持ちでその言葉を言ったのかもわからない。

聞くしかない。

行くタイミングは、いつもの通り週末しかない。
が、一人で行くのはなぁと思い、息子に相談したのが3連休の中日の夕方だった。
いくならその日かなと思っていたのだが、大雨で、行きあぐねていた。

決めはしているが、どうにもしゃきしゃきしない。

息子に話を聞いてもらい、結局、彼も同行してくれることになり、
翌日の私の仕事が終わった頃に待ち合わせをしていくことにした。


雨も上がり、風もさわやか。
息子もいるし、近くのイオンに散歩に行こうと誘ったら、行くという。
母を散歩に誘うと、8割の確率で断られるのが常なので、
ラッキーである。
母が好きな本屋をめぐるも、好みの本はないらしい。
母は耳が詰まっているので、少し会話がしにくくなっていて、
口数も少ない。
が、コメダ珈琲ではにこやかにコーヒーを飲んで、会話もそこそこ弾んでいた。

ただ、雰囲気的にそこで話す感じでもない。

耳が聞こえにくい状態なので、外だと必要以上の大声を出さないといけないのもちょっと気が引けた。

そのまま、部屋に帰るともう食事の用意ができていた。
あまり時間はない。


■母と香水
ふと、母から「K(弟)に、香水を持ってきてって言っとったんだけど。」という言葉が出た。

ああ、今なんだ。
やっと覚悟して、私は車いすの母の横にひざまずいた。

母にはまず、その香水のことを聞いた。
「その香水って、パパの形見のやつなの?大切な思い出があるとか?」

「うん。ナンバー5。」

ナンバー5というのは、シャネルの5番だ。
そういえば、母のいつもの引き出しにあった気はする。
ただ日常的に使っていることをみたことはない。母から香りがした記憶もない。

「そんなに思いがあるってものでもないんだけど、K(かず)が”ほしいものなんかある?”っていうけん、ふっと思いだしてね。枕のところにたらしたらいいかなぁって」

香水は、父が韓国出張の時に買ってきたものだったようだ。
免税品が安く買えるので、父は韓国出張の際には山ほどお土産を買って来ていた。
買って来てもらったものはたくさんあったのだが、その香水は使う機会もあまりなく、なんとなく持ち続けていて、結局形見のようになってしまったのだろう。

父が亡くなってもう35年くらいになるので、そもそもそんなにものも残ってはいないのだが、それでも母が一人で暮らしていた家には、その思い出が充満しているものがかなり残っていた。

「そうなんやね。あのね。
かあちゃんにはいってなかったんだけど、、、」と
リハビリ病院で母が痴呆になったこと。
その時にお医者さんに母は戻らないといわれたこと。
施設と母の家を同時に保つことはできなくて、処分したことを話した。

母は「うん、わかった」といい、
じゃあと食事に向かった。
「香水は、香りがあると安心するだろうし、必要なら買ってくるよ」と言ってみたのだが、「いや別にいいよ」という。

結構そっけない。
私はというと、母はその後いろいろ考えるのだろうと思ったら、
母に言ったことですっきりなんてしていられなかった。

フロアの方に別件で呼び止められたので、ついでにこの話をし、
ショックを受けているかもしれないので、
少し様子を見ておいていただけませんかと頼んで帰った。

2日後。
母を耳鼻科と期日前投票に連れて行った。
耳鼻科は5ケ月ぶり。
補聴器も慣れてきたので、頻繁に耳鼻科にこなくてもよくなっている。
詰まっていたものも、以前よりも軽く取れて、本人も機嫌がよい。
「あ~、綺麗に聞こえる~」と満足気だ。

その勢いで、期日前投票に誘ったら、行くというので区役所に。
区役所ではレンタルの車いすがあるので、それに乗って投票所に。
投票所では係りの方が説明してナビしてくれたので、お任せする。
母はおそらく1年以上ぶりくらいに字を書いたのではないだろうか。
期日前投票の理由と、投票で字を書いていた。
ちょっと感動( ´艸`)

