ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

息子の巣立ちに思う 2021.4.6

息子が家を出て3日目。少し落ち着いてきた。
かな?

会う人ごとに「寂しくなったでしょう?」と必ず聞かれるので、
その度にうっ、とちょっと詰まるけど。
鼻の奥がきゅんっとするけど。

でも、ここ数日はまたも手続き等での遠隔やりとりが続いていて、
これがなかなか難しい。
あれだけ説明してわかっただろうとおもっていたことがわかっていなかったり。
やっぱりまだまだ子供だった。
でもだからこそ、このタイミングで外に出したのは正解だった気がする。

さて、時間をさかのぼって思い出しながら書いていってみる。
Xデーとは、息子が家を出て大学のある地の寮に入る日だ。
その1日前。
この日は全く予定を入れていなかった。
その前日までに用事を済ませてしまう計画で、いわば予備日というやつだ。
なにがあるかもわからないから。
朝一で母とのオンライン面会。
スマホで、まだ寝ぼけまなこでベッドに居る息子のところに行き「まだ寝てまーす」「いやおきてまーす」みたいな会話を母に聞かせる。
母も「いよいよ明日ね~」と声をかけれて嬉しそう。

母からは「じゃ、今日はお御馳走作って送り出さなきゃね」と言われて
「やっぱりそうかぁ」と思った。
実は、今回はあまり気合入れて作るのはどうなのかと思っていたのだ。
思い入れが強くなりすぎるような気もして。
自分の体力のこともあったので、当日の状況でとはおもっていたのだが、
意外と早く起きることもできたし、
母の言葉に背中を強く押されて、作ってみた。

母の実家の面高寿司。
母はこの寿司を漬けるのがとても上手だった。
それで私も何度かはトライはしてみていた。
でも作るのに時間がかかるのよ。だから気合がいる。

しいたけは2日ほど干して干しシイタケにしていた。
ごぼうも1本分くらいはあったのでささがきにして、シイタケと一緒に甘辛く煮る。

もう一つの具は、本来はサバを酒と砂糖で煮ておぼろにするのだが、
今日は買い物に行く予定がない。買い物に行っていたら時間がかかる。
それで「ツナ缶でできないか」と思い立ち、
かろうじて1缶あったツナ缶の油を切って、
酒砂糖とちょっとお醤油で煮ておぼろを作った。

その間にすし飯を炊き、すし酢と合わせてうちわであおいで冷ましておいた。
錦糸卵も作った。

そして押しずしキットに酢飯、おぼろ、甘辛煮、錦糸卵の順に詰めていき、
蓋をのせて上からぎゅーっと押す。じわーっと甘辛煮の汁がにじみ出る。
ニトリのホウロウ鍋が超重いので、これを上から乗っける。
2時間半ほど漬けたので開けて様子をみてみる。
こんなもんかな。
f:id:miww55:20210406235631j:image
包丁で切り目をつけて、枠を外してお皿に入れて、ラップをかける。
そして枠を洗って、また同じことの繰り返し。
2回目行きます!
今度は3時間ほど漬けた。
f:id:miww55:20210406235655j:image
やっぱり漬ける時間が長いほどおいしい。
これまでの中では、今回は一番おいしい。やった~。
母にも食べさせたいけど、それはまた今度。今日は息子のためのお寿司。

息子も夫も「おいしい!」と言いながらよく食べてくれた。
改めて寿司の由来やら、昔は行事ごとによくこの寿司を漬けていた話とかをした。
覚えていてくれるといいなと思いながら。

残りの2切れは、出発の朝4時40分に起きた息子が、まだ外も暗いうちに食べていた(笑)
朝は時間がないだろうから、新幹線の中で食べる様にタッパに入れて持たせようと思っていたけど、杞憂だった。

結局私ができることって、ご飯を作ることなんだなぁとつくづく思う。
でもそれって、五感に訴える一番のことなんじゃないだろうか。
目で見て、わーっていいながら箸を動かす。
匂いを感じて、味わって、おいしいねって会話をしながらいただく。

それが記憶にもつながる。
いい記憶は思い出として次につながる。
そのメニューを残すというのではなくて、
そんな経験を自分の周りにもつくりたいという気持ちになってくれるといいなと思うのだ。
それは私がそうしてもらってきたから。
そんな思い出のかずかずが、家族の思い出として
大きく私を作って支えてきてくれているからだ。

改めて、自分の母がごちそうを作って送り出してくれたことを思う。
実はメニューは覚えていない(笑)
でも、当時毎日の母の手作りご飯を家族みんなで
おいしいねっていいながら食べていた風景は、
私が同じように作ってきた風景だった。
それは母が作ってくれていたからこそだった。
自然と私がそれを引き継いでできたことだったんだな。
そのことは、今回改めて感じたことだった。
ありがたいことです。母にもそして家族にも恵まれている。

あ、息子の話だったのに、こっちに流れてしまってる。
でも家族の話だ。私の中には「家族」は外せないもの。
血もあるが、血とともに流れれいるもの。大切なもの。

血を分けた息子が家を出る。
家を出るだけの話で、縁を切るでもないのに何でこんなに悲しくなるのだろうか?
娘の時も、1ヶ月くらい突然涙が出るという体験を味わった。
その時は「もうあの子のためにやってあげられなくなる」という喪失感が大きかった。
何かをしてあげる対象がいなくなる。
手をかけないと生きていけない小さい頃から、
もう一人で羽ばたいていく時期であることを親の方が思い知らされるタイミング。
自分もそうして生きてきたはずなのに、
出る側はなんともないのに残される側ってやはり寂しい。

翌朝は、早朝の新幹線。
コロナ関係もあるのか、入寮日と時間が指定されていて、
当日の12時半までに入らねばならないので、朝6時39分の新幹線で出発。
よって4時40分に起き、5時40分すぎに家を出てという、
朝寝坊が定番の我が家にしてはなかなか珍しいスケジュールだった。
保育園時代から仲良しのSくんもお見送りにきてくれた。
「3時半に寝て5時に起きました!」と。やるなぁ。
彼は在宅でオンライン研修1か月の後、関東の寮に入るそうで。
今日はお休みなのに早朝からきてくれてありがたい。

昨日までは、なんだかんだで涙が出そうだったけど、
Sくんがきてくれたおかげもあって、涙で送り出さずに済んでほっとしている(笑)

新幹線~JR特急~バスの6時間弱の旅。
試験は福岡だったので、彼にとっても初の現地。

意外に、卒業生や知人が近隣に数名いることが判明し、とても心強く思っている(私が)。
いざとなれば頼れるのは、物理的に近くにいる人。
それでもその頼りを作っていくのは、これからは自分。
楽しんでほしい。未来は明るい。若者には前途しかないよなー。