ほほーんと暮らしたい(再)

いつのまにか、言葉が出せなくなっている自分に気づきました。自分の中を整理するために、自分のLead the Selfを保つために、思ったことを自由に書きたいと思います。

Happy日記0723

・母の補聴器やさんに同行。
23万で補聴器両耳分購入。補聴器は消費税不要なのだそうだ。
薬事法で定められた医療器具のため、消費税のかからない非課税対象商品」だそう。
元が高いだけに、消費税がかからないのはありがたい。
しばらく毎月通うことになるけど、たまにのお出かけは気分転換になっていいかな。

・とも子先生の本をぱらぱらめくる。

「自分は自分以外の何者にもなる必要がない」
「私はそのままでいて大丈夫。なぜなら人がなんと思おうと、私は私だから。」
「まずは、今の自分はかけがえのない自分だと認めて、これまでよく頑張ってきたねと声をかけてあげましょう。」
「『私は私なのだ』という開き直りと、『自分を好きになる』ことができるようになれば、人生の羅針盤を手に入れたのと同じです。」に納得。

「私は私なのだと思えるようになること、これは人生をかけた課題だと思って、真剣に取り組む価値のあることだと断言できます」

長い時間がかかるのだろう。長い時間かけて私がそうなってきたことを覆そうというのだから。

「誰がどう思おうと『私は私なのだ』と思えることが、毎度同じパターンで悩み、苦しみ、身体を壊すというネガティブな穴の中から抜け出すただ一つの方法なのです」とある。
どうあがいたって、これしかないのだろうと、私も思う。まずはここから。
本来の自分を知る、見たくない自分を見る。
まだプライドや無意識が抵抗してるっぽい。

何度も読み聞く言葉だけど、症状がきついと、慣れ親しんだパターンに戻ってしまう。
「あれ?これって前のパターンだよね。もうそれは手放すよ」とできるとよいのだけど。
今は変化中なのだろう。
きつい中でもふっと楽になる時がある。
その逆もある。


ピアノが気持ちいい↓

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慣れ親しんだパターンは自動運転になるという話を、FBでみつけた。
すごくよくわかる。(ので備忘録的に。最近備忘録モードである)
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「♬」って感じた、そのすぐ後に
「私に務まるのだろうか?」
「どう思われるだろう?」
という気持ちが出て来る

「みんなと一緒に○○できたら楽しいよね」
なんて、不安な気持ちを言葉で誤魔化してみたけど、

でも
「あ!これ、私の馴染みのパターンだ! 

と気がついた。
そして、すぐにその気持ちをキャンセルした。


「能力がなくても良いんだ。
人の役に立たなくてもいいんだ。
私は、私の役に立つことを、やるんだ」
そう思ったら楽になった。

 

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・真実の言葉で、相手と語り合うってかなり難しいような気がしている。
自分がそのことに自覚があるか、よっぽど他者から言葉を引き出されない限りは、
平べったい言葉ばかりが並ぶ。
私の場合は、人を目の前にすると、その人を慮ったり反応を気にしてしまったりで、
自分の本心をすぐ押し込めてしまう。自覚的ではないのがまた問題。
私の場合は、文章の方がまだ自分の気持ちは出しやすいと思っていたが、それでも出ていないのかもしれない。

おかあさんとの関係を書いた文章をFBのシェアで読んだ。

自分と母との関係にダブってみえた。
自分がこうなのだから、母に言える立場でもない。
私は母を随分自分の中では責めているように思う。
好きだし、構ってほしかったからこそ、今みたいになってるのはあなたのせいだと恨みのように思っている部分もある。

が、今日、その文章を読んで思ったことには、
母には母の事情があって、言葉にしたくてもできない状況があるのではないかと。
そしてそれは、私にもあてはまる。
言葉にできるならば、きっともっと楽なのだ。
私の奥底には、言葉に出来ない怒りや悲しみがまだたくさんあって、
それが成仏したいよと今、湧き上がる機会を待っているのかもしれないと思った。
喜びやあこがれやドキドキも、実は私の奥にはある。
どの思いも、出てきたいんだよなぁ。

そんな私の気持ちに気づけただけでも、今日はとてもいい日だった。