母からは、家の件ではその後何も言わない。

■娘からの提案

娘にこの話をしていたので、彼女からちょこちょこメッセが入る。
香水にまつわる話をすると、
「せつないね」という。

そうなのだ。せつないのだ。
母がどう思っているかわからないが、その話を聞くとどうしても切なく感じる私が切ないのだ。

娘が言った。
「その香水、私がおばあちゃんにプレゼントしたら、おばあちゃん喜んでくれないかな?」

ああ、そういう手があった。

「香水もだけど、あなたがおばあちゃんを思ってプレゼントしてくれたことに、おばあちゃんは喜ぶと思う」と返した。

よか娘や。

正社員1年目の娘は、ボーナスも出て( ´艸`)はぶりがよい。
安定的にお金が入ってくる安心感は、彼女を安定させているようだ。

昨日はシャネルに行き、モノを見てきたらしい。

「わたしもさ、おばあちゃんになにかプレゼントをちゃんとしたことなかったけど、そういうこともできるようになったしさ」と言っていた。

大人になったなぁ。

私が母にしてあげたことの一つは、孫を持たせてあげたことだと思っている。
親を早くになくし、伴侶も早くになくし、苦労してきた母なので、
その娘としては、母がほしかった愛情の足りない分を埋めてあげたいという思いを強く持っている。
孫である娘の言葉や行動は、その私の思いを受け継いでくれる感じがして、
私自身もとても救われている。

話はとりあえずここまで。
長くなりました。


呪いにきづく 2019.7.12

私は完璧主義なのだそうだ。
私自身は全くそうはおもってなかったので、
人にそういわれると、反発していたのだが、
幾人かにいわれるということは、そうみえるのだろうし、そうなのだろう。

私が思う完璧主義は、すでにほぼ完璧であるのに、その理想を高く持ち行動をしていくひとのことなので、すでにほぼ完璧でない自分は、その範疇には入らないと思っていた。
だから自分は完璧主義ではないと思っていたのだが、
どうもその前提が人と違うのだろうと思い始めた。
完璧主義とは、その人がどういう状態であるかは、あまり問題じゃないみたい。「理想が高く道徳的観念を持つ、自己批判的で他人の批判に過敏。」と書いてある。

「理想が高く道徳的観念を持つ」ゆえに「自己批判的で他人の批判に過敏」になるのかなとは思う。
であれば、当たっている( ´艸`)

私から言えば、自分はいろんな部分で「ある程度の標準」くらいまでは知識常識、それができる技術を持ち合わせて居たいと思って生きてきた。
日常的に人が生活をできるレベルは必要不可欠である。世間に関心を持ち、自分事として社会を見る人でありたい。
が、正直なところ、私自身のスペックはそう高くない。だから努力しないと保てない。
故に頑張る。
その姿が、他者からみると「完璧主義」にみえるらしい。
私は単に真面目なのだろうと思う。

が、子どもの頃から私以上に真面目な人たちがいる家に育ち、「清廉潔白であること」「質素倹約であること」などを美徳とする人たちからの圧を受けて、そこで愛をもらって生きるには、そうあることが美徳であることに沿わねばならなかった。

性格と環境がマッチして、より私は真面目に育ってしまい、「理想を目指して頑張るのが美徳。そうありつづけなければならない」と精神的にいつも自分を追い詰めることで、自分の存在意義を他者にも理解してもらう、、という思考になっていったように思われる。
これは、「呪い」だ。
家族からもかけられたのだろうし、自分自身にもかけた呪い。

正直、誰からも強要はされていないし、私自身が思い込んでいるものである。(当時は何か変なことをすると、祖母が嫌な顔をして「もうこの子は変人づいてから」とか言われていたので、そういう土壌はあったと思われる)

愛されるためには、ここにいるためには、認められるには、
何か行動をする時には、そういうことばかり考えていたような気もする。

それが普通に育ってきた私は、
意識していないところで、他者からどう思われるかを非常に気にし、自己批判的に自分を律してきた。自分に管理的に接してきたということになる。
そんなのひねくれるに決まってる。

