ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。最近は私の体調(うつ病)や難病(ファブリ―病、大腿骨骨頭壊死)の夫との近況についてがほとんどです。

武士の心を持つ女 2020.4.4

毎日状況が変わっていく。
いい悪いのグラデではなく、悪い方へのグラデ。

やることは決まっているはずなので、粛々とすればいいだけなのに、
私は感情の人なので、
どうしても、そこが落ち着かないと自分の動きが出にくい質だ。

FBに書いた記事。

母の眼科行きを4月に2回入れていたのを、無期延期にした。

先日、特養は面会禁止の中、「眼科に連れて行ってください」と先生に言われ、大規模有名眼科に連れて行った。(検査と診察で丸一日病院に居た)
結論的に、失明はしないけど治らないだろうといわれ、「一応注射してみますか?ききめないと思うけど」と非常に心無い言葉も言われ(ほんとはもっとひどい言葉が💦)
それでも母はうまく聞き取れなかったのか、治ると思ってるらしく、注射をするという。

それで、4月に注射とその2週間後に診察を設定していたのだけど、やはりこの状況下。2回も3密の状態に母を連れていくのはどうかと思い、またそれ以上に付き添う私の方が実は一番危険な気がして、家族に相談し、結論として4月に行くのはやめようということになった。

が、その話を電話で母に説明しようとするも、
補聴器の母の耳には電話の声がうまく聞き取れないようで、
私が自身最大の声を出しても、聞こえないという。
「え?中止?じゃいつ行くの?」「・・・聞こえない」
会話にならない会話が続く。

聞こえないのか、理解できないのかすらわからないので、
看護師さんに代わってもらい(看護師さんとはすでに調整ずみだった)、改めて説明してもらうことにした。

行って説明することも考えたが、今の福岡の状況ではリスクの方が高い。
とりあえず大き目の字でお手紙を書いた。

本を読むしか楽しみのない母が、目をどうにかしたいことはよくわかる。でも今は時期が悪い。

さて、4月末には、これまた大病院がん手術後の半年ごとの検診が控えているのだけど、これも延期でいいよね?

気持ちを考えなくて済むなら、状況判断だけでいいのだけれど、フォローができない状況下でこういうのは、私の性格上はなかなかきつい。

普通の人なら悩むことでもないのだろうけど、、、でも、今は施設の方々に託すしかない。

 

このことを自分だけで考えていた時、
そろそろ福岡も陽性が毎日2桁になり始めた頃だった。

その時私が一番優先して考えたのは、母の気持ちだった。
母の気持ちを直接聞いたわけではない。私が勝手に思っているだけ。

最近の私は、母ファーストすぎる。
なんだかそこに恐れがあるのかもしれない。
母の気持ちを汲んで、連れて行けば、正直なところ私の方が感染する可能性は高いと思う。(私は生来体が強い方ではなく、弟にも話したら、その通りだといわれた)
それでも、行かねばならない的な思考が走る時がある。
今回は、特にその思考が強くなったので、
やばいと思って、夫と息子に相談した。

この思考は、時代劇でよくみる忠臣的なやつだ。
殿を助けるために、無防備で参ります的な。
防護服着てないのに、行っちゃだめ。
客観的に見れば、私も人にはそういうけど、
感情がいろいろ入ってしまうと、判断に時間がかかる。
これまた、生き残りにくいパターンだよね。
ほんと武士だわ。忠臣。

頓死は嫌なので、自分ファーストに移行できるようにしたい。


そういえば、先月の卒業式の時に、
卒業生たちからひとりひとりメッセージをもらっていた。

私は、卒業生の子たちの顔を思い浮かべながら、
「大丈夫。誰も認めてくれなくても、私が信じてるからね~」とエールを送っていた。
そんな自分をふと客観的にながめるようなシーンとなり、頭の中に起草された文章がこれ。
「ん?私は彼らにこうして掛値なしの思いで接しているのに、なんで自分自身にはそういう思いで接していないのだ?」

自分が関わり、愛情をもって接した人には、
私は掛け値なしの思いをかける。母に接しているものと同質のものだ。

だが、本当は一番私がかけなくてはいけないのは、
私自身ではないのだろうか?

それができないのはなぜだろうと考えた時、
私は私の体が思うように動かないことが、そのことをさらに大きく問題にしているのだろうと思った。

先にも書いたが、私は幼少のころから、体が弱い。
直ぐ病気をする。体力がない。
精神力で頑張ろうと思うのに、体が邪魔をする。
そういうことが何度もあった。

今心の勉強をしているが、体は実は正直で、私の心が望むように体がそうなっているのだということは、頭では理解している。
が、それこそ心が理解していない。
だから、何度も同じ感じで玉砕している。
ここでも武士っぽい💦

大本のところで、どんなトラウマがあったのか、何度も調べてみたけれどわからない。
それならば、なにがあったかわからないけど、今の潜在意識を書き換えるもしくは上書きするしかない。
ということで、地味にスートラ(アファメーション)を設定して、朝晩ぶつぶつ唱えてみている。
19日からやっているが、見事に抵抗感のある夢ばかり見る。
今コロナのことで、ただでさえ敏感な私の自律神経が超過敏になっているってこともあるのかもしれないので、絶対そのせいだとはいえないのだが、
からだも緊張感が抜けない。

そこは仕方ないが、この壁はもう自分で壊すのか登るのか、違う道をいくのか、とにかくやるしかない。
違う道を行き、これまで何度も繰り返しているので、
登るのかなぁ。
それがあってもなくても大丈夫。そういう域に達したい。

2年前の沖縄からの、私の大きな希望。

ちなみに今試しているのは、ザ・メンタルモデルの中にあったメンタルモデル瞑想のスートラというやつだ。
ひとには4つの無自覚な痛みがあるという。
それはその人の人生を駆動させているもの。
私のモデルはまだはっきりとはしていないが、割と大きくあてはまるのが「価値なしモデル」。字のごとく「私には価値がない」と思い込んでいるというもの。
数年前は、よくこの言葉を口にして泣いていた。

他には「愛なしモデル」「ひとりぼっちモデル」(なぜか私の周りにはこのモデルが多そう)「欠損欠陥モデル」。
私は価値なしか欠損欠陥か、どっちかだと思うんだけど、
取りあえず価値なしモデル用に紹介されているスートラを採用してみてる。

 ご興味のある方はこちらをどうぞ。

 

タイプ診断に興味のある方はこちらを。

mentalmodel.jp


さて、今日はもろもろ大きな予定が終わり、ほっとしています。
毎日何かといろいろ用事がでてくるけど、
そろそろ、ほんとに断捨離の時間を取りたい。
こころと頭と環境に余白を。