最近夢をよくみます。
現世では出会ったことがない人たちが出てきて、
わりとサイケチックというか、リアリティのない夢ばかりを見ていたのですが、
昨夜の夢は違ったので、ちょっと書いておきます。
その前に、少し昔話を。
私は昔からセンシティブな子だったので、
「なんかここは気持ち悪い場だな」と感じたり、
そういう場に出くわすと具合が悪くなったりすることがありました。
それが霊感というのかどうかはわかりませんが、
自分の体調に悪い変化が出てしまうので、そのことは恐れでもありました。
そのことを気にして、亡くなった父が生前に、「わかる人」に聞きに行ったり、あれこれ動いてくれていたこともありました。
今はというと、あまり気にしなくなりました。
当時は「霊障じゃないか」とも言われていましたが、
神様ごとだとか仏様のことを学んだり、
また自分の体と向き合ったりする中で、
私の体がセンシティブなのは、生まれ持った体の気質であることに納得し始めました。
それは仕方のないことで、あまり恐れとして感じ不安に思っているばかりでは、
人生の限られた時間を無駄にする、ということがやっと腹落ちするようになったということでしょうか。
とはいえ、父や母と共に神様ごと、先祖供養など「見えないもの」への信仰や対峙をしたことは、私のルーツを考えることでもありました。
その先端に立っていたのが父です。
彼は私よりもたぶんおそらく本当に霊感のあった人なんだと思います。
そしてセンシティブな人だった。
今私が持っているのは、父から受け継いだ気質なのかもしれません。
夢には、久しぶりに父、母が出てきました。
そして今よりも小さい私が、実家近くのお宅にお邪魔した時のこと、
陰気なものを感じて不安になりました。
その陰気なものは、まだらでいい空気のところも澱んだところもあるのです。
生き物のように、それらは動きます。
絡め取られてしまうと病気や狂気、死に至っていく。
今思えば、そういうところには行かなければいいし、逃げることもできたと思うのですが、私は生真面目なのかお人好しなのか、そういう誰かの困っていることを見ないふりすることができません。人一倍弱いくせに。
はっと気づくと、私は父からたくさんの数珠を握らされていました。
そういうシーンに出会うごとに、数珠は増えていきます。
一筋縄じゃいかないということでしょうか。
父は、私の前を数珠を持ちながら歩き、「難」を取り除いていきます。
私も見よう見まねでやってみるのですが、父のようにうまくいきません。
数珠はたくさん持っているのに、どれをどの時に使うのかを父は知っていて私は知らない。
ただなんとなく、こういう時にはこういう感じなのかなと思いながら、父の後をついてお掃除してる感じでいました。見習い小坊主的な感じかな。
夢の中で、サンダルを互い違いに履いている女の人たちに出会いました。
私は父に「これか!これがおかしい。問題だってことよね」というと、
父は「これはこれでいい。互い違いであっても、お互いが了解して履いているなら、これは揃っているからいいんだ。それよりも問題は、紺のスニーカーの方だ。これは一つしかない。もう一つがないことに目を向ける。」
と言います。
感覚的に問題はこれと決めつけず、原因を複合的に考えて探す必要があるのだなぁと、夢の中でなるほどと思ってる私がいました。
父の背中を見ながら、「ああ、こうして私を守ってくれていたんだな」ということを久しぶりに思い出しました。
そして夢から覚めた後、思いました。
今でももしかしたら、こうして守ってくれているのかも、と。
元来不器用な方の父が、数珠の捌きを完璧にこなし、堂々と立ち向かっている姿は、
もしかしたら亡くなってからの修行の世界で、結構頑張って身につけた技なのかもしれないと思いました。
これを読んでくれている方は、意味がわからないと思いますが、
亡くなる前に父は山伏系の修行をしたりしていたのです。山伏になる訳ではなかったのですが。
結果的には、心臓が悪いのにそんなことをしたことも引き金になって、亡くなってしまったのですが。。
父が夢に出てくることはあまりなかったので、
魂になった今はどうしているのかなと思っていたのですが、
彼は彼で成長しながら、見えないけど私のことをちゃんと守ってくれているんだなと
思わせてくれる夢でした。
本当のところは、どうなのかはわかりませんが、
気持ち的に、ちょっと救われるような、久しぶりに父の温かさを感じるような、
そんな最後は心地よい夢でした。
もやもやした黒いものたちとの戦いは、気持ちのいいものではなかったんですけどね。
私もいい数珠使いになりたいものです。
いや、その実、あんなにいっぱいの数珠をいつも持って歩くのは重くて嫌だなーと思ったのも事実でしたが。
その関連で気づいたことがあります。
父は私が19歳の時に亡くなりました。
だから私は、子どもには父よりももっと長生きしてそばにいてやりたいと常々思っています。
19歳というとまだまだ子どもでした。
大人になって、大人として父と話がしたかった。そう思うから。
ふと気づくと、息子は今19歳。
ほんのちょっとだけど、私は父よりも長く子と生きていれるんだなと。
そういうことを気づかせに、夢に出てきてくれたのかもなあと思うことにした次第です。
お盆を前に、せっかちな父は早めにきてくれているのかも知れません。
夢の話でした。