子どもを産み育てる作業は、私の意識改革には大きく貢献してくれた。
環境も手伝ってくれたことと、私が私のような子供を量産したくなかった。
もっと自分を肯定でき、自分の中の光を頼りにもっと飛び出せるように。

そういう思いで、こどもたちには接してきたと思う。
とはいえ、途中途中で自分の管理的な部分も多く出てきてしまうので、
そういう時にはやっぱりぶつかってしまう。
自分が管理的だと思ってない時に、問題が生じがちだ。

「完璧主義なんかじゃないのに、人から完璧主義だと思われる」と思うような時には、
たいがい他者の目の方がただしい。
「管理なんかしてないのに」と思う時は、たいがい管理的な行動をしている。

そういうのに気づいたのは、わりかし最近だ。

私の周りにもそういう人がいる。
「自分じゃわかっている、自分はこうだ」と言い切り、
人からの言葉を絶対に受け入れない。
そういう人と付き合うと疲れる。
そういう自分を、その人を通して見せられてるんだろうなぁと思う。

この頃やっと、この生き方って、窮屈だなと思い始めた。
完璧主義がいいと思っていたわけではないが、
それを目指してきたのは、そうじゃないと生きられないと思っていたからだ。
理想を高く掲げ努力しないと、価値がない。
価値を認めてもらえない。
そういう強い呪いがある。

とけたわけではないと思うけど、
その呪いに対して、要らないなとやっと思えるようになってきた。

呪いを全うし続けることで、自分を価値あるところにおいておけると思い込んでいたのだ。これはおそらく対外的に。
でもそうじゃなさそうなので、却下してもいいのかなと私の中の人がそう思い始めている。
が、じゃあ何を頼りに生きて行けばいいの?
ってところで、立ち止まっている。

立ち止まることを許しているだけでも、私的にはかなり進歩である気がする。

「もうきついのは嫌だ」
「自分を他者を律するのはいやだ」
「そうだ。私はいつも自由を求めていた」

先日書いた自分の人生プロットで、子どもの頃に出てきた感情はいつも「自由」を求めていた。
福岡時代は、比較的自由に過ごせた時代だった。

マズロー欲求段階説の中で、
クリアしているのは、生理的欲求、安心欲求。
生物的に生きていける安心は持っている。
が、社会的欲求と承認欲求のところがアバウトなのに、
その上の自己実現欲求を叶えようと高望みしてジャンプしまくってるので、
なかなか成果が得られない。
ああ、そうか。なんで成果が得られないかが、今ここでわかった。そういうことなんだ。

社会的欲求は「愛情と所属の欲求」あるいは「帰属の欲求」とも表現されます。

 

 自分が自分であることをOKして自分を愛していいことをOKしないと、
ここは他者にいったとところでどうしようもないのだろう。

他者に頼れず抱え込んでしまうのも、この辺のひねくれたところで、
社会に他者に受け入れてもらいたいのに、できないのは、まず自己開示の仕方が不器用なところが起因してそうだ。

そういうことを今日は全く考えていなかったのだが、
今日は、私が抱えていた問題を、息子に聞いてもらったのだった。

以前だったら絶対しなかったようなことだけど、
いざ話をしてみると解決はしないが、ほっとした。
そもそも解決できるかどうかは、他者の範疇にある問題なので、相談したところで何も変わらないのはわかっていて、だから留め置いているものだったのだが、
それを私がひとりで抱えておく必要も、意味もないわけなので、
共有してもらったことで、自分だけがそれを担わねばならないという思いはなくなった。

こういうところからだな。
この年になって、幾分かいや随分と手放したことや
手放す準備段階に来ていることは多く、それだけでかなり楽にはなっている。

「こっちの方が心地よい」
「これがいい」と自分が選ぶことを大切にしたい。

選んだ先に、なにをしたいのか、どうなりたいのかは今は白紙。
いや、実際は何となく想像できるところもあるのだけど、
山を登ったところから景色をみたら、気持ちがまた変わってしまう可能性もあるから、
今のところは、少しシンプルな絵だけ描いて、要らないものをそぎ落としていく時期かなと思っている。